学位論文要旨



No 122332
著者(漢字) 河本,亮介
著者(英字)
著者(カナ) カワモト,リョウスケ
標題(和) イオン性固体の合成と分子収着特性制御
標題(洋)
報告番号 122332
報告番号 甲22332
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6537号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 小倉,賢
 東京大学 助教授 河野,正規
 東京大学 講師 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 固体の結晶格子内のサブナノ空間は,表面とは異なる分子収着場を与え,高効率な物質貯蔵プロセスを可能にする.ポリオキソメタレートはアニオン性酸化物クラスター(マクロアニオン)であり,カチオン性有機金属錯体(マクロカチオン)及びアルカリ金属イオンと複合化し,サブナノ空間を有するイオン性固体を生成する.本研究では,イオン性固体は,強く等方的なイオン結合のために密なパッキングを有するが,構成ブロックにマクロイオンを用いるとイオン結合に加えて水素結合やπ-πスタックも利用でき超微空間が構築される,マクロイオンの電荷を変化させるとイオン配列や超微空間サイズが制御される,ことを利用して,構成ブロック(一価金属イオン−マクロカチオン-ポリオキソメタレート)の組み合わせを変化させて,構造と分子収着特性を制御することを目的とした.

1. 親水チャネルを有するイオン性固体の構築と分子収着特性制御

 Keggin型ポリオキソメタレート[α-SiW(12)O(40)](4-),マクロカチオン[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]+及びカリウムイオンからなるイオン性固体K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-SiW(12)O(40)]・16H2Oは,結晶水を含む親水チャネルを有する(図1).このイオン性固体を室温で真空排気すると,構成イオンが密にパッキングしたゲストフリー相が得られた.ゲストフリー相での分子収着特性を検討したところ,水,エタノールやアセトニトリルといったC2以下の極性分子のみ収着することがわかった.このような高選択的な分子収着には,構成イオン間のクーロン相互作用,構成イオンとゲスト分子との間のイオン-双極子相互作用が関わっている.従って,イオン性固体のアルカリ金属イオンの種類やポリオキソメタレートの電荷を変化させることにより,系統的にイオン性固体の分子収着特性が制御できるのではないかという着想に至った.

 そこで,ポリオキソメタレートの負電荷が3の[α-PW(12)O(40)](3-)から6の[α-CoW(12)O(40)](6-)に至る範囲で,マクロカチオン及びアルカリ金属イオンとの複合化を行った結果,Na2[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-PW(12)O(40)]・16H2O[1a], K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-SiW(12)O(40)]・16H2O[2a],Rb4[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-BW(12)O(40)]・16H2O[3a],Cs5[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-CoW(12)O(40)]・7.5H2O[4a]が得られた.1a-4aは結晶水を含む親水チャネルを有し,室温で真空排気すると対応するゲストフリー相1b-4bが得られた.1a-4a及び1b-4bの構造を単結晶及び粉末XRDにより解析した結果,格子体積は1a(1b)>2a(2b)>3a(3b)>4a(4b)の順に減少した.これは,イオン性固体の構成ブロックであるポリオキソメタレートの負電荷が1a(1b)<2a(2b)<3a(3b)<4a(4b)の順に増加し,構成イオン間のイオン結合が強くなってパッキングが密になったためと考えられる.ゲスト分子として直鎖アルコールを例にとり,1b-4bの分子収着特性を検討した結果を示す(図2).ポリオキソメタレートの負電荷が3と最も小さい1bはブタノールを収着し,負電荷の増加に伴い,収着できるアルコール分子の炭素数は減少した.さらに,1b-4bは有機極性ゲスト分子(アルコール,ニトリルやエステル)の炭素鎖一つ分の違いを識別し,混合物の分離にも応用可能であった.

 イオン性固体1a-4aの構成イオンの配列は,Keggin型ポリオキソメタレートの負電荷の変化に伴って変化し,結晶構造の精密制御は困難であった.そこで,分子構造の対称性がマクロカチオン (D(3h)対称)と同じであるDawson型ポリオキソメタレート[α-P2VxW(18-x)O(62)]((6+x)-)を構成ブロックとし,ポリオキソメタレートの対称性及び負電荷の違いがイオン性固体の結晶構造に与える影響を検討した.得られたイオン性固体はハニカムパッキングを有し,構成イオンの対称性が結晶構造(hexagonal, P63/m)に反映された.イオン性固体の細孔径は負電荷の増加に伴って縮小した.これは構成イオン間のイオン結合が強くなったためと考えられる.

