学位論文要旨



No 122968
著者(漢字) 向井,真木子
著者(英字)
著者(カナ) ムカイ,マキコ
標題(和) 人為起源気候変動要因が東アジア域の放射場と雲場に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) A study of anthropogenic impacts on the radiation budget and the cloud field in East Asia
報告番号 122968
報告番号 甲22968
学位授与日 2007.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5089号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 植松,光夫
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 准教授 竹川,暢之
 東京大学 准教授 今須,良一
 東京大学 教授 高橋,正明
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、近年の急速な経済成長によって燃料消費量が増加している東アジア(特に中国)において、燃料消費により増加した大気中の汚染物質(エアロゾル)が放射場や雲場へ与える影響の感度調査を目的としている。研究は次の手順で進める。i)観測された長期データをもとに、中国域におけるエアロゾル量や日射量の地域特性・経年変化・季節変化を解析し、中国域での目射量変化の場所や季節による違いを明らかにする。ii)数値モデルを用いた感度実験を行い、日射量の変化に影響を及ぼす各要因の感度を調べる。同時に数値モデルから導出されるエアロゾル増加と雲量の関係や、人為起源汚染物質が放射収支を変化させることによって引き起こされる気象場の変化についても言及する。iii)観測、並びに数値モデル解析結果を比較照合することで、東中国域でのエアロゾル増加と日射量や雲量の変化傾向の関係を明らかにする。

日射量データとして中国気象局提供の全天日射量や直達日射量など地上観測日射量データを使用する。気象業務支援センターが提供している目照時間、気温、水蒸気量、雲量など地上観測データ、ISCCP(International Satellite Clouds Climatology Projects)の雲量データや、Terra衛星に搭載されているMODISセンサーデータのエアロゾル光学的厚さ、アメリカ国立気候データセンター(NCDC)が収集しているデータ集(NOAA Daily Global Summary of Day)の日平均視程なども解析に活用した。

使用した数値モデルは全球三次元エアロゾル輸送・放射モデルSPRINTARSで、東京大学気候システム研究センター、国立環境研究所、地球フロンティア研究システムが開発を行っている大気大循環モデル(AGCM)[K-l Model Developers,2004]を基盤としており、扱うエアロゾルは硫酸エアロゾル、炭素性(無機炭素、黒色炭素)エアロゾル、土壌エアロゾル、海塩エアロゾルの4種類である。モデルではこのようなエアロゾルの発生、移流、拡散、湿生沈着、乾性沈着、重力落下の過程を計算している。また,エアロゾル直接効果(エアロゾルによる太陽・赤外放射の散乱・吸収)およびエアロゾル間接効果(エアロゾルによる雲粒生成機能)も計算に含まれている。本研究でのモデル分解能は、水平方向T42(約2.8×2.8)、鉛直方向20層である。

長期日射量データの解析から、中国域におけるエアロゾル量の増加傾向や日射量の減少傾向を確認した。Table1は中国の一級日射観測局における日射量の経年変化である。年平均の直達日射量、全天日射量ともに1961年から2000年の間、ほぼ全ての観測局で減少傾向を示していることがわかる。日射量の減少が最も顕著なのは長江中流域にある武漢(Wuhan)である。1961年から2000年の40年間の前半(1961-1980)と後半(1981-2000)それぞれ20年間の平均の差をみると年平均の直達日射量で約35W/m2、全天日射量で約25W/m2の減少がみられる。また、日射量の減少が中国西部に比べ東部域の都市で顕著であることがわかる。さらに、日射量変化の大きさは季節によって異なり、中国北部ではエアロゾル増加の顕著な夏に日射量減少も大きいなど、エアロゾルの季節変化が日射量変化の季節変化に寄与していることが示唆された。

次に、エアロゾルの直接効果・間接効果・これらの効果によって放射収支が変化する事に伴う循環場の変化を調べるために、海洋混合層を結合させたエアロゾルモデルによる感度実験を行った。人為起源の気候影響を調べるために、燃料燃焼起源エアロゾル増加だけではなく温室効果気体濃度の増加による効果についても調べた。Figure 1 は、現在(2000年)と産業革命以前(1850年)のエアロゾル排出量データを用いた数値実験から求めた中国の地域ごとのエアロゾル光学的厚さである。現在のエアロゾル光学的厚さが大きい値を取る地域は、東中国域の南部(S)、東部(E)、北部(N)域となった。これに対して、産業革命以前の実験では、現在のデータを用いた場合には0.65という大きなエアロゾル光学的厚さ値を示した東部域でも、0.12という低い値となった。この数値は、現在データから得られる実験値の5分の1弱にすぎない。これら2ケースの実験結果は、燃料燃焼起源の硫酸エアロゾル、炭素性エアロゾルが産業革命以降の増加している事を明確に示唆している。この増加傾向は、特に東中国域で顕著である。

数値モデルシミュレーションの解析結果と観測データ解析結果をもとに、エアロゾルと日射量、雲場の変化について考察する。

(1)エアロゾル増加と日射量変化

燃料燃焼起源エアロゾル増加の顕著な東中国域では観測データが示す日射量の大きな減少が数値モデルにおいても再現され、エアロゾルの直接効果が強く寄与していることがわかった。また、エアロゾル光学的厚さ増加の大きい季節に直接効果が大きくなるという特徴がみられた。このように、日射量の地域や季節による変化にエアロゾルが強く影響している。故に、観測データにみられるような中国における日射量減少の主要因はエアロゾル増加だと考えられる。

(2)エアロゾル増加と雲場変化

数値モデルシミュレーションではエアロゾル増加に伴って雲の光学的厚さにも増加がみられた。また雲量は間接効果などで低層雲量を中心に雲量増加がみられた。一方、中国南部の夏には、エアロゾル増加による冷却効果が原因と考えられる雲量の減少がみられた。

(3)エアロゾルの直接効果、間接効果

エアロゾルの直接効果はエアロゾル量増加に比例する傾向が数値モデル結果にみられた。これに対して、エアロゾル間接効果は地域や季節によって、その大きさが異なる。従来の第一種、第二種間接効果で予測されるよりも大きな間接効果がみられる場合もあった。これは、本実験では海洋混合層を結合させていることで、エアロゾル増加の影響が海面水温変化や循環場変化に及んだためだと考えられる。

(4)エアロゾル増加と温室効果気体増加

雲量変化を介して温室効果気体は日射量に影響する。雲量変化はエアロゾル増加時と温室効果気体増加時では異なる変化をみせ、温室効果気体増加時には大部分の中国域で雲量に減少がみられた。しかし、日射量変化に与える影響は温室効果気体増加と比べ、エアロゾル増加による影響のほうが大きい傾向がみられた。数値モデル解析から、中国東部ではエアロゾル増加を主要因とする日射量減少と温室効果気体増加を主要因とする雲量減少が同時にみられるという結果が得られた。これから、観測されている日射量、雲量の減少は、このような異なる人為起源要因によって引き起こされている可能性が示唆される。

本研究において、エアロゾル変化が放射収支の変化を通して雲量や降水量変化にまで影響を及ぼすことがわかった。エアロゾルの影響を調べる際には、エアロゾルの種類や分布、モデルにおけるエアロゾルの取り扱い方などが重要となる。それ故、高精度のエアロゾル排出量データや高い精度の数値モデルの開発が期待される。

Table1 Long-term trends, with respect to annual mean values of the observed direct and global radiation. The item 'linear trend' represents the linear trend per year [W/m2/yr], and the bold digits indicate the cases of significant level with P<0.01, and 'change' denotes the difference [W/m2] between the averaged value during 1981 to 2000 and that during 1961 to 1980.

Figure 1 Simulated annual mean aerosol optical thickness at 0.55 g m at eight regions in China for the experiment using anthropogenic aerosol emission data in the pre-industrial (left circles) and the experiment using anthropogenic aerosol emission data in the present day (right circles).

