学位論文要旨



No 121321
著者(漢字) 坂本,英樹
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,ヒデキ
標題(和) マウスの細胞分化におけるゲノムワイドDNAメチル化プロファイルに関する研究
標題(洋) Studies on genome-wide DNA methylation profiles of cellular differentiation in mouse
報告番号 121321
報告番号 甲21321
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3034号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 小川,博之
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 田中,智
 東京大学 特任助教授 服部,中
内容要旨 要旨を表示する

序論

哺乳類の個体は形態・機能の異なる多様な細胞から構成されている。これら細胞の形質は細胞分裂を経ても安定であることから、細胞には世代を超えて細胞固有の情報を伝える機構が存在する。これらの細胞は一部の例外を除いて同じ遺伝子のセットを持っていることが、近年のクローン動物研究により証明されている。したがってこの細胞固有の情報は、塩基配列情報以外の機構で伝えられる、エピジェネティックな情報である。

哺乳類ゲノムにみられるDNAメチル化(CG連続配列(CpG)におけるシトシンメチル化)は組織特異的な遺伝子発現、細胞分化、腫瘍形成など種々の現象に関与している。DNAメチル化は周辺の遺伝子のサイレンシングやクロマチン構造の凝縮を生じさせる。DNAメチル化情報は細胞分裂後のゲノムに正確にコピーされることから、エピジェネティクスの主要な機構であることが知られている。約半数の遺伝子はその上流にCpGアイランドと呼ばれるCpGの密集する領域をもつが、近年、組織・細胞特異的にメチル化状態の異なる領域(Tissue-dependently and differentially methylated regions: T-DMR)がCpGアイランドのみならずCpGアイランドを持たない遺伝子上流領域でも見出されている。これらのT-DMRを中心としたゲノム全域のDNAメチル化情報(ゲノムワイドDNAメチル化プロファイル、以下「メチル化プロファイル」)が、細胞のエピジェネティック情報の記憶・伝達の主体である。

従来、各種の細胞分化でゲノムDNAのメチル化シトシン総量が低下することが見出されている。またDNAメチル化阻害剤5-aza-2'-deoxycytidine(5-aza-dC)が各種細胞で分化を誘導することからも、脱メチル化が細胞分化に重要であるとされてきた。これに対し近年、細胞分化にあたり脱メチル化される座位のみならずメチル化される座位も多数あることが明らかになっている。したがって細胞分化に伴うDNAメチル化変化はこれまで考えられていたよりも複雑で、分化のどのステージでいかなる座位がメチル化状態を変化させるのか、といった点は明らかでない。第1章では、脂肪細胞のin vitro分化系を用いてメチル化プロファイルの細胞分化プロセスにおける変化を解析した。

個体を構成する細胞は、各細胞系列への決定を経た段階的なプロセスによって生じるが、組織・細胞の由来・類似性とメチル化プロファイルの関係について、体系的な解析は行われていない。また、これらメチル化プロファイルを構成するT-DMRがゲノム全域の視点からどのようなゲノム領域に分布しているのかも明らかでない。第2章ではマウス組織・幹細胞におけるメチル化プロファイルの比較を行うとともに、メチル化プロファイル中のT-DMRのゲノム情報上の特徴を解析した。

第1章

本章では細胞分化のモデルとしてマウス3T3-L1前駆脂肪細胞の脂肪分化過程について解析した。まず3T3-L1細胞の脂肪分化過程において5-aza-dC処理を行ったところ、脂肪細胞への分化が抑制された。このことから少なくともDNAメチル化が脂肪細胞分化に重要であることが示された。

これまでRestriction landmark genomic scanning (RLGS)法にてT-DMRが多数報告されており、T-DMRを中心とした500以上のNotI座位(GCGGCCGC連続8塩基)の周辺配列情報がデータベースとして整備されている。このうち159のNotI座位について、定量的リアルタイムPCR法及びPyrosequence法にて脂肪分化の4時点(Growing、Confluent、Postconfluent、Mature adipocyte)でメチル化状態を解析した。分化に伴いメチル化状態が変化する13座位が同定された。これらのメチル化状態変化は分化初期から後期にかけて幅広く見られ、その変化パターンとして、分化前後で一方向に変化するもの(メチル化または脱メチル化)に加え、分化後に再び分化前のメチル化状態に戻るもの(一過的メチル化または一過的脱メチル化)が見出された。

さらに、RLGS法によりゲノム上の約1,100箇所のNotI座位のメチル化状態を同じ4時点で解析した。32のNotI座位でメチル化状態の変化が検出され、これらの変化パターンにも一方向の変化と一過的な変化が見られた。脂肪細胞分化において、ゲノムワイドに多数の座位のメチル化状態が多様なパターンで変化することが示された。