2.親水チャネルと疎水チャネルを併せ持つイオン性固体の合成とその分子収着特性

 二種類以上の空間(チャネル)を格子内に併せ持つ結晶性固体が合成できれば,混合物の分離・貯蔵,複数種の収着分子間の反応制御等,興味ある物性を示すことが期待される.そこで親水チャネルのみを有する1a-4aへの疎水チャネルの導入を試みた.具体的には,マクロカチオンの有機配位子をギ酸イオンからプロピオン酸イオンに伸長した[Cr3O(OOCC2H5)6(H2O)3]+を用いて複合化を行った.得られたイオン性固体K2[Cr3O(OOCC2H5)6(H2O)3]2[α-SiW(12)O(40)]・3H2O[5a]は,ac面に沿って形成された層がb軸方向に積層した構造を有し,層間にはK+が存在することがわかった(図3(a)(b)).5aの層間には,マクロカチオンの炭素鎖に囲まれたチャネルが存在し,この部位に結晶水は存在しなかった(図3(a)).一方,[1 1 0]方向には結晶水が配列し,ポリオキソメタレート,K+に挟まれたチャネルが存在した(図3(c)).結晶水は,ポリオキソメタレート,K+及びマクロカチオンの配位水と水素結合距離にあった(2.73-3.10Å).従って,5aは結晶格子内に結晶水の存在する親水チャネルと炭素鎖に囲まれた疎水チャネルを併せ持つことがわかった.

 5aを室温で真空排気すると,ほぼ構造を保持したまま結晶水は全て脱離し,ゲストフリー相5bが得られた.図4に5bの水及びアルコールの収着等温線を示す.5bは全蒸気圧範囲においてC1-C3アルコール(> 35 μLg(-1))を水(20μLg(-1))より多く収着した.一方,低級炭化水素,窒素(77K)やハロカーボン等の無極性・低極性分子の収着量は,固体粒子表面一層分程度と小さかった.

 図5(a)に定圧下の5bの水収着量の経時変化を示す.5bの水収着量の経時変化は1次の速度式で再現された.5aの結晶水はすべて親水チャネルに存在したことから,得られた速度定数は水分子の親水チャネルへの収着に対応するものと考えられる.一方,図5(b)に示すように,5bのエタノール収着量の経時変化は速度定数の異なる1次の速度式の和として再現された.2つの速度定数は,それぞれエタノール分子の親水チャネル,疎水チャネルへの収着に対応するものと推察される.

 次に,5bのゲスト分子の収着状態を,エタノールをプローブ分子として各種in situ分光法(IR,NMR,粉末XRD)により検討した.図6にエタノール蒸気下の5bのin situ IRスペクトルのOH伸縮振動領域を示す.エタノール蒸気を導入すると,主に3300cm(-1)と3480cm(-1)に弱い吸収帯が観察され,蒸気圧の増加に伴ってこれらの吸収帯強度は増加した.水酸基の伸縮振動の吸収帯位置は水素結合の形成により低波数シフトすることから,これらの吸収帯はそれぞれ親水チャネル(3300cm(-1))と疎水チャネル(3480cm(-1))に収着したエタノール分子に由来するものと考えられる.また,(13)C-NMRスペクトルにおいても収着エタノール分子のメチル炭素,メチレン炭素に由来するシグナルがそれぞれ2種類ずつ観測され,シグナル面積はIRの吸収帯面積と同様に変化した.さらに,エタノール蒸気下における5bのXRDパターンから,低蒸気圧(P/P0 < 0.5)では構造がほぼ維持されるのに対し(各結晶軸方向に±0.1Å以内),高蒸気圧ではb軸のみ0.8Å伸長し,疎水チャネルの孔径が2.5×5.1Å→3.3×5.1Åと拡大した相が生成することがわかった.エタノールの分子径は3.4Åであり,拡大したチャネルの短径に近い値である.従って,エタノール分子は,低蒸気圧では主に親水チャネルに収着され,蒸気圧の上昇に伴い疎水チャネルへ収着されることが明らかとなった.

3. イオン性固体の疎水性チャネルの拡大と疎水性分子の収着

 親水チャネルと疎水チャネルを併せ持つイオン性固体5bは,水や両親媒性分子を収着するものの,疎水性分子を収着しなかった.イオン性固体の結晶格子内に疎水性分子の収着場を構築するため, 5bのK+の代わりにAg+を導入し,生成したイオン性固体のオレフィン収着量を測定した.得られたイオン性固体の炭化水素の収着特性を検討したところ,メタン,エタンやプロパンなどのパラフィンは表面収着量(<0.3mol mol(-1))程度であったのに対し,エチレンやプロピレンなどのオレフィンは1mol mol(-1)以上収着されることが明らかとなった.このオレフィン/パラフィンの収着特性は,石油化学工業における分離プロセスにも適用可能である.

4.まとめ

 本研究ではイオン性固体の,構成ブロック(一価金属イオン−マクロカチオン−ポリオキソメタレート)の組み合わせを変化させて,構造と分子収着特性を制御することを目的とした.その結果,(1)ポリオキソメタレートの負電荷に応じて結晶格子密度,親水的な収着特性が制御された(2)マクロカチオンに疎水基を導入することでイオン性固体内に疎水場を構築した(3)イオン性固体内に銀イオンを導入することで疎水性分子であるパラフィンの収着特性を制御した.

Figure 1. Synthesis and the crystal structure of K3[Cr3O(OOCH)6(H2O)3][α-SiW(12)O(40)]・16H2O along the c-axis. Dark and light blue spheres show the K+ ion and water of crystallization, respectively.

Figure 2. Recognition of small polar molecules by 1b-4b.

Figure 3. (a) Synthesis and the perspective view of the crystal structure of 5a along the a-axis. Arrangements of the constituent ions and the water of crystallization in (b) be-plane and (c) ab-plane. The hydrophobic and hydrophilic channels are surrounded by the orange and blue broken lines, respectively.

Figure 4. Water and alcohol sorption isotherms of 5b at 298 K.

Figure 5. Changes in the amounts of water (a), and ethanol (b) sorption of 5b at 303 K as a function of time (P/P0= 0.60). The solid line shows the experimental data, solid circles show the calculated data, and open circles show the two components for the calculation.

Figure 6. Changes in the in situ IR spectra of 5b under ethanol vapor at 303 K. P/P0 = (a) 0.05, (b) 0.1, (c) 0.2, (d) 0.3, (e) 0.4, (f) 0.5, and (g) 0.6. The observed spectra are well reproduced by the sum (broken lines) of the deconvoluted bands (solid lines).

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「イオン性固体の合成と分子収着特性制御」と題し、全五章で構成されている。ポリオキソメタレート、マクロカチオン、一価カチオン等の構成ブロックを選択し、精密に設計したイオン性固体により、これまで困難であった低級炭化水素類の識別が実現できたことを報告している。

 第一章では、既存の結晶性多孔体である無機ゼオライトや有機ゼオライトについて説明し、細孔構造や機能制御の重要性について記した。結晶性多孔体であるイオン性固体での細孔構造の構築において、イオン結合に加え水素結合やπ電子相互作用を利用することで、精密にイオン配列が制御できる可能性を示した。また、イオン配列の制御された細孔構造の構築により、その収着特性の制御が可能であることを示した。

 第二章では、親水チャネルを有するイオン性固体の構造及び収着特性の制御を行った。まず、種々の負電荷の異なるケギン型ポリオキソメタレート[α-XW(12)O(40)](n-)(n=3-6)とマクロカチオン[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]+を構成ブロックとするイオン性固体の合成に成功した。ポリオキソメタレートの負電荷の変化に伴って、イオン性固体の単位格子体積が系統的に変化し、炭素鎖長が異なるC5以下のアルコール類、ニトリル類及びエステル類の混合物をメチレン鎖一つの違いで識別・分離できることを世界で初めて明らかにした。さらに、イオン性固体の細孔径の精密制御を目的としてマクロカチオンと同じ対称性を有するドーソン型ポリオキソメタレート[α-X2VxW(18-x)O(62)]((6+x)-)を構成ブロックとしてイオン性固体を合成した。得られたイオン性固体のイオン配列が、ポリオキソメタレートの負電荷の違いによらずハニカム構造をとり、負電荷の増加に伴って細孔径が縮小することを明らかにした。

 第三章では、親水的なイオン性固体への疎水的な空間の導入について行った。イオン性固体の構成ブロックであるマクロカチオンを[Cr3O(OOCH)6(H2O)3]+から[Cr3O(OOCC2H5)6(H2O)3]+へと配位子の炭素鎖を伸長することで、親水チャネルと疎水チャネルを併せ持つイオン性固体が得られることを明らかにした。さらに、得られたイオン性固体が、構造を反映した両親媒的な収着特性を有することを示した。次に、水及びエタノール分子をプローブとして、収着の速度論及び収着状態を分光学的に検討することで、水は親性チャネルのみに、エタノールは親水チャネルと疎水チャネルの両方に収着されることを明らかにした。

 第四章では、イオン性固体の結晶格子内への炭化水素分子(オレフィン)収着サイトの構築を行った。第三章で取り上げたイオン性固体にアルカリ金属イオン(K+)の代わりにd(10)金属イオン(Ag+)を導入し、π錯形成を介してオレフィンを収着可能なイオン性固体の構築を行った。得られたイオン性固体は、C4以下の直鎖オレフィンを収着するが、パラフィンの収着量は表面吸着量程度であることを明らかにした。このまたイオン性固体は、1気圧においてエチレンをエタンの19倍収着し、高いエチレン選択性を示すことを明らかにした。

 第五章で本研究を総括した。

 以上要約したように、本論文ではイオン性固体の構成ブロック(ポリオキソメタレート、マクロカチオンと一価カチオン)の選択により、親水的収着特性の系統的制御、細孔の親水性・疎水性の制御、基質選択性の高い収着サイトの構築に成功した。本論文で得られた収着特性は従来の系では実現困難であったC5以下の小分子の識別を可能にした。特に石油化学工業に代表される低級炭化水素分子の分離プロセスは低温高圧下での多段蒸留が主流であり大量のエネルギーを消費するが、本論文で得られた知見をもとに環境負荷の少ない省エネルギープロセスへの転換の可能性が示唆された。また、収着特性の系統的制御の方法論を提供する点で、無機化学的、材料化学的にも重要な知見である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク