学位論文要旨



No 121486
著者(漢字) 千葉,有
著者(英字)
著者(カナ) チバ,ユウ
標題(和) 半側空間無視の評価法に関する研究
標題(洋)
報告番号 121486
報告番号 甲21486
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2734号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

[研究目的]

半側空間無視Unilateral spatial neglect(UN)は、脳損傷の患者が、その病巣と反対側の刺激に対し反応が低下する障害である。その多くは右脳損傷による左UNである。本研究においては、右脳損傷患者における左UNにおいて、原因についての仮説の検証と、その症状の評価法について検討を行った。

UNの原因は、感覚-注意の無視(感覚無視と略)と運動一意図の無視(運動無視と略)とに大別される、とする説が一般的である。運動無視の原因としては、指向性の寡動説が有力であるのに対し、感覚無視の原因については幾つかの説がある。それらは注意障害説と知覚障害説の二つに大別される、と我々は考えた。注意障害説によると、注意の左方への移動が障害されてUNの症状が生じるとしている。一方、知覚障害説としては、一側性の視覚記憶や表象の障害、あるいは知覚における空間の歪み、などによりUNが生じるとしている。

また、感覚無視を生じる病巣についても、頭頂葉、側頭葉および後頭葉の病巣は感覚無視に関与する、という説(Mesulamの説)を支持する報告がある一方で、反対の結果も報告されており、さらなる検討が必要とされている。

既存の感覚無視の評価法は、被検者の手の動きによるバイアスの影響が避けられないもの、視覚刺激提示に検者の手動操作を要するため定量的評価としての不変性に問題があるもの、注意と知覚のどちらの障害なのか区別できないもの、などであった。被検者の手の動きによるバイアスを排し、定量的評価法として不変性があり、なおかつ感覚無視を質的に評価できるものは無かった。そこで本研究では、反応に口頭による返答を用い、刺激提示を自動化した線分二等分試験を作成した。そして、(1)感覚無視の症状を定量的に評価し、(2)感覚無視の仮説群の真偽を検討し、(3)感覚無視の原因について、注意障害説と知覚障害説のどちらが正しいかを検証し、(4)感覚無視の病巣の仮説について検証した。

[方法]

対象被検者

19人のUNの患者と、同年代の21人の健常者が本研究において最終的に分析された。被検者は、検査前にその意義を説明し、書面による同意が得られた人を対象とした。すべての被検者は右利きであった。患者は、脳血管疾患により右脳のみに病巣がある人が選ばれた。UNの評価として一般的な筆記テストにおいて基準値以下で、なおかつUNに特徴的な臨床症状を実際に示している場合に、UNの症状があると診断された。

視覚刺激と検査条件

検査は座位で行われた。動画による視覚刺激はコンピューターのモニター上に提示された。白い背景の中に、長さ306mm、太さ15mmの黒い水平線が映し出された。動画は、初めに線の端に白い目印を提示した。被検者がそれを認知したことを被検者の口頭による反応で確認した。そして動画を開始し、目印は一方の端から他方の端へ40秒かけて移動した。速度は0.76mm/秒であった。被検者は、目印が線の中心に来たと思った時に口頭で「はい」と合図するよう指示された。検者は合図に応じてすばやく動画を止め、目印の位置を記録した。目印が左端から右端へ移動する右向きタスクと、逆の右端から左端へ移動する左向きタスクの2種類のサブタスクに分けて行われた。

手順

手順の説明と練習のテストの練習が本番のテストの前に行われた。本番のテストはまず右向きタスクが行われ、次いで逆の左向きタスクが行われた。この順に5ラウンド繰り返された。検者は、各試行ごとに終了直後に本当に目印が中心にあるかどうか被検者に尋ねた。被検者が否定した場合は、データは棄却されそのタスクは再試行された。再試行の回数は制限されなかった。被検者が肯定した場合、データは採択された。線分の中心から、動画が止められた位置の目印の中心から線分の中心までの長さ(mm)が記録された。目印の、右よりの偏りは+で、左よりの偏りは-で表記された。

病巣の同定と病巣についての仮説の検討

被検者となった患者に対しMRIまたはCTの画像による病巣の検査が行われた。感覚無視の原因となるとされている頭頂葉、側頭葉および後頭葉に病巣がある群と無い群とに分け、それぞれに感覚無視の有無が検討された。

[結果]

患者群は、右向きおよび左向きの双方のタスクにおいて、健常者群に対し有意に大きな右寄りの偏りを示した。タスク間の比較については、患者群は、左向きタスクにおいて右向きタスクより有意に大きな偏りを示したのに対し、健常者群では双方のタスク間の結果に有意な差は無かった。

右向きタスクにおいて10.04mm以上、左向きタスクにおいて7.10mm以上の偏りを示した患者を感覚無視ありと分類した。これらの閾値は、それぞれのタスクにおける健常者群の平均の偏りに標準偏差の2倍が加算された値、として定義された。患者19人中、右向きタスクにおいて11人が、左向きタスクにおいて15人が、それぞれ感覚無視あり、と分類された。2人はどちらのタスクにおいても感覚無視ありと分類されなかった。

病巣に関しては、右向きタスクにおいては19人中13人が、左向きタスクにおいては19人中11人が、前述のMesulamの説と一致した。

[考察]

本研究において、反応に意図的な手の動きを排しているにもかかわらず、患者19人中、右向きタスクにおいて11人、左向きタスクにおいて15人、が有意な右よりの偏りを示した。この偏りは感覚の無視の症状を反映すると考えられ、感覚無視の仮説群を支持する結果と考えられた。患者群が、右向きタスクよりもより多くの注意の左方移動を必要とすると考えられる左向きタスクにおいてより大きな偏りを示したことは、注意障害説を支持する結果と考えられた。