本章の結果から、分化に伴いゲノム上の多数の領域でメチル化状態が変化することが示された。各々の座位の変化パターンは様々であり、その一部には一過的な変化も見られた。エピジェネティック情報の一過性の変化は、細胞の分化が従来考えられていたよりも遥かに柔軟な(融通のきく)システムであることを示唆している。

第2章 幹細胞、生殖細胞及び体細胞におけるゲノムワイドDNAメチル化プロファイル解析

本章では、マウスの14種の組織・細胞を対象に、メチル化プロファイルの比較解析を行った。ここでは、ゲノム上に散在する213のNotI座位におけるメチル化状態情報のセットを各組織・細胞のメチル化プロファイルと定義した。NotI座位はVirtual image-RLGSを用い無作為に選出し、定量的リアルタイムPCR法によりメチル化状態を解析した。メチル化プロファイル間の類似性の比較にあたっては、近年マイクロアレイ解析に用いられてきている階層的クラスタリング法を用いた。各メチル化プロファイル間の距離については、個々のNotI座位のメチル化率(%)を構成要素とするベクトル間の距離とし、ユークリッド距離で算出した。

階層的クラスタリングにより、発生系譜上で近い組織間(精巣と精子、前駆白色脂肪細胞と白色脂肪細胞、前駆褐色脂肪細胞と褐色脂肪細胞)、また同等の多分化能を持つ幹細胞間(未分化胚性幹細胞と未分化胚性始原生殖細胞)のメチル化プロファイルがそれぞれ近接したクラスターを構成した。この結果から、メチル化プロファイル間の距離は発生系譜上の近さ、または形質上の類似性を反映していることが明らかになった。

また、生殖細胞(精巣と精子)、幹細胞(未分化胚性幹細胞と未分化胚性始原生殖細胞)に特異的に脱メチル化される座位がクラスターを形成しており、特に生殖細胞特異的脱メチル化座位にはLong terminal repeat(LTR)型トランスポゾン配列が多く含まれていた。特定のメチル化状態の傾向とゲノム領域・塩基配列における特徴に何らかの相関があることが示唆された。

さらにT-DMRのゲノム上の特徴を調べるため、各組織・細胞のメチル化プロファイルからT-DMRを抽出した。各組織・細胞間で50%以上メチル化状態に差がある座位をT-DMRとし、46のT-DMRを同定した。これらについてゲノム上における三つの属性、(1)遺伝子・mRNAに対する相対的な位置(5'上流、遺伝子内部、非遺伝子領域)(2)CpGアイランドか否か(3)反復配列か固有配列(非反復配列)か、をUCSCゲノムデータベースを用い解析した。この結果、T-DMRは(i)遺伝子の5'上流のみならず遺伝子内部や非遺伝子領域にも多く存在すること、(ii)CpGアイランド・非CpGアイランドの両方に存在すること、(iii)反復配列にも固有配列にも見られること、が示された。T-DMRは従来多く知られていた遺伝子の5'上流に加え、ゲノム上の多様な領域に存在することが明らかになった。

これまで報告されているT-DMRには、非CpGアイランド上にあるものとともに、CpGアイランドであっても辺縁部でCpGが少ない領域に存在するものが知られている。そこで213のNotI座位周辺の500bpのCpG密度・GC含量を解析した。46のT-DMRは周辺CpG密度が低い領域(100bpあたり10CpG以下)に偏在していた。T-DMRが周辺のCpGの密度という塩基配列上の共通した性質を持つことが見出された。

本章の結果から、メチル化プロファイルが由来・形質の不明な細胞の評価に応用できる可能性が示された。またメチル化プロファイルを構成するT-DMRを見出す上で、CpG密度という塩基配列上の特徴が有用であることが示唆された。

総合討論

本研究により、細胞分化におけるDNAメチル化プロファイルの性質について、個別の座位のレベルとプロファイル全体のレベルの双方で明らかになった。第1章では、DNAメチル化プロファイルを構成する多数の座位が、細胞分化の過程で多様なパターンでメチル化状態を変化させることが明らかになった。一方第2章では、DNAメチル化プロファイル間の距離は発生系譜上の近さ・形質の類似度を反映していることが示された。すなわち、細胞分化はDNAメチル化プロファイル遷移のプロセスであると換言することができ、DNAメチル化プロファイルはこのプロセスで動的な変化を伴いつつ、細胞の由来・形質を反映したプロファイルに収束していくと言える。

