学位論文要旨



No 122437
著者(漢字) 松田,怜
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,リョウ
標題(和) 青色光がイネおよびホウレンソウの光合成特性と成長に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 122437
報告番号 甲22437
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3161号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 米山,忠克
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 大下,誠一
 東京大学 助教授 富士原,和宏
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

 青色光は,高等植物の光形態形成のみならず,乾物生産にも顕著な影響を及ぼす.しかし,異なる青色光強度下で成育した植物の乾物生産の差をもたらす要因は明確になっていない.人工光利用型の農業施設では,栽培光の青色光強度は光源に依存する.そのため,長期的な青色光照射が光合成などの乾物生産に関わる因子に及ぼす影響を明らかにすることは,限定されたエネルギ下における効率的な植物生産のための,適切な光源や照明法の選択・開発につながるものと考える.本論文ではまず,赤色光への低強度の青色光の付加が植物の乾物生産を促進するという現象に着目し,乾物生産促進に関わる要因を明らかにすることを目的とした.

 自然光においても,青色光強度は季節や時刻によって異なり,また植物群落の上部と下部との間でも著しい差がある.植物は青色光強度を感知することで,時空間的に変動する周囲の光環境を認識し,その光環境に順応している可能性がある.そこで次に,「青色光が光強度への順化応答に関与する」という仮説を検証し,青色光応答の生理的意義の一端を解明することを試みた.

2. 赤色光への青色光の付加がイネの乾物生産に及ぼす影響

 植物工場や宇宙ステーションにおける作物栽培の光源として,赤色発光ダイオード (LED) の利用が検討されてきた.その中で,赤色LEDの照射光に若干の青色光 (総光合成有効光量子束密度 (PPFD) の1-10%程度) を付加すると,赤色LED単独照射に比べて個体乾物重が著しく増加することが見出された.短期的な青色光照射は気孔の開口を促進するが,長期的な青色光照射による乾物生産の促進は,気孔開口の促進に起因する光合成速度の増加のみで説明できるものではない.そこで,この乾物生産の促進をもたらす要因を,個葉の光合成特性レベルと個体成長レベルにおいて調べた.供試植物にはイネを用いた.LEDを栽培光源として,赤色光のみ (R区) または赤青混合光 (RB区,赤色光と青色光の光量子束密度 (PFD) 比は4:1) を照射して約1ヶ月間水耕栽培した.

 まず個葉の光合成特性を調べた.供試品種にササニシキを用いて,総PPFD 240 μmol m(-2) s(-1)で育成した.最上位完全展開葉の光合成速度を白色光下で測定した.成育環境とほぼ同じPPFD (250 μmol m(-2) s(-1))下の純光合成速度はRB区の方がR区より高かった.また飽和光 (1,600 μmol m(-2) s(-1))下の純光合成速度(光合成能力) もRB区において高かった.これらのRB区における光合成速度の増加は,葉身の葉面積あたりN量の増加に伴っていた (Fig. 1) .葉身に含まれるNの約80%は葉緑体に局在し,その多くが光合成関連タンパク質などとして機能することが知られている.光合成関連タンパク質として,CO2固定の鍵酵素であるribulose-1,5-bisphosphate carboxylase/oxygenase (Rubisco),光合成電子伝達の律速因子の1つであるcytochrome (Cyt)f,集光反応を担うchlorophyll (Chl) およびlight-harvesting Chl-binding protein of photosystem II (LHCII)の量を調べたところ,それらはいずれも葉身N量の増加に伴ってRB区で増加していた.このような葉身N量の増加に伴う光合成関連タンパク質量の増加が,RB区の弱光下および飽和光下における光合成速度の増加をもたらしたものと考えられる.また実際の成育環境の光質下における光合成速度もRB区の方が高かったと推察される.

 個体の乾物生産は,個葉の光合成速度に加えて,個体レベルでどれだけ葉面を広く展開するかという点にも大きく影響を受ける.また,イネは光合成器官である葉身へのN分配を変えることにより,成育環境下における個体の光合成効率を調節すると報告されている.そこで次に個体の成長解析と葉身へのN分配を調べた.供試品種にササニシキと日本晴を用いて,総PPFD 380μmol m(-2) s(-1)で育成した.播種後56日目の個体乾物重と総葉面積は,いずれの品種でもR区に比べてRB区で増加した(Table 1).播種後35日目と56日目の測定値を用いて成長解析を行ったところ,相対成長速度 (RGR) は両品種ともにRB区で増加した (Table 1).このRGRの増加は,日本晴では有意差はないものの,純同化速度 (NAR) の増加が寄与していた (Table 1).またRB区では全葉身で平均した葉面積あたりN量が多く,最上位完全展開葉を含む上位3葉の葉位別の葉身N量,Rubisco量,Chl量は,いずれの葉位でもRB区で増加していた.このことから,RB区における葉身の光合成速度の増加は個体全体で起こったものと考えられる.ササニシキではRB区での葉面積比 (LAR) の増加もRGRの向上に寄与していたが,日本晴ではそのような応答は認められなかった (Table 1) .播種後56日目の個体あたりのN集積量は両品種ともにRB区の方がR区より多く,そのうち葉身に分配されるNの割合もRB区の方が高かった.このような葉身へのN分配率の増加も乾物生産向上に貢献したものといえる.

 以上より,赤色光に青色光を付加して長期間照射したイネでは,赤色光単独照射に比べて,葉身N量の増加に伴って個葉の光合成速度が増加することがわかった.また,青色光の付加による乾物生産促進にはNARの増加が大きく貢献していた.ササニシキでは葉面の拡大も乾物生産促進に寄与していた.個葉光合成と個体成長の結果を併せて考えると,青色光の付加による乾物生産促進の要因がNARであったことから,個葉の光合成速度の増加が乾物生産促進に貢献したといえる.

3. ホウレンソウの光順化応答における青色光の作用

 青色光照射下で成育した植物は,赤色光照射に比べてChl a/b比が高く,葉が厚いなど,強光に順化した植物で観察されるいくつかの特徴を示すことが知られている.このことから,青色光が強光や弱光に対する光順化応答を誘導するという仮説が提唱されている.ここで光順化応答とは,成育環境の光強度下において光エネルギを効率よく光合成や成長に利用するために植物が示す応答のことを指す.既往の研究では,植物が照射光に含まれる青色光の有無を感知するのか,あるいは青色光の強度を感知するのかは不明であった.そこで,低青色光強度下で成育した植物の特徴と弱光に順化した植物の特徴との類似性を評価基準として,光順化における青色光の作用を検討した.解析は,個葉レベルの応答と個体レベルの応答について行った.供試植物には予備実験で光順化応答が明瞭に観察されたホウレンソウ (品種:メガトン) を用いた.LEDを用いて,青色光/赤色光PFDを0/300,30/270,100/200,150/150 μmol m(-2) s(-1)とした照射下で約1ヶ月間水耕栽培した.

 まず個葉レベルの光順化応答を調べた.一般に弱光順化葉では,強光順化葉に比べて,飽和光下での光合成速度が低く葉面積あたりN量が少ない.これは主に葉が薄いことに起因する.光質処理したホウレンソウ葉では,成育時の青色光強度の低下に伴う光合成速度と葉面積あたりN量の減少が認められた.しかし,葉の厚さの指標である葉面積あたり乾物重には青色光強度の影響はほとんど認められなかった.また一般に弱光順化葉では,相対的に集光反応に関わるタンパク質の量が多く,光合成電子伝達に関わるタンパク質の量が少ないことも認められる.そこで光質処理区間で,電子伝達タンパク質と集光タンパク質の相対的な量の指標としてCyt f/LHCII比を比較した.Cyt f/LHCII比は青色光強度が100 μmol m(-2) s(-1)より低くなるにつれて次第に低下し,弱光順化葉のCyt f/LHCII比に近づく傾向が認められた (Fig. 2).

 次に個体レベルの光順化応答を調べた.一般に弱光植物においては,強光植物に比べて,LARの増加,葉へのN分配率の増加,葉の炭水化物プールサイズの減少といった特徴が観察される.しかし,LARと葉へのN分配率は成育時の青色光強度に影響を受けなかった (Table 2).さらに,葉の乾物重あたり非体構成炭水化物量は,青色光強度の低下とともに増加する傾向にあった (Table 2).このように,個体レベルの光順化応答においては,低青色光強度下で成育した植物と弱光植物との間に類似性は認められなかった.

 以上より,ホウレンソウにおいて,低強度の青色光が光順化の際の集光反応に関わるタンパク質量と電子伝達に関わるタンパク質量の調節に関与する可能性が示唆された.しかし葉の厚さや個体レベルの性質の光順化に関しては,本研究で調べた限り,青色光の関与を示すデータは得られなかった.

4. まとめ

 赤色光への青色光の付加により,イネ葉身のN量が増加し,それによって光合成速度が増加した.またイネの品種によっては,個体乾物重に対する葉面積の比率も増加した.これらの応答が,青色光の付加による乾物生産促進に関わる要因であった.

 またホウレンソウ葉のCyt f/LHCII比が,成育時の青色光強度が低いほど低下し,弱光に順化した葉のCyt f/LHCII比に近づく傾向にあった.個体レベルの光順化応答への青色光の関与は観察されなかった.ホウレンソウの弱光順化において,青色光は葉緑体タンパク質量を調節し,葉緑体の性質を改変させる作用を示す可能性が示唆された.

Fig. 1 Net photosynthetic rates versus leaf N content per unit leaf area in rice leaves. Plants were grown hydroponically under R (open circle) or RB (closed triangle) at a N concentration of 0.5, 2.0 or 8.0 mmol L(-1). Measurements were made at a PPFD of 250 (A) or 1,600 (B) μmol m(-2) s(-1), an atmospheric CO2 partial pressure of 36 Pa, a leaf temperature of 27℃, and a leaf-to-air vapor pressure deficit of 1.1±0.1 kPa. Light for measurements was provided from a white halogen lamp.

Table 1 Whole-plant dry weight (DW) and total leaf area (LA) of rice plants at 56 d after germination, and RGR, NAR and LAR between 35 d and 56 d after germination. Plants were grown hydroponically under R or RB from 21 d after germination.

Fig.2 The relationship of the ratio of Cyt f content to LHCII content in spinach leaves as a function of blue-light PFD during growth. Vertical bars represent standard errors of the means(n=3). Means with different letters are significantly different by Turkey's HSD test(P<0.05).

Table 2 Leaf area ratio (LAR), the ratio of leaf N to whole-plant N (LN/PN) and leaf total non-structural carbohydrate content per unit dry weight (TNC) of spinach plants at 32 d after germination. Plantswere grown hydroponically under different blue-light PFDs from 7 d after germination.

審査要旨 要旨を表示する

 青色光は、高等植物の光形態形成だけでなく、乾物生産にも顕著な影響を及ぼす。しかし、異なる青色光強度下で成育した植物の乾物生産の差をもたらす要因は明確になっていない。本論文では、長期的な青色光照射が光合成などの乾物生産に関わる因子に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。このことは、人工光利用型の農業施設などでの限定されたエネルギ下における効率的な植物生産のための、適切な光源や照明法の選択・開発につながるものと考える。

 本論文は4章からなる。1章は緒言で研究の背景や目的を述べている。

 2章では赤色光への低強度の青色光の付加が植物の乾物生産を促進するという現象に着目し、乾物生産促進に関わる要因を、個葉の光合成特性レベルと個体成長レベルにおいて明らかにすることを目的とした。供試植物にはイネを用いた。発光ダイオード(LED)を栽培光源として、赤色光だけ(R区)または赤青混合光(RB区、赤色光と青色光の光量子束密度(PFD)比は4:1)を照射して約1ヶ月間、供試品種ササニシキを、総PPFD240μmolm(-2)s(-1)で水耕栽培した。最上位完全展開葉の純光合成速度は、PPFD(250μmolm(-2)s(-1))下でも、飽和光(1,600μmolm(-2)s(-1))下でも、RB区の方がR区より高かった。これらのRB区における光合成速度の増加は、葉身の葉面積あたり窒素量の増加に伴っていた。光合成関連タンパク質として、CO2固定の鍵酵素であるribulose-1,5-bisphosphatecarboxylase/oxygenase(Rubisco)、光合成電子伝達の律速因子の1つであるcytochrome(Cyt)f、集光反応を担うchlorophyll(Ch1)およびlight-harvesting Chl-binding protein of photosystem II(LHCII)の量を調べたところ、それらはいずれも葉身窒素量の増加に伴ってRB区で増加していた。

 次に個体の成長解析と葉身への窒素分配を調べた。供試品種にササニシキと日本晴を用いて、総PPFD380μmolm(-2)s(-1)で育成した。播種後56目目の個体乾物重と総葉面積は、いずれの品種でもR区に比べてRB区で増加した。播種後35日目と56日目の測定値を用いて成長解析を行ったところ、相対成長速度(RGR)は両品種ともにRB区で増加した。このRGRの増加には、日本晴では、純同化速度(NAR)の増加が寄与していた。またRB区では全葉身で平均した葉面積あたり窒素量が多く、最上位完全展開葉を含む上位3葉の葉位別の葉身窒素量、Rubisco量、Chl量は、いずれの葉位でもRB区で増加していた。ササニシキではRB区での葉面積比(LAR)の増加もRGRの向上に寄与していた。

 3章では、「青色光が光強度への順化応答に関与する」という仮説を検証し、青色光応答の生理的意義の一端を解明することを試みた。低青色光強度下で成育した植物の特徴と弱光に順化した植物の特徴との類似性を評価基準として、光順化における青色光の作用を検討した。解析は、個葉レベルの応答と個体レベルの応答について行った。供試植物にはホウレンソウ(品種:メガトン)を用いた。LEDを用いて、青色光/赤色光PFDを0/300、30/270、100/200、150/150μmolm(-2)s(-1)とした照射下で約1ヶ月間水耕栽培した。その結果、低強度の青色光が光順化の際の集光反応に関わるタンパク質量と電子伝達に関わるタンパク質量の調節に関与する可能性が示唆された。しかし葉の厚さや個体レベルの性質の光順化に関しては、本研究で調べた限り、青色光の関与を示すデータは得られなかった。

 4章は結語で、本論文を総括した。

 以上、要するに、本論文は、青色光の光合成と成長に及ぼす影響を、個葉および個体のレベルの両者において明らかにし、生化学的解析などを通して、関与する要因をも明らかにしたものであり、学術上および応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51152