学位論文要旨



No 121305
著者(漢字) 韓,允熙
著者(英字)
著者(カナ) ハン,ユンヒ
標題(和) 韓紙および和紙の抄紙技術と材料に関する研究
標題(洋)
報告番号 121305
報告番号 甲21305
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3018号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯貝,明
 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 教授 保立,道久
 東京大学 助教授 江前,敏晴
内容要旨 要旨を表示する

様々な材料の中でも、紙は人間の文化と歴史と共に歩み、未来にまで情報と文化などを伝える材料である。近代から現在までの情報媒体が洋紙だとすれば、古代から現在さらに未来まで文化を具有して受け継がれていくものが和紙及び韓紙である。韓紙と和紙の利用は絵画、書跡、文書、典籍、拓本、調度、工芸、民俗資料そのほか各種にわたり、素材の大部分が紙になっているものに限っても巻子、冊子、文書、色紙、短冊、掛幅、絵、屏風、額、扇子など多様な形態で残っている。

紙を対象とする学問分野は、製紙科学分野だけではなく多岐に渡っており、例えば人文科学(歴史学に分類される古文書学、考古学、保存科学)、社会科学(文献情報学)、芸術(日本画、工芸など)の分野で研究の対象になっている。そこで本論文では、その時代の文化と技術を伝える紙文化財、特に古文書に使われている紙の材料学的な解析を行いながら、和紙に使われる分散剤及び抄紙技術の、今まで知られていなかったメカニズムの解析、打ち紙技術、添加剤の添加方法について検討した。そして、その紙が持つ材料としての意味や技術的な意味について検討した。

第1章では研究の背景と目的、和紙と韓紙についての抄紙技術、材料、抄紙過程、文化財の修復方法などについて言及した。

第2章では手漉き紙に古くから使われる抄紙分散剤であるトロロアオイ、ノリウツギ粘質物に関して構成糖分析、蛍光X線分析、熱分解分析、FT-IR、SEC−MALS(多角度光散乱−排除体積クロマトグラフィ)による分子量測定などを行い、粘質物の性質を分析した。熱分解GCパターンから、日本産トロロアオイ、韓国産トロロアオイ、ノリウツギを区別−同定することが可能であった。蛍光X線分析による元素分析の結果、日本産トロロアオイにはCa量が多く、韓国産トロロアオイにはKが多い。この差異が、粘度多糖の凝集形成、粘度の差異に関係していることが分かった。SEC-MALS分析の結果(Fig.1)は多糖成分の分子分散状態を示しておらず、粘度多糖成分はある程度の凝集体を形成して和紙製造における抄紙の分散機能が発現している可能性がある。分散財溶液の加熱後は分子分散の程度は高くなるが、抄紙の分散性質は低下する。構成糖分析から、日本産トロロアオイはラムノース、ガラクチュロン酸、グルクロン酸が主成分であった。

第3章では非破壊による紙表面の繊維配向分析法の開発を行った。Fig.2からわかるように光学顕微鏡写真からフーリエ変換を利用した極座標での画像処理により繊維が配向する強度とその角度を計算するソフトウェアを独自に作成した。この方法を使って漉き簀の動かし方、繊維の流れと、紙中での繊維配向度の関係を明らかにすることができ、古文書料紙の漉き方の歴史的変遷を推定する客観的な根拠を与える手法へと発展させることができた。繊維配向分析を共進点レーザー顕微鏡と組み合わせることにより、紙の内層部分の繊維配向を調べる手段としても応用した。また、フーリエ変換画像解析の応用として簀の目(竹ひごの配列が紙に転写されてできる縞模様)の間隔とその歴史的変遷を考察した。

第4章では伝統的手漉き技術と紙の組織構造の関係を検討するために修復紙とモデルになる手漉きサンプルを漉いて繊維配向を分析した。Fig.3から分かるように現代の和紙は配向性が強く、現代の韓紙は取液面(Top side)が無配向であることが分かった。さらに、漉き簀の動かし方と紙の中での繊維配向の関係を確かめるために検証実験を行った。簀の動きが異なる流し抄き、溜め抄き、流し抄き+溜め抄きの3種類の方法で紙を漉き、繊維配向を調べた(Fig.5)。繊維の流れが生じた面でのみ繊維の配向見られ、流し漉きでは、繊維縣濁液を前方に流して捨てるので前後に繊維が配向し、溜め抄きでは無配向になるとの推定が正しいことがわかった。このことにより、紙の両面での繊維配向を調べれば繊維が簀(す)の上でどのように動いたかがわかり、それは簀の動かし方を推定できることになる。応用として、紙の表裏(素肌面/取液面)の判別法を確立した。

第5章ではこのような画像処理分析法を文化財に適用し、繊維配向度の推定から抄紙技術を推定した。東京大学史料編纂所が所蔵する島津家文書のうち、徳川幕府から島津家に送った書状について繊維配向特度を調べた結果、16世紀~18世紀の抄紙技術が安定したことが分かった。大徳寺文書の場合(Fig 4)は14世紀~16世紀まで繊維配向特性が類似しており、抄紙技術の安定が伺われた。重紙(かさねがみ)と呼ばれる書状の風習についても推定ができた。そして、紙の表裏と書記面との関係について紙の種類別に繊維配向性を調べ、再生紙である宿紙は通常とは反対の面に書記することなどの特徴を把握した。

京都府立総合資料館が所蔵する東寺文書の繊維配向性(Fig 6)は13世紀、14世紀、17世紀で同じ傾向を示し、同じ抄紙技術 が同じであり、(すなわち流し漉き+溜め漉き)が使われたことを示唆していた。韓国はHOAM美術館が所蔵する仏教関係及び朝鮮王朝の古文書について調べ、日本とは違う技術が存在することが分かった。

次いで第6章では和紙の簀の目の幾何学的構造と古文書の簀の目数解析を行った(Fig 7)。和紙の組織構造として、簀の形状である簀の目、糸目(竹ひごを結わえた糸の痕跡)、桁(簀を支える木枠)の跡が残る。簀の目は必ずしも繊維の多少によるものや局部的な繊維配向によるものばかりではなく、竹ひごの間に落ち込んだ様々な添加剤の分布の集中なども考えられ、簀の目が現れるパターンの分類を系統化した。糸目と桁の跡の解析では漉き具の構造をさらに細かく特定することができた。

第7章では打ち紙処理とカレンダ処理の効果について比較検討した。自動打ち紙装置を開発し、均一な打ち紙(紙を叩いて平滑化/高密度化する工程)処理を行うことを可能とした。打ち紙がもたらす紙の構造的及び力学的変化(Fig 8)を明らかにし、古文書料紙の処理法推定と補修紙の効率的製造への応用を可能とした。

第8章では紙文化財に使われた添加剤の種類と加工工程について調べた。古文書料紙に添加された米粉の調製法では、紙の成分として観察される小球状の物質がデンプンであること、また米粉を水に浸漬して膨潤させ、挽いてから添加したことが検証実験の結果から分かった。

第9章では本研究の特徴と成果を要約すると共に、繊維配向性分析の更なる応用の可能性について様々な観点から考察を加えた。

Fig.1 SEC elution patterns and the corresponding molecular mass plots of polysaccharides in the mucilage samples dissolved in 0.1M NaCl.

Fig.2. Digital optical micrograph (a), binary image (b), FFT spectrum (c), and fiber orientation distribution (d).

Fig.3. Fiber orientation intensity of contemporary papers.

Fig.4. Fiber orientation intensity of Daitokuji documents.

Fig.5. Fiber orientation of the handmade model papers prepared by the still-sheet forming, flow and still sheet forming and flow-sheet forming methods in combination

Fig.6. Fiber orientation intensity of Toji documents; from 13 C to 17 C except 15 C, the orientation pattern is typical of the flow and still-sheet forming.

Fig.7. The count change of Daitokuji 248 Documents bamboo rib.

