学位論文要旨



No 123816
著者(漢字) 井上,暢
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,トオル
標題(和) (+)-リゼルグ酸の合成研究
標題(洋)
報告番号 123816
報告番号 甲23816
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1243号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 准教授 金井,求
内容要旨 要旨を表示する

【研究目的と背景】

(+)-リゼルグ酸(1)は、様々な生理活性を有する麦角アルカロイド種の構成分子である1)。1は、4環性の特異な構造と麦角アルカロイド種の持つ様々な生理活性のため活発に合成研究が行われてきており、現在までに10例のラセミ体での全合成が報告されている2)。その一方で不斉全合成の報告は、中間体の光学分割を含む報告が1例あるのみである3)。このような背景の中、当研究室において(+)-リゼルグ酸(1)の不斉全合成が行われたが4)、効率の点で課題が残されていた。そこで今回筆者は、(+)-リゼルグ酸(1)の効率的な不斉全合成ルートの確立を目的として研究に着手することとした。

(+)-Lysergic acid (1)

【結果および考察】

リゼルグ酸(1)の逆合成解析を以下に示す(Scheme 1)。この化合物の構造上の特徴として、インドール骨格に縮環したC環と不斉点を有するテトラヒドロピリジンであるD環の2つが挙げられ、これらをいかに効率よく構築するかが合成上のポイントとなる。まずリゼルグ酸(1)のC環は、合成の最終段階で二重結合の異性化を伴う分子内Heck反応を用いて構築できると考えた。次にその前駆体2のインドール骨格は、当研究室で開発したラジカル環化反応5)を用いて構築することとした。またその前駆体3は、D環を含むアルデヒド4とA環ユニット5とのHorner-Wadsworth-Emmons反応により合成可能とした。

まず文献既知の臭化ベンジル66)に対してArbuzov反応を行うことでホスホネートへと変換後、ニトロ基の還元と生じたアニリン誘導体のジクロロカルベンによる処理を行うことでA環ユニット5の合成を行った(Scheme 2)。続いて得られた5を用いて、モデルアルデヒドを用いて環化反応の検討を行った。まずモデルアルデヒドとしてベンズアルデヒドを用いた際には、Horner-Wadsworth-Emmons反応による連結、およびラジカル条件下での環化反応ともに円滑に進行し、インドール8を得ることができた。しかしながらモデルのアルデヒドとしてシクロヘキサンカルバルデヒドを用いた際には、Horner-Wadsworth-Emmons反応による連結は進行し環化前駆体9を得ることができるものの、続くラジカル環化反応は種々の検討にも関わらず進行せず、系が複雑化するのみであった。この反応性の違いは、環化の中間体として生じるラジカル11の安定性の違いに起因していると考えている。

Reagents and conditions: (a) P(OEt)3, 120 ℃; (b) Fe, FeC12, AcOH, EtOH, reflux, 97% (2 sterps); (c) CHC13, BnEt3N+ Br-, CH2Cl2/NaOH aq, 80%; (d) LDA; benzaldehyde, THF, -78 ℃ to rt, 68%; (e) n-Bu3SnH, AIBN, MeCN, reflux; HClaq, 57%;(f) LDA; cyclohexanecarboxaldehyde, THF, -78 ℃ to rt, 77%.

以上の結果を受けてHeck反応前駆体2へ向け、新たな逆合成解析を行った(Scheme 3)。すなわち、4-ブロモインドール127)とD環を含む酸塩化物13とを3位でカップリング後、生じたカルボニル基を除去することにより2を合成可能と考えた。最後に酸塩化物13は、L-ピログルタミン酸より容易に調製可能と考えられるエナミド14のジブロモシクロプロパン化と引き続く環拡大反応を鍵反応として誘導できると考えた。

まずD環を含む酸塩化物13の合成を以下のように行った(Scheme 4)。文献既知の158)の窒素原子をCbz基で保護した後に、生じたイミドの還元と続く脱水反応によりエナミド16へと導いた。次に16にジブロモカルベンを作用させ、シクロプロパン17へと変換した。ここでキシレン中加熱還流を行うと、2電子系の逆旋的な電子環状反応が進行することでシクロプロパン環が解裂し9)、18のような6員環のアシルイミニウムカチオンの生成後、矢印で示した脱プロトン化が進行してジヒドロピリジン19が得られた。続いて19を酸性条件下還元することでテトラヒドロピリジン20へと変換した。次にカルボニレーションによりClユニットを導入して不飽和エステル21へと変換後、Ritterらによって報告された方法10)を用いて二重結合を保持しつつ、Cbz基の除去を行った。続いて生じた2級アミンをNs基で保護することで22へと誘導した。最後に酸性条件下Piv基を除去した後に、生じた1級アルコールをJones試薬によりカルボン酸23へと変換した。最後にGhosezらにより報告されているエナミン2411)を用いて、中性条件下23を酸塩化物25に変換して、D環ユニットの合成を完了した。

Reagents and conditions: (a) LHMDS; CbzCl, THF, -78 ℃, 91%; (b) DIBAL, THF, -78 ℃; (c) CSA, pyridine, toluene, reflux, 80% (2 steps); (d) CHBr3, BnEt3N+Br-, CHZCl2/NaOH aq, 84%; (e) xylene, reflux, 85% (f) Tf2NH, Et3SiH, AcOH; (g) CO (100 psi), Pd(PPh3)4, Et3N, McOH, 90 ℃, 33% (2 steps); (h) PdCl2, Et3SiH, Et3N, CH2Cl2, 83%; (i) NsCl, NaHCO3, CHZCl2/H2O, 87%; (j) AcCl, McOH, reflux, 80%; (k) Jones' reagents, acetone, 0 ℃, 93%; (1) CH2Cl2.

続いてD環ユニットと4-ブロモインドール(9)7)とのカップリングを行った(Scheme 5)。4-ブロモインドール(9)7)をエチルグリニャール試薬で処理後、25を加えるとインドールの3位でのアシル化が進行し、カップリング体26を中程度の収率で得ることができた。続いてケトンの活性化を目的として、26のインドール窒素原子にAlloc基を導入後、ケトンの還元を行うことでアルコール28を得た。続いて28のNs基を除去を試みたところ、Ns基のみが除去された30とNs基とAlloc基の両方が除去された29が得られた。両化合物を分離後、それぞれ還元的アルキル化を行なうことでD環窒素原子のメチル化を行なった。さらにのAlloc基を除去した後に、酸性条件下トリエチルシランを作用させることで水酸基の除去を行ない、33へと導いた。

続いてインドール窒素原子をBoc基で保護した後に、得られた保護体をLTMPで処理し、飽和塩化アンモニウム水溶液で反応を停止したところ、低収率ではあるが望みとするβ,r-不飽和エステル34を得ることができた。本基質は分子内Heck反応に適した位置に二重結合を有しており、現在分子内Heck反応によるC環構築の検討を行っているところである。

Reagents and conditions: (a) EtMgBr, benzene/Et20, 0 ℃; 25, 0 ℃, 48% (2 steps) (b) AllocCl, DMAP, Et3N, CH2Cl2, 0 ℃, 71%; (c) NaBH4, THF/H2O, --20 ℃, 83%; (d) PhSH, Cs2CO3, DMF, 0 ℃; (e) HCHO aq, AcOH, NaBH3CN, McOH (f) Pd(PPh3)4, pyrrolidine, THF; (g) TFA, Et3SiH, CH2Cl2, 0 ℃, 36% (from 28); (h) Boc2O, DMAP, MeCN, 0 ℃, 80%; (i) LTMP, THF, -78 to 0 ℃; NH4Cl aq, 37%

1) (a) Stoll, A.; Hofmann, A. In the Alkaloids, Vol. 8; Manske, R. H. F.; Holmes. H. L., Ed.; Academic Press: New York, 1965; p725. (b) Stadler, P. A.; Stutz, P. In the Alkaloids, Vol. 15; Manske, R. H. F.; Holmes. H. L., Ed.; Academic Press: New York, 1975; pl. (c) Groger, D.; Floss, H. G. In the Alkaloids, Vol. 50; Cordell, G. A., Ed.; Academic Press: New York, 1990; p171. 2) For a recent review, see: Ninomiya, I.; Kiguchi, T. In the Alkaloids, Vol. 50; Brossi, A. Ed.; Academic Press: New York, 1990; p1. 3) Moldvai, I.; Temesvari-Major, E.; Incze, M.; Szentirmay, E.; Gacs-Baitz, E.; Szantay, C. J. Org. Chem. 2004, 69, 5993. 4) 磯村峰孝, 東京大学大学院薬学系研究科修士論文, 2004. 5) Tokuyama, H.; Watanabe, M.; Hayashi, Y.; Kurokawa, T.; Peng, G.; Fukuyama, T. Synlett, 2001, 1403. 6) Moyer, M. P.; Shiurba, J. F.; Rapoport, H. J. Org. Chem. 1986, 51, 5106.7) Nicolaou, K. C.; Snyder, S. A.; Huang, X.; Simonsen, K. B.; Koumbis, Al. E.; Bigot, A. J. Am. Chem. Soc., 2004, 126, 10162. 8) Felix, B.; Pedro, de M.; Marta, F.; Josep, F.; Timothy, G.; Sergio, M. Tetrahedron: Asymmetry 2002, 13, 437. 9) Christl, M.; Herzog, C.; Bruckner, D.; Lang, R. Chem. Ber. 1986, 119, 141. 10) Birkofer, L.; Bierwirth, E.; Ritter, A. Chem. Ber. 1961, 94, 821. 11) Haveaux, B.; Dekoker, A.; Rens, M.; Sidani, R; Toye, J.; Ghosez, L. Org. Synth., Coll. Vol. VI 1988, 26.

