学位論文要旨



No 122790
著者(漢字) 安東,弘泰
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,ヒロヤス
標題(和) 低次元非線形システムにおけるフィードバック調節型制御に関する研究
標題(洋) A Study of Feedback Adjustment Control in Low-Dimensional Nonlinear Systems
報告番号 122790
報告番号 甲22790
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第120号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 数理情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 杉原,正顯
 東京大学 助教授 鈴木,秀幸
 東京大学 助教授 河野,崇
 東京大学 講師 大石,泰章
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 決定論的カオスとして特徴付けられる振る舞いは,自然科学のいたるところで観察されている.たとえば,神経生理学,心筋細胞,化学反応,電子回路,流体,非線形光学系などである.このようなカオス的振る舞いを制御するという研究が,非線形ダイナミクスの分野で最近15年間盛んに研究されてきている.従来,カオス的振る舞いは,初期値鋭敏依存性や長期予測不可能性などの,その扱いにくい性質から,制御困難であるとされてきた.しかし,1990年,物理学者Ottらの貢献により,カオスの扱いづらい性質自体を逆に利用してカオス的不規則状態を規則状態へとわずかな摂動で実現する手法(OGY法)が構築された.この手法は,理論にとどまらず,物理システムや生体システムなどの実世界システムへと適用されて成功を収めている.この研究を契機にさまざまなカオス制御法(ex.遅延フィードバック法(DFC法)(Pyragas,1992))が主に物理学者の間で提案され続けている.一方で,工学の世界にもカオス制御は普及しており,カオス制御は,従来からの制御理論からの観点からも解釈されている.このようにカオスを制御することにより,カオスが本質的に持つ豊富なダイナミクスを利用することができるため,省エネルギーの情報処理機構への応用も視野に入れられている.また,生体システムにも応用可能なことから,てんかんや不整脈などの治療法への応用も考えられている.

 本論文では,上記のようなカオス制御の流れに沿って,新しいカオスの制御法を提案する.さらに,この制御法に関連する手法を用いた,非線形システムの解析法を提案する.

 まず,1次元離散時間力学系において,Constant feedback(CF)法(Parthasarathy and Sinha,1995)に対して,Feedback adjustment(FA)法を導入,適用し,カオス軌道を周期軌道へ安定化する方法を提案する.次に,FA法を,一定の周期によるロッキング法を導入することで,所望の周期を持った安定周期軌道への制御法へと拡張する.さらに,この制御法を3次元の散逸的な連続時間系へ適用し,周期解の追跡法を導入して,元のカオス軌道に埋め込まれている周期軌道への制御を実現する.

 次に,上で挙げたFA法に関連して,1次元離散時間系の分岐構造の周期解による視覚化する.さらに,上述の追跡法を応用してカオス解から不安定な周期解を検出する方法を提案する.

2.Feedback Adjustment法によるカオスの安定化

 1990年にOttらによって提案されて始まったカオス制御の手法では,対象とするシステムのパラメータに摂動を加えることなどにより,カオスアトラクタの中に埋め込まれている不安定周期軌道を安定化することが目的とされている.一方,CF法では,元のシステムには関わらない新たなパラメータを導入することで新しいダイナミクスを創り出し,そのダイナミクスの中における安定な周期軌道へと制御を実現する方法である.ここで提案するFA法も後者の手法に沿って,元のカオス軌道を新しいダイナミクスの中の安定周期軌道へ制御する方法になる.ここで,FA法とCF法の相違点は,CF法ではパラメータの値を外部調節により安定周期軌道を与える値に設定するのに対し,FA法ではパラメータの値を,安定周期軌道のパラメータ値へ自動的に調節していく点である.具体的にFA法では,ある一定時間間隔毎に時系列を観測して,そのうちの最大値を用いて,パラメータの値を調節するという操作を繰り返す.この操作により,パラメータ空間に存在するカオス領域に無数に埋め込まれた周期解の窓へパラメータがトラップされていく.図1に典型的なカオス写像の1つであるExponential写像に対してFA法を適用した結果を示す.図1(a)は,パラメータがフィードバックによって調節され安定周期解に対応する値へとトラップされる時系列を表している.また,図1(b)は,CF法で導入したパラメータに関して描かれた分岐図で,無数の点の集合で描かれている領域がカオス領域で,その中に存在する白い部分が周期解の窓である.図1(c)には,10,000通りの初期値に関してFA法を適用した結果得られたパラメータの値の集合とそれらの値に関するリアプノフ指数を示している.ここで,リアプノフ指数が負の値をとるとき,その軌道は安定な周期軌道となる.これらの結果では,FA法がExponential写像に対し,およそ96%の確立で周期解への安定化を実現していることが分かる.また,FA法はLogistic写像やカオスニューロン写像に適用しても,数値実験の結果,同様に高い確率で周期解への安定化が実現可能であることが分かった.以上の結果より,FA法が信頼性のあるカオスの安定化手法であることが示せた.

3.目的指向型FA法と周期解の追跡

 2.で提案したFA法は,元のシステムに関して新しいダイナミクスを創り出すことで,そのダイナミクスにおける安定周期軌道を顕在化させる方法であった.一方,従来のカオス制御では,一般的に元のシステムのカオスアトラクタに埋め込まれている,決められた不安定周期解を安定化することが目的となる.しかしながらFA法では,得られる周期解の周期をあらかじめ決定することができない.そこで,従来のカオス制御の概念に則り,あらかじめ与えられた周期を持ち,元のシステムに存在する周期解への制御を実現するように,FA法に修正を加える.具体的にはまず,一定長の時系列の最大値をとる過程において,その区間の2番目に大きい値と最大値との時間ステップの差が求めたい周期と一致するときにのみパラメータ調節を行うようにする.これにより所望の周期を持つ周期解を得ることができる.図2に3次元連続時間系であるレスラーモデルとBZ反応モデルに対して手法を適用した結果を示す.次に,この改良FA法によって得られた周期解を元のシステムに存在する不安定周期解に向けて追跡する.これは,新たに導入したパラメータを消すように少しずつ変化させることで実現する(図3(a),(d)参照).その結果,図2に示される改良FA法で制御された不連続な周期解が,図3では,連続な周期解へと変化している.さらに,レスラーモデルに関しては,ノイズが存在する場合についても,3周期解に関しては制御可能であるということが数値的に示された.これらの結果から,ここで提案する制御法は,1次元写像のみならず,3次元連続時間系にも適用可能であり,さらにノイズにロバストな手法であることが分かる.

 ここで提案する手法は,従来の主なカオス制御法(OGY法)がもつ主要な問題を解消している.つまり,手法が簡単なため比較的早い実時間システムへも適用可能である.

4.非線形システムの過渡過程による分岐の視覚化と不安定周期解検出法

 2,3で提案したFA法の発展手法として,非線形システムにおける過渡過程に注目した,分岐の視覚化法と不安定周期解検出法を提案する.まずここでは,過渡過程という言葉で,初期状態からのある一定時間における系の振る舞いのことを意味する.つまり,過渡過程を含む初期数ステップのシステムの振る舞いと定義する.次に,分岐はパラメータ変化によるシステムの解の質的変化である.また,不安定周期解は,カオスアトラクタに埋め込まれており,カオスダイナミクスの重要な特徴量としてのフラクタル次元,リアプノフ指数,位相的エントロピーなどを求めるのに利用できる.さらに,実験データから周期解を検出することは,そのデータの背後に決定論性を主張する手立てとなる.

 まず前提として,対象とするシステムは,最もシンプルな非線形システムである1次元単峰写像とする.ここで,システムを表す数式などは必要としない.基本的手法としては,ある初期値を考え,そこから始まる一定長の時系列の最大値とその最大値までのステップ数を扱う.実際は,変数とパラメータに関して,分岐構造をみる領域において,適当な数の初期値とパラメータ値を与え,各々に関して最大値とそのステップを計算する.図4(a)に最大値までのステップ数を初期値とパラメータに関して計算し,色分けして描いた図(BB-mapと呼ぶ)を示す.色分けした領域間に特徴的な構造が見て取れる.ここで,この領域間の境界は,周期解の逆像になっている.従って,この境界線が交差する点などが,分岐点に対応することが分かる.さらに,このようなBB-mapをある一定のパラメータ値に関して初期値軸と平行な方向に切断し,初期値とその最大値に関して描いた図が図4(b)青曲線である.ここで,青曲線の集合の境界で尖点となっている部分が周期解の逆像である.赤い点の集合は,各初期値に関して,青曲線を尖点に向かって下っていくアルゴリズムにより求めた周期解である.特に,切ったパラメータ値がカオス解に対応するとき周期点は不安定となっている.また,図4(b)中に現れている尖点は,6周期以下の存在しうるすべての周期解を網羅的に尽くしていることが分かった.

5.おわりに

 本論文では,カオス制御の新しい手法を提案した.この手法は従来のカオス制御法の持つ主要な問題点を低次元系に関して解消していることがわかった.また,提案した制御法に関連する解析方法を用いて,低次元非線形システムの分岐構造の新しい視覚化法と周期解の検出法を提案した.

図1:(a)exponential mapにおけるCFパラメータに関する分岐図.(b)10,000通りの初期値に関してFA法を適用した結果得られたパラメータの集合とそれらの値に対するリアプノフ指数.

図3:周期解の追跡過程((a),(d)の白丸と黒丸)とそれにより得られた元のアトラクタに埋め込まれた周期解(b,c,e,f.).

図4:(a)ロジスティック写像に関して6ステップ分の時系列で最大値を決定したときに得られる.(b)a=4に関してT=7で描いたBBmapを初期値軸方向に切断した図(青曲線).赤い点の集合は,曲線の傾斜を利用して得られた尖点の集合.

審査要旨 要旨を表示する

 カオス的不規則振動を,初期値鋭敏依存性などのカオスの諸性質を有効に利用し,非常に小さな摂動のみで規則的な周期振動へと制御するカオス制御は,カオスの持つ豊富なダイナミクスを効率的に利用するための1つの基本概念である.このような概念の下,カオス制御は,工学的な応用も踏まえて発展している.

 一般にカオス制御は,カオスアトラクタに埋め込まれた無数の不安定周期解のうちの1つを目標とし,その安定化により実現される.カオス制御の代表的な手法としては,システムパラメータに時間依存の微小摂動を与え,制御目標となる周期解の安定多様体に軌道をのせる方法(Ott-Grebogi-Yorke(OGY)法)と,時間遅れによる値の差分を利用する方法(Delayed Feedback Control(DFC)法)がある.さらに,元のダイナミクスに新しいパラメータを付与し,元のダイナミクスとは独立に新しいダイナミクスを創り出し,そのダイナミクスにおける周期軌道を安定化する制御法(Constant Feedback(CF)法)も有効な制御法として提案されている.この手法の利点は,制御対象となるシステムの詳細な情報をまったく必要としないことや,またその単純さによる様々な系への適用可能性である.本論文では,CF法の拡張手法を扱っている.

 本論文は,「低次元非線形システムにおけるフィードバック調節型制御に関する研究」と題し,6章より成る.

 第1章「序論」では,カオス研究の歴史からカオス制御の起源に関する説明と本論の構成をまとめている.

 第2章「非線形力学系におけるカオス制御」では,議論を進めるにあたって必要な,非線形力学系の定義や概念を導入している.ここでは,カオスなどについての定義を詳しく説明している.同時に,本論文のテーマとなるカオス制御の代表的手法を2例紹介し,その実験系への適用例や工学的応用可能性などについて議論している.

 第3章「フィードバック調節法によるカオス軌道の安定化」では,本論文で主眼となるフィードバック調節法について説明し,いくつかの1次元の離散時間力学系に適用することで,その有効性を数値的に示している.フィードバック調節法とは,CF法で導入された新しいパラメータに関して,一定長の時系列における最大値を利用してパラメータ値を調節する方法である.この調節法を繰り返すことで,カオス領域における安定周期解の窓へパラメータを収束させることができる.ここでは,数値実験による高い収束率により,その収束性を検証している.

 第4章「低次元カオスにおける周期解の自動的制御と追跡」では,第3章で提案したフィードバック調節法を,制御目標となる周期解の周期をあらかじめ決定できるように改良している.具体的には,最大値をとる過程において,最大値とその次に大きい値が観測される時間の時間差が,所望の周期長だけはなれているときのみ調節を実行するという方法である.さらに,調節したパラメータを0にする方向にパラメータ値を変化させることで,得られた周期解をもとにして,元のシステムに内在している同じ周期をもつ周期解を検出する方法を提案している.これにより,従来のカオス制御と同種の結果が得られる.これらの改良手法を,1次元離散時間力学系のみならず,ポアンカレ切断面を利用することにより,2種類の散逸的な3次元連続時間力学系へ適用している.さらに,手法のロバスト性を示すため,ノイズが存在する場合においても数値実験を行い,制御可能であることを示している.ここで,提案手法は,先に挙げた従来のカオス制御法のもつ問題点を克服している.つまり,提案手法は,低次元システムに関して,OGY法における安定多様体の計算コストの問題を解消しているため,実時間システムへのより高い適用性が示唆される.また,DFC法やCF法にも伴う主要なパラメータの設定を,自動的に行っているという利点を持つ.

 第5章「過渡過程による低次元システムの不安定周期解の検出」では,第3章,第4章の発展として,周期解を介した非線形システムの解析を行っている.具体的には,変数,パラメータの初期条件に関して,その変数の初期値から始まる一定長の時系列を観測する.そして,時系列の最大値までの時間ステップ数を記録する.この操作を初期条件を考慮する領域内で変化させて繰り返し,初期条件と最大値を対応付けて1つの参照図を作成する.この参照図には,対象となるシステムの分岐構造を見出すことができる.また,その参照図を応用して,観測した時系列の長さ以下の周期を持つ不安定周期解を網羅的に検出することが可能である.ここで,第3章,第4章において得られた周期解が,システムダイナミクスに内在する1つの制御対象であったのに対して,この章での周期解は,網羅的に検出されることにより,システム全体を理解するためのシステムダイナミクスの構成要素として捉えられている.そして,不安定周期解を検出することは,フラクタル次元などのシステムを特徴付ける量を計算することや決定論性の判別に利用することができる.

 第6章「結論」では以上の結果に対する,まとめと議論を行っている.

 以上を要するに,本論文は従来のカオス制御法にみられる問題点を克服する新しい手法を提案し,またその発展として,分岐構造の視覚化や不安定周期解の網羅的検出により,非線形システムの新しい解析手法を提案したものである.これは数理情報学上貢献するところが大きい.

 よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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