学位論文要旨



No 121409
著者(漢字) 髙野,治人
著者(英字)
著者(カナ) タカノ,ハルヒト
標題(和) 血流制限下レジスタンスエクササイズ(加圧トレーニング)の基礎的研究
標題(洋)
報告番号 121409
報告番号 甲21409
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2657号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 助教授 上原,誉志夫
 東京大学 助教授 秋下,雅弘
 東京大学 助教授 林,同文
 東京大学 講師 本村,昇
内容要旨 要旨を表示する

負荷の重いレジスタンスエクササイズは筋肉を成長させ肥大させる効果があり,内分泌因子,成長ホルモン(GH)やインスリン様成長因子(IGF-1)のような種々の成長因子を分泌させる.GHとIGF-1は心臓の成長および構造や機能を調節する因子として報告されている.しかし,運動によりGHを分泌させるためには,重量挙げの選手のような重負荷レジスタンスエクササイズが必要であり,心臓疾患患者や高齢者がリハビリとして行うことは困難である.運動によるGH分泌は運動強度以外にも代謝や低酸素状態による刺激によっても増加する.低強度のレジスタンスエクササイズであっても,四肢をバンドで圧迫することにより筋肉を虚血状態にしてGH分泌を増やすことが出来る.高度の運動負荷(1回最大筋力(1RM)の80%)で血漿GH濃度が100倍に増加することが報告されているが,低負荷(1RMの20%)短時間のレジスタンスエクササイズ(short-term low-intensity resistance exercise以下STLIRE)でも筋肉の血流を制限することによって,GH分泌が290倍に増加することが報告されている.これらのことから,血流制限を伴う低負荷運動は,患者や高齢者などのトレーニングとして向いていると考えられる.しかし,これらの血流制限時の血行動態および内分泌学的変化については報告されていない.

今回,STLIREにおいて血流制限を行った場合の血行動態と内分泌学的変化,および安静時血流制限による血行動態と自律神経に与える影響を調べたので報告する.実験1方法:対象は健康な成人男性11名26-45歳(34±2)で,平均身長は175.8±2.3cm,平均体重は68.1±2.6kgであった.

最低30分仰臥位安静としてからコントロール採血を行った.安静時の血行動態をインピーダンス法で3分間記録した後,両下肢を特別にデザインされたベルトで巻いて圧迫し血行動態の変化を記録した.加圧後は速やかに両下肢のレッグエクステンション運動負荷をおこなった.運動強度は1回最大筋力の20%で1セット30回を3セットおこなった.全ての被験者は下肢の疲労で運動を中止した.採血は運動前安静時,運動直後,運動10分後,30分後に行った.9人の被験者については加圧時と同じ運動を加圧無しで行った.

血行動態のパラメータを測定するのにタスクフォースモニターを用いた.大腿動脈の血流測定は,ドップラーエコーを用いて行い,断面積および,血流速度を記録した.血漿中の乳酸値,成長ホルモン(GH),インスリン様成長物質(IGF-1),ノルアドレナリン(NA),VEGF,ghrelinをそれぞれ測定した.

データは平均±標準偏差として示し,P値で0.05未満を有意なものとした.

結果

浅大腿動脈の血流は安静時370±71ml/minから,加圧時には133±38mlへと減少した(n=5,p<0.05).また,加圧運動後の血流も有意に減少していた(195±70ml/min,p<0.05).

加圧を伴う低負荷運動による心拍数,血圧,一回心拍出量,心拍出量,総血管抵抗の変化について計測したところ,加圧のあるなしにかかわらず運動に伴い心拍数,血圧,心拍出量は上昇していた.ただし,一回心拍出量は加圧していない場合には運動に伴う変化は無く,加圧した場合には運動後に有意に減少していた.

低負荷レジスタンスエクササイズ前後の血漿乳酸およびノルアドレナリンを加圧の有無の双方において測定した.運動後の乳酸値は,加圧を伴う運動の方が加圧なしの場合に比べ有意に上昇した.ノルアドレナリン値も安静時に比べ運動時には有意に上昇し,加圧した場合のほうが上昇の度合いも大きかった.

同様に血漿中のGH,IGF-1,VEGF,ghrelinの運動後の変化について,加圧の有無について測定した.加圧のある場合にはGH,IGF-1,VEGFともに有意に上昇したが,加圧の無い場合には運動後10分後にGHが上昇するのみであった.特にGHは加圧の無い場合に比べ,加圧の有る場合には10分後30分後に著明に上昇した.GHの分泌に関与するghrelinについても測定したが,有意な変化は認められなかった.

実験2方法:対象は10名の28〜46歳(平均34±1.5)の健康な男性で,平均身長は175±4cm,平均体重は66±4kgであった.筋肉の血流を制限する方法は,実験1と同様加圧ベルトを用いた.また,圧は初期圧40〜50mmHgに設定し,カフ圧を100〜300mmHgとした.タスクフォースモニターを用いて,加圧中の血行動態を計測した.

また,心電図のR-R間隔を解析して心拍数変動を計算し,low-frequency power(LFRR)およびhigh-frequency power (HFRR)およびLFRR/HFRRを求めた.

ドップラーエコーを用いて,浅大腿動脈の断面積および,血流速度を記録した.また,経胸壁心エコーにより左室拡張末期径(LVDd)と左室収縮末期径(LVDs)をMモードにて記録した.心尖部アプローチで左室流出路の流速を測定し,弁口面積を測定して,心拍出量を計算した.

全ての測定値は平均値±標準誤差で表示し,P値が0.05未満を有意なものとした.

結果(実験2)

100mmHgの加圧で大腿静脈は著明に拡張し,圧を上げるのに従い動脈血流は減少した.加圧ベルト解除後はすみやかに動脈血流は回復した.250mmHgの圧により下大静脈径,左室拡張末期径は有意に減少した.左室収縮末期径もやや減少したが有意差は認められなかった.これは,加圧ベルトは下肢の静脈還流を減少させるため前負荷が減ることによると考えられる.

インピーダンス法により計測された血行動態の変化では,ベルトに200mmHgの圧を加えると心拍数はわずかに増加し,平均血圧はやや低下するものの有意な変化は認められなかった.一方,心拍出量および一回心拍出量は著明に低下した.これらの結果は心エコーの結果とほぼ一致する.また,体血管抵抗は著明に増加した.

自律神経系への影響では,ベルトの圧200mmHgによりHFRRは41.3±4.9 nuから23.4±4.2nuに抑制された.また,交感神経の活性を示すLFRR/HFRRは1.8±0.3から4.9±1.0へ有意な増加を認めた.

考察

実験1の結果では,(1)加圧を伴う低負荷レジスタンスエクササイズでは,加圧しない場合に比べGH,IGF-1,VEGFの運動に伴う分泌増加が著明に認められた.(2)加圧により総血管抵抗に大きな変化は認められなかったが,加圧しつつ運動した場合には一回心拍出量は著明に低下した.これは加圧により静脈還流が抑えられたことによると考えられ,この結果心臓の前負荷が軽減される.つまり,運動中の心臓の前負荷を抑えながら,GH,IGF-1,VEGFの分泌を促すような刺激を行うことが出来ると考えられ,心血管病患者の新しい心臓リハビリテーションの方法として期待される.

運動によるGHの分泌促進のためには,ウエイトリフティングのような重い負荷のレジスタンスエクササイズを行わなければ得られず,このような強い運動は,筋肉・腱・関節の弱い高齢者やリハビリ中の患者が行うことは困難である.今回の実験では最大筋力量の20%の運動負荷を行ったところ,運動中の心拍数は109±15bpmに上昇したが,これは年齢性別から計算された最大心拍数の55±12%に相当する.心筋酸素需要に関係するRate-pressure productは19,800mmHg×bpmに達しているが,この程度の弱い運動負荷でGHは安静時の100倍にまで上昇している.ここまでのGH分泌を促すためには通常の運動では高負荷の運動が必要であり,Rate-Pressure productは30,000mmHg×bpmに達することが報告されている.

血管内皮成長因子(VEGF)は,血管の新生を亢進させることが知られている.種々のレジスタンスエクササイズではVEGF分泌を促進させることが報告されており,今回の実験でも加圧レジスタンスエクササイズにおいてVEGFの分泌亢進が認められた.VEGFはその性質から閉塞性動脈硬化症(ASO)の治療に有効と考えられており,一部の施設では局所の血管の増殖を促すために注射による治療も行われている.このトレーニング法ではASOのような運動の困難な症例でも運動による血管新生の可能性が期待される.

実験2では安静時加圧での血行動態と動脈血流を記録し,また心電図解析により交感神経副交感神経の変化を測定した.加圧ベルトの圧に依存した動脈血流の制限と,下肢静脈のうっ血および静脈還流の減少が認められた.さらに,静脈還流の減少によると思われる交感神経の活性化が認められた.この両下肢のうっ血は,加圧することにより安静臥位でも認められた.つまり安静臥位の状態でも血行動態的には立位に近い状態となる.一方長期臥床や無重力状態など重力負荷の無い状態が続くと,心血管系の立位負荷への順応が出来なくなり(deconditioning),重力下での立位により立ちくらみや失神を起こすようになる.しかし加圧による血流制限により,血行動態的には立位負荷と同様の負荷を与えることが出来るため,このようなdeconditioningを予防できる可能性が示唆された.

今後の研究課題としては,急性期で無く慢性期の運動の効果(筋肥大や筋力増強)の検討などが考えられる.また,運動による心不全の改善や筋肥大に伴い基礎代謝が増加するため,糖質・脂質の代謝改善による高脂血症や糖尿病の改善も期待され,患者への臨床応用およびその効果判定も行う必要があると考えられる.さらに,自律神経への影響や宇宙飛行士への応用について,長期安静臥位モデルなどにより心循環器系のdeconditioning予防効果を検討する必要がある.加圧に伴う血栓の危険性や凝固線溶系への影響についても今後研究が必要であると思われる.

結語

以上より,血流制限を伴う低負荷短時間のレジスタンスエクササイズは,心臓の前負荷を抑えつつ,GH,IGF-1やVEGFの分泌を促すことが出来る心疾患患者や高齢者に適した運動と考えられた.さらに両下肢の血流制限により立位負荷と同様の血行動態となるため,寝たきりや無重力状態などの重力負荷の無い状態での心循環器系のdeconditioningを防止する可能性が示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は人の健康維持において重要な役割をになっていると考えられる筋力トレーニング法の血流制限による効果的な方法および,その血流制限時の血行動態変化,内分泌的変化および自律神経に与える影響について調べたものであり,以下の結果を得ている.

ベルトで四肢の血流制限を行うことにより低強度負荷のレジスタンスエクササイズで,高強度負荷と同等の筋肥大を来たすのに十分な成長ホルモンの分泌を来たしている.また,このときの負荷量は高強度負荷の場合に比べ非常に軽く,心拍数や血圧など血行動態に及ぼす影響も少ない.

ベルトで下肢の血流制限を行うことにより,動脈血流が減少し,静脈血流も減少するとともに下肢静脈に著明なうっ血が認められた.また,静脈還流が減少することにより心拍出量,一回心拍出量が減少した.

心電図の心拍数変動を解析することにより,上記の静脈還流量の減少により交感神経系の活性化と副交感神経系の抑制が認められた.

以上,本論文は人の健康維持に必要な筋力トレーニングにおいて,血流制限下のトレーニングが有効なことを示し,また,血流制限時の血行動態および自律神経の変化について報告した.これまで報告の無かったトレーニングに関するメカニズムの解明に貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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