学位論文要旨



No 122584
著者(漢字) アレクサンドラ リゾ−ツルツアレバ
著者(英字) Aleksandra Rizo-Crcareva
著者(カナ) アレクサンドラ リゾ−ツルツアレバ
標題(和) 造血幹細胞の体外増幅とレトロウィルスを用いた遺伝入 : 線維芽細胞増殖因子-Iの効果
標題(洋) EX-VIVO HEMATOPOIETIC STEM CELL EXPANSION AND RETROVIRUS-MEDIATED GENE TRANSFER : EFFECT OF FIBROBLAST GROWTH FACTOR-1
報告番号 122584
報告番号 甲22584
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2880号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 中内,啓之
 東京大学 教授 高橋,孝喜
 東京大学 講師 滝田,順子
内容要旨 要旨を表示する

背景

 造血幹細胞(hematopoietic stem cell,HSC)は、未分化性を維持したまま細胞分裂する能力(自己複製能)、および多能性を失い分化した多種類の細胞を生み出す能力(多分化能)の二つの特徴をもつ細胞である。HSCは全骨髄細胞の0.001-0.01%の頻度でしか存在しない。このような僅少性がHSCの研究を困難なものとしており、実際HSCの自己複製や分化に関する我々の知見は未だ限られている。

 HSCがもつ自己複製能と多分化能については、基礎生命科学分野のみならず、臨床医学分野からも興味がもたれている。というのも、造血幹細胞移植がすでに日常臨床の手段として用いられているが、HSCの自己複製能と多分化能の機構がさらに理解されることにより、新しい治療法の開発などが視野に入ると期待されるからである。造血幹細胞移植では、骨髄、幹細胞動員末梢血、臍帯血の三者が用いられている。いずれの場合でも、これらソースに含まれるHSCの数の少なさが、臨床的に問題となる。たとえば、臍帯血移植ではHSCの絶対数が限られているため、レシピエントの体格が大きければ大きいほど、十分な細胞数を含む保存臍帯血は限られる。「HSCを体外で増幅することができれば、このようなHSCの数的な制限を克服することが可能になるかもしれない」との期待から、種々のサイトカインを組み合わせることにより、HSCの未分化性を保持したまま体外で培養し増幅する方法の開発が試みられてきた。

 一方、HSCにmRNAやRNAiを発現させ形質変化を観察することは、HSCの生物学的解析手段として一般化している。mRNAやRNAiを発現させるためのベクター導入の方法とHSCの多くは静止期にあることから、細胞分裂を必要とするレトロウィルスを真のHSCに導入することには限界がある。レンチウィルスはこの問題を克服し得るため、有望なツールと考えられる。しかし、レンチウィルスを使用するためには種々の規制や制限をクリアする必要があることや、レンチウィルスによる遺伝子導入はレトロウィルスに比べて費用が嵩むなどのことから、レトロウィルスに比べ敷居が高い。これらの点から、HSCへの効果的なレトロウィルス導入法開発は、研究者が常に興味を寄せるところである。

 標的細胞を体外で増幅しながらレトロウィルスを導入すれば導入効率をあげることができるが、過去の試みではHSCの能力を維持したまま増幅しつつレトロウィルスを導入することには成功していない。このため、HSCへの遺伝子導入にはできるだけ採取後フレッシュな細胞を用いることが常道とされてきた。しかし、最近新たなHSC体外増幅法が開発されており、効果的なHSCの体外増幅法を基盤としたHSCへのレトロウィルス遺伝子導入法の開発は、改めて重要なテーマになっている。このような技術革新は、基礎研究に留まらず、HSCを標的とした遺伝子治療分野での応用も期待される。

目的

 本研究の目的は、HSCにおける遺伝子の機能を解析する手段として、HSCを体外で増幅する技術に立脚したレトロウィルス導入法開発を目的とする。過去のHSC体外増幅培養法の中で、fibroblast growth factor-1(FGF-1)を用い、マウス骨髄未分画細胞を無血清で増幅する方法は、方法の単純性の点で再現性が期待され、また他の方法に比べレトロウィルスの導入に適していると予想される。このため、FGF-1を用いた培養によるHSCへのレトロウィルス導入の方法論確立をめざす。

材料と方法

 まず、過去に報告されたFGF-1を用いたマウス骨髄未分画細胞中のHSC増幅が再現可能かを、放射線照射した同系マウスへの移植により検証した。次にレトロウィルスベクターpMY/GFPをFGF-1で約3週間培養後のマウス骨髄細胞に導入し、green fluorescent protein(GFP)陽性細胞、すなわちレトロウィルス導入細胞を、蛍光細胞分離装置を用いて分離した。同様に、培養前のHSC濃縮画分であるKSL細胞(c-Kit陽性、Sca-1陽性、lineageマーカー陰性)についても、pMY/GFPウィルスを導入し、GFP陽性細胞を分離した。培養前の細胞、FGF-1培養後の細胞、およびGFP導入細胞のそれぞれで限界希釈を行い、同様に放射線照射した同系マウスに移植することにより、HSCへのレトロウィルス導入効率を検証した。

結果

 培養前のKSL細胞および全骨髄細胞をFGF-1で約3週間培養後の細胞にpMY/GFPウィルスを導入した際の種々のパラメーターを表1に示す。

 表の内容を要約する。HSCにあたる長期造血再構築細胞(CRU,competitive repopulation unit)は1匹のマウス骨髄2.5 x 107細胞あたり600個であった。3週間のFGF-1培養により全細胞数は5.2 x 107個に増えたに過ぎないが、このうちCRUは9,300個すなわち15.3倍に増幅された。培養後の全細胞にレトロウィルスを感染させ導入細胞の分離操作を行ったところ、1.5 x 107個のレトロウィルス導入細胞が回収され、このうち4,200個がCRUであった。これらの細胞は、放射線照射したレシピエントマウス150匹に移植可能(救援細胞なしでレシピエントマウスが100%生存し、12週間後に50%以上のキメラ率を得る)であった。実験操作の概要を図1に示す。

考察

 レトロウィルス導入の材料とされるマウスHSCのソースとしては、抗腫瘍剤(主に5-FUが用いられる)で処理されたマウス骨髄細胞などがしばしば用いられる。この方法によりHSCの濃縮が可能であり、かつレトロウィルス導入が容易になることはよく知られている。しかしこの方法では、薬剤のHSCに対する影響が実験結果を修飾する可能性を否定できない。一方、HSCが濃縮された細胞画分としてKSL細胞が用いられることもあるが、分離操作が煩雑である上、ウィルス導入のためのHSCソースとしては適さない。このことは今回の私の比較実験でも明かである。

 過去の膨大な実験から、HSCは培養により造血幹細胞活性、特に未分化性と自己複製能が損なわれると考えられてきた。しかし今回、私は3週間の培養後にレトロウィルスを感染させることにより、極めて効率よいHSCに対するレトロウィルス遺伝子導入が可能であることを示した。これは、HSCへの遺伝子導入法に変革をもたらし得る成果であると言える。

 今回FGF-1培養法を選択することで、今までになく効率のよいHSCへのレトロウィルス導入法を確立することに成功した。FGF-1培養に他の既存のHSC関連サイトカインを加えても、効率には明らかな影響を与えなかった。最近他のHSC増幅法として、Wnt3aやNotchリガンドを用いる方法が報告されつつある。しかし、FGF-1は市場で容易に入手可能なサイトカインであり、これのみを用いた培養法によるレトロウィルス導入法は、単純かつ容易である。このため、再現性が得られやすく、HSCへのレトロウィルス導入法として優れた方法であると言える。

結論

 FGF-1で培養したマウス骨髄細胞は、HSCへのレトロウィルス導入の標的細胞として極めてよいソースであることが示された。この方法でHSCへの遺伝子導入を図ることで、HSCにおける種々の遺伝子の機能、さらにHSCの自己複製や分化の機構の解明に貢献できるものと期待される。

表1

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、造血幹細胞における遺伝子の機能を解析する手段として、造血幹細胞を体外で増幅する技術に立脚したレトロウィルス導入法開発を目的とし、線維芽細胞成長因子(FGF-1)を用いた培養による造血幹細胞へのレトロウィルス導入の方法論確立をめざしたもので、下記の結果を得ている

1. 造血幹細胞にあたる長期造血再構築細胞(CRU, competitive repopulation unit)は1匹のマウス骨髄2.5 x 107細胞あたり600個であった。3週間のFGF-1培養により全細胞数は5.2 x 107個に増えたに過ぎないが、このうちCRUは9,300個すなわち15.3倍に増幅された。

2. FGF-1培養に他の既存の造血幹細胞関連サイトカインを加えても、効率には明らかな影響を与えなかった。

3. 培養後の全細胞にレトロウィルスを感染させ導入細胞の分離操作を行ったところ、1.5 x 107個のレトロウィルス導入細胞が回収され、このうち4,200個がCRUであった。これらの細胞は、放射線照射したレシピエントマウス150匹に移植可能(救援細胞なしでレシピエントマウスが100%生存し、12週間後に50%以上のキメラ率を得る)であった。

以上、3週間の培養後にレトロウィルスを感染させることにより、極めて効率よい造血幹細胞に対するレトロウィルス遺伝子導入が可能であることを示した。これは、造血幹細胞への遺伝子導入法に変革をもたらし得る成果であると言える。よって、FGF-1で培養したマウス骨髄細胞は、造血幹細胞へのレトロウィルス導入の標的細胞として極めてよいソースであることが示された。この方法で造血幹細胞への遺伝子導入を図ることで、造血幹細胞における種々の遺伝子の機能、さらに造血幹細胞の自己複製や分化の機構の解明に貢献できるものと期待されるものであり、本研究は学位の授与に値するものであると考えられる。

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