しかし、一方で、両タスク間の結果にあまり差の無い患者も存在した。このことは、注意の左方移動の多寡が結果に与えた影響が少なかったことを意味し、注意障害説よりも、知覚障害説を支持する結果と考えられた。

このように、注意障害説および知覚障害説のそれぞれを支持する証拠が双方とも存在する結果となった。このことは、感覚無視の原因が注意あるいは知覚のどちらかの障害だけではなく、それぞれが独立しており、双方が共に原因となりうるものである可能性が考えられる。そしてその双方の障害は時に合併して発症しうる可能性があると考えられた。

左向きタスクにおいて、患者はより大きな右よりの偏りを示す傾向にあり、より高率に患者の右よりの偏りを検出できる。しかし、検出される偏りには注意の左方移動障害のバイアスをより含み、眼球運動のバイアスをもより含んでいると考えられた。一方、右向きタスクにおいては、患者が示す右への偏りは左向きタスクより減少する傾向を示し、患者の右よりの偏りを検出できる確立は減るが、運動のバイアスをより排除し、感覚の(知覚の)無視をより純粋に評価できると考えられた。

この結果に基づいて、少なくともどちらかのタスクで感覚無視ありと分類された17人を対象として、感覚無視の亜型分類の可能性を検討した。右向きタスクに比べて、左向きタスクにおいてより大きな右への偏りを示す患者は、注意の左方移動が障害されていると考えられ、注意の無視がある患者である可能性が考えられた。両タスク間の平均の偏りの差(DLR)が各被検者ごとに計算された。差の値が9.44より大きな患者12人は、注意の無視がある患者である可能性があり、一つの群に分類された。閾値の9.44は健常者群におけるDLRの標準偏差の2倍として定義された。それらの患者の中には、注意の移動障害だけでなく、知覚の無視を合併している患者もいる可能性も考えられた。一方で、双方のタスクの結果にあまり差の無い患者は、知覚の無視が主の患者である可能性があると考えられた。知覚の無視をより反映すると考えられる右向きタスクにおいて感覚無視ありと分類され、なおかつDLRの絶対値が9.44より少ない2人の患者は、もう一つの群として分類された。

[まとめ]

本評価法を用いて、UNの患者に対し、運動のバイアスの影響を排した感覚無視の評価がなされた。その結果、感覚無視の仮説群が真であり、注意および知覚の無視がそれぞれ独立しており、ともに感覚無視の原因となりうる、可能性があると考えられた。深部構造または前頭葉の病巣も感覚無視の原因となりうることが確認され、そして感覚無視の患者は注意の無視のある患者と知覚の無視が主患者の二つの亜型に分類される可能性が示唆された。本テストは、臨床において適切な訓練プログラムを立案するための評価として有用であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、半側空間無視の症状の定量的な評価法を作成し、その有効性を検証することを目的とした。また、半側空間無視の原因の仮説の検証をも行っている。作成された評価法は動画を使って自動化した受動的線分二等分試験である。評価は右向きタスクと左向きタスクの2つのサブタスクに分けて行われた。同方法を用いて、半側空間無視の患者19名と、対照としての健常者21名に検査を行い、下記の結果を得ている。

患者群において、健常者群に比べて有意に大きな偏りが検出された。意図的な手の動きを排している条件下で偏りが検出されたため、この偏りは感覚無視の症状を反映すると考えられ、UNの原因としての感覚無視の仮説群が真であると考えられた。

患者群は、右向きタスクよりも左向きタスクにおいてより大きな偏りを示した。この原因は、左向きタスクにおいてより注意の左方移動を必要するためと考えられた。左向きタスクにおいて、患者はより大きな右よりの偏りを示す傾向にあり、より高率に患者の右よりの偏りを検出できる。検出される偏りには注意の左方移動障害のバイアスをより含んでいると考えられた。一方、右向きタスクにおいては、患者が示す右への偏りは左向きタスクより減少する傾向を示し、患者の右よりの偏りを検出できる確立は減る。しかし、感覚の(知覚の)無視をより純粋に評価できると考えられた

より注意の左方移動を必要とすると考えられる左向きタスクにおいて、患者群がより大きな偏りを示したことは、感覚無視の原因としての注視障害説を支持する結果と考えられた。一方で、双方のタスクの結果において大きな違いの無い患者も存在し、知覚障害説を支持する結果と考えられた。感覚無視の原因が注意あるいは知覚のどちらかのみの障害ではなく、それぞれが独立しており、双方が共に原因となりうる可能性が考えられた。

双方のタスクにおいて、感覚無視ありと診断された患者の中に、前頭葉又は深部構造にのみ病巣がある患者も存在し、それらの病巣も感覚無視の原因となりうることが示された。

左向きタスクにおいて右向きタスクよりもより大きな偏りを示した患者は、注意の左方移動が傷害されていると考えられ、注意の無視がある可能性があると考えられた。一方で双方なタスクの結果において大きな差が無い患者は知覚の無視が主である可能性が考えられた。感覚無視の症状がさらに亜型に分類されうる可能性が示唆された。

以上、本論文において、動画を用いて自動化した受動的線分二等分試験が、半側空間無視の症状の評価法として有効であることが示された。本方法による検査結果は、半側空間無視のリハビリテーションにおいて、有効な訓練プログラムを計画するために有用である可能性があり、臨床において重要な貢献をなすと考えられ、学位に値するものと考えられる。

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