学位論文要旨



No 123899
著者(漢字) 植田,幸嗣
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,コウジ
標題(和) グライコプロテオーム解析技術を用いた、肺癌糖鎖標的腫瘍マーカー同定法の開発
標題(洋) Glycoproteomic Profiling of Lung Cancer Serum Proteome: Novel Approaches for Carbohydrate-targeting Tumor Marker Discovery
報告番号 123899
報告番号 甲23899
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第365号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 片桐,豊雅
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 渡邊,俊樹
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 准教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

肺癌は我が国における全悪性新生物による死亡数のうち、男性で1位、女性で2位を占めており、死亡数の増加率は全がん中で1位である(平成17年厚生労働省人口動態統計)。また、肺癌全体での5年生存率は20%に満たないことからも、新規分子標的治療薬の開発や早期診断が可能な新規バイオマーカーの発見が急務となっている。一方で、近年の糖鎖構造、機能解析技術の発展により、癌の進行、転移、浸潤とタンパク質の糖鎖構造変化が密接に関与していることが次々と証明されてきている。現在使用されている腫瘍マーカーの過半数が癌特異的糖鎖抗原を利用したものであることからも、血清タンパク質上糖鎖の癌性変化は特異性の高い腫瘍マーカーの標的となり得るだけでなく、浸潤、転移を抑制する新たな創薬ターゲットとしても期待される。

本研究では2種の異なるグライコプロテオーム解析手法を用いて、肺癌の早期診断や予後予測のバイオマーカーとなり得る、血清タンパク質上の癌特異的糖鎖構造を網羅的に同定する解析法を構築した。

1) (12)C6-, (13)C6-NBS安定同位体ラベル法とMALDI-QIT-TOF質量分析計を用いた高感度スクリーニング法

血清を構成するタンパク質の濃度幅は、最も多量な成分(アルブミンなど)から微量タンパク質(インターロイキンファミリーなど)まで、実に1014以上にも及ぶ。しかしながら現行の質量分析計のダイナミックレンジは103~105に過ぎない。したがって、腫瘍マーカーとして主に用いられているタンパク質(10-1~102 ng/ml)を検出するには、従来法通り多段階の分画精製を行うだけではなく、検出すべき対象を特異的に単離、分析するFocused Proteomicsの技法が重要な意義を持つ。

本研究では、(1)抗体カラムを用いた血中多量タンパク質の除去、(2)レクチンカラムによる糖鎖構造特異的な糖タンパク質精製、(3)12C6-, 13C6-nitrobenzenesulfenyl (NBS)安定同位体タグによるトリプトファン特異的ラベル、(4)2D-μHPLCによるペプチドの分画、(5)Matrix assisted laser desorption/ionization- Quadrupole ion trap- Time of flight mass spectrometry (MALDI-QIT-TOF MS)による定量解析及びタンパク質同定の5段階から構成される糖鎖標的腫瘍マーカー候補の網羅的スクリーニング法を構築した。解析サンプルには、文部科学省リーディングプロジェクト「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」のバイオバンクジャパンにおいて収集されたIV期肺腺癌患者血清5症例を使用した。

(1)では、血清中からMARS Hu-6 column (Agilent technologies)を用いて、血清タンパク質総質量の88%を占める6種類の多量タンパク質を除去した。続いて(2)でN型糖鎖基幹部分に存在するFuc(α1,6)GlcNAc※構造を特異的に認識するLens culinaris (LCA)レクチンをアガロースビーズにカップリングしたレクチンビーズをHPLCカラムに充填し、μHPLCによってFuc(α1,6)GlcNAc構造を持つ血清タンパク質を特異的に濃縮、精製した。LCAレクチンカラムを用いたこの精製でのタンパク質収率は約8%であった。

ここまで精製を行ったサンプルでも、その構成成分の濃度分布は非常に広く、血中微量タンパク質の質量分析による検出が困難であった。そこで定量的質量分析用のアイソトープタグとして12C6-, 13C6-NBSラベルの使用を選択した((3))。このタグはタンパク質中のトリプトファン残基のみに共有結合する。さらに、ラベル化タンパク質をトリプシン消化した後、フェニルカラムクロマトグラフィーによって容易に非ラベルペプチドを除去することが可能である。トリプトファンはin silicoプロテオーム解析によって全タンパク質の96%に少なくとも1つ以上含まれることがわかっているが、最も低頻度に出現するアミノ酸残基であるため、非ラベル化ペプチドをあらかじめ除去することにより、網羅性を維持しつつ解析母集団を大幅に削減することができる。このステップにより、検出タンパク質数の増加だけでなく微量タンパク質の検出感度を大きく向上することができた。

(12)C6-NBSでラベルした健常者ユニバーサルコントロールと、13C6-NBSでラベルした各肺癌症例サンプルを混合後、1.0 × 50 mm PolySULFOETHYL A column (PolyLC)、0.3 × 150 mm CAPCELL PAK C18 MGII column (資生堂)から構成される2D-μHPLCを用いて1サンプルセットを1192フラクションに分画し、MALDIターゲットプレートにマトリクスと共に自動分注した((4))。ここで、NBSタグ中のニトロ基は質量分析器内でラジカル反応により崩壊し、-14、-16、-30 Daの質量を持つ二次生成イオンを与えるため、2,5-dihydroxybenzoic acid (DHB)と4-hydroxy-3-nitrobenzoic acid (HNBA)を混合した独自のマトリクスを開発し、タグのPSD(Post source decay)を最小限に抑制できることを見いだした。

これら1192 fraction×5 samplesに対してMALDI-QIT-TOF MS解析を行い、そのスペクトルから得られたピークの質量数、強度をデータベース化した。12C6-NBSと13C6-NBSの間には6 Daの質量差が存在するため、健常者血清サンプル中に存在した糖タンパク質と、肺癌患者血清サンプル中に存在した同タンパク質の量比はこの6 Da差のピーク強度を比較することで求められる。また、従来通りレクチンカラム精製後サンプルを用いた定量比較のみでは、12C6/13C6のピーク強度に有意差があったとしても、それが糖鎖構造変化に由来するものなのかコアタンパク質の存在量比に由来するものなのかが判断できない。この問題点を克服するために、本研究ではLCAレクチンカラム精製前のサンプルも同様に定量解析を行い、LCAレクチンカラム精製後のサンプルから得られた定量解析結果からコアタンパク質自体の量比を差し引くことによって、糖鎖構造変化にのみフォーカスした定量解析を可能とした。

肺癌患者血清5例に対して上記解析を行った結果、レクチンカラム精製後サンプルから計2549の13C6/12C6ペアピークが検出され、そのうち170ペアで肺癌患者血清中でのFuc(α1,6)GlcNAc構造付加率の亢進が、150ペアでは減少が予測された。この合計320ペアピークに対してMALDI-QIT-TOF MS/MSによるタンパク質同定を試み、175ペアのMS/MSスペクトルからNBSラベル化ペプチドを確認した。これ以外はMS/MSスペクトルが十分な強度で得られなかったもの、もしくは偶発的に6 Daの質量差を持った別のペプチドが同じフラクションから検出されたものであった。この175ペアから、最終的に65ペプチドの配列の同定に成功し、これらは34個のタンパク質に帰属された。

この34タンパク質の糖鎖標的腫瘍マーカー候補から、肺癌患者血清において顕著なフコシル化亢進、もしくは減少が予測されたHaptoglobinとPigment epithelial differentiating factor (PEDF) について、レクチンブロット、及びMALDI-QIT-TOF MSnを用いた糖鎖構造解析による確認実験を行った。スクリーニングに使用した血清サンプルを含む健常人10例、肺癌患者血清10例を用いた検証実験の結果、Haptoglobin、PEDF上のN型糖鎖にはα1,6フコシル化の高頻度な増加、減少がそれぞれ検出できた。また、フコシル化頻度増減の割合もNBSラベル法での定量結果とよく一致していた。

これらのことから、本研究で樹立した糖鎖標的腫瘍マーカーの網羅的同定法は、血清タンパク質上の特定の糖鎖構造変化を、高感度かつ定量的に検出することが可能であることが示された。本手法はレクチンの種類を増やすことで、あらゆる疾患の血清中での多様な糖鎖標的バイオマーカー探索に応用が可能であると考えられた。

2) Lectin-coupled ProteinChipシステムとSELDI-TOF質量分析法を用いた

血清糖タンパク質のハイスループットプロファイリング

前述のスクリーニング法開発に加え、さらなるスループットの向上、レクチン精製ステップの簡便化を目的として、レクチン結合ProteinChipとSurface enhanced laser desorption/ionization- Time of flight mass spectrometry (SELDI-TOF MS) を用いた糖タンパク質プロファイリング法を構築した。

本手法ではMARS Hu-14 column (Agilent technologies)を用いて、血清タンパク質総質量の94%を占める14種類のタンパク質を除去した血清サンプル20例をレクチン結合ProteinChipとの反応に使用した。このサンプルをそれぞれGalNAc-Ser/Thr※構造を持つO型糖鎖全般を認識するJacalinレクチン、もしくはNeu5Ac (α2, 6) Gal/GalNAc※構造を特異的に認識するSNAレクチンを結合させたProteinChipにアプライし、目的の糖鎖構造を持つタンパク質をトラップしたそれらProteinChipを直接SELDI-TOF MSにて解析した。

これまで、通常使用されるマトリクス(CHCA, DHB, SPAなど)を用いるとN型、O型糖鎖上に存在するシアル酸残基の顕著な脱離が起き、糖タンパク質定量解析において大きな障害となっていた。しかし2, 4, 6-Trihydroxyacetophenone (THAP)をマトリクスとして使用することによってこの崩壊を最小限に抑えられることを見いだし、酸性糖タンパク質の正確な定量解析を可能とした。

この解析から、肺癌患者血清においてNeu5Ac (α2, 6) Gal/GalNAc構造に高頻度の欠失が予測される質量数9851のピークが検出された。このピークに相当するタンパク質を、陰イオン交換スピンカラム、Tris-tricine SDS-PAGEによって濃縮、精製し、最終的にMALDI-QIT-TOF MS/MS解析からapolipoprotein C-III (APOC3)タンパク質であることを明らかにした。さらに、同MS3解析によりAPOC3タンパク質上のO型糖鎖結合部位の同定にも成功した。

次に、各種sialidase、Endo-α-N-acetylgalactosaminidase処理、およびMALDI-TOF MSリニアモードでの解析によってAPOC3の一箇所の糖鎖結合部位にはI: Neu5Ac (α2, 3) Gal (β1, 3) [Neu5Ac (α2, 6)] GalNAc、II: Neu5Ac (α2, 3) Gal (β1, 3) GalNAcの2種類の糖鎖構造があることを明らかにした。さらにスクリーニングに用いた20症例と同じサンプルを用いたウェスタンブロッティング解析により、健常者血清では糖鎖構造Iの方がメジャーであるが、肺癌患者血清では高頻度に構造IIの存在量の方が多くなっていることが確認され、この結果はProteinChipを用いた定量的プロファイリングの結果とよく一致していた。

本スクリーニング法は、マーカータンパク質の同定を別途行わねばならない短所があるが、多検体から極めて迅速に糖鎖構造プロファイルを得ることができる処理能力を有しており、統計学的処理によって確実性の高い糖鎖標的腫瘍マーカースクリーニングが可能になることが示された。

※GlcNAc: N-acetylglucosamine, GalNAc: N-acetylgalactosamine, Fuc: fucose Gal: galactose, Neu5Ac: N-acetylneuraminic acid
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、2章からなり、第1章はMALDI-QIT-TOF質量分析計を用いた高感度スクリーニング法の開発、第2章は、Lectin-coupled ProteinChipシステムとSELDI-TOF質量分析法を用いた血清糖タンパク質のハイスループットプロファイリングについて述べられている。

本研究は、近年本邦において全悪性新生物による死亡数のうち、男性で1位、女性で2位を占めており、死亡数の増加率が全がん中で1位である肺癌(平成17年厚生労働省人口動態統計)における早期診断が可能な新規バイオマーカーの開発を目的に行った。その手法として、2種の異なるグライコプロテオーム解析を用いて、肺癌の早期診断や予後予測のバイオマーカーとなり得る、血清タンパク質上の癌特異的糖鎖構造を網羅的に同定する解析法を構築した。

1) (12)C6-, (13)C6-NBS安定同位体ラベル法とMALDI-QIT-TOF質量分析計を用いた

高感度スクリーニング法

血清を構成するタンパク質の濃度幅は、最も多量な成分(アルブミンなど)から微量タンパク質(インターロイキンファミリーなど)まで、実に1014以上にも及ぶ。しかしながら現行の質量分析計のダイナミックレンジは103~105に過ぎない。したがって、腫瘍マーカーとして主に用いられているタンパク質(10(-1)~102 ng/ml)を検出するには、従来法通り多段階の分画精製を行うだけではなく、検出すべき対象を特異的に単離、分析するFocused Proteomicsの技法が重要な意義を持つ。

本研究では、(1)抗体カラムを用いた血中多量タンパク質の除去、(2)レクチンカラムによる糖鎖構造特異的な糖タンパク質精製、(3)12C6-, 13C6-nitrobenzenesulfenyl (NBS)安定同位体タグによるトリプトファン特異的ラベル、(4)2D-μHPLCによるペプチドの分画、(5)Matrix assisted laser desorption/ionization- Quadrupole ion trap- Time of flight mass spectrometry (MALDI-QIT-TOF MS)による定量解析及びタンパク質同定の5段階から構成される糖鎖標的腫瘍マーカー候補の網羅的スクリーニング法を構築した。解析サンプルには、文部科学省リーディングプロジェクト「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」のバイオバンクジャパンにおいて収集されたIV期肺腺癌患者血清5症例を使用した。