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、人間活動によって増加する人為起原大気物質である温室効果ガスと大気汚染エアロゾルが引き起こす放射強制力と雲量・降雨量変化を、観測データと数値大循環モデルを使って評価することである。特に、急速な経済成長によって人為起原物質の排出が増加している東アジア(特に中国)について詳細な調査を行う。この領域では長期的な雲量減少が起っている一方、日射量や日照時間が減少すると言う一見、矛盾した現象が起っており、これらの現象の理解のためには、気候変動の駆動力となる人為起原物質が作り出す放射強制力の評価が重要な研究課題である。

このような研究には、エアロゾルの影響を組み込んだ大気海洋結合モデルが必要であるが、本研究では気候システム研究センターの大気大循環モデルとエアロゾル輸送放射モデルを結合した気候モデルシステムが利用されている。結合すべき海洋については、膨大な計算時間を節約するために簡略化した海洋混合層を仮定した。ただし、この海洋混合層モデルが現実気候を再現するように大気海洋間でエネルギーフラックス調整スキームを取り入れた。本研究の特徴のもうひとつは、モデル計算結果と比較するために、様々な長期観測データを収集・利用したことである。そのために本研究では、さまざまな観測データをモデル場から計算するスキームも整備した。利用したデータは、中国気象局提供の長期日射量データ(1957年以降)、各国気象機関からの日照時間データと目視雲量データ(1982年以降)、ISCCP衛星雲量データ(1983年以降)、MODIS衛星によるエアロゾルの光学的厚さデータ(2000年以降)である。

第1章と第2章では、長期データの解析から、中国域での日射量の長期減少傾向を確認した。さらに、このような日射量の減少がエアロゾルの発生の多い東中国域の都市や夏季に大きいことを定量的に確認した。

第3章では、人為起原の温室効果ガスとエアロゾルのそれぞれ、あるいは両方について、産業革命前と現在における値を与えた平衡感度実験を気候モデルで行うことによって、これらの人為起原物質が引き起こす直接効果と間接効果を調べた。その結果、燃料燃焼起源エアロゾル増加の顕著な東中国域では観測データが示す日射量減少が再現され、エアロゾルが直接、太陽放射を散乱・吸収して地表面日射量が減少する直接効果が大きいことがわかった。雲量変化の効果は小さい。

一方、人為起原物質が間接的に雲場を変化させる間接効果には様々なものがあり、その大きさの評価は難しい。良く知られているものとして、エアロゾルは雲核となって雲場を間接的に変化させる第一種、第二種間接効果がある。しかし、モデル結果を詳細に解析した結果、主に低層雲に働く第一種、第二種間接効果だけでは説明できない大きな間接効果がみられることを本研究で新たに見いだすことができた。さらに、人為起原物質の有無による放射収支と海面温度の変化を詳細に解析した結果、このような新たな間接効果は、エアロゾルの直接効果が引き起こす海面水温変化や大気安定度の変化が間接的な大気大循環を生み出した結果、起ることが明らかになった。ここで重要な点は、このような間接循環は半球規模で起っており、東アジア域の大気汚染エアロゾルの影響は熱帯太平洋にまで及ぶことである。海面温度を固定した数値実験では、このような間接効果は生まれない。温室効果ガスが引き起こす温暖化による海面水温の上昇は、このエアロゾルの新しい間接効果と異なる雲量変化を引き起こす。その両者が気候システムに加わると、エアロゾル増加で低層の雲量増加が、温室効果気体増加で中上層の雲量減少が起るために、東アジア域の雲量変化は非常に複雑であることがモデル実験から示唆された。

第4章では、このようなモデルシミュレーションによって得られた雲量変化を観測データが示す日射量と雲量の経年変化と比較した。その結果、日射量の長年変化の地域依存性と季節変化が、主にエアロゾルの直接効果によって説明できることがわかった。また、中国東部および北部における全雲量減少が観測の方がモデル結果よりも大きいものの、モデル再現実験の傾向と整合的であることがわかった。モデル結果は、このような全雲量の減少は、温室効果ガスによる温暖化の効果がエアロゾルの間接効果による雲量増加を上回って起ると説明される。

結論として、中国域ではエアロゾル増加を主要因とする日射量減少と、温室効果気体増加を主要因とする雲量減少が同時に起こることが確認された。それに伴って、特に夏季の降水量も長期的に変化することも示唆された。'このような新しい知見は、地球温暖化現象と全球規模の大気汚染が引き起こす気候変化を理解する上で重要な知見であり、博士論文に値すると考えられる。よって、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク