学位論文要旨



No 122336
著者(漢字) 品地,敏
著者(英字)
著者(カナ) シナチ,サトシ
標題(和) 遷移金属置換ポリオキソメタレートを触媒とした炭化水素類の選択的酸化反応系の構築
標題(洋)
報告番号 122336
報告番号 甲22336
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6541号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 助教授 立間,徹
 東京大学 助教授 小倉,賢
 東京大学 講師 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 炭化水素類の選択酸化反応は化学工業において最も重要な反応プロセスのうちの一つである。特にアルカンは石油中に豊富に存在する安価な炭素源であるが、その高い安定性や逐次酸化などの問題のために、実用化されているアルカン酸化反応プロセスは少ない。したがって、特にアルカン類の効率的触媒酸化反応プロセスの開発が切望されている。

 ポリオキソメタレートは二種類以上の酸素酸が縮合した金属酸化物クラスターである。強い酸化力を有し、構成元素を他の遷移金属で置換して分子・原子レベルでの活性点の構築が可能なため、触媒としての応用が期待されている。本研究では優れた酸化還元能を有する遷移金属であるバナジウムや銅を置換したポリオキソメタレートを触媒とし、硝酸によるアルカン類のニトロ化反応、分子状酸素によるアダマンタンの酸化反応、分子状酸素によるアルキン類の酸化的カップリング反応を行った。

2.バナジウム置換ポリオキソメタレートを用いた硝酸によるアルカン類のニトロ化反応

 アルカン類のニトロ化合物は医薬品や農薬の前駆体として工業的に重要である。しかしながらこれまで、安価な硝酸を用いたアルカンの効率的なニトロ化反応系はほとんど報告されていない。本研究ではバナジウム置換ポリオキソメタレートを用いて、硝酸によるアルカン類の温和な条件下での効率的なニトロ化反応系の開発を行った。

 まず、アダマンタンを基質としてニトロ化反応を行った。H4PVMo(11)O(40)存在下、ニトロ化剤として硝酸を用いて、酢酸を溶媒としたところ83℃という温和な条件下で収率よくニトロ化生成物が得られた。Table 1に示すように、本条件下で種々のアルカンが効率よくニトロ化された。アダマンタンのような3級炭素を有する基質は3級炭素が選択的にニトロ化された。シクロヘキサンのような2級炭素のみを有する基質もニトロ化され、相当するニトロ化合物が得られた。トルエンやp-キシレンのような芳香環を有する基質は、硫酸・硝酸を用いた反応では核ニトロ化のみが進行するのに対し、本反応系ではアルキル鎖部位のみが選択的にニトロ化された。このような少ない触媒量、温和な条件で硝酸による種々のアルカンのニトロ化反応が進行した例は本反応系が初めてである。

3.バナジウム置換ポリオキソメタレートを用いた分子状酸素によるアダマンタン酸化反応

 アダマンタンは三次元的に対称な構造を有する安定なアルカンである。アダマンタンの酸化物は、医薬品・フォトレジスト材の前駆体として需要が高い。そこで本研究では分子状酸素を酸化剤とした効率的なアダマンタン酸化反応系の開発を行った。

 まず、触媒としてバナジウム二置換リンモリブデン酸(H5PV2Mo10O40)を用いて83℃の温和な条件下で種々の溶媒効果を検討した。その結果、ブチロニトリルを溶媒とした場合に最も高い収率が得られた。主生成物は3級炭素部位が酸化された1-アダマンタノールで、2級炭素の酸化生成物も確認された。また、1-アダマンタノールと溶媒であるブチロニトリルのRitter反応が進行し、N-(1-アダマンチル)ブチルアミドが生成した。本条件下で288時間反応を行なうと、生成物の合計収率は84%となった。これは、分子状酸素のみを酸化剤としたアダマンタン酸化反応の過去の報告例と同反応条件で比較すると最も高い値である。種々の触媒を用いたアダマンタン酸化反応を行うと、バナジウムを置換したポリオキソメタレートが最も高い活性を示した(Table 2)。これはCo(OAc)2、 Mn(OAc)2といった、工業的にアルカン酸化の触媒として用いられている遷移金属塩より高い活性であった。

 H4PVMo(11)O(40)を触媒、1,3-ジメチルアダマンタンを基質に用いてアルゴン下で反応を行いESRスペクトルの測定を行うと、4価のバナジウムに起因するシグナル(gxy=1.984、gz=1.945、Axy=6.4mT、Az=17.1mT)が観測された。したがって、触媒が基質から電子を引き抜き還元されたと考えられる。分子状酸素を導入すると、そのシグナルは消滅したことから、分子状酸素によって触媒が再酸化されたと考えられる。ラジカル阻害剤を添加したところ、反応はほとんど進行しなくなった。また、ラジカル開始剤を添加すると、反応は誘導期なしに進行した。したがって、本反応にはラジカル種が関与していることが示唆される。以上より、本反応はまず、触媒が基質から電子を引き抜き、ラジカル種が生成する。触媒は分子状酸素によって再酸化される。生成したラジカル種が分子状酸素と反応することにより、ラジカル自動酸化反応が進行していると考えられる。

4.アジド架橋銅二置換ポリオキソメタレートを触媒とした分子状酸素によるアルキン類のカップリング反応

 Figure 1に示すアジド架橋銅二置換ケイタングステン酸(I)を触媒とすると、分子状酸素を酸化剤とした芳香族、脂肪族を含む種々のアルキン類の酸化的カップリング反応が良好に進行することが明らかとなった(Scheme 2)。通常アルキン類のカップリング反応では触媒の他に塩基が必要であるが、本反応系では塩基は一切不要であった。本触媒の原料である塩化銅などの銅塩、アジド、ポリオキソメタレートや、銅一置換ポリオキソメタレートを用いても反応はほとんど進行しなかった。したがって、本反応ではポリオキソメタレート骨格中に構築された銅二核サイトが活性点として機能していると考えられる。

5. まとめ

 本研究では、遷移金属置換ポリオキソメタレートの優れた酸化還元能を利用した炭化水素類の選択酸化反応系の構築を行った。バナジウム置換リンモリブデン酸を触媒とすると、硝酸によるアルカン類のニトロ化反応、分子状酸素によるアダマンタンの酸化反応が効率よく進行した。更に、アジド架橋銅二置換ケイタングステン酸を触媒として分子状酸素によるアルキン類のカップリング反応が良好に進行した。

Table 1. Nitration of various alkanes with HNO3 as a nitrating reagent catalyzed by H4PVMo(11)O(40)a

aReaction conditions A: Alkane (1 mmol), H4PVMo(11)O(40)(5μmol), HNO3(2 mmol), AcOH (3 mL), 83℃, under latm of Ar, 24 h. Yields were based on alkanes used. Reaction conditions B: Alkane (18.5 mmol), H4PVMo11O40 (5 μmol, HNO3 (2 mmol), AcOH (3 mL), 83 ℃, under 1 atm of Ar, 24 h. Yields were based on HNO3 used.

本ニトロ化反応は4時間の誘導期の後NO2の発生を伴って進行する。そこで、本反応系の反応機構を検討した。まず、硝酸を加えずに基質と触媒のみを2時間反応させた後に溶液のESR測定を行うと、 [VO(H2O)5]H[PMo(12)O(40)]と一致するシグナルが観測された(gxy=1.982、gz=1.935、Axy=7.0mT、Az=18.1mT)。シグナル強度より触媒中のバナジウム全てがV4+に還元されたことが明らかとなった。また、4KでのESR測定ではV(4+)のシグナルに加え、g=2.005にアルキルラジカルに起因するシグナルが観測された。したがって、基質から電子が触媒に移動し、触媒が還元されたと推定した。この試料に硝酸を添加すると、ESRシグナルの消滅とNO2の発生が確認されたことから、還元された触媒と硝酸が反応してNO2が生成すると推定した。以上より、触媒の役割は基質、硝酸から効率よくアルキルラジカルとNO2を生成することであり、それらの反応が引き金となりニトロ化反応が進行すると推察した。そこで、少量のNO2を添加して無触媒条件下で反応を行った。その結果、反応は誘導期なしに進行し、初期速度も触媒を用いた場合とほぼ同じであった。また、反応開始時に少量のNOやHNO2を添加した場合も無触媒条件下で同様に反応が進行した。したがって、本ニトロ化反応ではNO2、NO、HNO2が関与するサイクルを経て、基質と硝酸からNO2とアルキルラジカルが生成する成長反応が進行していると考えられる。これらの段階で生成したNO2とアルキルラジカルが反応して生成物を与える。NO2の窒素原子とアルキルラジカルが結合するとニトロ化合物が生成する。NO2の酸素原子とアルキルラジカルが結合すると亜硝酸アルキルが生じるが、酸性条件下で加水分解して酸化生成物が生成する。以上より、本反応系の反応機構をScheme 1のように推定した。

Scheme 1. Possible paths for the alkane nitration.

Table 2. Oxidation of adamantane with molecular oxygen in the presence of various catalystsa

aReaction conditions: Catalyst (2 mmol), adamantane (1 mmol), butyronitrile (3 mL), 83 ℃, 96 h under 1 atm of molecular oxygen. Yields and selectivities were determined by gas chromatographic analysis using naphthalene as an internal standard bYield=(1+2+3+4+5)/adamantane X 100. cThe selectivity parameter defined by the relative reactivity of tertiary C-H bonds to secondary C-H bonds (={(1+2×2+5)/4)/{(3+4)/12}).

Scheme 2. Oxidative alkyne-alkyne homocoupling catalyzed by I.

Figure 1. ORTEP view of I.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「遷移金属置換ポリオキソメタレートを触媒とした炭化水素類の選択的酸化反応系の構築」と題し、全五章で構成されている。これまで環境負荷の大きいプロセスであった種々の炭化水素類の選択酸化反応が、遷移金属置換ポリオキソメタレートを触媒として用いることにより、温和な反応条件下、分子状酸素や硝酸などの安価な酸化剤を用いて効率よく進行することを報告している。

 第一章では、現化学工業プロセスにおける炭化水素類の選択酸化反応の実例を挙げてその重要性を示すとともに、有害な酸化剤や基質の使用、副生成物の発生、収率や選択率の低下等の解決すべき問題を明らかにした。また、グリーンケミストリーの観点から、そのプロセスを環境・経済面で有利な方向へ導く触媒開発の必要性を示した。本研究で触媒材料として用いた遷移金属置換ポリオキソメタレートは、耐熱性、耐酸化性、遷移金属置換による酸化力の向上や活性点構造の制御等の特長を有しており、これらの特長を生かした種々の選択酸化反応系の報告例とその問題点を挙げ、本研究の目指すべき方向を明確にした。

 第二章では、硝酸によるアルカン類のニトロ化反応系の開発を行った。硝酸によるアルカン類のニトロ化反応の工業的重要性を示すとともに、厳しい反応条件、生成物の選択率の低下等の現行プロセスの問題点を挙げ、本研究において改善すべき点を明確にした。本研究では、バナジウム置換リンモリブデン酸を触媒に用いることで、温和な条件下での硝酸による種々のアルカン類の効率的なニトロ化反応系の開発に成功した。また、触媒の電子状態について考察し、本反応では触媒を介した基質から硝酸への1電子移行反応が進行することを明らかにした。さらに、本反応は還元された触媒が硝酸と反応して二酸化窒素が発生し、続いて種々の窒素酸化物が関与する連鎖反応により進行することを明らかにした。

 第三章では、分子状酸素によるアダマンタン酸化反応系の開発を行った。バナジウム置換リンモリブデン酸を触媒とすると、温和な条件下、分子状酸素によるアダマンタン酸化反応が効率よく進行することを明らかにした。本反応は触媒による基質からの1電子引き抜きにより生成したラジカル種と分子状酸素が反応し、ラジカル自動酸化を経て進行することを明らかにした。

 第四章では、アジド架橋銅二置換ポリオキソメタレートを触媒とした分子状酸素によるアルキン類の酸化的カップリング反応系の開発を行った。本触媒を用いると、塩基を添加せずに分子状酸素を用いてアルキン類の酸化的カップリング反応を効率よく進行することを明らかにし、塩基を使用とする他の有機合成反応への応用の可能性を示した。更に、本反応における活性点はポリオキソメタレート骨格中に構築された銅二核構造であることを明らかにした。

 第五章では、本研究を総括した。以上要約したように、本論文では、ポリオキソメタレート化合物が有する特長を巧みに利用した種々の酸化反応系の構築に成功した。本論文で開発した反応系は従来の酸化反応系と比較して、(i)高活性、(ii)高選択的、(iii)クリーン、(iv)経済的、である。特に、医薬品や農薬などに代表されるファインケミカルズ合成の現行プロセスでは、副生廃棄物の量が圧倒的に大きいが、本論文で得られた知見をもとにこれらを新しい環境にやさしいプロセスに転換できる可能性が示唆された。また、新規な触媒設計の方法論を提供する点で学術的にも波及効果は大きいと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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