学位論文要旨



No 123979
著者(漢字) 金,杭
著者(英字)
著者(カナ) キム,ハン
標題(和) セキュリティの系譜学 : 生と死のはざまに見る帝国日本
標題(洋)
報告番号 123979
報告番号 甲23979
学位授与日 2008.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第820号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,哲哉
 東京大学 教授 小林,康夫
 東京大学 教授 松浦,寿輝
 東京大学 准教授 中島,隆博
 東京外国語大学 准教授 李,孝徳
内容要旨 要旨を表示する

この論文は、セキュリティという概念を通して帝国日本の国家思想における系譜を辿ったものである。セキュリティは、ホッブズが近代主権国家の存立根拠として打ち出したもので、個人の生命と国家存立が結んでいる根源的な関係を示す概念だと言える。ホッブズによると、国家の大きさや強さは敵との比例において決定される。このことが示唆するのは、敵は国家に先立って存在しているものであり、それゆえに、このときの敵は国家の敵なのではなく個人に対する敵だということである。したがって国家が生成するのは、この絶対的に強い敵によって、暴力的に殺されるかもしれないという個人の恐怖によってだと言える。このとき個人はあらゆる防御の手立てを捨て去った素っ裸の状態にある。つまり国家は、素っ裸の個人と常に強力な敵との相関関係に付された名に他ならないのだ。セキュリティは、こうした関係を指し示す、国家存立への超越論的な問いから生まれた概念なのである。

この概念によって帝国日本を解剖するために、第1部ではまず丸山真男を論究対象とした。なぜなら、ホッブズの国家思想を通して帝国日本の精神構造を批判した人物は丸山真男だからである。彼は国家の存立があらゆる関係性を逸した個人の決断にあると見なした。彼にとって民主主義とは、個人が繰り返し所与の関係性を脱ぎ捨て、そこから決断を反復する永久革命であった。その限りで国家と個人の関係はバランスを保てる。丸山のこうした国家批判は、国家が自然的に生成し存続してきたと見なしてきた帝国日本の思想構造に向けられたものだった。彼は国家に対するそうした自然主義から脱するために、個人の手によって作られたフィクションという唯名論的な原理を国家存立の基盤に据えたのである。だが彼が福沢諭吉を通して説破しようとしたこのような原理は、自己背反に陥ってしまう。というのも、丸山にとって国民たろうとする個人はあらゆる関係性から離脱せねばならないが、彼の個人はすでに日本という関係性において思念されていたからである。その限りで丸山の国家批判は、その成立の根拠を問いただす超越論的な試みだったのだが、彼はセキュリティという問いに至らなかった。つまり国家は、個人の決断ではなく、素っ裸になった個人の生命によって存立することを丸山は思考しえなかったのだと言える。そしてこの自己背反は、帝国日本の思想構造に対する丸山の対決が不十分なものだったことに由来し、結局その構造に丸山が屈したことを意味する。第2部と第3部では、この対決を再開させることによって、帝国日本の思想構造がいかにセキュリティの問題を回避してきたのかを論じた。

まず第2部では、大正デモクラシー・教養人格主義を代表する人物たちの国家・国体論を一瞥した。特に美濃部達吉と上杉慎吉の国体論争を通して、大正デモクラシーを象徴する美濃部の国体論がいかに国体を自然化させたのかを論証した。美濃部は国体を法学の領域から排除することによって、国体が人為的な思考を介入させる余地のない、日本人の心に根ざした根本規範だと見なした。上杉のファナティックな国体観がアカデミーやジャーナリズムの世界において疎まれたことに象徴されるように、こうした美濃部の国体観は当時のデモクラシーと教養人格主義の支配的な観念であった。それを代表するのが、阿部次郎と和辻哲郎である。彼らは美濃部と同様、国体や民族を思考や政治の領域、すなわち作為の介入できないものだと規定した。こうした国体の自然化は、日本人であることを疑い得ないものとして思念することにつながったが、関東大震災における朝鮮人虐殺は、こうした自然化が成立不可能であることを露にした出来事に他ならなかった。まず戒厳令は、すべての個人を素っ裸にする法的な措置である。というのは、戒厳令によって法と生は一致し、そこに国家という関係性はその生成の場に立ち戻るからである。朝鮮人という敵は、こうした状況において個人を国家の民へと変化させるものに他ならなかった。つまり、敵の襲来に恐れおののく個々人が、国家という関係性へと己を従属させる原初の場面が、地震によって廃墟と化した東京一帯で繰り広げられたのである。ここで日本人はすでに日本人であることができなかった。なぜなら、朝鮮人を識別するために、すべての人々は日本人たることを証明せねばならなかったからである。日本人であることを自然的なことだと見なした大正期の支配的な言説は、ここで崩壊を余儀なくされる。何人もすでに日本人であることは不可能で、日本人であることは証明という人為的な操作を経てのみ可能だったからである。