以上、本研究では細胞分化におけるゲノムワイドDNAメチル化プロファイルに関する重要な知見を得た。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類ゲノムにみられるDNAメチル化は、組織特異的な遺伝子発現、細胞分化、腫瘍形成など、種々の現象に関与しているエピジェネティクス系の主要な要因である。近年、組織・細胞特異的にメチル化状態の異なる領域(T-DMR)が、CpGの貧富にかかわらず、様々な遺伝子上流領域でも見出されている。CpGアイランドはメチル化されないとする従来の説と異なり、T-DMRを有するCpGアイランドも存在するのである。哺乳類のゲノムDNAには、きわめて多くのT-DMRが存在し、T-DMRのメチル化あるいは非メチル化の組み合わせによる、DNAメチル化プロファイルが形成されていること、DNAメチル化プロファイルは細胞の種類に特有であることなどが明らかになっている。本論文は、細胞の分化過程のエピジェネティック変化についてT-DMRのDNAメチル化を中心に研究したもので、2章より構成されている。

第1章ではマウス前駆脂肪細胞(3T3-L1)の分化過程におけるゲノムワイドDNAメチル化プロファイル解析が行われた。まず、他種の細胞でRestriction landmark genomic scanning (RLGS)法により明らかにされている159のT-DMRのNotI座位について、定量的リアルタイムPCR法及びPyrosequence法にて脂肪分化の4時点(Growing、Confluent、Postconfluent、Mature adipocyte)でメチル化状態を解析した。その結果、分化に伴いメチル化状態が変化する13座位が同定された。これらのメチル化状態変化は分化初期から後期にかけて幅広く見られ、分化前後でメチル化または脱メチル化という一方向に変化するパターンに加え、一過的メチル化(または脱メチル化)のパターンも見出された。そこで、さらにRLGS法によりゲノム上の約1,100箇所のNotI座位のメチル化状態を解析した結果、32のNotI座位でメチル化状態の変化が検出され、これらの変化パターンにも一方向の変化と一過的な変化が見られた。分化におけるDNAメチル化状態が多様なパターンを示すことがはじめて明らかになったのである。エピジェネティック情報の一過性の変化は、細胞の分化が従来考えられていたよりも遥かに柔軟であることを示している。

第2章ではT-DMRのDNAメチル化情報に基づく細胞系譜の決定が試みられ、また、CpGアイランドを中心にしたT-DMRの特徴に関する解析が行われた。まず、マウスの14種の組織・細胞を対象に、メチル化プロファイルの比較解析が行われた。個々のNotI座位のメチル化率(%)を構成要素とするベクトル間の距離をユークリッド距離で算出した階層的クラスタリング法を用い、細胞のエピジェネティクス情報の類似性を判定することで、発生系譜上で近い組織間(精巣と精子、前駆白色脂肪細胞と白色脂肪細胞、前駆褐色脂肪細胞と褐色脂肪細胞)、また同等の多分化能を持つ幹細胞間(未分化胚性幹細胞と未分化胚性始原生殖細胞)のメチル化プロファイルがそれぞれ近接したクラスターを構成することを証明した。DNAメチル化プロファイル間の距離は発生系譜上の近さ・形質の類似度を反映しており、細胞系譜の研究にDNAメチル化情報が有効であることが明らかになった。また、生殖細胞(精巣と精子)、幹細胞(未分化胚性幹細胞と未分化胚性始原生殖細胞)に特異的に脱メチル化される座位がクラスターを形成しており、特に生殖細胞特異的脱メチル化座位にはLong terminal repeat型トランスポゾン配列が多く含まれていた。特定のメチル化状態の傾向とゲノム領域・塩基配列における特徴に何らかの相関があることが示唆された。さらに、領域のCpGの密度とT-DMRの有無に関連があることも見出された。

各種の細胞分化でゲノムDNAのメチル化シトシン総量が低下すること、DNAメチル化阻害剤処理が各種細胞で分化を誘導することからも、脱メチル化が細胞分化に重要であるとされてきた。しかし、細胞の種類に特有のT-DMRのDNAメチル化プロファイル形成を考えると、細胞分化に伴うDNAメチル化変化は、従来考えられていたよりも複雑である。本研究で明らかになったように、最終的な細胞種特異的なDNAメチル化プロファイルが形成される過程で、ダイナミックな変化が起きている。また、T-DMRを有するCpGアイランドは、メチル化領域を有さないCpGアイランドとは構造上、区別できる可能性が示された。

以上、DNAメチル化プロファイル形成機構の理解が進み細胞分化のエピジェネティック分子機構が明らかになってきた。DNAメチル化の特徴も明らかになってきたことも重要な知見である。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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