Fig.8. Density change of pounding paper and calendaring

審査要旨 要旨を表示する

様々な生物材料の中でも人間の文化・歴史と共に歩み、未来にまで情報と文化を伝える材料は紙である。中でも、古代から現在さらに未来まで文化を具有して受け継がれていくものが和紙及び韓紙である。紙には文字や歴史的記録以外にも多くの情報が含まれている。そこで本論文では紙文化財を実験対象とし、和紙に使われる分散剤、抄紙技術のメカニズム、打ち紙技術、添加剤の添加方法について分析科学的手法を用いて解析した。

まず、手漉き紙に使われる分散剤であるトロロアオイ、ノリウツギ粘質物に関して化学構造解析を行った。熱分解GC分析から、日本産トロロアオイ、韓国産トロロアオイ、ノリウツギを区別−同定することが可能であった。また、日本産トロロアオイにはカルシウム量が多く、韓国産トロロアオイにはカリウム量が多い。この差異が、凝集形成、粘度の差異に関係していることが分かった。分子量分布分析の結果から、これらの粘質物は分子分散しておらず、ある程度の凝集体を形成して和紙製造における分散機能が発現していることが判明した。また、構成糖分析から、日本産トロロアオイはラムノース、ガラクチュロン酸、グルクロン酸が主成分であった。そのほか、古文書で使われていたデンプン等の各種添加剤の種類の判別と添加方法について解析した。

続いて、非破壊による紙表面の繊維配向分析法を確立した。これは、和紙・韓紙の光学顕微鏡写真のフーリエ変換で得られる極座標データの画像処理により、繊維の配向強度と配向角度を得る方法である。そこで、修復紙や各種の手漉きモデル和紙を用いて、上記の繊維配向性分析を行った。その結果、和紙は繊維配向度が高く、韓紙は低配向度となり、漉き簀の動かし方と紙の繊維配向の関係を確認した。流し漉きでは繊維が配向しやすく、一方、溜め抄きでは無配向になることが裏付けられた。本方法は、共進点レーザー顕微鏡による解析方法、超音波伝播速度から求める方法とよく対応していたが、操作性、古文書の完全非破壊分析への応用の観点から本法のほうが優れている。従って、古文書でも本方法で繊維配向度を評価することにより、紙の表裏の判別、抄紙技術等の推定に利用できる。また、関連してフーリエ変換画像解析を利用して簀の目(竹ひごの配列が紙に転写されてできる縞模様)の間隔とその歴史的変遷に関して知見を得ることができた。以上のように、本方法によって得られる情報から、古文書の表裏、製造方法等に関して非破壊で多量の情報を蓄積することができる。

そこで、上記の分析方法を、(1)史料編纂所が所蔵する島津家文書のうち、徳川幕府から島津家に送った書状、(2)大徳寺文書、(3)京都府立総合資料館が所蔵する東寺文書、(4)上杉家文書、(5)韓国HOAM美術館所蔵の仏教関係及び朝鮮王朝時代の古文書等、実際の文化財に応用し、得られた繊維配向度から当時の抄紙技術、筆記習慣を推定した。評価試料数が十分でないために断言はできないが、14世紀から17世紀における抄紙技術(溜め漉き、流し漉きの区別)について知見を得ることができた。また、古文書の簀の目の数に関する解析を行った。

続いて、古文書に使われる和紙・韓紙に用いられる打ち紙と、洋紙で利用されているカレンダー処理の効果を比較検討した。自動打ち紙装置の開発を行い、均一な打ち紙(紙を叩いて平滑化/高密度化する工程)処理を行うことを可能とした。打ち紙がもたらす紙の構造的及び力学的変化を明らかにし、古文書料紙の処理法の推定と補修紙の効率的製造への応用の可能性を明らかにした。

以上のように、本研究の結果は、貴重な古文書資料を非破壊で解析する新しい方法を確立し、その方法を適用することにより紙の裏表の判定および製造方法の推定等を可能にした。これまでは、限られた人数の職人による判定に依存していたが、本方法によって客観的なデータを多数蓄積することができ、日本のみならずアジア、ヨーロッパにおける古文書解析から製紙技術とその時代の背景を推定することが可能となった。従って、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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