第3部では、小林秀雄の自然主義に焦点を当て、小林秀雄が日本古来の思想伝統を継承した人物だという神話を批判し、彼の自然主義が丸山と同様、近代的な方法的意識の自己背反たることを論証した。小林秀雄の批評は、ランボーの詩とヴァレリーの方法に根本的な資源を吸い取ったものである。ランボーにおいて小林は言語の極限を見て取り、ヴァレリーにおいて批評が自己証明たることを悟ったと言えよう。そうして小林が見出した批評の原理は、「私」 というコギトに他ならなかった。この 「私」 は、いかなる既存の観念や慣習や関係を信じない。「私」 は、徹底的な懐疑によって、「私」 を証明するのみである。このとき 「私」 は、一つの主観でもなく、一人の主体でもない。「私」 は思考と対象がそこにおいて分割される、一つの関数であるのみである。したがって 「私」 が懐疑を通して行き着くコギトは、思考を基礎付ける普遍的な根拠などではない。コギトは、小林にとって、自分が生きてきた絵図を繰り広げることそのものである。それゆえそこには絶対的に疑い得ないコギトなどはない。繰り返し自己の歩みを広げて見せる、批評という実践があるのみである。これが小林秀雄の近代日本に対する批判の原理であった。小林は、それまでの近代日本の文学が自然主義の埒内を脱し得なかったと見なし、文学の可能性の条件として 「私」 という、自然的な所与のものをすべて拒否する超越論的な根拠を見出したのである。しかしこうした小林の峻厳な方法意識は、戦争に直面して潰えてしまう。それは小林が戦争によって自分の方法的原則を曲げたからではない。むしろ小林は、戦争において自らの方法が開花するモメントを見つけ出し、戦争という出来事において、「私」 の実験を実行し悦楽を感じた。それはすべてが疑わしい非常時において、あらゆる意匠が取り払われることを小林が垣間見たからであった。この実験を可能にしたのが、「死」 という確実性が前面に現れた戦争に他ならなかったのである。だが戦争によって 「死」 が確実なのは、個人があらかじめすでに国家の民だからである限りで、小林は個人が疑い得ないものとして愛国心に行き着く。日本人であることは、戦争のさなか、小林の方法が行き着いた最も確実なことだったのである。だが、植民地朝鮮における徴兵制の実施と、それを装飾した靖国の論理は、そうした小林のロジックが破綻することをみせてくれる。というのも、植民地朝鮮の人々は、懐疑を通して自分が日本人であるという確実性へと行き着いたのではなく、死を以ってしか日本人になれないという、新しい生を得るために死に赴くパラドックスを経験せねばならなかったからである。そしてこのパラドックスは、靖国の論理が体現しているとおり、朝鮮という例外的な状況に限定されたものではなく、帝国日本が存立するための根源的なロジックである。つまり個人は死ぬ限りにおいて帝国日本の民たることができたのだ。小林の自然主義は、こうした根源的なロジックを隠蔽するものだったのである。このような議論を通して、丸山真男に代表される国家批判の系譜が、いかに超越論的な問い、つまりセキュリティという問いを回避してきたのかを論証された。

審査要旨 要旨を表示する

金杭氏の論文『セキュリティの系譜学:生と死のはざまに見る帝国日本』は、戦前と戦後を含む近代日本の思想と歴史のなかに、国家と帝国の生成の根源的な論理を追究したものである。

