学位論文要旨



No 121729
著者(漢字) 掛札,洋平
著者(英字)
著者(カナ) カケフダ,ヨウヘイ
標題(和) 低エネルギー電子ビームを用いた鉄および鉄シリサイド微細構造の作製と分析
標題(洋) Fabrication and in-situ analysis of iron and iron silicide microstructures using low energy electron beam
報告番号 121729
報告番号 甲21729
学位授与日 2006.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第225号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉信,淳
 東京大学 教授 和田,仁
 東京大学 教授 大谷,義近
 東京大学 助教授 田島,裕之
 東京大学 助教授 高木,紀明
内容要旨 要旨を表示する

I. 序論

 ナノからメゾスケールの構造物はバルクとは異なる物性を発現する可能性があるため注目を集めている。これら微細構造の物性はその組成、サイズおよび形状に大きく依存するため、その局所的な電子状態を分析する必要がある。

 本研究では、表面微細構造の作製と電子状態のその場分析を低エネルギー電子ビームによって行うための超高真空装置を新しく構築した。超高真空で構造作製およびその場分析を行うことで、大気暴露による試料汚染や酸化による物性の変化を回避することができる。電子ビーム源としてアプコ社製電子銃Mini-EOCを採用した。この電子銃を用いることで、加速電圧2kVのとき最小スポット径25nmまで電子を収束させることが可能である。また、電子ビームを収束させるレンズ系として静電レンズを採用しているため、磁場が発生しない。そのため円筒鏡型電子エネルギー分析器(CMA)、マイクロチャンネルプレート(MCP)増幅型低速電子回折(LEED)システム、二次電子検出器(SED)など他の電子検出器との共存が可能となった。これらの装置により電子誘起反応による構造作製、オージェ電子分光(AES)と電子エネルギー損失分光(EELS)による表面電子状態分析、LEED観察および走査型電子顕微鏡(SEM)による表面構造観察を行うことが可能である。また、予め試料の一部に電極としてMoを蒸着した基板を用いることで、同一装置内で電気伝導特性を測定することが可能である。

 近年、鉄とシリコンからなる系が注目を集めている。特に、鉄シリコン化合物の一つであるβ-FeSi2は直接遷移型の半導体であり、既存のSiデバイスとの融合が可能な光デバイス材料として期待されている。現在までにβ-FeSi2の作製方法およびその物性に関して数多くの研究がなされてきたが、その大多数は薄膜の高品質化とその光学特性評価に関するものであり、将来デバイス化の際に重要になってくるであろう位置選択的なβ-FeSi2の作製技術やその局所的な電子状態に関する研究は未開拓である。そこで、本研究では、微小スポット径の低エネルギー電子ビームを用い、位置選択的に鉄シリサイドを形成することを目標とした。そのために、まずSi(100)清浄表面に金属鉄を位置選択的に堆積させた。その後、基板加熱を行うことで鉄シリサイドを局所的に生成させた。作製した鉄および鉄シリサイド人工構造はSEM、AESおよび2端子法による電気伝導特性測定によって評価した。

II. 実験

 実験はすべて本研究で構築した装置を用い、3×10(-10)Torr以下の超高真空で行った。基板はSi(100)ウエハを用いた。Si(100)表面は通電加熱法によって清浄化した。また、構造作製およびオージェ分析はすべてEp=2 keV、I(sample)=0.2 nAおよびスポット径10(-14)m2の電子ビームを用いて行った。鉄カルボニル(Fe(CO)5)はガス状にてパルスバルブを用いて再現性よく試料表面に導入した。

III. 結果と考察

(1)鉄構造物の位置選択的堆積と物性評価

 鉄カルボニルの電子誘起反応によって、鉄を任意の位置に堆積させた。その実験手順を以下に記す。(1)Si(100)表面を通電加熱法によって清浄化した。(2)80Kに冷却したSi基板に鉄カルボニルを吸着させ、鉄カルボニル多層膜を形成させた[1]。(3)任意の位置に電子を照射した。(4)基板を鉄カルボニル多層膜の脱離温度以上(>150K)に加熱した。このようなプロセスを経た後の試料表面のSEM像をFig. 1に示す(電子ビームを直線的に走査した)。その結果、電子照射位置にμmスケールの人工構造が観察された。作製された人工構造はSi基板(半導体)と比較して二次電子放出量が大きいため、金属的であると考えられる。また、ワイヤの線幅は電子ビーム径と比較して広がっているが、これは主に試料の機械的振動に起因するものである。

 次に、電子照射位置および非照射位置に対してAESスペクトルを測定した(Fig. 2)。その結果、電子照射位置においてのみFe MVVオージェピークが観察された。また、そのピーク位置(47 eV)から金属的な鉄が堆積していることがわかった[1]。また、電子ビーム照射位置、非照射位置ともに炭素および酸素由来のオージェ電子ピークは観察されなかった。

 Si基板および鉄人工構造の試料抵抗を測定した(Fig. 3)。人工構造作製前のSi基板に対する測定の結果は温度の下降に伴って抵抗が増大するという、半導体的な電気伝導特性を示した。一方、鉄構造(20ML、1ML=6.74×10(14)atoms/cm2)作製後の試料抵抗はSi基板と比較して大きく減少した。また、試料抵抗は温度を変化させてもほとんど変化しなかった。すなわち、堆積した鉄人工構造は金属的であるとわかった。また、鉄人工構造の抵抗率を求めたところ10(-2)Ω・cmのオーダーであることがわかった。この値は過去の鉄薄膜に対する測定結果とよく一致する。

(2) 鉄シリサイドの局所生成

 電子誘起反応によって作製した鉄人工構造を加熱したときの表面組成、表面モルフォロジーおよび電気伝導特性の変化を観察した。鉄人工構造を加熱したときの電気伝導特性を測定した(Fig. 4)。その結果、670K以上の加熱によって試料抵抗はわずかに上昇した。これは、人工構造が部分的にシリサイド化していることを示唆している。試料を970Kに加熱したところ試料抵抗は大きく増大した。そして、このときの試料抵抗は人工構造作製前のSi基板とほとんど同等であった。このことは、970K加熱によって人工構造が崩壊しているか、半導体的なβ-FeSi2が生成している可能性を示している。

 各温度で加熱したときの人工構造のSEM観察およびAESによる表面組成の測定を行った。加熱温度に対する各オージェ強度の変化をFig.5に示した。770K以上の加熱によってFe MVVオージェ強度は徐々に減少し、1190Kの加熱によって消失した。一方、Si LVVオージェ強度は770K以上の加熱によって増加し、1190K加熱後の強度はSi(100)清浄表面のオージェ強度と同等であった。1070K加熱時のFeとSiのオージェ強度比はβ-FeSi2に対する過去の測定結果とよく一致した[2]。

 加熱温度に対する人工構造の表面モルフォロジー変化を観察した。その結果、人工構造の1190K加熱後も存在していることがわかった(Fig. 6)。これらの結果をあわせて考えると、埋め込まれた鉄シリサイド人工構造が生成している可能性がある。これらの結果は、金属蒸着によって作製されたFe/Si(100)に対する測定結果とよく一致する。

IV. まとめ

 低エネルギー電子ビームを用い、シリコン基板表面に位置選択的に鉄を堆積させ、その局所的な電子状態および電気伝導特性を測定することに成功した。すべての実験結果は作製された鉄が金属的であることを示している。また、作製した鉄構造を670K以上に加熱することで局所的に鉄シリサイドが形成されると考えられる。970K以上に加熱することで局所的にβ-FeSi2が生成している可能性がある。また、1190Kに加熱したときのSEMおよびAESの測定結果は、基板中に埋め込まれた鉄シリサイドワイヤ構造が形成されている可能性を示唆している。

 本研究では、鉄カルボニルの電子誘起反応と基板加熱によって鉄シリサイドを局所的に生成できることをはじめて示した。本研究で用いた手法は鉄シリサイド人工構造を作製する上で非常に有用である。また、埋め込まれた人工構造は鉄シリサイドがSiで覆われているため、大気暴露時にSiが保護膜となることで鉄シリサイドの酸化を防止できる可能性がある。

参考文献[1] J. S. Foord and R. B. Jackman, Surf. Sci. 171, 197 (1986).[2] J. M. Gallego and R. Miranda, J. Appl. Phys. 69, 1377 (1991).

Fig.1 作製したワイヤ構造

(Fe(CO)5 600 L, 電子照射量 10μC/cm2)

Fig.2 Fe/Si(100)のAESスペクトル

(a)Si(100)清浄表面、(b)Fe(CO)5 30 L吸着後、電子線照射位置、(c)電子線非照射位置

Fig.3 鉄構造物作製前後の試料の

電気伝導特性(Fe 20 ML on Si(100))

Fig.4 アニール後の基板温度100Kのときの試料抵抗

Fig.6 人工構造の表面SEM観察像

Fig. 9 鉄構造物加熱後の表面組成

(Fe 20 ML on Si(100))

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり,第1章は序論,第2章は掛札氏が設計・試作した微細構造作成・評価装置を含む超高真空システム,第3章は今回開発した装置を使って行う表面分析法の原理,第4章は本装置を使用してSi(100)表面に作製した鉄の微細構造とその評価,第5章はSi(100)に作製した鉄微細構造の加熱処理とその観察と評価,第6章は結論と今後の展望について述べられている.

 第1章では,低エネルギー電子を用いた表面構造作製とその場観察の意義,および,近年注目を集めている鉄シリサイド系について簡単に述べられている.鉄シリサイドのうちβ-FeSi2は直接遷移型の半導体であり,Siデバイスとの融合が可能な光デバイス材料として期待されている.本研究では,微小スポット径の低エネルギー電子ビームを用い位置選択的に鉄シリサイドを形成することを目標とした.

 第2章では,掛札氏が設計・構築した実験装置の詳細について述べられている.超高真空(UHV)チェンバー,サンプルホルダー,サンプル冷却システム,低エネルギー電子銃,オージェ電子分光(AES)や電子エネルギー損失分光(EELS)を行うための円筒鏡型電子分析器(CMA),マイクロチャンネルプレート増幅型低速電子回折装置(LEED),表面電気伝導測定装置,測定制御ソフトについて詳述されている.上記の装置のうち,UHVチャンバー,サンプルホルダー,LEED,電子分光検出系,表面電気伝導測定装置,測定制御ソフトは掛札氏が本研究で設計/試作したオリジナルなものである.低エネルギー電子銃,CMAは,購入品をUHVチャンバーに装着して使用した.上記の装置の性能は,シリコン表面を標準サンプルとして評価された.

 第3章では,SEM,AES,EELSの測定原理についてやや詳しく述べられている.

 第4章では,鉄カルボニルを低温のSi(100)表面に凝集させ,意図した位置に電子ビームを照射して電子誘起反応によって鉄を任意の位置に堆積する実験について詳述されている.その実験手順は次の通りである:(1)Si(100)表面を通電加熱法によって清浄化する.(2)80Kに冷却したSi基板に鉄カルボニル多層膜を凝集させる.(3)任意の位置に電子を照射する.(4)基板を鉄カルボニル多層膜の脱離温度以上(>150K)に加熱する.このようなプロセスを経た後の試料表面をSEMで観察すると,電子照射位置のみにμmスケールの人工構造が確認された.電子照射位置および非照射位置に対してAESスペクトルを測定すると,電子照射位置においてのみFe MVVオージェピークが観察され,ピークエネルギーより金属的な鉄が堆積していることが明らかとなった.さらに,Si基板および鉄人工構造の試料抵抗(温度依存性)を測定したところ,シリコン基板上に金属的な鉄が堆積されたことが解明された.

 第5章では,第4章で構築した鉄人工構造の加熱処理による変化を,表面組成,表面モルフォロジーおよび電気伝導特性により調べた結果を詳述している.670K以上の加熱によって鉄人工構造が部分的にシリサイド化していることを示唆された.さらに970Kに加熱したところ試料抵抗は大きく増大し,半導体的シリサイドが生成していることを示唆する結果を得た.

 加熱処理温度を上昇させたときの人工構造のSEM観察およびAES測定を行った.770K以上の加熱によってFe MVVオージェ強度は徐々に減少し,1190Kの加熱によって消失した.一方,Si LVVオージェ強度は770K以上の加熱によって増加し,1190K加熱後の強度はSi(100)清浄表面のオージェ強度と同等であった.なお,1070K加熱時のFeとSiのオージェ強度比はβ-FeSi2に対する過去の測定結果とよく一致した.加熱温度に対する人工構造の表面モルフォロジー変化を観察すると,1190K加熱後も人工構造は存在していることがわかった.以上の実験結果から,1190K加熱後,Si基板に埋め込まれた鉄シリサイド人工構造が生成していると推察した.

 以上のように,掛札氏は,低エネルギー電子ビームにより人工構造作製とその場評価を行えるUHV装置を構築し,シリコン基板表面に位置選択的に鉄を堆積させ,その局所的な電子状態および電気伝導特性を測定することに成功した.さらに,作製した鉄構造を加熱することで局所的に鉄シリサイドが形成させることができ,1190Kの加熱処理により埋め込まれた鉄シリサイドワイヤ構造が形成されたとの結論を得た.本研究は,装置作りから始め,その装置を使って低エネルギー電子ビーム誘起反応で局所的に鉄や鉄シリサイド人工構造を作製することを示したオリジナリティーの高い博士論文であると評価できる.

 なお,本論文の第2,4,5章は,山下良之,向井孝三,吉信淳との共同研究であるが,論文提出者が主体となり実験装置の設計,組み立て,データの取得,解析および考察を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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