学位論文要旨



No 123321
著者(漢字) 雪本,真治
著者(英字)
著者(カナ) ユキモト,シンジ
標題(和) 吸い込み渦の構造に関する研究 - 底面境界層の重要性
標題(洋) Structure of a Suction Vortex - Importance of the Bottom Boundary Layer
報告番号 123321
報告番号 甲23321
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5202号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐藤,正樹
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 遠藤,昌宏
 東京大学 准教授 伊賀,啓太
 東京大学 教授 新野,宏
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

自然界に見られる竜巻や塵旋風などの強い渦の速度分布は一般にはRankine渦で近似されることが多い。Rankine渦というのは、中心付近の渦核部分は角速度一定の剛体回転、渦核の外側は角運動量一定のポテンシャル渦(渦なしの流れ)からなっている渦のことである(Rankine,1882)。ポテンシャル渦の領域は遠方で与えられた角運動量が保存しながら中心へ向かうことによって生ずると考えられている。しかしながら、最近可能になってきたドップラーレーダーによる実際の竜巻の観測結果などによると、渦核の外側は必ずしもポテンシャル渦になってはいない(Wurman and Gill,2000)。竜巻のように強い渦の速度分布がどのような力学で決まっているかはいまだに十分に解明されていない。本研究では竜巻に似た強い渦の構造を明らかにするため、実験室内で定常な吸い込み渦を作り、詳しく観察することにした。続いて、軸対称の数値モデルを用いて室内実験の結果を再現し、強い渦の渦核の外側の構造と力学を解明することを目指した。

2.室内実験

図1に実験装置の概要を示す。実験には半径20cmの円筒水槽を用い、対称軸を中心に角速度Ωで回転させた。水槽の側壁の上部からスポンジを通して水槽の回転になじませた水を流量Qで流入させ、底面中心にあけた直径2.5cmの穴から流出させることで吸い込み渦を作った。実験は水位を18cmに保って行った。実験の可変パラメータは水槽の回転角速度Ωと循環流量Qである。実験では底面からの高さ10cmの水平面内の流速分布をPIV (Particle Image Velocimetry)で測定し、鉛直面内の流れは染料で可視化することで観察した。

図2に定常状態の角運動量の半径分布を示す。赤線がΩ = 0.1 rad/s、Q = 100 cm3/s、青線がΩ = 0.4 rad/s、Q = 33 cm3/sの場合の結果を表している。回転が遅く流量が多いときには渦核の外側で角運動量一定のポテンシャル渦になっているが、回転が速く流量が少ないときは中心に向かって角運動量が減少する分布になっている。

図3にポテンシャル渦が実現していないときの鉛直面内の流れの様子を示す。側壁上部から流入した染料は内部領域には侵入せず、比較的側壁に近い領域で下降した後に底面境界層を通って中心に向かう様子が見られる。吸い込み穴の付近まで来ると、大部分は穴から直接流出するが、残りは上昇流によって一旦上昇した後に穴から流出することがわかる。

3.数値モデル

用いた数値モデルは円筒座標系で軸対称を仮定し、水面の変形は無視している。変数はr-z面内の流線関数Ψと角運動量Mの2つである。境界条件は中心軸でstress free、上面でfree slipであり、側壁と底面はno slipで角速度Ωの回転を与える。基礎方程式は次の通りである。

∂/∂tD2Ψ=1/r{∂Ψ/∂r*∂D2Ψ/∂z-∂Ψ/∂z*∂D2Ψ/∂r}+2/r2*∂Ψ/∂z*D2Ψ+2M/r2*∂M/∂z+vD4Ψ (1)

∂/∂t*M=1/r{∂Ψ/∂r*∂M/∂z-∂Ψ/∂z*∂M/∂r}+vD2M (2)

式(1)は渦度方程式、式(2)は角運動量に関する式である。式中のD 2はこの座標系でのラプラシアンである。

図4に室内実験にあわせて計算した場合のr -z面内の流線と高さ10cmでの角運動量の半径分布を示す。図4(a),(b)がΩ = 0.1 rad/s、Q = 100 cm3/sのとき、図4(c),(d)がΩ = 0.4 rad/s、Q = 33 cm3/sのときの結果である。図4(b)は図1の赤線で示された結果と同様に渦核の外側で角運動量一定のポテンシャル渦が実現している。図4(d)は図1の青線で示された結果と同様に中心に向かって角運動量が減少する分布になっている。図4(c)の流線は図2に示した鉛直面内の流れの様子をよく再現している。

図4(a)と図4(c)を比べるとポテンシャル渦が実現する場合とそうでない場合では流れの様子が大きく異なることがわかる。図4(a)では底面境界層の上の内部領域にも半径方向の流れが存在し、流入により供給される角運動量が中心付近まで輸送され、渦核の外側全体で角運動量一定の分布が実現している。一方、図4(c)では、ある半径より内側では全ての流れが底面境界層を通るために、内部領域で半径方向の流れが存在しない領域ができる。その結果ある半径までは内部領域で角運動量が輸送され、角運動量一定の分布を示すが、この半径より内側では内部領域で角運動量をそれ以上内側に輸送することができないため、角運動量が減少する分布になる。

4.境界層の流れ

数値モデルの結果からポテンシャル渦が実現するかどうかは境界層の存在と大きく関わることが明らかになった。そこでポテンシャル渦の底面に生じる境界層について調べることにした。境界層を支配する無次元化された軸対称な方程式は以下の通りである。

∂u/∂t+u*∂u/∂r+w*∂u/∂z-v2/r=-1/r3+∂2u/∂z2 (3)

∂/∂t*(rv)+u*∂/∂r(rv)+w*∂/∂z(rv)=∂2/∂z2*(rv) (4)

∂/∂r*(ru)+∂/∂z*(rw)=0 (5)

式(3)の右辺第1項は圧力傾度項であり、ポテンシャル渦の流速分布と旋衡風平衡した圧力分布を代入している。また式(3)右辺第2項および式(4)右辺は粘性項で、境界層方程式であるため鉛直微分のみを考慮している。これらの式を時間積分し、側壁と底面で角速度Ω、内側の境界はopen boundary、上部の境界でポテンシャル渦に接続するような定常解を求めた。図5に半径方向の境界層輸送量の半径分布を示す。緑で示されたものは境界層方程式から得られた結果、赤で示されたものは第3節の数値モデルにおいてポテンシャル渦の底面に生じる境界層での輸送量を無次元化したものである。ただし境界層輸送量F (r)の無次元化は、

F(r)=2πR2√vΩF(r) (6)

のように行った。Rは水槽半径、νは動粘性係数である。図5の結果は数値モデルで渦の底面に生じる境界層がポテンシャル渦の底面に生じる回転境界層として理解されることを示している。

内部領域の全体で角運動量一定の分布になるためには、渦核外のあらゆる半径で境界層輸送量よりも吸い込み流量の方が大きく、内部領域で流入が存在する必要がある。図5よりポテンシャル渦の境界層輸送量は半径が小さくなるにしたがって単調に増加し、吸い込み穴の半径で最大となる。この境界層輸送量の最大値Fmaxと吸い込み流量Qを比較し、QがFmaxより大きければポテンシャル渦が実現する。本研究における無次元化された穴の半径は0.125であり、この半径での無次元の境界層輸送量は0.88である。したがってポテンシャル渦が実現するための条件は、

Q>0.88*2πR2√vΩ (7)

と書ける。この条件に基づいて数値モデルの結果がポテンシャル渦になるか否かを判定した結果を図6に示す。図中の+が数値計算を行ったパラメータであり、横に添えられた数字はそのパラメータの定常状態でr = 4 cmにおける角運動量を側壁の角運動量で無次次元化した値である。この値が1.00であればポテンシャル渦が実現していることを示す。図中で緑の線で示されているのは式(7)で両辺を等しいとおいたときに得られる曲線である。式(7)を満たす領域は緑の線の上側であり、その領域では数値モデルの結果は1.00を示している。数値モデルの結果は式(7)のポテンシャル渦実現の判定基準と整合的である。

最後にポテンシャル渦にならない場合について考察する。図5を用いてΩ = 0.4 rad/sのときに境界層輸送量が33cm3/sになる半径を求めるとr =17(cm)である。したがってr > 17 cmでは吸い込み流量が境界層輸送量より大きいため内部領域で半径方向の流入が存在し、側壁の角運動量が保存する。しかしr < 17 cmでは半径方向の流入は全て境界層内で起こり、側壁の角運動量は保存されない。実際に図4(d)は上の議論と整合的な分布になっている。

5.まとめ

強い渦の渦核の外側の構造と力学を調べるために吸い込み渦の室内実験を行った結果、接線流速分布は渦核の外側でポテンシャル渦になる場合とならない場合の2つのレジームがあることがわかった。

軸対称な数値モデルは室内実験の結果をよく再現したので渦の構造を詳しく調べた。その結果、渦の構造と速度分布は底面に生じる境界層に強く支配されていることがわかった。

ポテンシャル渦を仮定した境界層方程式を解いたところ、数値モデルでポテンシャル渦が実現している場合の境界層の構造は、境界層方程式の解とよく一致することがわかった。境界層方程式から求めた境界層輸送量と吸い込み流量を比較することによってポテンシャル渦が実現するか否かの判定基準を求めたところ、この基準が室内実験および数値実験で見られる2つのレジームをよく説明することがわかった。

図 1 実験装置の概要

図 2 定常状態の角運動量の半径分布

図 3 染料で可視化した鉛直面内の流れの様子

図 4 数値モデルから得られた流線および角運動量の分布

図 5 無次元化された境界層輸送量の半径分布

図 6 数値モデルの結果とポテンシャル渦の判定基準

審査要旨 要旨を表示する

竜巻や塵旋風など大気中の強い渦の接線風速分布は最大風速半径より内側の渦核部分が角速度一定の剛体回転、外側が角運動量一定のポテンシャル渦からなるランキン(Rankine)渦で近似されることが多い。しかしながら、近年可搬型ドップラーレーダーが開発され、竜巻まで数kmの距離から風速分布が観測できるようになって、渦核の外側の接線風速分布は、ポテンシャル渦のように半径の-1乗に比例するのではなく、半径の-0.6乗程度に比例する例が見つかってきた。これは、遠方で緩やかに回転していた空気が竜巻中心へ角運動量保存的に流入しポテンシャル渦が形成されるという従来の常識とは異なる結果であり、その原因究明が待たれている。一方、竜巻などの強い渦の発生頻度は低いため、その性質は室内実験によっても調べられてきている。代表的な室内実験は、回転流体の底面中心に流出口を開けたときに生ずる吸込渦である。吸込渦の実験的研究は、ダムの取水口に生じて流出効率を下げたり、冷却水の流入口で気泡を巻き込み配管に損傷を与えたりする工学的な観点から多数あるが、多くの教科書や論文でもその接線速度分布はランキン渦を想定しており、接線速度分布を決める機構やその詳細な測定を行った研究はほとんどない。本研究は、非常に基礎的でありながら、応用的にも重要な、強い渦の接線速度分布の決定機構を室内実験、数値実験、境界層理論に基づいて解明したものである。

本論文は5章から構成される。過去の研究と問題点を総括する第1章に続き、第2章では本研究で行った室内実験が記述されている。室内実験には底面が共通な二重円筒水槽を用いており、鉛直軸周りに一定の角速度で回転している。内側の円筒水槽(以下内槽)の側壁上部はスポンジでできており、外側の円筒水槽(以下外槽)の水はスポンジを通りながら内槽側壁の回転数に馴染んで内槽に流入する。流入した水は内槽の底面中央にある流出口から一定の吸込流量で流出し、ポンプで外槽に戻される。このようにして、内槽内には定常な吸込渦が形成される。渦の接線速度分布は粒子画像流速測定(PIV)法で求めた。また、鉛直面内の運動は側壁から流入する水に蛍光染料を混ぜ、鉛直なレーザーシートにより観察した。実験の結果、水槽の回転角速度が遅く、吸込流量が大きいときには渦核の外側でポテンシャル渦が実現したが、水槽の回転角速度が早いか、吸込流量が小さいときには接線速度はポテンシャル渦に比べて遅くなることがわかった。後者の場合、側壁から流入した流体は側壁沿いに下降し、底面の境界層を通って、大部分は中心の流出口から流出し、残りは渦核の縁で上昇流に転じて中心へと流入し、下降して流出口から出ることがわかった。

第3章では、室内実験では観察できない詳細な流れの構造を調べるため、軸対称を仮定した円筒座標系の数値モデルを用いて室内実験に対応する設定で吸込渦の再現を試みた。その結果、室内実験の結果が非常に良く再現された。ポテンシャル渦とそうでない渦が実現する場合の底面境界層の流量を調べたところ、前者では渦核外側のすべての半径で吸込流量が底面境界層の流量を上回っており、内部領域で中心への流入が生じていた。一方、ポテンシャル渦が形成されない場合には、ある半径より内側では底面境界層の流量が吸込流量に等しくなっており、内部領域では中心への流入がなかった。これから、底面境界層が渦の接線速度分布を含む渦の構造に支配的な役割を演じていることがわかった。

第4章では、前章の結果を受け、ポテンシャル渦の下に形成される回転境界層の性質を、境界層理論に基づいて調べている。その結果、数値実験で得られた渦の底面に形成される回転境界層は、ポテンシャル渦の下に形成される理論的な回転境界層と同じものであることがわかった。更に、境界層理論から求まるポテンシャル渦の底面境界層の渦核外縁での半径方向の境界層流量が吸込流量より小さければ、渦核の外側全体でポテンシャル渦が実現するという判定基準が得られ、この判定基準は室内実験や数値実験の結果を見事に説明することがわかった。類似の判定基準は、実験水槽の底面が回転せず、側壁だけが回転する、より現実大気に近い設定においても得られることが示された。第5章では全体のまとめが述べられている。

以上のように、本論文は吸込渦という代表的な強い渦の接線速度分布が底面境界層の効果によって支配されていることを解明し、併せて渦の特性に関する判定基準をも与えたもので、渦に関する基礎的研究として、また竜巻など自然界の渦や工学的に応用の多い渦の研究上も極めて有用な結果を得たもので極めて高く評価できる。

なお、本論文は新野 宏氏、木村龍治氏、野口尚史氏との共同研究であるが論文提出者が主体となって実験、数値計算及び理論的考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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