「序」と「結論」のほかに本論は三部構成からなる。「第1部 恐怖なき決断:丸山真男の個人と国家」では、金杭氏が「近代日本において唯一セキュリティを国家存立の根源として超越論的な問いを展開した人物」と見なす丸山真男について、「個人」を社会の究極的実在として「戦後民主主義」の制度(フィクション)を作り出そうとした「唯名論」的方法と、日本思想史において国家を自然化=実体化することなく「政治」を「危機」と「決断」から思考した荻生徂徠論と福沢諭吉論を中心に、「帝国日本」に対する根源的批判としての「決断のナショナリズム」がとり出される。だが金氏によれば、丸山はその超越論的方法を徹底することができず、福沢と同じく「運命共同体としての日本人」を前提してしまい、「絶対孤独の個人」が国家の民たろうと決断する「決断のはざま」を思考しえなかった。こうして、丸山に対してエスニシティやジェンダーの観点から「他者の不在」を批判する近年の傾向からも距離をとり、丸山に欠けているのは「恐怖と暴力に素っ裸の状態でむき合う個人の生命と肉体」という意味での「まったくの他者」、金氏が坂口安吾の小説から引き出して名づける「豚―人間」に他ならないとする。

「第2部 国民国家の本源的蓄積:日本人であること」では、丸山真男が問い切れなかった前世代の「オールドリベラル」が問題化される。南原繁、宮沢俊義、安倍能成、田中耕太郎、和辻哲郎等、敗戦後の東大「憲法研究委員会」や雑誌『世界』創刊に関わった人々は、大日本帝国崩壊によっても揺るがない天皇中心の国体を自然化=実体化しつつ、戦後憲法体制の出発を言祝いだ。金杭氏は彼らの前提の拠って立つところを日露戦争後の時代にまで遡り、石川啄木等を例外として、国家や国体や帝国と完全に両立する人格主義や個人主義や教養主義の成立を確認する。そして上杉慎吉と美濃部達吉の憲法論争から、関東大震災時の戒厳令とそれに関する法理論上の解釈、震災時の朝鮮人虐殺に至る行論において、大正デモクラシーの一翼を担った美濃部の思想の中に、憲法以上の存在としていかなる不安や懐疑の対象にもなりえない「自然な実在」としての「国体」の存在を突き止める。金氏によれば、関東大震災は菊池寛がそこに見たように、あらゆる文物を廃墟と化して「素っ裸の人間」を露出させた出来事であり、そこで布告された戒厳令はカール・シュミットのいわゆる「例外状態」として、国家主権そのものの生成の現場を垣間見させたのであり、そこで国体は虐殺された朝鮮人の肉体の上にその本質を露呈させたのである。

丸山真男の問いが潰えた地点から問いを再開するという本論文の方向は、「第3部 死に赴く国民:日本人になること」においても反復される。「自然主義」の克服という志向を竹内好と共有した丸山は、小林秀雄を近代的形態における「自然主義の権化」と見なしたが、自ら日本思想における「古層論」の展開に至り、自然主義に屈してしまった。金氏はむしろ、小林秀雄の「私」を「何物も確実ではない」という「不安」の「コギト」の形態として可能な限り評価するが、しかしまた、小林が「死んだ子供への母親の愛」を確実視し、「日本人に生まれた」ことを「運命」として「同胞のために死ぬ」ことを絶対化した地点で、その限界を見るべきだという。そしてその小林の限界は、「靖国の論理」が植民地朝鮮においても「自然な心情」として受け入れられていると誤認したとき決定的な仕方で現れる。朝鮮人兵士において露わな「死ぬことによって日本人になる」という国家生成のカラクリを小林秀雄は見抜くことができないのだ。

こうして本論文は、「近代日本の国家思想の系譜において、ついに「日本」を自然化することから離れえたものはいなかった」という結論に至る。金杭氏はこのことと、帝国日本が幾多の侵略戦争を逸脱とみなしたこと、また戦後日本が植民地支配を忘却してきたことを結びつける。「帝国日本への超越論的で批判的なまなざしは、必然的に植民地の人々と出会わなければ開かれえない」。なぜならそこにこそ、国家の民と動物が分割される「セキュリティの原初的場」があるからだ、というのである。

以上のような概要をもつ本論文は、すべての審査委員からきわめて高い評価を受けた。独創的な問題設定、テクストの精密な読解、明晰で高度な批判的分析によって、狙いとする論証に強い説得力をもたせているだけでなく、韓国語を母語とする金杭氏が「日本語ネイティブにも書けないような見事なエクリチュール」を展開していることに審査委員全員が強い感銘を受けた。「外国人留学生に期待される理想的な博士論文」という声も挙がったほどである。

本論文に含まれる卓見を細かく挙げればきりがないが、たとえば丸山真男の国家論において、単にエスニシティやジェンダーの視点の欠如を指摘して事足れりとするのではなく、丸山の方法である「決断」と「危機」の契機を「豚―人間」すなわち「絶対孤独の個人」に達するまで徹底させることで丸山を内在的に乗り越えようとした点、また丸山のその限界を先行世代である「オールド・リベラル」の思想的限界に接続し、戦前のリベラルと戦後啓蒙との一貫した限界を浮かび上がらせた点は、審査委員の一致した高い評価を受けた。また、本論文の白眉は第2部にあるという審査委員からは、国家批判・帝国批判の観点では通常、上杉・美濃部の憲法論争において、上杉の国体至上主義に対して美濃部のリベラルな立場が称揚されるのに対し、逆に上杉の「不安」の中に超越論的なセキュリティへの問いにつながる契機を見出し、美濃部の側の「自然主義」的限界を指摘した点、そして関東大震災時の戒厳令に対する美濃部の解釈を通して、「例外状態」において「生命をさらし出すことによって生命を守る」ことを本質とする国家権力の生成=「生政治」(ビオーポリティック)の存在を論証した点が、とりわけ優れているとの評価がなされた。

他方、丸山論については、いわゆる「古層」論をもって自然主義への屈服とするのは行き過ぎではないか、セキュリティの問題を問うなら「正統と異端」の問題系を考慮すべきではなかったか、といった問いが審査委員から提起された。金杭氏は、前者については、丸山が自然主義者になったと主張したいわけではなく、日本思想を貫く無歴史的な構造があるかのように考えたことが問題であること、後者については、西欧近代のO正統とL正統の分離をもたなかった日本近代に「正統と異端」の図式を持ち込むことの困難性をもって答えた。小林秀雄論については、小林を丸山と並べて特権的な乗り越えの対象とすることで金杭氏自身も小林の「神話化」を反復してしまったのではないか、日本近代文学には金氏自身が挙げる坂口安吾や石川啄木以外にも多くの「他者の系譜」があるのではないか、との問いが提起されたが、金氏はこれに、自らも日本近代に異なる国家論の系譜を探究するプログラムをもっており、今後の課題としたいと応じた。

本論文全体にかかわっては、国家と帝国とを区別せず論じてよいのか、帝国日本は台湾、沖縄その他の植民地をも複雑な仕方で包摂していたが、その中で朝鮮が特権化されるのはなぜか、「朝鮮人」は帝国日本への問いが必然的に出会うべき「他者」として立てるとき、金氏自身が「朝鮮人」を「自然化」しているのではないか、といった問いが審査委員から提起された。これに対して金氏は、問題は「人間」(ないし「市民」)と「動物」(ないし「豚―人間」)が根源的に分割されて「主権」が生成してくる場面そのものを照射することであったため、国家と帝国の定義はむしろ意図的に避けられたのであり、その場面においてはむしろ「日本人」と「朝鮮人」の区別は究極的に消滅すべきものであると主張し、了解された。

以上、本論文は、その野心的な狙いと大胆な論証によってポレミックな作品となっているが、その点を含めて、多分野を横断する超域文化研究の発展と、日本近代思想史をはじめとする関連諸分野に寄与するところは多大なものがあると認められた。したがって本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク