学位論文要旨



No 122688
著者(漢字) 桑原,知樹
著者(英字)
著者(カナ) クワハラ,トモキ
標題(和) トランスジェニック線虫を用いたα-synucleinの神経障害性を修飾する遺伝子群の網羅的解析
標題(洋)
報告番号 122688
報告番号 甲22688
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1233号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

 パーキンソン病(PD)はドパミン性神経細胞の変性・脱落と残存ニューロンにおける細胞内封入体Lewy小体の出現を特徴とする神経変性疾患である。α-synucleinは優性遺伝性家族性PDの病因遺伝子であり、ミスセンス変異(A53T、A30P、E46K)や遺伝子重複が報告されているが、孤発性PDでもLewy小体の主要構成成分であることが知られている。これらの知見から、構造異常をきたしたα-synucleinの細胞内蓄積が神経細胞死を招くことが示唆されるが、その詳細な分子機構は不明である。

 α-synucleinによる神経障害機構を個体レベルで解明するため、私は修士課程においてヒトα-synucleinをドパミン神経に過剰発現するトランスジェニック(Tg)線虫を作出し、線虫ドパミン神経の担う食餌の認知機能に低下が生じることを明らかにした。機能低下は家族性変異型α-synucleinを過剰発現するTg線虫で顕著であり、PDに類似した機序で細胞障害が生じている可能性が示唆された。本研究において、私は線虫のニューロンにおいてα-synucleinが引き起こす神経障害の分子機構を解明するため、神経系にα-synucleinを過剰発現するTg線虫に対してmicroarray法やRNAiスクリーニングなどのゲノムワイドな手法を適用し、α-synucleinによる神経障害性を修飾する遺伝子を探索した。

【方法・結果】

1.ヒトα-synuclein Tg線虫における遺伝子発現変動解析

 unc-51プロモーターを用いてpan-neuronalにヒトα-synuclein(野生型、A53T,A30P家族性PD変異型)を過剰発現するTg線虫を作出し、免疫組織化学的・生化学的にα-synucleinが神経細胞に高発現することを確認した(図1)。これらのTg線虫は運動障害や産卵異常などの明らかな表現型を示さなかったが、ドパミン神経やtouch神経特異的に高発現させた場合に機能低下が生じることから、pan-neuronaiにα-synucleinを発現するTg線虫をDNA microarray法により解析し、α-synuclein発現依存的な遺伝子発現変動を調べた。

 α-synuclein Tg3ライン(synWT,A53T,A30P)、N2(野生型)、EGFP-Tg各1ラインを解析した。3日齢young adult個体からmRNAを抽出し、2枚のDNAチップ(Affymetrix〓)に分けてhybridizeさせ、2枚対2枚の4通りの比較で有意差を認める遺伝子を選別した。その結果、α-synuclein発現ライン群で有意にmRNA発現量が変動している遺伝子として31個を同定した。

 次に、この31遺伝子の発現変動をreal-time RT-PCRにより確認した。3回の独立した試行を行い、家族性変異型(A53T,A30P)を発現する複数ラインで一定して発現上昇が認められる遺伝子としてegl-1を同定した(図2A)。egl-1はアポトーシス経路の最上流に位置する遺伝子であり、哺乳類のBH3-only蛋白質(Bad,Bidなど)のホモログである。神経細胞におけるegl-1転写活性の亢進の有無を確認するため、egl-1プロモーター下で核移行シグナル付きGFPを発現する線虫に対し、野生型あるいはA30P変異型α-synucleinを遺伝子導入すると、A30P変異型α-synuclein発現線虫で特異的に(全個体の約16%)頭部神経細胞群におけるGFPの蛍光が観察された(図2B)。しかしegl-1発現亢進によるアポトーシスは観察されなかった。また、touch neuronにA30P変異型α-synucleinを発現する線虫をegl-1欠損変異ラインと交配した場合にもegl-1の有無にかかわらずtouch senseに変化は認められなかった。従って、egl-1はα-synucleinの下流で動く遺伝子であるがα-synucleinによる神経機能低下には関与しないことが示唆された。

2.網羅的RNAiによるα-synucleinの神経障害修飾因子の探索

1)RNAiスクリーニング

 α-synuclein過剰発現により生じる神経障害性に関わる新規遺伝子の探索にあたり、Tg線虫の表現型を改善もしくは増悪させる遺伝子を同定することにした。まずα-synuclein Tg線虫および対照群に対しゲノムワイドにRNAiを施し、表現型を変化させる遺伝子を探索した(図3)。線虫の神経系に対しては、RNAiの効率が低いことが問題となる。そこで、神経系におけるRNAi効果を増強する変異体eri-1(enhanced RNAi)と各ラインを交配し、RNAi効果の増強を確認した。

 まず1次スクリーニングとして、eri-1、synWT;eri-1、synA53T;eri-1の3ラインを用い、神経系に発現する遺伝子を中心にfeeding RNAi libraryから1673遺伝子を選択した。各ラインL4幼虫をfeeding RNAi plateに移して3日後、次世代の個体の表現型を観察し、Tg線虫とコントロール間で運動機能障害、成長遅延などの表現型に相違を生じる遺伝子を選択した。その結果、約17%にあたる278遺伝子で何らかの表現型が観察され、そのうち66遺伝子がライン間で異なるRNAi表現型を与えた。

 次に2次スクリーニングとして、synA30P TgとEGFP Tgの2ラインを追加し、1次スクリーニングで得られた66遺伝子について再度RNAiを行い、α-synuclein Tg3ライン(synWT、A53T、A30P)とコントロール2ライン(non-Tg、EGFP)の間でRNAi表現型に差の生じる遺伝子を選択した。再現性を3回の試行で確認した。

 その結果、RNAiによりα-synuclein Tg線虫の表現型を増悪させる10種の遺伝子、及び表現型を抑制する1種の遺伝子を同定した(Table1)。興味深いことに表現型を増悪させる10種のうち4種がエンドサイトーシス関連遺伝子(apa-2,aps-2,eps-8,rab-7)であり、中でもapa-2とaps-2は各種クラスリン被覆小胞の回収に関与するアダプター蛋白AP-2複合体のサブユニットであった(図4)。

 これらの結果から、α-synucleinの過剰発現はエンドサイトーシス機能の抑制による神経系機能低下の表現型を増悪させることがわかった。従ってα-synucleinの過剰発現が何らかの機序により、神経細胞におけるエンドサイトーシスを抑制的に制御している可能性を考えた。

2)α-synucleinとエンドサイトーシス機能との関係に関する検討

 神経細胞のエンドサイトーシス機能の中でも、シナプス小胞の回収は特に重要である。そこで7種類のシナプス小胞エンドサイトーシス関連遺伝子をlibraryより選別し、α-synuclein Tg線虫に対するRNAi効果を再検討した。RNAiの効果をより高感度に検討するため、touch senseに軽度の異常を示すA53T型変異α-synuclein Tg線虫に対してRNAiを行いtouch senseの変化を評価した。その結果、スクリーニングで同定したapa-2とともに、unc-11(AP180)のRNAiによりtouch senseの低下が増強された(図5)。

 unc-11変異体などのエンドサイトーシス変異体は、神経筋接合部におけるアセチルコリンの放出が低下する結果、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬aldicarbに耐性を獲得する。そこでα-synuclein Tg線虫のaldicarb感受性を検討すると、野生型及び家族性PD変異型α-synucleinを発現するTgラインはいずれもAldicarb耐性を示し、特にRNAiで最も運動機能障害増悪の強かったA53T変異型で顕著であった(図6)。アセチルコリン受容体アゴニストLevamisoleへの感受性は変わらなかったことから、アセチルコリンの放出量が実際に減少したことが考えられた。

 以上より、α-synucleinの過剰発現は線虫の各種神経細胞においてエンドサイトーシスの機能低下を増強させ、特にシナプス小胞のエンドサイトーシスを抑制的に制御することにより神経伝達物質の放出を阻害する可能性が示唆された。

【まとめ・考察】

 本研究において私は、ヒトα-synucleinを全神経系に過剰発現する線虫を用い、ゲノムワイドな手法によりα-synuclein神経障害性を修飾する遺伝子を探索し、1)家族性変異型α-synucleinの過剰発現がアポトーシス上流因子egl-1の発現亢進を引き起こすこと、2)過剰発現したα-synucleinはエンドサイトーシス機能の低下を増悪させることを明らかにした。今回の結果は、長期間にわたって進展するPDにおける神経細胞変性に、細胞内に蓄積した異常な構造を持つα-synucleinによるエンドサイトーシスの阻害が関与している可能性を示唆する(図7)。今後、AP-2複合体因子の過剰発現によりα-synuclein Tg線虫のシナプス伝達障害が回復する可能性や、α-synuclein過剰発現Tgマウスなどのより高等な生物種においてα-synucleinがシナプス機能に影響を与える可能性について検討したい。またPD患者脳内におけるエンドサイトーシス障害の有無についても検討を加えたい。

