学位論文要旨



No 122950
著者(漢字) 西澤,大輔
著者(英字)
著者(カナ) ニシザワ,ダイスケ
標題(和) 薬物感受性個人差に対するオピオイド関連遺伝子多型の寄与
標題(洋) The contribution of opioid-related gene polymorphisms to the individual differences in sensitivity to drugs
報告番号 122950
報告番号 甲29950
学位授与日 2007.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5084号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 石田,貴文
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 植田,信太郎
 東京大学 講師 井原,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

喜怒哀楽といった情動はヒトの精神機能の中で極めて重要なものの一つである。人類は太古の昔から自然界に様々な精神活性物質を見出し、その精神活性作用を儀式用の意識変容物質、医薬品、嗜好品などとして利用してきた。特に、モルヒネ、コカイン、アルコールなどの快情動を生み出す精神活性物質に関しては、麻薬としてのみならず、鎮痛やストレス解消などの目的で今日の医療現場や日常生活においても広く利用されている。オピオイド系鎮痛薬に代表されるオピオイド物質は、鎮痛効果を持つと同時にその報酬・依存作用により依存症の原因となり得る。また、このような薬物感受性には大きな個人差があることが知られているが、そのメカニズムはまだ明らかになっていない部分が多い。そこで本研究においては、オピオイド関連遺伝子の多型がこのような作用の個人差に与える影響に関して解析した。

【ミューオピオイド受容体遺伝子A118G多型とアルコール依存症との関連】

オピオイド受容体のサブタイプの一種であるミューオピオイド受容体の遺伝子(OPRM1)の翻訳領域におけるA118G多型は、AsnからAspへのアミノ酸置換を伴い、リガンド結合能を増加させることが報告されている。Oprm1欠損マウスではエタノール報酬効果が減弱していることから、OPRM多型がアルコール依存脆弱性と関連する可能性が考えられる。そこで本研究においては、A118G多型の遺伝子型頻度を、日本の一地域におけるアルコール依存症の患者と同地域の健常者の間で比較し、この多型がアルコール依存脆弱性と関連するか否かを調べた。その結果、この多型に関しては、アルコール依存症患者では健常者に比べてA/Aの遺伝子型に対してGアリル保有者の割合が有意に高かった(表1)。このことから、OPRMのA118G多型におけるGアリルはアルコール依存症と有意に関連し、このアリルはアルコール依存の危険因子の一つであることが推測された。

【GIRKチャネル遺伝子多型が鎮痛薬感受性・依存症脆弱性個人差に与える影響】

オピオイドの鎮痛・報酬・依存作用発現においては、受容体の下流にあるエフェクターの一種、G蛋白質活性型内向き整流性カリウムチャネル(GIRKチャネル)がその鍵となる重要な分子であることが、近年の研究により明らかになった。しかし、GIRKチャネルに関しては、国内外を問わず、鎮痛作用や報酬・依存作用の個人差との関連を示す多型の報告は無い。そこで本研究においては、GIRKチャネル遺伝子の多型を網羅的に探索し、選出した多型に関して表現型となる鎮痛薬感受性・依存症脆弱性との相関を調べる一方、その多型の効果を調べるためのin vitroの解析を行った。

1)検体収集

本研究における遺伝子多型解析のために収集した検体は、主に下記の3種類である。

(i)外科手術後の疼痛に対してオピオイド系鎮痛薬を投与された患者

(ii)アルコール・覚醒剤(メタンフェタミン)などの依存症患者

(iii)健常者(収集時圧刺激・冷水刺激テストを実施し、各個人の痛みの感受性の閾値を測定)

2)連鎖不平衡解析及び解析多型の選定

これまでのところ、ヒトではGIRK1~GIRK4の4サブユニットが同定されているが、

このうちGIRK1~GIRK3の遺伝子領域に関する多型の網羅的探索により、GIRK1に6SNPs、GIRK2に9SNPs、GIRK3に10SNPsが同定された。GIRK1のプロモーター領域及びExon1の3SNPsの間に、GIRK2のプロモーター領域の3SNPsの間に(図1)、またGIRK3のプロモーター領域及びExonlの各2SNPsずつの間に連鎖不平衡ブロックが同定された。GIRK1において同定された6SNPsはいずれもアリル頻度が0.10以上のコモンなSNPsではなかったので対象から外し、GIRK2におけるマイナーアリル頻度が0.385及び0.344の、各G-1250A(連鎖不平衡ブロックのTagSNP)及びAlO32Gの2SNPsに加え、GIRK3における非同義多型のCl339Tを解析対象多型として選定した。これらに関してPCR-RFLP法などにより各検体を用いて遺伝子型を決定した。

3)関連解析

(iii)の健常者に関して、痛みの感受性の閾値と多型との相関を調べたが、統計学的に有意な関連は見られなかった。このことから、GIRKチャネル遺伝子多型が、内因性オピオイド機能個人差に伴って変化すると考えられる痛み感受性個人差に与える影響は無いと考えられた。

しかし、(i)の患者における術後の鎮痛薬投与必要回数との関連を解析したところ、鎮痛薬投与必要回数に関しては、図2に示すように、GIRK2A1032G多型についてGアリルを保有する患者群は、保有しない患者群と比較して、投与必要回数が有意に少なかった。この結果より、GIRK2AlO32G多型は外因性オピオイド物質に対する応答の個人差に寄与すると考えられ、この多型におけるGアリル保有者ではGIRKチャネルの鎮痛作用が亢進している可能性が示唆された。

さらに、(ii)の覚醒剤(メタンフェタミン)依存症の患者と(血)の健常者の間で遺伝子型頻度及びアリル頻度を比較したところ、表2に示すように、覚醒剤依存症患者ではGIRK3Cl339T多型のTアリル頻度が有意に高いことが示された。この結果より、このアリルは覚醒剤依存の危険因子の一つであることが推測され、この多型におけるTアリル保有者ではGIRKチャネルの報酬作用が亢進している可能性が示唆された。

4)in vitro解析

アフリカツメガエル卵母細胞実験系を用い、非同義置換であるGIRK3C1339T多型のチャネル活性に与える効果を調べた。GIRK3はGIRK1とヘテロメリックチャネルを形成するので、これらを卵母細胞上に共発現させ、GIRKチャネルのアゴニストであるエタノール(EtOH)の活性化効果を試した。その結果、1339T型のチャネルは1339C型のチャネルに比べ高い活性化効果を示し(図3)、1339T型は高活性型GIRKチャネルであると考えられた。

【まとめ】

本研究により、ミューオピオイド受容体遺伝子OPRM1のA118G多型におけるGアリルはアルコール依存の危険因子の一つとなり得ることが示された。また、GIRKチャネル遺伝子多型GIRK2A1032Gが、外科手術時の鎮痛薬投与必要回数と関連することがわかった。さらに、GIRK3C1339T多型のTアリルは覚醒剤依存症患者に高頻度で認められた。アフリカツメガエル卵母細胞実験系を用いたin vitroの解析においても1339C型のチャネルに比べ1339T型チャネルはアゴニストに対して高い応答を示したので、これは高活1生型GIRKチャネルであると考えられた。

このように、本研究において、薬物感受性個人差に寄与すると考えられる複数のオピオイド関連遺伝子多型を同定することができた。本研究においては日本人集団のみで関連研究を行ったが、今後は他集団・他民族を含めた詳細な解析を行うことにより、人類集団間での遺伝的変異や薬物感受性の差異、また環境との相互作用などに関して新たな知見が得られるものと期待される。

表1OPRM1A118G多型とアルコール依存症との関連

括弧内は百分率を表す。(*)は(p<0.05)を示す。

図1GIRK2における連鎖不平衡解析及び解析多型の選出

紫矢印は本研究において多型スクリーニングを行った領域、数字は同定された多型のposition、赤数字は解析対象に選定した多型、をそれぞれ示す。

図2GIRK2 A1032G 多型と鎮痛薬必要回数との関連

(*)は(p<0.05)を示す。

表2GIRK多型と覚醒剤依存症との関連

(*)は(p<0.05)を示す。

図3GORK3C1339T多型によるチャネル活性の変化

EtOhのGIRK1/3に対する濃度-反応関係。(*)は(p<0.05)を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の主文は4部から構成されている。第1部で研究全体の背景の説明と位置づけがなされ、第2、3部に研究成果が提示され、第4部が全体のまとめに充当されている。

第1部では、ヒトの情動にかかわるオピオイド物質に関し、オピオイド物質の作用と受容体について、特に、本研究に直接かかわるGIRK遺伝子群についてこれまでになされてきた研究を中心に本研究の背景が紹介されている。

第2部では、マウスにおいて、エタノール報酬効果との関連が知られているオピオイド受容体のサブタイプの一種であるミューオピオイド受容体の遺伝子(OPRM1)について、AsnからAspへのアミノ酸置換を伴うA118G多型とアルコール依存脆弱性との関連を調べている。日本人のアルコール依存症の患者と健常者との間でA118G多型を比較し、この多型がアルコール依存脆弱性と関連するか否かを調べた。その結果、この多型に関しては、アルコール依存症患者では健常者に比べてA/Aの遺伝子型に対してG対立遺伝子保有者の割合が有意に高いことを示し、この対立遺伝子はアルコール依存のリスクファクターの1つであることを示唆した。この結果は国際誌に掲載され、アルコール代謝酵素遺伝子多型以外の新たな遺伝的リスクとして評価された。

第3部は5つの章からなるが、オピオイドの鎮痛・報酬・依存作用発現において、重要な分子であることが明らかになってきたG蛋白質活性型内向き整流性カリウムチャネル(GIRKチャネル)について、遺伝子多型と痛み感受性、鎮痛薬感受性・依存症脆弱性との関連を、疫学調査・in vitro実験から調べている。

まず第1章で、ヒトのGIRK1~GIRK3遺伝子を対象とし、網羅的多型検索をおこない、GIRK1に6SNPs、GIRK2に9SNPs、GIRK3に10SNPsを同定し、そのなかからGIRK2のG-1250A(連鎖不平衡ブロックのTagSNP)及びA1032G、GIRK3のC1339Tを解析対象多型として選定した。これらに関してPCR-RFLP法などにより各サンプルを用いて遺伝子型を決定した。

第2章では、健常者を対象として、痛み感受性の閾値とGIRK多型との相関を調べたが、統計学的に有意な関連は見られなかつた。このことから、GIRKチャネル遺伝子多型が痛み感受性個人差に与える影響は無いものと考えられた。

第3章で、術後の鎮痛薬投与必要回数とGIRK多型の関連を解析したところ、鎮痛薬投与必要回数に関しては、GIRK2A1032G多型のG対立遺伝子保有患者群は、投与必要回数が有意に少なく、GIRK2A1032G多型におけるG対立遺伝子保有者ではGIRKチャネルの鎮痛作用が亢進し、この多型を判定することで手術時の鎮痛薬投与必要回数を容易に予測しうることを示した。

第4章では、覚醒剤(メタンフェタミン)依存症の患者と健常者間で遺伝子型頻度及び対立遺伝子頻度を比較し、覚醒剤依存症患者ではGIRK3C1339T多型のT対立遺伝子頻度が有意に高いことを示した。この結果より、この対立遺伝子は覚醒剤依存のリスクファクターの一つであることが推測され、この多型におけるT対立遺伝子保有者ではGIRKチャネルの報酬作用が亢進している可能性が示唆された。

第5章では、GIRK3C1339T多型のチャネル浩性に与える効果を調べるため、アフリカツメガエルの卵母細胞上に、GIRK1と変異型GIRK3を共発現させ、GIRKチャネルのアゴニストであるエタノールの活性化効果を検討し、1339T型のチャネルは1339C型のチャネルに比べ高い活性化効果があることを示した。この結果は、ヒトGIRKチャネル変異型の機能変化をinvitroの系で初めて明らかにし、今後の研究の動向をリードする成果として高く評価された。

このように、本研究において、薬物感受性個人差に寄与すると考えられる複数のオピオイド関連遺伝子多型を同定することができ、今後は日本人集団のみならず、他集団・他民族を含めた詳細な解析を行うことにより、人類集団間での遺伝的変異や薬物感受性の差異、また環境との相互作用などに関して新たな知見が得られるものと期待される。

本論文は石田貴文他、計10名との共同研究に基づいている。石田は指導教員として、その他の共同研究者はグループ実験・解析の面から共著者として参画している。本論文の実験・解析は論文提出者が終始主体となっておこない、その論文への寄与は十分と判断される。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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