学位論文要旨



No 123334
著者(漢字) 田中,大士
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,タイシ
標題(和) 機能性表面の構築を目指したSi(111)上の有機薄膜の構造および物性の制御
標題(洋) Control of the structures and characteristics of organic thin monolayers on Si(111) aimed at constructing functional surfaces
報告番号 123334
報告番号 甲23334
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5215号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 准教授 米澤,徹
 東京大学 准教授 加納,英明
 東京大学 准教授 佐々木,岳彦
内容要旨 要旨を表示する

【1. 序】

有機分子は高いデザイン性を持っており、有機合成の手法を用いて種々の官能基を導入できる。これら機能性有機分子を表面上に単分子膜形成させて2次元的に配列化することにより、表面物性を変化させたり、表面上に機能を付与したりすることが可能となる。また、単分子膜内での分子配向は基板と分子の結合による影響を受け、3次元結晶中とは大きく異なる。これらに基づく新しい機能の開発も期待できる。

固体表面のうちでも、今日の電子デバイスに広く使われている単結晶シリコン表面においては、種々の有機単分子膜をその上に構築し、表面の撥水性・撥油性・導電性・耐久性などの物性制御や、リソグラフィーの場としての利用、有機薄膜素子やバイオセンサーへの応用などが盛んに研究されている。Si(111)表面は、ハイドロシリレーションによってアルケン・アルキン類とSi-C共有結合で結合した有機単分子膜を構築することが知られている。これらの単分子膜は、用いる前駆体となるオレフィンのデザインによって、表面官能基の導入が可能である。また、原子レベルで厚さや密度を制御でき、熱的・化学的・電気的特性をチューニングすることが期待できる。そこで本研究では、単分子膜を形成する前駆体オレフィンの骨格構造によって、Si(111)上に生成する単分子膜のアルキル鎖の配向および基板表面の物性を制御し、また官能基を単分子膜表面上に配列化することを試みた。

【2. 前駆体オレフィンの分子設計】

H-Si(111)上には、前駆体オレフィンと反応しうるH-Si基が0.38 nmの距離でヘキサゴナルに配列されており、0.128 nm2あたりに1つのH-Si基が存在する。これに対し、アルキル鎖は1本あたり約0.2 nm2の断面積を持っているため、全てのH-Si基がオレフィンと反応することは立体的に困難であり、生成する単分子膜の配向や密度が、オレフィンの分子形状に依存すると考えられる。そこで、Chart 1に示す、断面積の異なる種々のオレフィンをデザイン・合成した。

長いアルキル鎖を2本持つ2C18については、アルキル鎖先端に官能基としてフェニル基を導入した誘導体も合成した。ベンゼン環は、芳香族相互作用により単分子膜のパッキングを強化したり、芳香族性分子を単分子膜上に集積できる可能性がある。また、ベンゼン環への官能基の導入により、表面上での更なる官能基変換と分子集積も期待できる。

【3. 単分子膜形成・構造解析】

Si(111)基板上のSiO2自然酸化膜をHF水溶液で除去し、続いて(NH4)2SO3水溶液にて表面をエッチングして得られた、原子レベルでフラットなH-Si(111)を2C18に浸し、254 nmのUV光を照射した。表面の水の静的接触角にて単分子膜形成反応をモニターしたところ、基板表面の水の接触角は30分で106 °に収束し、基板表面が疎水的なアルキル鎖で覆われたことが示唆された。

得られた2C18-Si(111)の表面形状をAFMにて観測したところ、原子レベルで平坦なテラスと0.3 nmのステップが観測され、表面が一様に単分子膜修飾されたことが示唆された。

続いて、単分子膜の分子配向を、透過IR吸収スペクトルから求めた。本研究では、Multiple-AngleIncidence Resolution Spectroscopy (MAIRS)を用いた。MAIRSとは、赤外領域で透明な基板上の薄膜に対し、非偏光赤外光を入射角を変えて透過させ、異なる入射角におけるシングルビームスペクトルを集めて多変量解析することにより、基板と平行な面内方向(IP)および基板と垂直な面外方向(OP)の吸収スペクトルを得る手法である。Figure 1(a)に、MAIRS法から求めた2C18-Si(111)のIP, OPの吸収スペクトルを示した。IP, OPの両スペクトルとも、メチレン基の対称・逆対称伸縮振動の吸収波数が、それぞれ2850 cm-1、2917 cm-1に見られ、アルキル鎖がall-transのコンフォメーションをとった、密にパッキングした構造が示唆された。一方、Figure 1(b)に示したC18-Si(111)のスペクトルにおいては高波数に吸収が観られ、gauche構造を含む乱れた単分子膜構造となっていることが示唆された。まっすぐに伸びた2C18単分子膜のアルキル鎖は、IPとOPの吸光度の比から、基板法線から44°傾いていると算出された。また、メチレン基の伸縮振動の吸光度から計算した2C18単分子膜のアルキル鎖の密度は、密にパッキングしたLB膜と比較してほぼ同様の値となり、Si基板上で密にパッキングした単分子膜ができていることがわかった。

種々の前駆体オレフィンから単分子膜を作成したところ、AFM観察上、いずれも均一な単分子膜を形成したが、分子形状を反映して、接触角や分子配向に大きな違いが見られた。表面への分子の導入率が低い単分子膜は、接触角が低く、分子配向も乱れたものとなった(Table 1)。長いアルキル鎖を2本持つ2C18が、もっとも高密度、高配向の単分子膜を形成し、同様に長いアルキル鎖を2本持つ2C18'がこれに続き、アルキル鎖が1本・3本の場合や2本であっても短い場合は、生成した単分子膜は乱れたものとなった。

2C18骨格の先にフェニル基を導入した誘導体は、2C18とは異なり乱れた低密度の単分子膜を生成した。これは、比較的強い分子間の芳香族相互作用が、ファンデルワールス力でパッキングしていたアルキル鎖を乱してしまったためと考えられる。

【4. 単分子膜の導電性評価】

導電性AFM を用いたScanned Probe Oxidation (SPO)により、各単分子膜の絶縁性を見積もった。SPOにおいては、導電性AFMチップから単分子膜を通って基板に電流が流れ、表面のSi原子がSiO2へと酸化されて上方向に盛り上がる。

単分子膜で覆われていないH-Si(111)、C18-Si(111)、および2C18-Si(111)に対して、同じ温度・湿度の条件下で、同じAFMチップを用いて連続してSPOを行った。SPO後の各基板のAFM形状像の断面図をFigure 2に示す。H-Si(111)は2 V, C18-Si(111)は5 VからSPOが起こった。これらの結果に対し、2C18-Si(111)は、9 VまでSPOが起こらず、10 Vの電圧をかけても僅かに酸化されるにとどまった。これは今までに報告されている有機単分子膜修飾Si基板のSPO開始電圧の中で最も高い値であり、高配向の2C18-Si(111)が高い絶縁性を示すことが明らかとなった。この結果は、2C18単分子膜中の密にパッキングしたアルキル鎖が非常に欠陥が少なく、絶縁性が高いことに由来すると考えられる。

【5. 結論】

前駆体オレフィンの骨格構造を精密に設計することにより、Si(111)上に生成する単分子膜の構造・物性が制御できることを見いだした。特に、2本の長いアルキル鎖をもつ2C18は高密度・高絶縁性の単分子膜を形成した。アルキル鎖の本数と長さが、生成する単分子膜の質を決定する要因であることが分かった。一方、2C18骨格にフェニル基を導入した誘導体は乱れた単分子膜を生成し、分子骨格の官能基修飾により、生成する単分子膜の構造が影響を受けることが分かった。

有機単分子膜は高いデザイン性があり、様々な官能基が導入できる。高密度・高配向性の2C18単分子膜表面に官能基を配列化することにより、ボトムアップ的なデバイス構築や生体適合性材料、リソグラフィー基板などの新規表面材料への応用が期待できる。

Chart 1. Various olefins used in this study.

Figure 1. MAIRS spectra of (a) 2C18-Si(111) and (b) C18-Si(111). IP spectra in black and OP spectra in gray.

Table 1. The maximum static water contact angle, the IR spectral data, and the threshold voltage to initiate SPO for each SAM. a : The error was within 1 °. b : The surface densities of the SAMs were calculated relative to the close-packed LB films from the νs CH2 absorbance. c: The error was within 1 V.

Figure 2. The profiles of (a) H-Si(111), (b) Cl8-Si(111), and (c) 2Cl8-Si(111) after SPO.Scanned at 0.25 um/s and 25°C under 53% relative humidity using the same AFM tip.

審査要旨 要旨を表示する

有機単分子膜による固体表面の修飾は、表面の様々な物性を変化させ、表面デバイスへと応用されている。中でも、シリコン基板の有機単分子膜修飾は、現在のシリコンテクノロジーを発展させつつあるハイブリッド素材の開発に有力な手法である。本研究では、Si-C共有結合によって形成されるSi(111)上の単分子膜に着目し、前駆体となるオレフィンの分子構造によって、生成する単分子膜の構造・物性を制御することを目標とした。また、Si-C単分子膜が基板との界面おいて優れた電気特性を示すことを踏まえ、単分子膜の絶縁性を導電性AFMを用いた陽極酸化によって評価した。さらに、単分子膜表面での機能性部位の配列を目指し、金属錯体部位や官能基を導入したオレフィンの合成・単分子膜形成も検討された。

本論文は全5章から成り、第1章では、本研究の背景である、単分子膜修飾による表面物性の変化とその応用、基板としてSi(111)を選んだ理由、単分子膜修飾基板のリソグラフィー法について述べたあと、前段落に示された本研究の目的が詳述されている。

第2章では、単分子膜を形成するオレフィンの分子設計について述べられている。Si(111)表面上の反応点であるH-Si基の配列とオレフィン分子の横方向のサイズの整合性が、生成する単分子膜の構造およびそれに基づく物性を制御する鍵となると予想し、アルキル鎖の本数・長さ・種類を変えた、種々の分子構造を持った末端オレフィンを合成したことが述べられている。

第3章では、第2章でデザイン・合成したオレフィンの単分子膜について報告されている。初めに、単分子膜形成に必要な、Si(111)表面の水素終端化とエッチングについて記述されている。水素終端Si(111)は水の接触角、ATR、透過IR吸収スペクトルからモノハイドレードSiHで終端されていることが確認された。そして、AFM形状像から表面が原子レベルで平坦であることが明らかとなった。さらに共同研究者の長谷川健が開発したMultiple-angle incidence resolution spectrometry(MAIRS)によって、H-Si結合が(111)表面から垂直に出ていることが明らかとなった。各単分子膜はAFM形状像からサブマイクロメートルのサイズで均一であることが分かった。しかし、単分子膜中のアルキル鎖の配向は、前駆体オレフィンごとに差が出ることが明らかとなった。長いアルキル鎖を2本持つオレフィン2Cl8の単分子膜は、アルキル鎖がall-trans、構造を取ってまっすぐに伸び、最密にパッキングしたLB膜と同程度の密度となり、表面の水の接触角も大きかった。MAIRSスペクトルから、2Cl8の単分子膜中のアルキル鎖の傾きは基板法線から44±1°、単分子膜の膜厚は2nmであると見積もられた。一方、アルキル鎖が1本または3本であったり、2本であっても短いオレフィンは、アルキル鎖がgauche構造を含んだ乱れた単分子膜となり、密度と表面の水の接触角も低くなることが明らかとなった。以上の結果から、アルキル鎖の本数や長さといったオレフィンの分子構造が、生成する単分子膜の構造に影響を及ぼすことが示された。次に、各単分子膜の絶縁性を、導電性AFMを用いた陽極酸化によって見積もった結果、オレフィン2C18の密な単分子膜で覆われた基板は+9Vまで陽極酸化が起こらなくなり、この単分子膜が強い絶縁膜として働くことが示された。この2C18の単分子膜の陽極酸化開始電圧は、本研究で作成した水素終端基板やオレフィンC18の乱れた単分子膜で覆われた基板を含め、シリコン基板上に作られた有機単分子膜について報告されている値の中で最も高いものであり、シリコン―有機ハイブリッドデバイスの絶縁層としての応用が強く期待されることが報告されている。

第4章では、第3章で密な単分子膜を形成することが明らかとなった2C18骨格の先端にフェニル基を導入した単分子膜について報告されている。表面の水の接触角は最表面がフェニル基で終端されていることを示したが、MAIRSからは、アルキル鎖がgauche構造を含んだ曲がったものであり、密度も2C18よりも低いことが判明した。この原因として、分子間のフェニルーフェニル相互作用がアルキル鎖間のファンデルワールスカを乱してしまったことが挙げられており、これを防ぐための分子設計の改善案が提案されている。また、単分子膜表面に金属イオンを配列化するための、各末端にオレフィン部位と金属錯体部位を持った分子の合成についても記述されている。

第5章では、本論文の総括と今後の研究展望が記述されている。2C18骨格の先に導入したベンジルオキシ基をヒドロキシ基の保護基と見ての導電性AFMによる電気化学的脱保護や、金属電極を単分子膜表面に蒸着しての導電性測定、2C18単分子膜を絶縁膜として用いた有機薄膜電界効果トランジスターの構築などが、将来の研究課題として挙げられている。

以上のように、本博士論文では、独自にデザイン・合成した新規オレフィンのSi(111)表面上の単分子膜形成について報告されている。オレフィンの分子構造、特に枝分かれの様式が生成する単分子膜の構造と物性に影響を与えることが明らかにされた。中でも、長いアルキル鎖を2本持つオレフィン2Cl8は最密構造の単分子膜を形成し、これまで報告されているシリコン基板上の有機単分子膜の中で最も高い陽極酸化耐性を示す事が発見された。さらに、この2C18骨格にフェニル基を導入すると、下地のアルキル鎖のパッキングが乱されることも明らかになった。これらの研究成果は理学の発展に大いに貢献するものであり、博士(理学)取得を目的とする学術研究として十分な意義を有する。尚、本論文における各章の研究は他の複数の研究者との共同研究によるものであるが、論文提出者が主体となって実験、解析および考察を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

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