学位論文要旨



No 123104
著者(漢字) 宇津野,充弥
著者(英字)
著者(カナ) ウツノ,ミツヤ
標題(和) アントラキノン共役テルピリジン配位子による遷移金属錯体の集積化と光化学的・レドックス挙動
標題(洋) Assembly of Transition Metal Complexes by Anthraquinone-Conjugated Terpyridine Ligands and Their Photochemical/Redox Behaviors
報告番号 123104
報告番号 甲23104
学位授与日 2007.11.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5095号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 准教授 近藤,寛
 東京大学 准教授 狩野,直和
内容要旨 要旨を表示する

【序】金属錯体は電気的・光学的及び磁気的に多様な物性と、金属と有機分子との配位結合に起因する多様な構造をとることが可能である。近年、複数の遷移金属錯体を規則的に配列・集積化させる集積型金属錯体の研究が数多く行われており、数々の特異的な構造及び物性が発現した例が報告されている。本研究では、三重項増感剤という光学的特性及び電子アクセプター性、プロトンと連動したレドックス特性を持つアントラキノンと共役させた遷移金属多核錯体を合成し、錯体ユニット間の電子的相互作用に基づく光・電気化学的性質を解明する事を目的とした。

【対面構造を持つ白金複核錯体の発光挙動と白金(II)イオン間の相互作用】

平面四配位構造を持つ白金(II)錯体は、中心金属である白金イオンのdz2の相互作用によって、種々の一次元鎖状構造体を形成する事が知られている。また発光材料としての特性についても知られており、特に白金-ポリピリジン系の錯体については、単独の錯体由来である3LC、3MLCT(Metal-to-Ligand Charge Transfer)による発光だけでなく、先述の白金イオンの相互作用によってダイマーを形成し、3MMLCT(Metal-Metal-to-Ligand Charge Transfer)と呼ばれる励起状態からの発光を示す事が報告されている。しかし、ダイマー構造と3MMLCT発光との相関についての詳細な研究は少ない。そこで、アントラキノンの1,8位に白金テルピリジン錯体ユニットを連結した新規複核錯体(Figure)を合成した。アントラキノンと錯体ユニットの結合様式を変えることによって、分子内相互作用に関する検討を行った。錯体AQ-eth-Pt2はアセトニトリル溶液中において、420nmにMLCT由来の強い吸収を示すほかに、520nm付近に弱い吸収が観測された。錯体のDFT計算の結果、白金中心間の距離が11Åと見積もられ(Figure2)、過去に報告された白金錯体との比較により、この吸収は3MLCTに由来するものと帰属された。一方AQ-amide-Pt2はMMLCT由来の吸収帯は観測されなかったが、室温における発光スペクトルの測定の結果、700nm以上の長波長域における発光、及びこの発光に関して長寿命成分が観測され、MMLCT由来の発光、すなわち励起状態における分子内相互作用の存在が示唆された。以上より、結合様式、及び白金イオン間の距離によって、分子内白金相互作用と、それによる光学的性質を変化させた系を構築する事に成功した。

【アントラキノン共役錯体分子ワイヤーの電子移動特性】

電極基板上に分子を吸着・固定化し、界面と吸着種との電子移動を研究・解析する事は、生体内電子移動反応モデルの解析や、分子デバイスの創製の観点から注目を集めている。基板上への分子の固定法としては、簡便な作製法と高い安定性を特徴とする自己集合単分子膜(Self-Assembled Monolayer,SAM)と呼ばれる方法が現在最も一般的である。当研究室では、金電極表面における遷移金属イオンと有機配位子との段階的錯形成反応を利用したボトムアップ法により、電極表面に垂直方向の、一次元構造を持った遷移金属錯体のオリゴマーを作成・固定化に成功し、その電子移動過程について明らかにしてきた。

本研究では、逐次成長用の架橋配位子として、アントラキノンの1,4位に三重結合を介して金属配位部位であるテルピリジンを置換した配位子tpy-AQ-tpyを新規に合成し、この架橋配位子を用いたボトムアップ法によって錯体ワイヤーを構築した。この錯体ワイヤー内の電子移動において、スペーサーの構造・性質が影響を及ぼすものと考えられるが、これまで電子移動過程におけるスペーサーの寄与についての詳細な議論はされておらず、この架橋配位子を用いた錯体ワイヤーとフェニレン架橋の錯体ワイヤーとの比較を行い、その定量的な評価を試みた。作製した錯体ワイヤーの構造をFigure4に示す。

Figure5に錯体ワイヤーn[FeAQ]のサイクリックボルタモグラムを示す。0.90V(vs.Ag/Ag+)に鉄ビステルピリジン錯体に由来する可逆な酸化還元波が観測され、この酸化還元波が固定種由来である事は掃引速度に対するピーク電流値のプロットから確認された。酸化側の電流値から1層あたりの表面被覆量を見積もったところ、(1.1±0.2)×1010mol/cm2と算出された。2層目以上の膜に関して、ピーク電流値及び表面被覆量が積層数に比例していることから、tpy-AQ-tpyによって一次元構造が定量的に形成されていることが示唆された。またクロノアンペロメトリーの測定の結果、2層目以上のワイヤーについては電流の減少にプラトー領域が観測された(Figure6)。このクロノアンペロメトリーについて、錯体ユニット間の段階的な電子移動のモデルをもとにシミュレーションを行った結果、電極と錯体ユニット、及び錯体ユニット間の電子移動速度定数がそれぞれk1=240±20s-1,k2=(5.2±0.4)×10(12)cm2mol-1s-1と算出され、分子鎖内における電子移動が起こっている事を示唆する結果を得た。この錯体ワイヤーの電子移動能について、当研究室で報告された錯体ワイヤー、n[FePh](k1=220±10s-1,k2=(1.4±0.1)×10(13)cm2mol-1s-1)と比較すると、島の値に大きな相違は無かったが、あに関しては約3分の1程度の値であり、同じ積層数で比較したときにn[FeAQ]の方が、電子移動が遅いことが明らかになった。これは、島に関しては金電極への固定部分の構造が同じなのに対して、ん2ではスペーサーの構造の相違があるためであると考えられ、架橋部位の構造が電子移動速度に反映された事を示唆する結果を得た。

この電子移動にっいてさらに考察を進めるために、電子移動速度の温度依存性について検討を行った。k2のアレニウスプロットにおいて、(Figure7)、直線の勾配はフェニレン架橋に比べてアントラキノン架橋の方が小さく、この勾配から求めたフェニレン架橋ワイヤー、及びアントラキノン架橋ワイヤーの活性化エネルギーはそれぞれΔG(k2)Ph=2.7kJmol-1,ΔG(k2)AQ=0.97kJmol-1と求まり、フェニレン架橋の方が錯体ユニット間に存在する活性化エネルギーが大きい事が明らかになった。鉄錯体間の距離はn[FePh]では15Å、n[FeAQ]においては21Åであり、距離のみを考慮した揚合の逆の傾向を示していた。モデル錯体としてアントラキノン架橋鉄二核錯体Fe(tpy)2-≡-AQ-≡-Fe(tpy)2についてDFT計算を行ったところ、HOMO、LUMOのいずれも鉄中心から架橋部位全体に広く広がっている事が分かった(Figure8)。この広がった軌道の寄与により、電子カップリングが強くなり、活性化エネルギーが低下したものと考えられる。

またフェロセン末端錯体ワイヤー1[FeAQ]-Fc及び1[FePh]-Fcについても同様の考察を行った。同時に過去に報告されたアルキルフェロセンのSAM、C16-Fcとの比較も行った。アレニウスプロットから活性化エネルギーを求めたところ、1[FeAQ]-Fc、1[FePh]-Fc及びC16-Fcにおいてそれぞれ0.87kJmol-1,1.7kJmol-1,19.3kJmol-1と算出された。アルキルフェロセンに比べて錯体ワイヤーにおいては活性化エネルギーが大きく減少し、その結果、室温における電子移動速度定数た3が1000倍ほど大きくなっていたことが分かった。(1[FeAQ]-Fc:k3=350s(-1);1[FePh]-Fc:k3=330s(-1);C16-Fc:k3=0.32s(-1))それぞれの末端フェロセン部位から電極までの距離を考慮すると、錯体ワイヤーでは長距離間における速い電子移動が起こっており、レドックスサイト間を電子が逐次的に移動するSequential Electron Hoppingによる電子移動を示唆する結果を得た。

【まとめ】アントラキノン共役架橋配位子を用いる事で、対面構造を持つ白金複核錯体及び一次元多核錯体を合成した。前者においては結合様式や錯体間の距離を変化させる事でその光学的特性を変化させる系の構築に成功した。後者においては、錯体ユニット間の電子移動過程に関する架橋配位子構造の影響を定量的に評価する事ができた。

Figure 1. Platinum cofacial dinuclear complexes.

Figure 2. The structure of AQ-eth-Pt2 calculated with DFT (B3LYP) method. To all atoms, the LanL2DZ basis set was applied.

Figure 3. Ligands for prepration of molecular complex wires.

Figure 4. Structural images of n[FeAQ], n[FePh], 1 [FeAQ]-Fc, and 1 [FePh]-Fc.

Figure 5. Cyclic voltammo grams of n[FeAQ] (n=1-5) in 1M Bu4NClO4/CH2Cl2 at a scan rate of 0.1 Vs(-1).

Figure 6. Choronoamperometry of n[FeAQJ (n=1-5) in 1 M Bu4NClO4/CH2Cl2, experimental plots (solid line) and simulated plots (dotted line).

Figure 7. Arrenius plots of n[FeAQ] (circle, solid line) and n[FePh] (square, dotted line) for k1, (a) and k2 (b).

Figure 8. DFT calculation of Fe(tpy)2-AQ-Fe(tpy)2,(A)HOMO and(B)LUMO.

Figure 9. Arrenius plots of 1[FeAQ]-Fc(circle,solid line),1[FePh]-Fc (square, dotted line) and Cl6-Fc (triangle, dashed line) for k3.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章と付録からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章はアントラキノン架橋白金(II)テルピリジン複核錯体の合成と光化学特性、第3章は一次元鉄ビス(テルピリジン)錯体ワイヤーの金電極表面への固定化とその電子移動特性、第4章はフェロセン末端錯体ワイヤーの構築と電子移動能、第5章は研究のまとめと展望にっいて述べられている。以下に各章の概要を記す。

第1章では研究の背景を述べている。遷移金属錯体は多様な光・電気及び磁気特性を持っため長年様々な研究が進められてきたが、近年錯体分子を規則的に配列・集積させた系に関心が寄せられており、錯体分子の機能の増幅だけでなく、構造的な特異性による新たな物性の発現も報告されている。このような機能性分子の集積化は、高機能・高密度デバイスの創製の面から有用であると考えられる。そこで本研究では、三重項増感剤やレドックス特性を示す剛直分子であるアントラキノンで架橋した発光性白金錯体ユニット連結系の合成と物性の研究、並びに電極界面におけるアントラキノン架橋錯体分子の一次元状集積化と電子移動特性に関する研究を行った。

第2章では、アントラキノンの1,8位に2つの白金(II)テルピリジン錯体ユニットを連結することで、分子内で白金(II)イオンのdz2軌道が相互作用を起こすように分子設計をし、その光化学的挙動について検討を行った結果について述べている。具体的にはアントラキノンと白金錯体部位との連結部分にアミド結合及びエチニレン結合を用いた3つの錯体を合成し、その吸収スペクトル、発光スペクトル、発光寿命測定及びDFT計算による構造適化を行い、その結果をもとに分子内における白金問相互作用について考察した。その結果、結合部位の構造の剛直性、共役性の相違による分子内相互作用の発現が異なり、構造の柔軟性を有するアミド架橋の複核錯体では励起状態における分子内白金イオンの相互作用が存在し、3MMLCTからの低エネルギー発光を示すことを明らかにした。

第3章においては、電極表面における逐次的な錯形成反応による遷移金属錯体の集積化方法に着目し、アントラキノンの1,4位にエチニレン結合を介してテルピリジンを置換した新規配位子を用いて一次元錯体ワイヤーを構築・固定化し、その電子移動特性について考察した結果を述べている。また、すでに報告されているフェニレン架橋の錯体ワイヤーとの比較によって、架橋部位の構造が電子移動特性に与える影響を解明する研究を行った。電気化学測定及びその結果のシミュレーションによって分子鎖内における鉄錯体部位間の電子移動速度定数を見積もり、また温度変化測定及び熱力学的考察により電子移動反応に伴う活性化パラメータの見積もりを行った。アントラキノン架橋錯体ワイヤーに関して分子軌道のDFT計算を行い、鉄錯体部位から結合部位を介して広く非局在化した軌道の寄与によって、フェニレン架橋に比べて鉄錯体部位間の活性化エネルギーが低下している事を示した。

第4章においては、フェロセン末端錯体ワイヤーの金電極表面への固定化とフェロセン部位から金電極表面への電子移動速度について考察した結果を述べている。また過去に報告例のあるアルキルフェロセンの電子移動速度との比較を行った。電気化学測定及び熱力学的考察の結果、電子移動に伴う活性化エネルギーが錯体ワイヤーではアルキルフェロセンの1/10~1/20程度までに低下し、室温付近の電子移動速度定数では1000倍程度の速度になっている事が明らかになった。この電子移動過程に関し、錯体ワイヤーにおける錯体部位間の逐次的電子ホッピング機構の存在を示した。

第5章では、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。またAppendixとして、プロトン添加による電子移動能の制御の実験結果について記している。

以上、本論文では、アントラキノン架橋による遷移金属錯体の集積化を行い、分子内での錯体部位間の電子的相互作用を発現して発光特性を制御できること、また錯体オリゴマーワイヤーからなる自己集合膜を金電極上に固定化した系において分子鎖内電子移動が架橋構造に強く依存することを見出し、長距離電子移動系を構築できることを記述している。本博士論文において得られた錯体分子の集積化とその物性に関する知見は、機能分子科学の分野を大きく進展させると期待される。なお、本論文第2章は豊智奈、村田昌樹、栗原正人、玉井尚登、西原寛との共同研究、3章、4章は利光史行、村田昌樹、久米晶子、西原寛との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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