学位論文要旨



No 123558
著者(漢字) 成澤,直規
著者(英字)
著者(カナ) ナリサワ,ナオキ
標題(和) バイオフィルムにおける微生物間相互作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 123558
報告番号 甲23558
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3262号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

バイオフィルムとは固体表面上に付着した微生物のフィルム状構造体であり、その構成種は菌体外成分に覆われ密集した状態で存在している。自然環境下において、バイオフィルムは普遍的に観察される微生物の存在状態である。バイオフィルムに固定化された微生物は、抗生物質等の薬剤や物理的処理に対して高い抵抗性を示すことから、バイオフィルムによる感染・汚染は医療や食品現場において問題視されている。一方、肯定的な側面では廃水処理施設で用いられる生分解システムにおいて、バイオマスを高濃度に保持するための基盤的要因として着目されている。近年では、実験室株を用いてバイオフィルム形成過程に寄与する遺伝子・タンパク質の同定が進んでいる。このように、単一微生物によるバイオフィルム形成メカニズムについては明らかになりつつあるが、自然環境もしくは人工的環境下において、バイオフィルムは単一種により構成されているのではなく、多種も存在し、それらとの相互作用が強く影響を受けていることが予想される。

自然界のバイオフィルムは、異なる代謝機能を持つ多様な個体群からなる微生物集団によって構成されており、基質の供給が限定されたような環境ではこれら微生物が階層構造をとって共生していることが観察されている。一方、敵対的関係も知られており、中でも抗菌物質生産による他菌の排除機構は最も有効な戦略の1つであると考えられる。このような拮抗的関係性があるにも関わらず、バイオフィルム内部では多種多様な種が共存していることが明らかとなっている。本研究では、土壌環境から抗菌物質生産菌を分離し、本菌が形成するバイオフィルムにどのような種が共存可能となるのか解析を行うこととした。また、構築されたバイオフィルムから構成種を分離し、それら種間での関係性を明らかにすることでバイオフィルムの多種共存機構を明らかにすることとした。

1) 抗菌物質pyocyanin生産菌Pseudomonas aeruginosa P1株の分離・同定

本研究においてバイオフィルムの形成には、Tryptic soy broth、37°Cの条件にて培地を連続的に供給するflow cellシステムを用いた。土壌を分離源として構築したバイオフィルムからグラム陽性菌に対して強い抗菌活性を有するP1株を分離した。16S rRNA、および16S-23S spacer region塩基配列の結果から、本菌はP. aeruginosaと高い相同性を有することが確認された。一般に、P. aeruginosaはpyocyaninと呼ばれるグラム陽性菌に対して強い生育阻害効果を発揮する抗菌物質を生産することが知られている。P1株の抗菌活性フラクションをMS解析に供した結果、本菌の生産する抗菌物質はpyocyaninであることが同定された。P1株は、flow cellに2日培養でバイオフィルムを形成することが確認され、また、6日培養までその形成が維持されていた。

2) P1株を含む複合系バイオフィルムの構築

P1株のバイオフィルムと共存可能となる微生物種を特定するため、flow cell内にP1株をあらかじめ2日間培養してバイオフィルムを作製し、そこへ土壌懸濁液の導入を行った。ここで用いた土壌懸濁液はP1株を分離したものとは異なるもので、pyocyanin生産菌が含まれないことを確認している。土壌懸濁液導入後2日目、4日目のバイオフィルムについてFISH解析を行った。ここでは、P1株、グラム陽性菌、およびこれらを含むすべてのバクテリアを検出する3種のプローブを用いた。その結果、土壌懸濁液導入2日目から4日目までP1株がバイオフィルムの基底部に優占化していることが確認された。一方、グラム陽性菌を示す蛍光は導入後2日培養では確認されなかったのに対し、導入後4日培養においてその存在が確認された。この時のflow cellのoutflow培養液は、グラム陽性菌に対して生育阻害活性を有することが確認された。PCR-DGGE法によりバイオフィルム構造を経時的に解析した結果、導入後2日培養でP1株とグラム陰性菌Raoultella属細菌の存在が明らかとなった。また、4日培養ではこれら2細菌に加えてグラム陽性菌Brevibacillus属細菌の存在が明らかとなった。この結果は、上記FISH解析の結果を反映しているものと考えられた。土壌懸濁液導入後4日目のバイオフィルムから構成種の分離を行った。その結果、DGGE解析で明らかとなった細菌種Raoultella R1株、Brevibacillus S1株に加え、複数種の細菌が分離された。pyocyaninの抗菌メカニズムは、活性酸素種の産生を介して行われることが明らかとなっている。そこで、各単離菌のP1株由来のpyocyaninに対するMIC、カタラーゼ、SOD活性を測定した。その結果、S1株を含む4種のグラム陽性菌は低濃度のpyocyaninに対して感受性を示し、それを裏付けるようにカタラーゼ活性、SOD活性も低い値を示した。一方、グラム陰性菌である2種のRaoultella属細菌は、pyocyaninに対して耐性を示した。以上の結果から、バイオフィルムにおいてpyocyanin生産菌と感受性菌が共存していることが明らかとなった。

a 96穴タイタープレートを用いた590 nmの吸光度値により評価。 b 対数増殖期後期に2.5 μg /mlのpyocyaninを添加した時の活性値。c PCR-DGGE法により検出された細菌。d N.T., not tested

3) pyocyanin生産菌と感受性菌の共存メカニズムの解析

pyocyanin生産菌と感受性菌の共存メカニズムについて明らかにするため、上記複合系バイオフィルムの優占種であるpyocyanin生産菌Pseudomonas P1株、感受性菌Brevibacillus S1株、耐性菌Raoultella R1株の3種を用いて2種、3種共培養実験を行った。これら3種は単独培養条件で2日以内にバイオフィルムを形成することが確認された。また、液体培養条件において、これら3種は共存することができず、S1株が系内から駆逐されることが確認された。

初めに、flow cell内にP1株が形成するバイオフィルムへR1株もしくはS1株を単独で導入した際のP1株へ及ぼす影響について評価した。ここでは各細菌に特異的なプローブを用いたFISH法により評価を行った。この結果、P1株のバイオフィルム形成、およびpyocyanin生産性に他菌種導入の影響は見られなかった。また、4日培養の間、S1株は単独でP1株のバイオフィルム上で定着・増殖することはできなかった。

次に、S1株のバイオフィルム形成に及ぼすP1株由来のpyocyaninの影響について評価するため、pyocyanin合成遺伝子の1つであるphzM遺伝子を相同組換えにより破壊したpyocyanin非生産株PHZ201株を作製した。本菌は、単独でP1株と同等のバイオフィルム形成能を持つことが確認された。PHZ201株が形成するバイオフィルムにS1株を単独で導入した結果、培養初期において2種の共存が確認された。このことから、S1株とP1株の間には、pyocyaninを介した拮抗的相互作用の存在が証明された。

S1株のバイオフィルム形成におけるR1株の役割について解析を行った。S1株とR1株を1:1の割合で調製した混合液をflow cellに導入した結果、培養2日目以降2種がランダムに存在するバイオフィルムを形成した。P1株が形成するバイオフィルムへS1株とR1株の混合液を導入し、培養を行った結果、導入2日培養のバイオフィルム内においてS1株の出現は確認されなかったのに対し、導入後4日培養ではS1株の出現が確認された。この時、P1株は基底部で優占化していた。また、この時S1株が存在する局所はR1株に覆われた構造を有していた。これは基底部に存在するP1株由来pyocyaninだけではなく、培養液中に含まれるpyocyaninからも保護されているものと考えられた。一方、PHZ201株のバイオフィルムにS1株とR1株の混合液を導入した結果、2日目では各細菌がランダムに存在しており、また培養時間の延長に伴いPHZ201株がバイオフィルムから分散する様子が確認された。このことから、バイオフィルム内部由来の抗菌物質は、バイオフィルムの局在性だけではなく、自身のバイオフィルム形成にも大きく影響するものと考えられた。

本研究のまとめ

本研究において、バイオフィルム内での抗菌物質生産菌と感受性菌の共存する系の再構築に成功し、その共存メカニズムを明らかにした。それには、種間の様々な相互作用の存在が必須であると考えられ、このことが種多様性の維持につながるものと考えられた。従来、微生物の抗菌物質生産は抗菌作用のみが強調されてきた。本研究より、複合系バイオフィルムの解析から、抗菌物質の新たな役割が示唆された。

Table 1. 複合系バイオフィルムから分離された細菌

図1 バイオフィルム内におけるpyocyanin生産菌と感受性菌の共存モデル

図内矢印はpyocyaninを示す

審査要旨 要旨を表示する

バイオフィルムとは固体表面上に付着した微生物のフィルム状構造体であり、その構成種は菌体外成分に覆われ密集した状態で存在している。自然環境もしくは人工的環境下において、バイオフィルムは単一種により構成されているのではなく、他種も存在し、それらとの相互作用が強く影響を受けていることが予想される。自然界のバイオフィルムは、異なる代謝機能を持つ多様な個体群からなる微生物集団によって構成されており、基質の供給が限定されたような環境ではこれら微生物が階層構造をとって共生していることが観察されている。一方、敵対的関係も知られており、それらは個々の種の生存戦略であると考えられる。中でも抗菌物質生産による他菌の排除機構は最も有効な戦略の1つであると考えられる。このような拮抗的関係性があるにも関わらず、バイオフィルム内部では多種多様な種が共存していることが明らかとなっている。本研究では、土壌環境から抗菌物質生産菌を分離し、本菌が形成するバイオフィルムにどのような種が共存可能となるのか解析を行うこととした。また、バイオフィルムから構成種を分離し、それらの種間の関係性を明らかにすることで、多種共存機構を明らかにすることとした。

まず、土壌を分離源として構築したバイオフィルムからグラム陽性菌に対して強い抗菌活性を有するP1株を分離した。16SrRNA、および16S-23S spacer region塩基配列の結果から、本菌はP.aeruginosaと高い相同性を有することが確認された。P1株の抗菌活性フラクションをMS解析に供した結果、本菌の生産する抗菌物質は既知と同様のpyocyaninであることが同定された。P1株は、flow cellに2日培養でバイオフィルムを形成することが確認され、また、6目培養までその形成が維持されていた。

次にP1株のバイオフィルムと共存可能となる微生物種を特定するため、flow cell内にP1株をあらかじめ2日間培養してバイオフィルムを作製し、そこへ土壌懸濁液の導入を行った。土壌懸濁液導入後2日目、4日目のバイオフィルムについて異なる3種のプローブを用いてFISH解析を行った。その結果、土壌懸濁液導入2日目から4日目までP1株がバイオフィルムの基底部に優占化していることが確認された。一方、グラム陽性菌を示す蛍光は導入後2日培養では確認されなかったのに対し、導入後4日培養においてその存在が確認された。この時のflow cellのoutflow培養液は、グラム陽性菌に対して生育阻害活性を有することが確認された。土壌懸濁液導入後4日目のバイオフィルムから構成種の分離を行った。その結果、バイオラィルムの優占種としてpyocyanin耐性菌RaoultellaR1株と、感受性菌BrevbacillusS1株が分離された。

pyocyanin生産菌と感受性菌の共存メカニズムについて明らかにするため、P1株、S1株、R1株の3種を用いて、2種、3種共培養による種間相互作用について解析を行った。これら3種は単独培養条件で2日以内にバイオフィルムを形成することが確認された。また、液体培養条件において、これら3種は共存することができず、S1株が系内から駆逐されることが確認された。

さらに、flow cell内にP1株が形成するバイオフィルムへR1株もしくはS1株を単独で導入した際のP1株へ及ぼす影響について評価した。ここでは各細菌に特異的なプローブを用いたFISH法により評価を行った。この結果、P1株のバイオフィルム形成、およびpyocyanin生産性に他菌種導入の影響は見られなかった。また、4日培養の間、S1株は単独でP1株のバイオフィルム上で定着・増殖することはできなかった。次に、S1株のバイオフィルム形成に及ぼすP1株由来のpyocyaninの影響について評価するため、pyocyanin合成遺伝子の1つであるphzM遺伝子を相同組み換えにより破壊したpyocyanin非生産株PHZ201株を作製した。本菌は、単独でP1株と同等のバイオフィルム形成能を持つことが確認された。PHZ201株が形成するバイオフィルムにS1株を単独で導入した結果、培養初期において2種の共存が確認された。このことから、S1株とP1株の間には、pyocyaninを介した拮抗的相互作用の存在が証明された。

S1株のバイオフィルム形成におけるR1株の役割について解析を行った。S1株とR1株を1:1の割合で調製した混合液をflow cellに導入した結果、培養2日目以降2種がランダムに存在するバイオフィルムを形成した。P1株が形成するバイオフィルムへS1株とR1株の混合液を導入し、培養を行った結果、導入2日培養のバイオフィルム内においてS1株の出現は確認されなかったのに対し、導入後4日培養ではS1株の出現が確認された。この時、P1株は基底部で優占化していた。また、この時S1株が存在する局所はR1株に覆われた構造を有していた。これは基底部に存在するP1株由来pyocyaninだけではなく、培養液中に含まれるpyocyaninからも保護されているものと考えられた。一方、PHZ201株のバイオフィルムにS1株とR1株の混合液を導入した結果、2日目では各細菌がランダムに存在しており、また培養時間の延長に伴いPHZ201株がバイオフィルムから分散する様子が確認された。このことから、バイオフィルム内部由来の抗菌物質は、バイオフィルムの局在性だけではなく、自身のバイオフィルム形成にも大きく影響するものと考えられた。

以上、本研究は、抗菌物質生産菌とそれに感受性を示す細菌が共存するバイオフィルム集団の構築に成功、このバイオフィルムから分離した細菌種を用いて、.抗菌物質生産菌と感受性菌の共存する系の再構築に成功し、その共存メカニズムとして、抗菌物質耐性菌の存在と、空間的局在性が必須であることが明らかとした。これらの知見は、学術上また応用上寄与するところが多い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位としてふさわしいと認めた。

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