図1. ヒトα-synucleinを全神経系に発現するTg線虫のウエスタンブロット解析

図2 A.real-time RT-PCRによるegl-1発現量の定量。B.Pegl-1::NLS::GFPに対するα-syn過剰発現。A30P α-syn発現細胞で頭部神経細胞核にGFPの発光(矢印)が観察された。

図3 RNAiスクリーニング概略

Table 1 RNAi screeningで表現型も変化を生じた遺伝子

図4 A.AP-2 subunitのRNAiによる運動機能障害の出現率

B.apa-2RNAiによる成長遅延(bar=500μm)

図5 touch assayによる神経機能の評価

図6 aldicarb assayによる神経伝達物質放出量の評価

図7 α-synucleinによる神経障害機構のモデル

審査要旨 要旨を表示する

 パーキンソン病(PD)はドパミン性神経細胞の変性・脱落と残存ニューロンにおける細胞内封入体Lewy小体の出現を特徴とする神経変性疾患である。α-synucleinは優性遺伝性家族性PDの病因遺伝子であり、ミスセンス変異(A53T、A30P、E46K)や遺伝子重複が報告されているが、孤発性PDでもLewy小体の主要構成成分であることが知られている。これらの知見から、構造異常をきたしたα-synucleinの細胞内蓄積が神経細胞死を招くことが示唆されるが、その詳細な分子機構は不明である。

 α-synucleinによる神経障害機構を個体レベルで解明するため、申請者はこれまでにヒトα-synucleinをドパミン神経に過剰発現するトランスジェニック(Tg)線虫を作出し、線虫ドパミン神経の担う食餌の認知機能に低下が生じることを明らかにした。機能低下は家族性変異型α-synucleinを過剰発現するTg線虫で顕著であり、PDに類似した機序で細胞障害が生じている可能性が示唆された。本研究において、申請者は線虫のニューロンにおいてα-synucleinが引き起こす神経障害の分子機構を解明するため、神経系にα-synucleinを過剰発現するTg線虫に対してmicroarray法やRNAiスクリーニングなどのゲノムワイドな手法を適用し、α-synucleinによる神経障害性を修飾する遺伝子を探索した。

1.ヒトα-synuclein Tg線虫における遺伝子発現変動解析

 unc-51プロモーターを用いてpan-neuronalにヒトα-synuclein(野生型、A53T,A30P家族性PD変異型)を過剰発現するTg線虫を作出し、免疫組織化学的・生化学的にα-synucleinが神経細胞に高発現することを確認した。これらのTg線虫は運動障害や産卵異常などの明らかな表現型を示さなかったが、ドパミン神経やtouch神経特異的に高発現させた場合に機能低下が生じることから、pan-neuronalにα-synucleinを発現するTg線虫をDNA microarray法により解析し、α-synuclein発現依存的な遺伝子発現変動を調べた。

 α-synuclein Tg3ライン(synWT,A53T,A30P)、N2(野生型)、EGFP-Tg各1ラインを解析した。3日齢young adult個体からmRNAを抽出し、2枚のDNAチップ(Affymetrix〓)に分けてhybridizeさせ、2枚対2枚の4通りの比較で有意差を認める遺伝子を選別した。その結果、α-synuclein発現ライン群で有意にmRNA発現量が変動している遺伝子として31個を同定した。

 次に、この31遺伝子の発現変動をreal-time RT-PCRにより確認した。3回の独立した試行を行い、家族性変異型(A53T,A30P)を発現する複数ラインで一定して発現上昇が認められる遺伝子としてegl-1を同定した。egl-1はアポトーシス経路の最上流に位置する遺伝子であり、哺乳類のBH3-only蛋白質(Bad,Bidなど)のホモログである。神経細胞におけるegl-1転写活性の亢進の有無を確認するため、egl-1プロモーター下で核移行シグナル付きGFPを発現する線虫に対し、野生型あるいはA30P変異型α-synucleinを遺伝子導入すると、A30P変異型α-synuclein発現線虫で特異的に(全個体の約16%)頭部神経細胞群におけるGFPの蛍光が観察された。しかしegl-1発現亢進によるアポトーシスは観察されなかった。また、touch neuronにA30P変異型α-synucleinを発現する線虫をegl-1欠損変異ラインと交配した場合にもegl-1の有無にかかわらずtouch senseに変化は認められなかった。従って、egl-1はα-synucleinの下流で動く遺伝子であるがα-synucleinによる神経機能低下には関与しないことが示唆された。

2.網羅的RNAiによるα-synuclein神経障害修飾因子の探索

1)RNAiスクリーニング

 α-synuclein過剰発現により生じる神経障害性に関わる新規遺伝子の探索にあたり、Tg線虫の表現型を改善もしくは増悪させる遺伝子を同定することにした。まずα-synuclein Tg線虫および対照群に対しゲノムワイドにRNAiを施し、表現型を変化させる遺伝子を探索した(図3)。線虫の神経系に対しては、RNAiの効率が低いことが問題となる。そこで、神経系におけるRNAi効果を増強する変異体eri-1(enhanced RNA1)と各ラインを交配し、RNAi効果の増強を確認した。

 まず1次スクリーニングとして、eri-1、synWT;eri-1、synA53T;eri-1の3ラインを用い、神経系に発現する遺伝子を中心にfeeding RNAi libraryから1673遺伝子を選択した。各ラインL4幼虫をfeeding RNAi plateに移して3日後、次世代の個体の表現型を観察し、Tg線虫とコントロール間で運動機能障害、成長遅延などの表現型に相違を生じる遺伝子を選択した。その結果、約17%にあたる278遺伝子で何らかの表現型が観察され、そのうち66遺伝子がライン間で異なるRNAi表現型を与えた。

 次に2次スクリーニングとして、synA30P TgとEGFP Tgの2ラインを追加し、1次スクリーニングで得られた66遺伝子について再度RNAiを行い、α-synuclein Tg3ライン(synWT、A53T、A30P)とコントロール2ライン(non-Tg、EGFP)の間でRNAi表現型に差の生じる遺伝子を選択した。再現性を3回の試行で確認した。

 その結果、RNAiによりα-synuclein Tg線虫の表現型を増悪させる10種の遺伝子、及び表現型を抑制する1種の遺伝子を同定した。興味深いことに表現型を増悪させる10種のうち4種がエンドサイトーシス関連遺伝子(apa-2,aps-2,eps-8,rab-7)であり、中でもapa-2とaps-2は各種クラスリン被覆小胞の回収に関与するアダプター蛋白AP-2複合体のサブユニットであった。

 これらの結果から、α-synucleinの過剰発現はエンドサイトーシス機能の抑制による神経系機能低下の表現型を増悪させることがわかった。従ってα-synucleinの過剰発現が何らかの機序により、神経細胞におけるエンドサイトーシスを抑制的に制御している可能性を考えた。

2)α-synucleinとエンドサイトーシス機能との関係に関する検討

 神経細胞のエンドサイトーシス機能の中でも、シナプス小胞の回収は特に重要である。そこで7種類のシナプス小胞エンドサイトーシス関連遺伝子をlibraryより選別し、α-synuclein Tg線虫に対するRNAi効果を再検討した。RNAiの効果をより高感度に検討するため、touch senseに軽度の異常を示すA53T型変異α-synuclein Tg線虫に対してRNAiを行いtouch senseの変化を評価した。その結果、スクリーニングで同定したapa-2とともに、unc-11(AP180)のRNAiによりtouch senseの低下が増強された。

 unc-11変異体などのエンドサイトーシス変異体は、神経筋接合部におけるアセチルコリンの放出が低下する結果、アセチルコリンエステラーゼ阻害薬aldicarbに耐性を獲得する。そこでα-synuclein Tg線虫のaldicarb感受性を検討すると、野生型及び家族性PD変異型α-synucleinを発現するTgラインはいずれもAldicarb耐性を示し、特にRNAiで最も運動機能障害増悪の強かったA53T変異型で顕著であった。アセチルコリン受容体アゴニストLevamisoleへの感受性は変わらなかったことから、アセチルコリンの放出量が実際に減少したことが考えられた。

 以上より、α-synucleinの過剰発現は線虫の各種神経細胞においてエンドサイトーシスの機能低下を増強させ、特にシナプス小胞のエンドサイトーシスを抑制的に制御することにより神経伝達物質の放出を阻害する可能性が示唆された。

 以上のごとく本研究において申請者は、ヒトα-synucleinを全神経系に過剰発現する線虫を用い、ゲノムワイドな手法によりα-synuclein神経障害性を修飾する遺伝子を探索し、1)家族性変異型α-synucleinの過剰発現がアポトーシス上流因子egl-1の発現亢進を引き起こすこと、2)過剰発現したα-synucleinはエンドサイトーシス機能の低下を増悪させることを明らかにした。これらの結果は、PDにおける神経細胞変性に、細胞内に蓄積した異常な構造を持つα-synucleinによるエンドサイトーシスの阻害が関与している可能性を示唆し、PDの病態と治療に重要な知見を追加するものであり、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク