学位論文要旨



No 123553
著者(漢字) 夏目,やよい
著者(英字)
著者(カナ) ナツメ,ヤヨイ
標題(和) 腸管と多様な生体異物の相互作用に関する解析
標題(洋)
報告番号 123553
報告番号 甲23553
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3257号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 客員准教授 松本,一朗
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

腸管は、経口摂取した食品成分の体内への輸送、体外から侵入した異物や微生物に対するバリアー、あるいは外来成分の認識・応答などに関わる器官である。本論文では、体外からの異物侵入や刺激に対する腸管上皮の応答とそこに関わる食品因子について、(1)吸収機能、(2)応答機能の2つの視点から研究を進めた。(1)については、有害化学物質であるダイオキシンの腸管透過と食品因子によるその抑制、(2)については、各種刺激によって誘導される腸管上皮細胞における小胞体ストレスと食品因子(ケルセチン)によるその制御を研究対象とし、in vitro実験系を用いてその解析を試みた。

第1章ダイオキシンの腸管透過に及ぼす食品因子の影響

ダイオキシンは発ガン性、催奇形性、生殖毒性、皮膚疾患など様々な毒性を有し、ごく微量で生体に影響を与えることが知られている。その90%以上が食品とともに経口的に体内に侵入すると言われているが、これまでダイオキシンの腸管吸収やそれに対する食品の影響を調べる場合、実験動物にダイオキシンや食品を投与して排泄物を解析するといった方法しか知られていない。そこで、本研究では、ダイオキシンの腸管吸収やそれに対する食品の影響を簡便に評価しうるin vitroの実験系を構築し、食品素材が有するダイオキシンの毒性発現を抑制する効果について検討することとした。

ダイオキシンは、単純拡散的に細胞膜を透過すると、AhR (Aryl Hydrocarbon Receptor)を介してCYPIAIに代表される様々な薬剤代謝酵素の発現が誘導される。そこで、ルシフェラーゼ遺伝子の上流にヒトCYPIA1プロモーターを挿入したネオマイシン耐性遺伝子を有するプラスミドをヒト肝臓がん由来HepG2細胞に導入することにより、ダイオキシン応答性常発現株(HepG2-LUC)を構築した。

続いて、in vitroの腸管上皮細胞モデルと組み合わせることにより、ダイオキシンの腸管透過を評価する実験系を構築した。半透膜上で小腸上皮様に分化させたCaco-2細胞単層の管腔側にダイオキシンの一種であるTCDD (Tetrachloro-Dibenzo-p-Dioxin)を含む培地を添加し、一定時間後に基底膜側の培地を回収してHepG2-LUCに添加、更に一定時間後にルシフェラーゼアッセイをおこなった。この実験系において、Caco-2細胞単層を透過したTCDD量を検出できることを確認した。

本実験系を用い、既にゴηγル0でダイオキシン吸収抑制効果が知られているクロロフィル及び不溶性食物繊維の効果を検討した。前出の食品成分とTCDDを同時にCaco-2細胞単層に添加、24時間後に基底膜側の培地を回収してHepG2-LUCに添加、更に24時間後にルシフェラーゼアッセイをおこなった結果、食品成分依存的にルシフェラーゼ活性が減少したことから、本実験系はダイオキシン吸収抑制成分の探索に利用できることが示唆された。

更に、本実験系を用いた予備実験において抑制効果が示唆された茶殻の有効性向上を目指して、凍結融解処理の影響について調べた。走査型電子顕微鏡による表面構造解析の結果、凍結融解処理していない茶殻は滑らかな表面を有していたが、急速凍結処理したものは粗い表面構造を示し、また緩慢凍結処理では大きな構造変化が起きていた。次に、構築した実験系を用いて茶殻試料のダイオキシン毒性発現抑制効果について検討した結果、すべての試料において濃度依存的な抑制効果が認められたが、急速凍結試料において著しく強い抑制効果が見いだされた。

このように本章では、ダイオキシンの腸管透過性が食品成分によって制御されること、その作用は食品成分の構造的性質等によっても左右されることをin vitro実験系を用いて明らかにすることが出来た。

第2章ケルセチンが腸管上皮に与える影響

ダイオキシンの腸管吸収制御だけでなく、細胞におけるその毒性発現に影響を及ぼす食品成分を第1章で構築した実験系を用いて探索した結果、フラボノイドがダイオキシンの毒性発現抑制にも関わっている可能性が示された。フラボノイドは抗酸化作用や抗炎症作用といった様々な生理作用が報告されているが、経口摂取されたフラボノイドと直接相互作用すると考えられる腸管上皮の機能に及ぼす影響は未だ知見が少ない。そこで、第2章では野菜などに広く分布しているケルセチンに着目し、ケルセチンが腸管上皮細胞機能に及ぼす影響を検索した。まずケルセチンおよびその配糖体がマウス腸管上皮の遺伝子発現に与える影響をマイクロアレイにより網羅的に検討した。

7週齢のBALB/cマウス(オス)にケルセチン、ケルセチンー3-ラムノシド(ルチン)、ケルセチン-3-グルコシド、ケルセチンー4'-グルコシド(低濃度:5mg/kgbw、および高濃度:50mg/kgbwの二通り)および10% DMSO(コントロール)を2週間経口投与し、小腸上部の上皮を回収した。そしてAffymetrix Mouse Genome 430 2,0 Arrayを用いて得られたシグナル強度から三つの手法(MAS5,0、RMA、dChip)により発現量を算出し、サンプル間クラスタリング結果から手法による違いを検討した。その結果、MAS5.0とdChipにおいて「ケルセチン類低濃度投与群」と「コントロールおよびケルセチン類高濃度投与群」で有意に発現プロファイルが異なることが見出された。また、糖の種類や結合部位による違いにはほとんど影響がみられなかった。

次に、検定統計量として「平均発現量の差の絶対値」を用い、帰無仮説(Ho:二つのクラスター間に差がない)のもとで204個の有意な発現変動遺伝子(False Discovery Rate=10%;dChipデータ)を見出した。これらを更に遺伝子間クラスター解析に供した結果、低濃度ケルセチン投与によって「発現が抑制される遺伝子(カルシウムシグナル、代謝関連遺伝子)」「発現が充進される遺伝子(薬剤代謝、免疫、リボソーマルタンパク質関連遺伝子)」「変動が小さい遺伝子」の3つのクラスターに配された。遺伝子発現に変動が見られた機能は小胞体と関連の深いものが多いことから、ケルセチンは小胞体の機能に何らかの影響を与える可能性が考えられた。そこで、ヒト結腸癌由来Caco-2細胞およびLS180細胞を用いて、ケルセチンが腸管上皮における小胞体ストレスに与える影響について解析した。

第3章薬剤による腸管上皮の小胞体ストレスに与えるケルセチンの影響

二週間培養し充分に分化させたCaco-2細胞、およびLSI80細胞に様々な小胞体ストレス誘導剤(tunicamycin (TM)、A23187、thapsigargin (Tg)、brefeldinA (BRA))を添加し、小胞体ストレスマーカーであるGRP78とCHOPのmRNA発現が誘導剤濃度依存的・曝露時間依存的に充進することを確認した。次に、これらの小胞体ストレス誘導剤とケルセチンを同時に処理してマーカーの発現量の変化を検討した。結果をtable.1に記す。

また、ケルセチン(Que)が小胞体ストレスセンサータンパク質であるIRE1とPERKの活性に与える影響を調べた。LS180細胞にA23187あるいはthapsigarginとケルセチンを同時添加し、RT-PCRによりIRE1活性の指標であるXBP-1mRNAのスプライシングを検討した。結果をtable.1に記す。PERK活性の指標として、ウェスタンブロット解析によりeIF2・のリン酸化を、metabolic labelingにより新規タンパク質合成の1シャットダウンを調べた結果でも、XBP-1mRNAのスプライシングと同じ傾向が認められた(table.1)。

続いて、ケルセチンが有する小胞体ストレス抑制作用が抗酸化能に起因するか検討するため、LS180細胞に代表的な抗酸化物質であるビタミンC及びEとthapsigarginを同時添加してGRP78mRNA量の変化を調べたところ、顕著な抑制効果は認められなかった。ケルセチンはPI3K(Phosphatidilinosito1-3kinase)の阻害剤であることが知られているため、次にLSI80細胞に代表的なPI3K阻害剤であるLY294002あるいはwortmanninとthapsigarginを同時添加してGRP78mRNA量の変化を調べた。その結果、PI3K阻害剤濃度依存的にGRP78mRNAの発現充進が抑制された。したがって、カルシウム動態異常による小胞体ストレス環境下では、ケルセチンはPI3K阻害剤として働くことにより小胞体ストレスを抑制することが示唆された。

本研究は、簡便かつ低コストでのダイオキシン腸管透過の評価を可能にし、食品因子がダイオキシンの腸管透過や毒性発現に与える影響を探索する途を拓いた。また、腸管上皮細胞における小胞体ストレスに対してケルセチンが影響を与えるという新規性の高い発見は、フラボノイドが示す様々な生理作用の分子機構を理解する上での重要な知見を提供するものと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

腸管は、経口摂取した食品因子の体内への輸送、体外から侵入した異物や微生物に対するバリア、あるいは外来成分の認識・応答などに関わる器官である。食品はその栄養面、嗜好面のみならずさまざまな生理活性を示すことが注目されているが、腸管は摂取した食品が最初に接触する組織であり、ここで食品因子が何らかの生理活性を示すことが期待される。特に、体外から侵入した異物の吸収に対して食品因子が与える影響、及び外来異物や刺激に対する腸管上皮の応答に対して食品因子が与える影響を解析することは、生体防御の観点から重要である。本論文は、腸管上皮におけるダイオキシンの腸管透過性に及ぼす食品因子の影響を、新規に構築したダイオキシンの腸管吸収評価系を用いて検討するとともに、食品が腸管で示す生体防御作用の解明という視点から、腸管上皮における小胞体ストレスに対する食品因子(フラボノイドの一種であるケルセチン)の影響について検討したもので、序章を含む4章と総合討論から構成されている。

序論では、研究の背景になるダイオキシンの汚染状況とその毒性、ケルセチンの代謝機構と生理作用、小胞体ストレスの分子メカニズムと疾患との関連を紹介するとともに、本研究の意義と目的について述べている。

第一章では、ダイオキシンのin vitro腸管吸収評価系の構築を試みている。ルシフェラーゼ遺伝子の上流にダイオキシンによって発現が強く誘導されるCYPIA1のプロモーター領域を組み込んだプラスミドをヒト肝癌由来株化細胞HepG2細胞に導入した細胞(HepG2-LUC細胞)とヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2細胞層とを組み合わせ、in vitroでダイオキジンの腸管透過を評価することに成功した。クロロフィルとダイオキシンをCaco-2細胞の管腔側た添加し、基底膜側の培地をHepG2-LUC細胞に添加してルシフェラーゼ活性を測定した結果、クロロフィル濃度依存的にルシフェラーゼ活性が低下した。また、凍結融解処理が茶殻のダイオキシン吸着能を向上させたことから、食物素材のダイオキシン吸収抑制作用を凍結処理により改善できる可能性が示された。

第一章で構築したHepG2-LUC細胞を用いてダイオキシンの毒性発現を抑制する食品因子を、フラボノイドを中心にスクリーニングした結果、摂取頻度の高いケルセチンが抑制効果を示したことを受け、第二章では腸管におけるケルセチンの腸管機能制御作用を調べている。BALB/cマウスにケルセチンとその配糖体(ルチン、ケルセチン3位配糖体、ケルセチン4'位配糖体)を5mg/kg体重と50mg/kg体重の二通りの濃度で二週間投与し、腸管粘膜を用いてマイクロアレイ解析をおこなった結果、カルシウムシグナル、代謝関連遺伝子の発現減少、薬剤代謝、リボソームタンパク質、及び免疫関連の遺伝子の発現充進が観察された。この結果から、小胞体の機能に関連する遺伝子の発現変動が起こっていることに注目した。

第三章では、ケルセチンが腸管上皮細胞における小胞体ストレスに与える影響について調べた。まず、ヒト結腸癌由来株化細胞Caco-2細胞及びLS180細胞に小胞体ストレスを誘導する薬剤とケルセチンを添加し、小胞体ストレスのマーカーであるGRP78とCHOPmRNAの発現変動を検討した。その結果、カルシウム動態を変化させる薬剤を用いてストレスを誘導した場合においてケルセチンの抑制効果が示唆された。次に、カルシウム動態を変化させる薬剤(A23187やタブシガラジン)とケルセチンをLS180細胞に添加し、小胞体ストレスのセンサータンパク質の活性を調べた。その結果、ケルセチンはA23187によるXBP-1mRNAのスプライシングとelF2・のリン酸化、新規タンパク質合成シャットダウンを抑制した。タブシガラジンを用いた場合にも高濃度のケルセチンにより,これらの現象が充進された。一方、ケルセチンを単独で処理すると穏やかに小胞体ストレスを惹起することも観察された。このことから、ケルセチンは小胞体ストレスを惹起する作用とカルシウム動態異常による小胞体ストレスを抑制する作用の相反する性質を有することが示された。ケルセチンはPI3K阻害活性を有することが知られている。PI3K阻害剤であるLY294002やwortmanninも同様にA23187によるGRP78mRNA発現亢進を抑制すること、LY294002とケルセチンは相加的な作用を示さないことから、ケルセチンはPI3Kを阻害することによりA2318が誘導する小胞体ストレスを抑制する可能性が示唆された。

以上要するに、本研究は、腸管におけるダイオキシンの透過性及び薬剤によって誘導される腸管上皮細胞の小胞体ストレスに対して食品中の成分が制御機能を持つことを、新規に構築したin vitro評価系等を利用することによって見出したもので、学術上応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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