学位論文要旨



No 123181
著者(漢字) 金,光植
著者(英字)
著者(カナ) キン,コウショク
標題(和) コエンザイムQ10結合蛋白質の発見とその機能
標題(洋)
報告番号 123181
報告番号 甲23181
学位授与日 2008.03.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6683号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畑中,研一
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 吉江,尚子
 東京工科大学 教授 山本,順寛
内容要旨 要旨を表示する

【緒論】

コエンザイムQ10 は真核細胞のミトコンドリア呼吸鎖の電子伝達因子でエネルギー産生に必要不可欠な成分である.その還元型であるUbiquinolは脂溶性の抗酸化剤として注目されている.日本では1974年に心筋代謝改善薬として使われてきていたが,2001年から食品成分としての利用が認可されている.

コエンザイムQ10はすべての細胞,細胞小器官にユビキタスに存在する.その生合成部位はER,ミトコンドリア内膜での合成が限定されることから,ERやミトコンドリア内膜で生合成されたコエンザイムQ10を他の膜へ輸送するシステムが存在するに違いないが,まだ解明が進んでない.ラットの腹腔に投与された [3H ]CoQ10は血漿,脾臓,肝臓,副腎,心臓,腎臓などほとんどすべての臓器に取り込まれていることが確認されている.また,肝臓の各細胞小器官にも分布され,リソソームで取り込みが一番多く,形質膜,ER,ゴルジ装置,ミトコンドリアなどにも取り込まれていた. コレステロールとα-トコフェロールと同様に血漿中のコエンザイムQ10はLDLレセプターを介した細胞内取り込みが考えられる.しかし,コエンザイムQ10の取り込みと各臓器でのLDLレセプターの分布は必ずしも一致するものではなく,LDLレセプターを介した細胞内取り込みだけでは完全に説明ができず,コエンザイムQ10結合蛋白質の関与が強く示唆されていた.

当研究室では尿中のコエンザイムQ10が蛋白質に結合していることを見出していたが,本論文はそれを発展させたものである.この蛋白質を各種クロマトグラフィーで精製し,同定した結果,コエンザイムQ10の結合蛋白質はサポシンBであることが明らかになった.また,サポシンBを大量精製し,ポリクローナル抗体の作製と結合実験に用いた.作製したポリクローナル抗体を用いて,HepG2 細胞及びヒト精子でもサポシンBがコエンザイムQ10を結合していることを明らかにした.試験管の結合実験によりサポシンBの結合能はコエンザイムQ10 (CoQ10) > コエンザイムQ9 (CoQ9) > コエンザイムQ7 (CoQ7) > α-トコフェロール (α-Toc) の順であり,側鎖が長いほど強く結合することを明らかにした.

【実験と結果】

1)ヒト尿中コエンザイムQ10 結合蛋白質の分離と同定

ヒト尿から遠心分離により細胞成分を除去し,PD-10カラムで脱塩し,セントリカットを用いて濃縮した.バッファー置換後Proteome Lab PF-2D (PF-2D) システム (Beckman Coulter) にロードし,等電点クロマトグラフィーを行った.得られた各分画中のコエンザイムQ10 の濃度をHPLC-ECDで測定 (以後コエンザイムQ10の濃度はHPLC-ECDで測定) した結果,コエンザイムQ10はpH 4.5付近で溶出された蛋白質分画中に含まれていた (Fig. 2).このことから,コエンザイムQ10 結合蛋白質の等電点は4.5であることが分かった.

ヒト尿中コエンザイムQ10 結合蛋白質を,陰イオン交換クロマトグラフィー (DEAE),ゲル濾過クロマトグラフィー (Gel Filtration),疎水性クロマトグラフィー (Octyl FF) を用いて,分離精製した.コエンザイムQ10 結合蛋白質は,分画中に含まれるコエンザイムQ10量を指標として行った.各ステップにおける蛋白質精製純度を15 % SDS-PAGE で確認した ( Fig. 3).最終的に得られた単一蛋白質分画中の蛋白質はエドマン分解法を用いて解析したところ,コエンザイムQ10結合蛋白質はN-末端のアミノ酸配列解析によりサポシンBと同定された (Table 1).

従来のサポシンBの精製法を改良し,Octyl CL-4B,DEAE sepharose,Superdex 200 gel filtrationの順にサポシンBの大量精製を行い,抗体作製と結合実験に供した.

2)サポシンB抗体を用いたヒト尿,精子,HepG2細胞での免疫沈降

サポシンB抗体 (anti sap B IgG) を用いて,ヒト尿を用いた免疫沈降を行った.Fig. 4 に示すようにnormal IgGとサポシンB抗体の免疫共沈物を比較したところ,サポシンB抗体を用いた免疫共沈物にのみ,サポシンBが検出され,コエンザイムQ10もnormal IgGより約30倍多かった.

サポシンBとコエンザイムQ10の結合は尿特異なのか,それともヒト細胞でもコエンザイムQ10を結合しているかを解析する目的で,サポシンB抗体を用いてHepG2細胞 (ヒトへパトーマ培養細胞)及びヒト精子の lysateで免疫沈降を行い,免疫共沈物に含まれているサポシンBの検出とコエンザイムQ10の測定を行った.ヒト精子 (Fig. 5 A) とHepG2細胞 (Fig. 5 B) ともにサポシンBが検出され,免疫共沈物にコエンザイムQ10が有意に高濃度含まれていることが分かった.以上の知見より精子や培養細胞などのヒト細胞中でもサポシンBがコエンザイムQ10を結合していることが確認された.

3) サポシンBと脂質との結合実験

大量精製で得られたサポシンB溶液と,コエンザイムQ10や他の脂質のヘキサン溶液と攪拌後,サポシンB分画へ引き抜かれた脂質量をHPLC-ECDシステムを用いて定量した.

Fig.6 AにコエンザイムQ10の濃度依存性解析結果を示す.サポシンB の濃度は0.5 μMに固定した.ヘキサン層のコエンザイムQ10が10 mMの場合,有意な結合が認められた為,以後は脂質の濃度を10 mMにして結合実験を行った.

HSA (human serum albumin) も同様の実験を行ったが結合能は認められず,コエンザイムQ10の引き抜きはサポシンB蛋白質特異的なものであると考えられた.

サポシンBとコエンザイムQ10の結合能のpH依存性を検討したところ,酸性では弱い結合能しか認められず,pH 6.4から結合能の著しい増加が認められpH 7.4,pH 8.0で強い結合能を示した (Fig. 6 B).

サポシンB (Sap B) とコエンザイムQ10の結合特異性を解析するため,側鎖の異なるコエンザイムQとα-トコフェロールとサポシンBの結合能を調べた.Fig. 6 Cに示すようにコエンザイムQ10,コエンザイムQ9,コエンザイムQ7,α-トコフェロールの順で結合能が弱くなっていた.この結果からサポシンBはコエンザイムQ10と強く結合し,脂質の結合能は側鎖の長さに依存することが示唆された.以上の結果から,サポシンBは中性から弱アルカリ性でコエンザイムQ10を強く結合し,また,コエンザイムQ10に対する結合能が高いことが分かった.

【結語】

サポシンBは1964年に,スルファチド (スフィンゴ糖脂質) を加水分解する際に必要な蛋白として同定された.その後の研究でサポシンBはα-ガラクトシダーゼAによるグロボロトリアオシルセラミドの加水分解,β-ガラクトシダーゼによる GM1ガングリオシドの加水分解などの酵素活性も促進することが報告された.サポシンBは,脂質と水溶性の複合体を形成し,基質 (脂質) が酵素による加水分解を受け易くし,結果的に酵素活性を促進するものと考えられている.サポシンBは試験管の実験でセレブロシド,フォスファチジルコリンなど多種脂質との結合と輸送の可能性も報告されている.

本研究は,サポシンBがヒト尿,精子,HepG2細胞でコエンザイムQ10を結合していることを発見した.また,サポシンBとコエンザイムQ10の結合に特異性があることが試験管内の実験により示された.サポシンBはほぼすべての組織に存在しており,各細胞小器官にもユビキタスに分布していることが報告されている.コエンザイムQ10もユビキタスに存在している.以上の知見より,サポシンBが細胞内でコエンザイムQ10を結合してコエンザイムQ10の細胞内輸送に関与していることが予想される.サポシンBとコエンザイムQ10の更なる研究により,今まで不明だったコエンザイムQ10の吸収,輸送機構の解明に大きく寄与することと思われる.

【発表論文】

1) GuangZhi Jin, Hiroshi Kubo, Horinouchi Ryo, Shinichi Yoshimura, Akio Fujisawa, Misato Kashiba, Yorihiro Yamamoto; Saposin B binds Coenzyme Q10 in human urine, sperm and HepG2 cells, in preparation

2) GuangZhi Jin, Horinouchi Ryo, Misato Kashiba, Yorihiro Yamamoto; Saposin B binds γ-tocopherol more preferentially than α-tocopherol, in preparation

G. Hasegawa, Y. Yamamoto, J.G. Zhi, et al., Acta Diabetol (2005) 42: 179-181

Fig.1 Ubiquinol (reduced form of Coenzyme Q) and Ubiquinone (oxidized form of Coenzyme Q)

Fig.2 Chromatofocusing of urinary protein by Proteome Lab PF-2D

Fig.3 15% SDS-PAGE(silver stain)

1:MW 2:Starting material 3: DEAE FF fraction 4: GF fraction 5:Octyl FF fraction

Table 1 Coenzyme Q10 binding protein amino acid composition

Fig.4 Immunoprecipitation(IP) of Saposin B antibody in human urine

Fig.5 Immunoprecipitation(IP) of Saposin B antibody in human sperm(A) and HepG2 cell(B)

Fig.6 Lipid's binding assay of Saposin B

審査要旨 要旨を表示する

コエンザイムQ10(CoQ10)は、真核細胞ミトコンドリア呼吸鎖の電子伝達因子の一つであり、ATP産生に必要不可欠である。CoQ10は生体脂質のフリーラジカル酸化を抑制する上でも欠かせないため、すべての細胞内外にユビキタスに存在している。CoQ10はミトコンドリア内膜などで生合成されるが、CoQ10の細胞内外への輸送システムについては不明であった。CoQ10は加齢とともに細胞内濃度が減少することが明らかになっており、そのバイオアベイラビリティを向上させることが緊急の課題ともなっている。そこで本論文は、輸送の鍵となるCoQ10の結合タンパク質を明らかにし、その機能を解明することを目的としているが、全7章により構成されている。

第一章は序論であり、CoQ10の生理機能をATP産生と抗酸化の観点からまとめている。さらに、これまでのCoQ10の体内動態及び細胞内動態に関する研究を総括し、CoQ10結合タンパク質の存在を予想している。そして実際に単離・精製されたCoQ10結合蛋白質の重要性と意義について述べている。

第二章では、ヒト尿から陰イオン交換、ゲルろ過、疎水性クロマトグラフィーによりCoQ10結合蛋白質を単離・精製した結果について述べている。精製したCoQ10結合蛋白質は、エドマン分解法によるN-末端のアミノ酸配列解析により、サポシンBと同定している。サポシンBの機能解析のために疎水性、陰イオン交換、ゲルろ過クロマトグラフィーを用いた大量精製法に言及している。

第三章では、細胞内でサポシンBとCoQ10の複合体が存在することを確認するために作成した3種のサポシンB抗体(ペプチド抗体、ポリクロナール抗体、モノクロナール抗体)について述べている。これらの抗体を用いて、ヒト肝がん細胞由来のHepG2細胞とヒト精子においてサポシンB-CoQ10複合体が検出できたことを述べている。さらに、HepG2細胞では細胞分画(核、粗精製ミトコンドリア、サイトゾル)を試みており、いずれの分画においてもサポシンB-CoQ10複合体を検出している。特にサイトゾルで検出されたことはサポシンBがCoQ10の細胞内輸送に関与していることを強く示唆すると述べている。

第四章では、サポシンBとCoQ10、CoQ9、CoQ7、α-トコフェロールとの結合能がこの順に低下することから、結合能が側鎖長に依存すると述べている。サポシンBとCoQ10の結合、解離、再結合を等電点クロマトグラフィーを用いて確認している。サポシンBとCoQ10の結合能にはpH依存性があり、酸性では弱く、中性で強く結合することを述べている。一方、アルブミンはCoQ10を結合することは出来ず、これがサポシンBに特有の性質であることを述べている

第五章では、サポシンB-CoQ10複合体から生体膜へのCoQ10の供与能について述べている。その供与能にはpH依存性があり、酸性で強く、中性で弱くなるが、こうした性質を利用してサポシンBが細胞内でCoQ10を各オルガネラ膜との間で受け渡ししている可能性について述べている。

第六章では、サポシンBとCoQ10、γ-トコフェロール、α-トコフェロールとの結合能について詳細に検討している。そして、サポシンBがCoQ10のみならず、γ-トコフェロールの特異的な結合蛋白質であると述べている。γ-トコフェロールは肝臓細胞リソソームに取り込まれた後、小胞体で代謝されるが、リソソームから小胞体までの輸送蛋白質は明らかにされておらず、サポシンBがその役を担うのではないかと述べている。

第七章では、本論文の総括と展望について述べている。

以上のように、本論文はCoQ10結合蛋白質がサポシンBであることを初めて明らかにし、ヒト細胞内で実際にサポシンBがCoQ10を結合していることも確認した。さらにはCoQ10の結合能や他の生体膜への供与能のpH依存性を明らかにし、細胞内CoQ10輸送の特性を予想した。また、サポシンBがCoQ10のみならずγ-トコフェロールの結合蛋白質であることも明らかにした。以上の成果は懸案となっているCoQ10やγ-トコフェロールのバイオアベイラビリティ向上を図る上での重要な手がかりとなる可能性が大であり、生命工学の発展に大きく寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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