学位論文要旨



No 123514
著者(漢字) 佐藤,弘志
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロシ
標題(和) 巨大π共役系を用いたホストゲスト化学の開拓
標題(洋) Host-Guest Chemistry Using Extra Large π-Conjugated Systems
報告番号 123514
報告番号 甲23514
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6830号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 橋本,幸彦
 東京大学 准教授 金原,数
内容要旨 要旨を表示する

近年、パイ電子共役系は、電子移動のパス、あるいは有機電子材料の基本ユニットとして精力的に研究されている。しかしながら、超分子化学の制御への展開はこれまでにない。本研究の出発点は、「パイ電子共役系の両端に位置した分子は、共役を介した電子的相互作用により互いを認識できるだろうか?」という問いである。本研究では「巨大なパイ電子系ユニットからなるホストを設計」し、「ホスト/ゲスト化学の制御に利用する」ことでこの問いに挑戦する。ここで「巨大なパイ電子系ユニット」としては、完全縮環ポルフィリンに着目した。完全縮環ポルフィリンは、ある種の金属ポルフィリンを酸化し、ポルフィリンの縮環化を行うことで得られる。得られた完全縮環ポルフィリンは極めて大きな共役系を有することに起因して、狭いHOMO-LUMOギャップを有しており、その電子・光機能性が期待されているが、ホスト/ゲスト化学とは無縁の存在であった。

本研究では、完全縮環ポルフィリンを構成ユニットとする環状ホスト分子を用いた新規ホスト/ゲスト化学の開拓を試みた。第1章では、完全縮環ポルフィリンからなるホスト合成および負の協同効果について記す。第2章では、完全縮環ポルフィリンからなるホストが示す異種ゲスト間での正の協同効果および協同効果を利用した選択異種ゲストの取り込みについて検討した。第3章では、完全縮環ポルフィリン3量体を基本骨格とする環状二量体の鋳型合成法による合成、および機能化を検討した。以下にその実験および結果を記す。

【実験と結果】

1 完全縮環ポルフィリンからなる環状二量体と負の協同効果

Scheme 1に従い、完全縮環ポルフィリン環状二量体1を合成した。完全縮環ポルフィリン4および5を希釈条件下、環化させることで目的の環状二量体1を得た。1はアリール基として嵩高い置換基(3,5-di-tert-butylphenyl基)を有しており、完全縮環ポルフィリンユニット同士の分子内π-πスタッキングが抑えられている。同定は、MALDI-TOF-MS、1H NMR、IRを用いて行った。

ゲストとして4,4'-bipyridine (bpy)を用いて、1の配位サイト間の電子的カップリングがゲストの取り込みに及ぼす影響を調べた。Job's plotおよび1H NMRスペクトルの測定結果より、1はbpyと安定な1:2複合体を形成することが明らかになったが、滴定実験においては、1の吸収スペクトルは異なる等吸収点を示す二段階の変化を見せた(Figure 1)。吸収スペクトル変化から算出した1および1とbpyからなる 1:1(1⊃bpy)、1:2(1⊃bpy2)複合体の存在比を用いて、協同効果判定の指標となるK1/4K2を見積もったところ、大きな負の協同効果(K1/4K2 = 12 >> 1)が働いていることが明らかになった。すなわち、1に対して1分子目のbpyが配位することで2分子目のbpyの取り込みが抑えられ、1⊃bpy、1⊃bpy2が段階的に生成することが分かった。一方、3、6 をピリジン(py)で滴定したところ、3では弱い負の協同効果(K1/4K2 = 1.8 > 1)が観測されたが、フェニル基によりポルフィリン環同士の共役が切れている6では協同効果が全く認められなかった(K1/4K2 = 0.97 ~ 1)。以上の結果から、1における段階的な複合体形成には、ゲスト結合部位間の電子的カップリングが重要であることが明らかになった。1に対して1分子のbpyが配位することで1の塩基性が増し、2分子目のbpyの取り込みが抑えられたと結論される。

2 協同効果を利用した異種ゲストの選択的取り込み

塩基性のbpyとは逆に、電子受容性のフラーレン類と1との複合化を検討した。Job's plotおよび13C NMRスペクトル測定の結果より、1はC60と1:1複合体(1k⊃C60)のみを形成し、1:2複合体は形成しないことが明らかになった。例えば、toluene-d8中、-50 Cにおける1/C60(2 eq.)の13C NMRスペクトルでは、フリーのC60(143.0 ppm)に加えて、1に内包されることで高磁場シフトしたC60(141.7 ppm)由来のシグナルが観測され、それらの積分比から1⊃C60のみが形成されることが結論された。これに対して、Job's plotおよび滴定実験から、1は分子の形がよく一致したC120(C60二量体)と、トルエン中にて非常に安定(Kassoc > 108 M-1)な1:1複合体を形成することを明らかにした。つまり、1は空間的には2分子のC60を取り込み得るにも関わらず、電子的な要請によりC60とは1:1複合体のみを形成すると結論される。

以上のように、1とbpyもしくはC60との複合化においては、同一ゲスト間に負の協同効果(Scheme 2)が観測された。これは、ゲスト結合部位の電子的カップリングを利用して協同効果が発現した初めての例である。以上の結果とは対照的に、1に対する電子的効果が相補的だと予想されるbpy(電子供与性)とフラーレン(電子受容性)を同時に用いると、互いの取り込みを促進する(正の協同効果)ことが期待される。実際、重トルエン中での1Hおよび13C NMRスペクトル測定より、1、bpyおよびC60を1:1:1で混合した際には、90%以上の1がbpy(1へ電子を供与)およびC60(1から電子を受容)を1分子ずつ取り込んだ複合体(1⊃bpy-C60: Figure 2c)を選択的に生成することがわかった。また、トルエン溶液中、1とC60との会合定数はKassoc = 3.3 x 104 M-1であるが、1に対してあらかじめ、1.5当量のbpyを共存させ、ホストの塩基性を増した状態でC60を添加すると、C60が(1⊃bpyに)より強く(Kassoc = 2.5 x 105 M-1)取り込まれることが滴定実験より確認された(Scheme 2)。これは、ホストに対する電子的効果の相補性を利用した異種ゲスト選択的取り込みの初めての例であり、これまでのサイズ選択性を利用したアプローチとは本質的に異なる。

3 鋳型合成法を用いた完全縮環ポルフィリン三量体からなる環状二量体の合成と機能

より巨大な完全縮環ポルフィリンを構成ユニットとする環状二量体を得ることができれば、その内部でさらに複雑なゲスト認識制御を行える可能性がある。しかし、構成ユニットが巨大になるにつれ、目的とする環状二量体の収率が著しく低下する問題が生じた。例えば、先に示したScheme 1と同様の環化反応(Scheme 3)を用いて、完全縮環ポルフィリン三量体からなる環状二量体を得ようと試みたが、目的とする環状二量体は全く得られなかった。そこで、Scheme 4に示した鋳型法による合成を試みた。

1H NMRおよび吸収スペクトル測定の結果から、アセチル基で保護したチオール基を有する完全縮環ポルフィリン1-SAcはbpyと安定な2:3錯体(1-SAc2⊃bpy3)を形成することが明らかとなった。1-SAc2⊃bpy3に対してアルカリ条件で脱保護・酸化反応を進行させることで、環状二量体7をbpyとの複合体として得ることに成功した。反応は極めてスムーズに進行し、環化収率は90%と極めて高収率であった。ホスト7はbpyと非常に安定な包接錯体7⊃bpy3を形成した。結合位置の違いにより、1H NMRスペクトルではbpy由来のシグナルが2種類観測され、中央の配位サイトに位置するbpy由来のシグナルは両端に位置するbpyに比べて低磁場側に観測された。bpyによる滴定実験では、7の吸収スペクトルはbpyの当量に応じて2段階の変化を見せた(Figure 3)。すなわち、[bpy]/[7] = 0-2(Figure 3a)においては等吸収点を通らない、[bpy]/[7] > 2(Figure 3b)では等吸収点を通る変化を示した。また、1H NMRを用いた滴定実験の結果から、[bpy]/[7] < 1では、2種類の1:1錯体(Scheme 5; 7⊃bpy(A)、7⊃bpy(B))がランダムに生成するのとは対照的に、[bpy]/[7] = 2においては、生成し得る2種類の1:2錯体のうち、ほぼ1種類の異性体のみが観測された。また、この1:2錯体中では、bpyが両端の二つの配位サイトに結合していることが分かった(Figure 4c、Scheme 5; 7⊃bpy2(BB))。ホストの2種類の結合部位はビピリジンに対して本来同程度の親和性を有している。しかし、2当量のビピリジンが存在するときにはすべてのビピリジンが両端の結合部位でホストと相互作用する。これは、二分子のビピリジンがホストのパイ共役系を介して影響しあい、互いに離れた位置でホストと結合した結果であると考えられる。本研究は、特定の配列パターンを自発的に形成するための新しい方法論の可能性を示したものであり、大変意義深いものである。

【まとめ】

本研究では、極めて巨大なπ共役分子である完全縮環ポルフィリンを構成ユニットとする環状二量体を用いて、1)ゲスト認識部位の電子的カップリングによる正負の協同効果発現に成功し、2)異種ゲストの選択的取り込みを実現した。また、3)鋳型合成法を導入することにより、完全縮環ポルフィリン3量体からなる環状ホスト分子の極めて効率的な合成に成功し、特定の配列パターンを自発的に形成することに成功した。

Scheme 1. Reagents and conditions: (i) Br(CH2)6Br, KF, 18-crown-6, acetone, 50 °C; (ii) TBAF, THF, r.t.; (iii) K2CO3, DMF, r.t..

Figure 1. Spectroscopic titration of 1 with 4,4'-bipyridine (bpy) in toluene at 20C. [1]0 = 2.0 x 10-6 M; [bpy]/[1] = 0-0.7 (a) and 1.4-2.0 (b).

Table 1. Association constants (K1, K2) for the complexation of 1 with 4,4'-bipyridine (bpy), and 3 and 6 with pyridine (py) in toluene at 20 C

Scheme 2. Inclusion of Fullerenes (C(60), C(l20)) and Diamines (bpy, TMHDA) within Cyclic Host 1

Figure 2. 13C and H NMR spectra of mixtures of 1, C60, and 4,4'-bipyridine (bpy) at molar ratios of (a) 1:1:0, (b) 1:0:1, (c) 1:1:1, and (d) 1:1:2 in toluene-d8, at-50C.

Scheme 3.

Scheme 4. Reagents and conditions: (i) 4,4'-bipyridine (bpy), NaOMe, CH2Cl2, air, r.t..

Figure 3. Spectroscopic titration of 7 with 4,4'-bipyridine (bpy) in toluene at 20 C. [7] = 1.9 x 10-6 M; [bpy]/[7] = 0-1.9 (a) and 2.1-3.9 (b). Abs were observed at 1460 (circle) and 1426 (triangle) nm (c).

Figure 4. NMR spectra of mixtures of 7, 4,4'-bipyridine (bpy), and C(60) at the molar ratios of (a) 1:0:0, (b) 1:1:0, (c) 1:2:0, (d) 1:2:10, and (e) 1:3:0 in toluene-d8 at 50C.

Scheme 5. Complexation of cyclic host 7 with 4,4'-bipyridine (bpy).

審査要旨 要旨を表示する

グラフェンシートに代表されるような巨大なパイ共役平面上における分子認識は基礎化学的な観点のみならず、分子デバイスへの応用といった観点からも大変興味深い。しかし、これまでそのような現象を観測することは大変難しく、行われてこなかった。本論文では、ホストーゲスト化学という手法を用いて、巨大パイ共役系の新たな可能性を開拓し、新たなホストーゲスト化学を展開している。

序論では、ホストーゲスト化学における複数ゲスト分子の認識の重要性、具体例について述べるとともに、協同効果について概観している。また、巨大パイ共役系分子である完全縮環ポルフィリンに着目し、新たなホストーゲスト化学の可能性に言及するとともに、具体的なホスト分子設計として、完全縮環ポルフィリン環状二量体について述べている。

第1章では、完全縮環ポルフィリン二量体を基本骨格として有する環状二量体を用いたホスト分子と4,4'-ビピリジンとの複合体形成挙動について述べている。滴定実験において、ホストの吸収スペクトルは異なる等吸収点を示す二段階の変化が観測されたことを述べている。スペクトル変化から算出した各種複合体の存在比を用いて、協同効果判定の指標となるK1/4K2を見積もり、二段階の複合体形成が、大きな負の協同効果(K1/4K2 = 12 >> 1) の働きによるものであることを明らかにしている。負の協同効果の起源を探るため、完全縮環ポルフィリン単量体およびフェニレンで連結されたポルフィリン二量体を比較し、完全縮環ポルフィリンの共役系を介したゲスト結合部位間の電子的カップリングが重要であることを明らかにしている。本系は、電子的カップリングによる協同効果発現の、初めての例であると述べている。

第2章では、まず、前章で用いたビピリジンとは逆に、ホストに対して電子アクセプターとして働くC60との複合化に置いても負の協同効果が発現することを述べている。それとは対照的に、ホストに対する電子的効果が相補的な2種のゲストを同時に作用させた場合、互いの取り込みを促進する、すなわち正の協同効果が発現することを明らかにしている。また、同一ゲスト間に働く負の協同効果および、異種ゲスト間に働く正の協同効果を利用することで選択的異種ゲスト取り込みに成功している。これまで単純なサイズ選択性によってのみ達成されてきた選択的異種ゲスト取り込みに対して、本研究は、ホストに対する電子的効果の相補性を利用した初めての例であり、新たな方法論を提示しており大変意義深いものである。

第3章では、第1、2章で用いたものよりさらに大きなパイ共役系である完全縮環ポルフィリン3量体からなる環状ホスト分子を合成し、その分子認識について述べている。まず、従来法では全く得られなかった完全縮環ポルフィリン3量体からなる環状二量体を、鋳型合成法を利用することで、非常に効率よく合成することに成功している。第1、2章で用いていた、完全縮環ポルフィリン2量体からなる環状二量体においてはビピリジンに対する二つの認識部位が等価であったのに対し、完全縮環ポルフィリン3量体からなる環状二量体は、両端および中央部という2種類の非等価な認識部位を有している。得られた環状二量体は3分子の4,4'-ビピリジンを包接するが、その取り込み挙動は大変興味深いものであったと述べている。すなわち、ホストに対して1当量のビピリジンが存在するときには、ビピリジンは両端、中央部のどちらかの結合部位に非選択的に取り込まれることから、ホストの二種類の結合部位はビピリジンに対して本来同程度の親和性を有している。しかし、2当量のビピリジンが存在するときにはすべてのビピリジンが両端の結合部位でホストと相互作用する。これは、二分子のビピリジンがホストのパイ共役系を介して影響しあい、互いに離れた位置でホストと結合した結果であると説明している。本研究は、特定の配列パターンを自発的に形成するための新しい方法論の可能性を示したものであり、大変意義深いものである。

結論では、本論文の総括と展望を述べている。

以上、本論文では、巨大パイ共役系として完全縮環ポルフィリンに着目し、そのホストーゲスト化学を展開し、巨大パイ共役系の新たな可能性を提示している。これらの成果は、今後のホストーゲスト化学の発展に新たな方法論を与えるのみならず、巨大パイ共役系を用いた分子デバイスの発展にも寄与するところが大きいと考えられる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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