学位論文要旨



No 121494
著者(漢字) 吉岡(前田),京子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシオカ(マエダ),キョウコ
標題(和) 保健師によるボトムアップ型の事業化のプロセスとその関連要因の検討
標題(洋)
報告番号 121494
報告番号 甲21494
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2742号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 助教授 山崎,喜比古
 東京大学 講師 宮本,有紀
内容要旨 要旨を表示する

緒言

市区町村に働く保健師(以下、保健師とする)は、多くの地域住民の健康や生活にまつわる問題(以下、健康・生活問題とする)を改善するため、新規事業を立ち上げることがある。この活動は「事業化」と呼ばれ、保健師の重要なpopulation-strategyの一つとして世界的に注目を集めている。

事業化に必要な技術は、質的研究を中心に解明されてきたが、そのプロセスにどのような要因が関連しているのかを実証した研究は見当たらず、保健師による事業化は依然として個人の経験に依拠していると言われている。

本研究では、保健師による事業化のプロセス、すなわち、保健師が(1)新規事業を立ち上げる必要性について認識し、(2)その提案をし、(3)新規事業が住民に提供されたことには、どのような要因が関連していたのかを明確にすることを通して、より多くの保健師が事業化できるための手がかりを得ることを目的とした。

方法

本調査の対象は、全国の市区町村で対人保健福祉サービスに携わり、1年以上の経験を有する常勤保健師であり、全国保健師長会の協力を得て2005年5月〜6月に郵送法による無記名自記式質問紙調査を実施した。

対象の選定にあたり、2005年内に合併予定の547市町村を除外し、1871市区町村から抽出率20%で374市区町村を無作為抽出した。305市町村から協力が得られ、当該市町村に勤務し、対象の基準に合致した者は2306人だった。

調査項目は、従属変数として、ボトムアップ型の事業化のプロセス要因、即ち(1)新規事業を開発する必要性の認識の有無、(2)その提案の有無、(3)新規事業の住民-の提供の有無をたずねた。独立変数として、自治体および所属する組織の要因、保健師の個人要因、新規事業自体の要因についてたずねた。

分析は、まず保健師経験年数とすべての変数との関連について、Spearmanの順位相関係数を用いて検討した。

次に、回答者を保健師経験年数に基づき、1-5年目(新任期)、6-10年目(前期中堅期)、11-20年目(後期中堅期)、21年目以上(ベテラン期)に分け、従属変数ごとに「認識群」と「非認識群」、「提案群」と「非提案群」、「提供群」と「非提供群」に二群比較をした。また、変数減少法によるロジスティック回帰分析を行い、保健師による事業化のプロセスとその関連要因を検討した。

分析にはSPSSver.12.0Jを用い、有意水準は5%未満とした。

結果

調査対象2306人のうち、1374人から回答を得た(回収率59.6%)。有効回答は1270人だった(有効回答率55.1%)。

対象の性別は、女性が1258人(99.1%)、平均年齢は36.3±8.8歳、平均保健師経験年数は12.2±8.5年であった。保健師経験年数は、1-5年が340人(26.8%)、6-10年が347人(27.3%)、11-20年が329人(25.9%)、21年以上が254人(20.0%)であった。また、認識群は789人(62.1%)、提案群は465人(36.6%)、提供群は399人(31.4%)であった。

保健師経験年数とすべての変数との関連を検討した結果、保健師の個人要因のうち、年齢と職位との間に強い正の相関が、また過去の事業化経験との間にやや強い正の相関が認められた。他の変数との関連はそれほど強くなかった。

ロジスティック回帰分析の結果、新規事業を立ち上げる必要性の認識には、すべての経験年数群で、「他者主導の事業化に参画した経験あり・自身で事業化した経験あり」が有意に関連していた。新任期では「事業化に関する研修を受けたことがある」ことと「事例検討を行っている」こと、前期中堅期では「クライアントと類似の健康・生活問題を持つ地域住民の存在を裏付けるデータがあるか」を考慮することと「自治体の地域保健福祉計画を読む」こと、後期中堅期とベテラン期では、「既存の民間サービスを活用すれば、健康・生活問題に対処できるか」を考慮することと、「日頃から、住民への支援について職場の人に相談する」ことが関連していた。

新規事業の提案には、どの経験年数群でも、「新規事業の必要性を認識してもらうための働きかけをした」ことが有意に関連していた。新任期では「事業化することについて、住民の支持を得られる可能性があるか」を考慮したこと、前期中堅期では「所属部署の内外を問わず、新規事業の立ち上げに賛同してくれる人がいるか」を考慮したこと、後期中堅期では「新規事業を立ち上げる上で参考になる他の自治体の情報があるか」を考慮したこと、ベテラン期では、後期中堅期で有意な関連の認められた項目に加え、保健師経験年数が長いことと「日常業務で疑問に思った問題について調査をする」ことが関連していた。

新規事業の提供には、どの経験年数群でも、「初年度に必要な予算を確保した」ことが有意に関連していた。

考察

本結果は、調査対象の自治体を無作為抽出して得たものであり、わが国の保健師による事業化の現状を比較的良好に反映していると言える。

また、保健師経験年数は、年齢や職位および過去の事業化経験との間に関連が認められた。この結果から、年功序列制度により、経験を積んだ保健師がより高い職位に就いており、事業化を経験する機会に恵まれていることが示唆された。

新規事業を立ち上げる必要性の認識には、すべての経験年数群で、過去に他者主導の事業化に参画した経験と自身で事業化した経験を持つことが関連していた。保健師活動の目的は、住民個人と地域全体を視野に入れて、彼らの健康を保持・増進する活動を展開することであり、保健師の勤務する自治体や所属組織の差異に拘らず、共通している。つまり、保健師は、自治体や職場の違いに拘らず、事業化の必要性を認識できる可能性があり、新任期から様々な立場で事業化の経験を積むことが重要と解釈される。

また、新任期では、事業化に関する研修を受けることと事例検討を行うことが、新規事業の必要性の認識と関連していた。これは、新任期から事業化の現任教育を受ける必要性を新たに示唆し、保健師による事業化における個別支援の積み重ねの重要性を示す先行研究17-22)を支持する知見である。

前期中堅期では、クライアントと類似の問題を持つ地域住民の存在を裏付けるデータについて考慮することと、自治体の地域保健福祉計画を読むことが、新規事業を立ち上げる必要性の認識と関連していた。これは、行政職員が事業化の必要性を見極める際に、問題の広がりを示す根拠を得ることが不可欠という先行研究29)を支持する結果である。一方、これまで保健師が自治体の計画を読むのは、事業の企画・立案段階とされていたが、日頃から計画を読み、自治体の課題を把握すると共に、個人の問題との関連性を検討することが必要と考えられる。

後期中堅期とベテラン期では、民間サービスの活用可能性について考慮することと、住民への支援について職場の人に相談することが、新規事業を立ち上げる必要性の認識と関連していた。行政が新規事業を立ち上げるためには、自助や共助、および既存の社会資源のいずれによっても解決困難であることが条件になる。これは、保健師による事業化に関する先行研究では言及されていなかったが、今後保健師が、事業化の必要性を検討する際の留意点になると考えられる。また、後期中堅期以後は、管理職に昇進していく時期と重なるため、部下や地域の管理業務が増加する反面、個別支援に関わる機会は減少していると考えられる。このため、後期中堅期以後には、事例検討や職場でのコミュニケーションを活用し、地域の健康・生活問題の把握に努めることが重要と考えられる。

また、新規事業の提案には、すべての経験年数群で、保健師が同僚や上司にその必要性を認識してもらうための働きかけをしたことが関連していた。合意形成には、関係者の問題意識レベルが影響するため、それを高めるような働きかけの重要性が示唆されていたが、本結果によりこれが実証されたと考えられる。

新任期では、事業化について住民の支持を得られる可能性を考慮したことが、また前期中堅期では、新規事業の立ち上げに賛同してくれる人がいるかを考慮したことが、新規事業の提案に関連していた。経験年数の浅い保健師が、新規事業の提案をするには、自身の事業化経験の乏しさを、多くの人から協力を得ることによって補う必要があると考えられる。このため、新任期や前期中堅期には、住民も含めた事業化に対する賛同者の有無を予め検討しておくことが重要と考えられる。