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

Scheme 5

審査要旨 要旨を表示する

(+)-リゼルグ酸(1)は、様々な生理活性を有する麦角アルカロイド種の構成分子である。1は、4環性の特異な構造と麦角アルカロイド種の持つ様々な生物活性のため活発に合成研究が行われてきており、現在までに10例のラセミ体での全合成が報告されている。その一方で不斉全合成の報告は、中間体の光学分割を含む報告が1例あるのみである。このような背景の中、井上は、(+)-リゼルグ酸(1)の効率的な不斉全合成ルートの確立を目的として本研究を行った。

(+)-Lysergic acid (1)

まず井上はD環ユニット12の舗を行った(Scheme 1)。文献既知の2の窒素原子をCbz基で保護した後に、生じたイミドの還元と続く脱水反応によりエナミド3へと導いた。次に3にジブロモカルベンを作用させ、シクロプロパン4へと変換し、キシレン中加熱還流することにより、5のような6員環のアシルイミニウムカチオンを経由することによりジヒドロピリジン6を得た。次に、6を酸性条件下還元してテトラヒドロピリジン7へと変換した。触媒的カルボニル化により不飽和エステル8へと変換後、加水素分解によって二重結合を保持しつつCbz基の除去を行った。生じ準2級アミンをNs基で保護することで9へと誘導した。さらに常法による2段階を経てカルボン酸10へと変換した後、中性条件下10を酸塩化物12に変換して、D環ユニットの合成を完了した。

Scheme 1

Reagents and conditions: (a) LHMDS; CbzCl, THF, -78 ℃, 91%; (b) DIBAL, THE, -78 ℃; (c) CSA, pyridine, toluene, reflux, 80% (2 steps); (d) CHBr3, BnEt3N+Br , CH2Cl2/NaOH aq, 84%; (e) xylene, reflux, 85% (f) Tf2NH, Et3SiH, AcOH; (g) CO (100 psi), Pd(PPh3)4, Et3N, McOH, 90 ℃, 33% (2 steps); (h) PdC12, Et3SiH, Et3N, CH2Cl2, 83%; (i) NsCl, NaHCO3, CH2Cl2/H20, 87%; (j) AcCl, McOH, reflux, 84%; (k) Jones' reagents, acetone, 0 ℃, 93%; (1) CH2Cl2.

続いで井上はD環ユニット12と4一プロモインドール(13)とのカップリングを行った(Scheme 2)。4-プロモインドール(13)をエチルグリニャール試薬で処理後、12を加えるとインドールの3位でのアシル化が進行し、カップリング体14を得た。次に、ケトンの活性化を目的として、14のインドール窒素原子にAlloc

Scheme 2

Reagents and conditions: (a) EtMgBr, benzene/Et20, 0 ℃; 25, 0 ℃, 48% (2 steps) (b) AllocCl, DMAP, Et3N, CH2C12, 0 ℃, 71%; (c) NaBH4, THE/H20, -20 ℃, 83%; (d) PhSH, Cs2CO3, DMF, 0 ℃; (e) HCHO aq, AcOH, NaBH3CN, McOH (f) Pd(PPh3)4, pyrrolidine, THF; (g) TFA, Et3SiH, CH2Cl2, 0 ℃, 36% (from 28); (h) Boc20, DMAP, MeCN, 0 ℃, 80%; (i) LTMP, THF, -78 ℃; 2, 6-di-t-butyl-phenol (34), 54%

基を導入後、ケトンの還元を行うことでアルコール16を得た。さらに、16のNs基とAlloc基を除去してバメチル化した20を、酸性条件下トリエチルシランを作用させて21を得た。21のインドール窒素原子をBoc基で保護した後に、強塩基であるLTMPを用いてα,β-不飽和エステルの脱プロトン化し、2,6-ジーターシャリーブチルフェノール(22)でプロトン化する事で、β,γ-不飽和エステル23を得た。23の類縁体は分子内Heck反応によってリゼルグ酸の基本骨格が形成されることは知られており、未完成ではあるが光学活性リゼルグ酸の全合成に大きく前進したものと考えられる。

以上のように井上は(+)-リゼルグ酸(1)の効率的全合成を目的として研究を行い、D環上の窒素原子α位の不斉点を制御して環化反応前駆体を合成するルートを確立し、その効率的全合成への道を切り開いた。よって薬学研究に寄与するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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