学位論文要旨



No 122366
著者(漢字) 高橋,竜一
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,リュウイチ
標題(和) ヨシのイオン輸送体と耐塩性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 122366
報告番号 甲22366
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3090号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生産・環境生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高野,哲夫
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 教授 堤,伸浩
 東京大学 助教授 草場,信
 東京大学 助教授 中園,幹生
内容要旨 要旨を表示する

 現在地球上では不適切な灌漑による塩類集積や家畜の過放牧、干ばつなどによって、急速な農地の劣化(沙漠化)が進んでいる。その一方で世界の人口は増加の一途をたどっており、今後も食糧生産の維持、さらには生産量の増加が求められている。したがって不良環境地域でも生育可能な作物の作出は急務となっており、そのためにも植物の耐塩性機構を明らかにすることが重要である。

 ヨシ(Phragmites australis Trinius)は日本では主として河川や湖沼の沿岸のような淡水湿地に自生している野生植物であるが、海岸や河口などの汽水域でも生育し、海外では半乾燥塩類集積地などの様々な環境条件において分布が認められている。塩類集積地に自生しているヨシは強い耐塩性を示すのに対して、河川敷に自生しているヨシは塩感受性であり、同じ種でありながら耐塩性に大きな違いがあることが調べられている。またヨシは塩類集積地に自生しているものの、塩生植物ではなく中生植物に分類されており、特定の器官を発達させたり、適合溶質を蓄積して細胞内浸透圧を調節するのではなく、ナトリウムを植物体内に浸入させないことで耐塩性を示していると考えられている。

 そのため耐塩性のヨシを塩感受性のヨシと比較することは中生植物の耐塩性機構を明らかにする上で有効であると考え、中国の半乾燥塩類集積地(南皮、塩池)および日本の鬼怒川河川敷(宇都宮)から採集したヨシを用いて以下の実験を行った。

1, 耐塩性のヨシと塩感受性のヨシのイオン含量

 各地域から採集したヨシの耐塩性には明らかな差があり、水耕栽培では南皮のヨシは150mMのNaCl存在下でも生育阻害を示さなかったのに対して、宇都宮のヨシは150mMのNaCl存在下では3日で枯死し、50mMのNaCl存在下でも10日間のストレス処理後には明らかな生育阻害が観察された。

 各地域のヨシをNaClストレス条件下で生育させ、1、3、5、10日後の植物体内のイオン含量を調べたところ、カリウム含量は宇都宮のヨシではすべての器官でコントロールよりも低下していたのに対し、南皮のヨシでは根、地下茎、稈でコントロールよりも増加しており、葉でもコントロールとほぼ同じ値を示した。

 ナトリウム含量は宇都宮のヨシの地上部で劇的に増加しており、葉では10日後にはコントロールの4倍以上にまで増加していた。一方南皮のヨシでは根でのみ増加が認められ、地上部では5日目まではナトリウム含量が増加していたが、10日後にはコントロールと同程度となった。

 ストレス解除後の水耕液中のナトリウム含量を測定し、ヨシの根からのナトリウムの排出量を調べたところ、宇都宮のヨシではわずかに検出されたのに対して南皮のヨシではストレス解除直後から増加し、72時間後には宇都宮の約5倍の値を示した。

 以上の結果から、耐塩性のヨシには塩ストレス条件下でも効果的にカリウムを吸収する機能があるほか、ナトリウムが浸入しても地上部への輸送をブロックするか、地上部に輸送されたナトリウムを根に送り返し、根から排出する機構が備わっていることが考えられた。

2, HAKトランスポーターの機能解析

 植物にはチャネルやトランスポーターなどのさまざまなカリウム吸収機構が存在しているが、これらのカリウム吸収経路がナトリウムの流入経路の一つとして考えられている。ナトリウムストレス条件下では主にHigh-affinity型のカリウムトランスポーターがカリウム吸収の機能を果たしていると考えられていることから、トランスポーターのNa+に対するK+の選択性の高さが植物体内でのK+-Na+バランスを決定する上でも重要な役割を果たしていると考えられた。そこで様々な生物種に広く存在するHAKタイプのカリウムトランスポーター(High Affinity K+ Transporter)遺伝子を各地域のヨシから単離し、各トランスポーターの機能の差と耐塩性との関連について調べた。

 HAKは植物ゲノムに多コピー存在していることが確認されており、ヨシでも6〜7コピー存在していると考えられている。本研究では4種類のHAK遺伝子(PhaHAK2、PhaHAK3、PhaHAK4、PhaHAK5)を単離した。このうちPhaHAK2、PhaHAK3、PhaHAK4は三地域のヨシから単離できたが、PhaHAK5は宇都宮のヨシからのみ単離できた。植物体におけるPhaHAK5の発現を調べたところ、根、地上部ともに宇都宮のヨシでのみ認められ、耐塩性のヨシではいずれの条件においても遺伝子発現が認められなかった。

 カリウムトランスポーターおよびナトリウムポンプを欠失した酵母でPhaHAKを発現させて機能を比較したところ、宇都宮のヨシから単離した遺伝子(PhaHAK2-u、PhaHAK3-u、PhaHAK5-u)を導入した酵母ではナトリウム存在下でカリウム吸収量が減少し、ナトリウム吸収量も多かった。そのため、ナトリウム存在下ではいずれもK+/Na+比が大幅に減少し、100mMの条件下ではコントロールとほぼ同程度の値を示した。一方耐塩性のヨシから単離したPhaHAK2-nやPhaHAK3-eを導入した酵母ではカリウム吸収量はほとんど減少せずに高い値を維持しており、ナトリウム吸収量もPhaHAK2-uやPhaHAK3-uを導入した酵母と比べて少なかったため、K+/Na+比はPhaHAK2-u発現株やPhaHAK3-u発現株よりも高い値を示した。

 以上の結果から、耐塩性のヨシではナトリウム存在下でも選択性の高いトランスポーターを介してカリウム吸収を維持しているのに対し、宇都宮のヨシではカリウム吸収が阻害され、HAKがナトリウムの流入経路として働いてしまうため、細胞内のK+-Na+バランスが崩れ、塩感受性の要因の一つとなっていると考えられた。

3, HKTトランスポーターの機能解析

 植物にはHAKとは異なるカリウムトランスポーターHKT(High-affinity K+ Transporter)が存在している。

 各地域のヨシからHKT遺伝子を単離したところ、南皮(PhaHKT1-n)と塩池(PhaHKT1-e)は他の植物のHKTと高い相同性を示したが、宇都宮(PhaHKT1-u)は3'末端側に2カ所、ゲノムのイントロンに相当するインサーションが存在しており、終止コドンが生じていたため、他のHKTよりも141アミノ酸短いタンパクをコードすることが予想された。

 酵母を用いて機能解析を行ったところ、PhaHKT1-u発現株はカリウム吸収を示さず、ナトリウム存在下では生育できなかった。PhaHKT1-uの3'領域をPhaHKT1-nと組み替えたキメラDNAを作製して同様に機能解析を行ったところ、酵母の耐塩性は部分的に回復し、カリウム吸収も認められたことから、PhaHKT1-uで欠失していると推測される部位はPhaHKT1のイオン吸収において重要な役割を果たしていることが考えられた。

 近年ArabidopsisのAtHKT1を使った研究の結果から、HKTはナトリウムを導管からくみ出し、篩管を通して地下部に再転流する、または根から地上部へのナトリウムの転流を制御する役割を果たしていることが示唆されている。宇都宮のヨシのゲノムにはHKTが1コピー存在すると考えられることから、宇都宮のヨシではPhaHKT1の機能が欠失しているために植物体内に浸入したナトリウムの移動を制御することができず、植物体内のK+-Na+バランスが崩れた可能性がある。

4, ヨシの耐塩性とナトリウムの排出

 細胞質内のナトリウム含量を低く保つためには、細胞内にナトリウムを浸入させないのと同時に、一度浸入したナトリウムを排出することも有効である。植物においては、細胞からのナトリウム排出に関与している遺伝子として細胞膜型のNa+/H+アンチポーター(NHA; Na+/H+ Antiporter)があげられている。そこで、ヨシから細胞膜型のNa+/H+アンチポーター遺伝子(PhaNHA1)を単離し、その機能を比較した。

 PhaNHA1の発現量は、根、地上部ともにナトリウムストレス条件下では宇都宮のヨシと耐塩性のヨシで同程度検出され、違いは認められなかった。しかし細胞膜型および液胞膜型のNa+/H+アンチポーターおよびナトリウムポンプを欠失した酵母にPhaNHA1を導入して機能を調べたところ、25mM、100mMのNaCl存在下では南皮のPhaNHA1-n発現株は宇都宮のPhaNHA1-u発現株と比較してそれぞれ42.7%、36.0%のナトリウムを含み、より多くのナトリウムを排出していると考えられた。

 以上のことから、耐塩性のヨシにはより高いナトリウム排出機能をもったアンチポーターが存在し、細胞に浸入したナトリウムを排出していることが考えられた。

 本研究で解析した遺伝子のうち、大部分は耐塩性、塩感受性のヨシに共通して存在していたが、両者で数アミノ酸の変異が認められ、それがイオンの選択性の変化につながったと考えられる。また塩感受性のヨシではトランスポーター機能を欠失したPhaHKT1や、ナトリウムの流入経路として働いている可能性のあるPhaHAK5のように、特徴的なトランスポーターをコードする遺伝子も見出された。

 以上のように、本研究では耐塩性と塩感受性のヨシのNaClストレス条件下での体内イオン含量の違いをもとに、カリウム吸収やナトリウムの移動、排出に関連することが示唆されているいくつかの遺伝子の機能比較を行うことで、ヨシの耐塩性機構への関与を明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 ヨシは日本では主として淡水湿地に自生している野生植物であるが、海外では塩類集積地などの様々な環境条件において分布が認められている。塩類集積地に自生しているヨシは強い耐塩性を示すのに対して、河川敷のヨシは塩感受性である。またヨシは中生植物に分類されており、ナトリウムを植物体内に浸入させないことで耐塩性を示していると考えられている。そのため耐塩性のヨシを塩感受性のヨシと比較することは中生植物の耐塩性機構を明らかにする上で有効であると考え、中国の半乾燥塩類集積地(南皮、塩池)および日本の鬼怒川河川敷(宇都宮)から採集したヨシを用いて以下の研究を行った。

1, 耐塩性のヨシと塩感受性のヨシのイオン含量

 塩ストレス条件下の植物体内のイオン含量を調べたところ、カリウム含量は宇都宮のヨシではすべての器官で低下していたのに対し、南皮のヨシでは増加していた。ナトリウム含量は宇都宮のヨシの地上部で劇的に増加していたが、南皮のヨシでは根でのみ増加が認められ、地上部ではコントロールと同程度となった。ストレス解除後の根からのナトリウム排出量は、宇都宮よりも南皮で顕著に高い事が分かった。

 以上の結果から、耐塩性のヨシには塩ストレス条件下でも効果的にカリウムを吸収する機能、ナトリウムが浸入しても地上部への輸送を抑制する、地上部に輸送されたナトリウムを根に送り返し、根から排出する機構があることが考えられた。

2, HAKトランスポーターの機能解析

 植物ではカリウム吸収経路がナトリウムの流入経路の一つとして考えられている。そこでHAKタイプのカリウムトランスポーター遺伝子を単離し、機能の差と耐塩性との関連について調べた。

 4種類のHAK遺伝子(PhaHAK2 、PhaHAK3、 PhaHAK4、PhaHAK5)を単離した。このうちPhaHAK5は宇都宮のヨシからのみ単離できた。PhaHAK5の発現を調べたところ、宇都宮のヨシでのみ認められ、耐塩性のヨシでは遺伝子発現が認められなかった。

 酵母でPhaHAKを発現させて機能を比較したところ、宇都宮の遺伝子を導入した酵母ではナトリウム存在下でカリウム吸収量が減少し、ナトリウム吸収量も多かった。そのため、ナトリウム存在下ではK+/Na+比が大幅に減少した。一方耐塩性のヨシから単離した遺伝子を導入した酵母ではカリウム吸収量はほとんど減少せず、ナトリウム吸収量も少なかったため、K+/Na+比は高い値を維持していた。

 以上の結果から、耐塩性ヨシではナトリウム存在下でも選択性の高いトランスポーターを介してカリウム吸収を維持しているのに対し、塩感受性ヨシではカリウム吸収が阻害され、HAKがナトリウムの流入経路となるため、細胞内のK+-Na+バランスが崩れ、塩感受性の要因の一つとなっていると考えられた。

3, HKTトランスポーターの機能解析

 各地域のヨシからHKT遺伝子を単離したところ、南皮(PhaHKT1-n)と塩池(PhaHKT1-e)は他の植物HKTと高い相同性を示したが、宇都宮(PhaHKT1-u)は3'末端側に2カ所、イントロンに相当する配列が残存しており、終止コドンが生じていたため、他のHKTよりも141アミノ酸短いタンパクをコードすることが予想された。

 酵母を用いて機能解析を行ったところ、PhaHKT1-u発現株はカリウム吸収を示さず、ナトリウム存在下では生育できなかった。PhaHKT1-uの3'領域をPhaHKT1-nと組み替えたキメラDNAを作製して同様に機能解析を行ったところ、酵母の耐塩性は部分的に回復し、カリウム吸収も認められたことから、PhaHKT1-uで欠失していると推測される部位はPhaHKT1のイオン吸収において重要な役割を果たしていることが考えられた。

 ヨシのゲノムにはHKTが1コピー存在すると考えられることから、宇都宮のヨシではPhaHKT1の機能が欠失しているために植物体内に浸入したナトリウムの移動を制御することができず、植物体内のK+-Na+バランスが崩れた可能性がある。

4, ヨシの耐塩性とナトリウムの排出

 細胞膜型のNa+/H+アンチポーター遺伝子(PhaNHA1)を単離し、機能を比較した。

 PhaNHA1の発現は、ナトリウムストレス条件下では宇都宮のヨシと耐塩性のヨシで同程度検出された。しかし細胞膜型および液胞膜型のNa+/H+アンチポーターおよびナトリウムポンプを欠失した酵母にPhaNHA1を導入して機能を調べたところ、25mM、100mMのNaCl存在下では南皮のPhaNHA1-n発現株は宇都宮のPhaNHA1-u発現株と比較してそれぞれ42.7%、36.0%のナトリウムを含み、より多くのナトリウムを排出していると考えられた。

 以上のことから、耐塩性のヨシにはより高いナトリウム排出機能をもったアンチポーターが存在し、細胞に浸入したナトリウムを排出していることが考えられた。

 以上のように、本研究では耐塩性と塩感受性のヨシのNaClストレス条件下での体内イオン含量の違いをもとに、カリウム吸収やナトリウムの移動、排出に関連することが示唆されているいくつかの遺伝子の機能比較を行うことで、ヨシの耐塩性機構への関与を明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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