後期中堅期とベテラン期では、新規事業の提案には、「新規事業を立ち上げる上で参考になる他の自治体の情報があるか」について考慮したことが関連していた。行政職に関する先行研究では、この情報を収集・分析することで、事業の効果や改善点が明確になると言われていたが、今後保健師が、効果的な事業の提案をする際にも役立つ可能性があると考えられる。

ベテラン期では、保健師経験が長いことと日常業務で疑問に思った問題について調査することが、新規事業の提案と関連していた。この知見により、経験豊かな保健師が発言力を持っていることと、行政職員や経験の浅い保健師による事業化において不可欠とされている調査能力が、ベテラン期でも重要であることが示唆された。

新規事業が住民に提供されたことには、すべての経験年数群で、予算を確保したことが関連していた。予算は事業提供に不可欠な資源のため、当然の結果だが、昨今の財政状況の悪化を考えると予算確保は困難なため、保健師は既存事業の組み替え等により、予算確保に努めることが必要である。

本研究の知見は、多くの保健師の事業化の技術の向上に資する点で意義がある。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、保健師によるボトムアップ型の事業化のプロセス、すなわち、保健師が(1)新規事業を立ち上げる必要性について認識し、(2)その提案をし、(3)新規事業が住民に提供されたことには、どのような要因が関連していたのかを明らかにすることを試みたものであり、無作為抽出された全国の市町村保健師2306人を対象とした郵送用による無記名自記式質問紙調査を行い、下記の結果を得ている。

有効回答の得られた1270人(有効回答率55.1%)のうち、新規事業を立ち上げる必要性を認識したことがある「認識群」は789人(62.1%)、その必要性を提案した「提案群」は465人(36.6%)、新規事業が住民に提供された「提供群」は399人(31.4%)であった。

保健師経験年数と全変数との関連を検討した結果、保健師の個人要因のうち、年齢と職位との間に強い正の相関が、過去の事業化経験との間に、やや強い正の相関が認められた。

ロジスティック回帰分析の結果、新規事業を立ち上げる必要性の認識の有無との関連要因は、すべての経験年数群で、過去に他者主導の事業化に参画した経験と、自身で事業化した経験を併せ持つこと、新任期では、事業化に関する研修を受けることと事例検討を行うこと、前期中堅期では、クライアントと類似の問題を持つ住民の存在を裏付けるデータがあるかを考慮することと地域保健福祉計画を読むこと、後期中堅期とベテラン期では、既存の民間サービスの活用可能性を考慮すること、日頃から住民への支援について職場の人に相談すること、であった。

新規事業の提案の有無との関連要因は、すべての経験年数群で、同僚や上司に新規事業の必要性を認識してもらうための働きかけをしたこと、新任期では、事業化に対する住民の支持を得られる可能性を考慮したこと、前期中堅期では、新規事業の立ち上げに対する賛同者がいるかを考慮したこと、後期中堅期では、事業化の参考になる他の自治体の情報があるかを考慮したこと、ベテラン期では、後期中堅期における関連要因に加え、保健師経験年数が長いことと、日常業務で疑問に思った問題について調査すること、であった。

新規事業の住民への提供の有無との関連要因は、すべての経験年数群で、初年度に必要な予算を確保したこと、であった。

以上、本論文は、保健師によるボトムアップ型の事業化のプロセスに、どのような要因が関連していたのかを検討し、新任期から様々な立場で事業化の実践経験を積むことの重要性を明らかにした。また、今回事業化のプロセスとの間に関連の認められた要因は、事例検討を行うことや、事業化を進めることに賛同してくれる人の有無を検討することなど、誰もが日常業務の中で容易に取り組めるものばかりであった。

本研究は、「保健師による事業化は、保健師個人の経験や勘に依拠しており、暗黙知にとどまっている」とされてきた一連の研究課題において大きな前進をもたらすものであり、事業化能力を伸ばしたいと願う多くの保健師の技術の向上に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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