(1)では、血清中からMARS Hu-6 column (Agilent technologies)を用いて、血清タンパク質総質量の88%を占める6種類の多量タンパク質を除去した。続いて(2)でN型糖鎖基幹部分に存在するFucose(α1,6)N-acetylglucosamine構造を特異的に認識するLens culinaris (LCA)レクチンをアガロースビーズにカップリングしたレクチンビーズをHPLCカラムに充填し、μHPLCによってFucose(α1,6)N-acetylglucosamine構造を持つ血清タンパク質を特異的に濃縮、精製した。LCAレクチンカラムを用いたこの精製でのタンパク質収率は約8%であった。

ここまで精製を行ったサンプルでも、その構成成分の濃度分布は非常に広く、血中微量タンパク質の質量分析による検出が困難であった。そこで定量的質量分析用のアイソトープタグとして12C6-, 13C6-NBSラベルの使用を選択した((3))。このタグはタンパク質中のトリプトファン残基のみに共有結合する。さらに、ラベル化タンパク質をトリプシン消化した後、フェニルカラムクロマトグラフィーによって容易に非ラベルペプチドを除去することが可能である。トリプトファンはin silicoプロテオーム解析によって全タンパク質の96%に少なくとも1つ以上含まれることがわかっているが、最も低頻度に出現するアミノ酸残基であるため、非ラベル化ペプチドをあらかじめ除去することにより、網羅性を維持しつつ解析母集団を大幅に削減することができる。このステップにより、検出タンパク質数の増加だけでなく微量タンパク質の検出感度を大きく向上することができた。

(12)C6-NBSでラベルした健常者ユニバーサルコントロールと、13C6-NBSでラベルした各肺癌症例サンプルを混合後、1.0 × 50 mm PolySULFOETHYL A column (PolyLC)、0.3 × 150 mm CAPCELL PAK C18 MGII column (資生堂)から構成される2D-μHPLCを用いて1サンプルセットを1192フラクションに分画し、MALDIターゲットプレートにマトリクスと共に自動分注した((4))。ここで、NBSタグ中のニトロ基は質量分析器内でラジカル反応により崩壊し、-14、-16、-30 Daの質量を持つ二次生成イオンを与えるため、2,5-dihydroxybenzoic acid (DHB)と4-hydroxy-3-nitrobenzoic acid (HNBA)を混合した独自のマトリクスを開発し、タグのPSD(Post source decay)を最小限に抑制できることを見いだした。

これら1192 fraction×5 samplesに対してMALDI-QIT-TOF MS解析を行い、そのスペクトルから得られたピークの質量数、強度をデータベース化した。12C6-NBSと13C6-NBSの間には6 Daの質量差が存在するため、健常者血清サンプル中に存在した糖タンパク質と、肺癌患者血清サンプル中に存在した同タンパク質の量比はこの6 Da差のピーク強度を比較することで求められる。また、従来通りレクチンカラム精製後サンプルを用いた定量比較のみでは、12C6/13C6のピーク強度に有意差があったとしても、それが糖鎖構造変化に由来するものなのかコアタンパク質の存在量比に由来するものなのかが判断できない。この問題点を克服するために、本研究ではLCAレクチンカラム精製前のサンプルも同様に定量解析を行い、LCAレクチンカラム精製後のサンプルから得られた定量解析結果からコアタンパク質自体の量比を差し引くことによって、糖鎖構造変化にのみフォーカスした定量解析を可能とした。

肺癌患者血清5例に対して上記解析を行った結果、レクチンカラム精製後サンプルから計2549の13C6/12C6ペアピークが検出され、そのうち170ペアで肺癌患者血清中でのFucose(α1,6)N-acetylglucosamine構造付加率の亢進が、150ペアでは減少が予測された。この合計320ペアピークに対してMALDI-QIT-TOF MS/MSによるタンパク質同定を試み、175ペアのMS/MSスペクトルからNBSラベル化ペプチドを確認した。これ以外はMS/MSスペクトルが十分な強度で得られなかったもの、もしくは偶発的に6 Daの質量差を持った別のペプチドが同じフラクションから検出されたものであった。この175ペアから、最終的に65ペプチドの配列の同定に成功し、これらは34個のタンパク質に帰属された。

この34タンパク質の糖鎖標的腫瘍マーカー候補から、肺癌患者血清において顕著なフコシル化亢進、もしくは減少が予測されたHaptoglobinとPigment epithelial differentiating factor (PEDF) について、レクチンブロット、及びMALDI-QIT-TOF MSnを用いた糖鎖構造解析による確認実験を行った。スクリーニングに使用した血清サンプルを含む健常人10例、肺癌患者血清10例を用いた検証実験の結果、Haptoglobin、PEDF上のN型糖鎖にはα1,6フコシル化の高頻度な増加、減少がそれぞれ検出できた。また、フコシル化頻度増減の割合もNBSラベル法での定量結果とよく一致していた。

これらのことから、本研究で樹立した糖鎖標的腫瘍マーカーの網羅的同定法は、血清タンパク質上の特定の糖鎖構造変化を、高感度かつ定量的に検出することが可能であることが示された。本手法はレクチンの種類を増やすことで、あらゆる疾患の血清中での多様な糖鎖標的バイオマーカー探索に応用が可能であると考えられた。

2) Lectin-coupled ProteinChipシステムとSELDI-TOF質量分析法を用いた

血清糖タンパク質のハイスループットプロファイリング

前述のスクリーニング法開発に加え、さらなるスループットの向上、レクチン精製ステップの簡便化を目的として、レクチン結合ProteinChipとSurface enhanced laser desorption/ionization- Time of flight mass spectrometry (SELDI-TOF MS) を用いた糖タンパク質プロファイリング法を構築した。

本手法ではMARS Hu-14 column (Agilent technologies)を用いて、血清タンパク質総質量の94%を占める14種類のタンパク質を除去した血清サンプル20例をレクチン結合ProteinChipとの反応に使用した。このサンプルをそれぞれN-acetylgalactosamine-Ser/Thr※構造を持つO型糖鎖全般を認識するJacalinレクチン、もしくはN-acetylneuraminic acid (α2, 6) Gal/N-acetylgalactosamine※構造を特異的に認識するSNAレクチンを結合させたProteinChipにアプライし、目的の糖鎖構造を持つタンパク質をトラップしたそれらProteinChipを直接SELDI-TOF MSにて解析した。

これまで、通常使用されるマトリクス(CHCA, DHB, SPAなど)を用いるとN型、O型糖鎖上に存在するシアル酸残基の顕著な脱離が起き、糖タンパク質定量解析において大きな障害となっていた。しかし2, 4, 6-Trihydroxyacetophenone (THAP)をマトリクスとして使用することによってこの崩壊を最小限に抑えられることを見いだし、酸性糖タンパク質の正確な定量解析を可能とした。

この解析から、肺癌患者血清においてN-acetylneuraminic acid (α2, 6) Gal/N-acetylgalactosamine構造に高頻度の欠失が予測される質量数9851のピークが検出された。このピークに相当するタンパク質を、陰イオン交換スピンカラム、Tris-tricine SDS-PAGEによって濃縮、精製し、最終的にMALDI-QIT-TOF MS/MS解析からapolipoprotein C-III (APOC3)タンパク質であることを明らかにした。さらに、同MS3解析によりAPOC3タンパク質上のO型糖鎖結合部位の同定にも成功した。

次に、各種sialidase、Endo-α-N-acetylgalactosaminidase処理、およびMALDI-TOF MSリニアモードでの解析によってAPOC3の一箇所の糖鎖結合部位にはI: N-acetylneuraminic acid (α2, 3) Gal (β1, 3) [N-acetylneuraminic acid (α2, 6)] N-acetylgalactosamine、II: N-acetylneuraminic acid (α2, 3) Gal (β1, 3) N-acetylgalactosamineの2種類の糖鎖構造があることを明らかにした。さらにスクリーニングに用いた20症例と同じサンプルを用いたウェスタンブロッティング解析により、健常者血清では糖鎖構造Iの方がメジャーであるが、肺癌患者血清では高頻度に構造IIの存在量の方が多くなっていることが確認され、この結果はProteinChipを用いた定量的プロファイリングの結果とよく一致していた。

本スクリーニング法は、マーカータンパク質の同定を別途行わねばならない短所があるが、多検体から極めて迅速に糖鎖構造プロファイルを得ることができる処理能力を有しており、統計学的処理によって確実性の高い糖鎖標的腫瘍マーカースクリーニングが可能になることが示された。

なお、本論文は、片桐豊雅、嶋田崇史、入江新司、佐藤孝明、中村祐輔、醍醐弥太郎との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク