学位論文要旨



No 123981
著者(漢字) 金,美貞
著者(英字)
著者(カナ) キム,ミジョン
標題(和) 韓国の芥川龍之介 : 植民地時代から現代まで
標題(洋)
報告番号 123981
報告番号 甲23981
学位授与日 2008.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第822号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 教授 井上,健
 東京大学 准教授 伊藤,徳也
 東京大学 准教授 斎藤,兆史
 県立広島大学 准教授 李,建志
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日本の植民地時代から、現在進行中の第4次「日本大衆文化開放」政策(2004年開始)が始まる前までの韓国において、芥川龍之介がどのように読まれてきたのかを論じたものである。芥川龍之介の文学は、「多面性」をその構成原理、すなわち文法としている。それは古今東西の書に親しんだ結果もたらされた相対主義的な態度を有し、「近代的精神」と「伝統的精神」の間を揺れ動く「文法」に貫かれている。この揺らぎは芥川のテクストに、理知的・技巧的という印象や、挫折感、絶望感、皮肉、マージナルな存在・マイノリティの視点、非決定性、両義性を付与している。このような性質を持つ芥川のテクストの文法に、植民地期の作家や独立後の日本文学翻訳者・研究者達は、どのように対応してきたのか。

話題性に富む芥川文学は、朝鮮文壇にも影響を及ぼし、1927年7月24日の自死は、朝鮮の新聞にも日本文壇の中心人物の死として報道された。第1部「日本植民地期の「芥川」―朝鮮小説生成における役割」では、日本の植民地時代に新しい朝鮮文学を志し、芥川文学との深い関連が見られる朝鮮人作家、キム・ドンイン(金東仁)とイ・サン(李箱)を扱った。

第1章「キム・ドンイン(金東仁)の「芥川」-接近と断片化」では、社会啓蒙的な文学を打ち出していたイ・グァンス(李光洙)に対抗して、文学は「文学のために」在るべきであると主張しながら朝鮮文壇に登場したキム・ドンインと、芥川文学との関連について論じた。ドンインの「狂炎ソナタ」と「狂画師」は、彼のそのような文学観が明確に表れた、韓国の最も早い時期に書かれた「芸術至上主義」的な作品である。「狂炎ソナタ」と「狂画師」は、芸術と道徳を対立的に捉え、それぞれ芸術を絶対視する音楽家と絵師を主人公とする。芥川の「戯作三昧」と「地獄変」は、登場人物の人物像、「芸術至上主義」というテーマを持つことといった様々な点で、ドンインの両作に大きく影響している。とりわけ「狂画師」は「地獄変」と酷似している。ドンインは、芥川と同じく、小説における形式の重要性を説き、日本語を参考として、三人称代名詞'she'と'he'の訳語である「ユ」と過去形文末とを、朝鮮の近代小説にふさわしい文体として定着させようとした。しかし「狂画師」では、三人称代名詞と過去形の文末表現の使用が、彼の以前の作品と比べて減っている。それは「地獄変」の、三人称代名詞を一切使わず、「-た」型と「-る」型の文末を交えた文章による影響であると思われる。ドンインは多くの「歴史小説」を残したが、その大半は生活のために通俗的なものも書かざるを得ないという意識で書かれた。しかし「狂画師」には「文学のための文学」という彼の理想が強く表れており、ドンインはその考え方を一生持ち続けた。イ・グァンスの「歴史小説」が歴史を再現しようとするものであったのに対し、ドンインのそれは創作物としての作品であろうとしている。このことから、「歴史物」で文壇に頭角を現し、歴史的な素材を通して「近代人の心理」を描いている芥川に、ドンインが共感していたことが窺える。一方、両者の重要な相違点として、「地獄変」が多面的な見方を提供している文体であるのに比べて、「狂画師」は「一元描写」と「人形操縦術」を使って単一的な観点を示す文体を用いていることを指摘することができる。

第2章「イ・サン(李箱)の問いと「芥川」―親和と差異化」では、イ・サン文学を貫いている、「どうすれば新境地を獲得できるのか」、「新境地とはどのように表現できるのか」という二つの問いの表現と芥川文学との関連性を検証した。イ・サンの文学は、ウィットやアイロニー、パラドックスを用いて絶望的な心境を描き、難解だが斬新な表現世界を切り開いている。詩「烏瞰図」が難解すぎるという理由で連載が中断されるなど、苦々しい経験を重ねたイ・サンは、「朝鮮文学」を刷新するため「新境地」の表現を追求し続けた。彼が求めた「新境地」の創造とは、現実世界の描写の中に非現実・非日常的な空間を作り出し、登場人物に日常と非日常の狭間を生きさせることであった。初期の習作群において、作品内の非日常的空間を芥川のテクストから移植する試みを見出すことができる。習作群で書かれているそうした異相の空間は、「どうすれば新境地を獲得できるのか」という問いに答える形で表現され、それはテクストを構成する一つの要素に留まっている。代表作となった小説「つばさ」に至ると、「新境地とはどのように表現できるか」という「新境地」そのものに関する問いに答える形で、異相の空間が描かれている。「つばさ」が描く境地は、芥川の「或阿呆の一生」が描く、創作における理知的な技巧を表す「人工の翼」を失い、自殺か発狂かという理性と非理性の境目に立っている、主人公「剥製になった天才」「精神的異常者」の境地である。「或阿呆の一生」の主人公の「異常さ」を、イ・サンは自らのテクストの一要素ではなく、テクストの「文法」として移植した。さらに、死を目前にして書かれた「終生記」は、芥川の遺書「或旧友へ送る手記」への、それを超越したいが越えられないという意識を、テクストの構成原理とすることによって、テクスト自体がいっそう先鋭化された異相の世界として形成されている。

植民地時代の終了後、芥川文学は、主に翻訳や日本文学研究者による研究という形で紹介されるようになった。本論文の第2部「植民地期後の「芥川」―翻訳・研究の様相と展開」では、独立後から2003年までの翻訳と研究の状況を取り上げた。韓国は第2次世界大戦後、アメリカの占領下に置かれ、以来アメリカの文化・教育制度などの強い影響を受けたため、翻訳と研究を扱うには英語圏の影響を考慮する必要があり、英語での翻訳と研究の状況との比較分析を行った。

第3章「翻訳における芥川のイメージとテクストの変容」では、芥川のテクストの中で、最も翻訳が多い「羅生門」に注目し、複数の「羅生門」の翻訳テクストを取り上げ、韓国語訳テクストに見られる、芥川及び作品世界のイメージと、韓国語への翻訳を通して生じるテクストの変容を分析した。「羅生門」は、1950年に黒澤明監督の映画『羅生門』が欧米で高い評価を得たことで、英語圏でも、韓国でも注目されるようになった。英語訳と韓国語訳とでは、翻訳書の紹介文における芥川や作品世界のイメージは異なっている。前者は自らにとって、異なる部分に比重を大きく置いているのに比べて、後者では、異なる所を強調するよりは、似ている部分、親しみを示そうとする傾向が強い。

「羅生門」の韓国語訳の多くは、テクストの「多面性」を支える「断定しない語り」「下人」「文末表現」「読点」を、英語訳に比べるとかなり忠実に翻訳している。一方、1998年から始まった「日本大衆文化解放」政策下で出版されたキム・ウクとパク・ジヨンの共訳は、この芥川の文法を大きく変更している。この訳書では、1990年代後半における、急激な韓国の経済危機による不安定な社会状況を読者に連想させ、共感を作り出している。その結果、芥川のテクストの「多面性」が持つ複雑な性質が捨象されるが、芥川のテキストに対する親近感の度合いは、以前の訳と同様に強い。

第4章「韓国における芥川研究」では、韓国の大学で1961年から設立され始めた「日本語科」「日語日文学科」をはじめとする、日本文化関連の学科を中心に展開された、芥川に関する研究を扱った。1970年代に芥川についての修士論文が書かれるようになって以降、芥川の文学は常に、翻訳と同様、研究の対象としても高い関心を集めてきた。

英語を母語とする研究者はまず翻訳を読む傾向が強く、1930年に出版されたG・ショウ(Glenn W. Shaw)の翻訳書 Tales Grotesque and Curious(北星堂)は、重要な役割を果たした。英語圏での研究は、日本語で書かれた研究論文を参考にしないことが多いが、最近は日本語を母語とする研究者による英語での研究が活気を帯びており、論点は多様化してきている。

これに比べて韓国における芥川研究は、日本人研究者による成果に常に気を配っており、韓国人研究者による日本語論文も多く見られる。研究テーマに関しては、特定なテーマへの関心が見られる。初期の研究では「芥川の死と文学」と、「キリスト教と芥川の「切支丹物」」というテーマが主流を成した。1990年代からは、新しい研究の傾向として、ポストコロニアリズムの観点から書かれた論文が出始め、主に「将軍」「金将軍」「桃太郎」に注目している。研究者達はこれらの作品に見られる日本の植民地主義に対する芥川の批判的な見方を評価している。近年の研究における特徴は、研究者達が「韓国人のための芥川研究」という強い意識を持っていることと、芥川を彼らの見解を先取りした「先駆者」として評価していることである。

キム・ドンインやイ・サンは、植民地時代の「朝鮮文学」の近代化・刷新を行うため、芥川を学び、作品創作に生かした、いわば「日本文学者」であった。独立後の韓国においては、日本文学者は、独立国家が持つにふさわしい「外国文学」の一環としての「日本文学」を確立させるべく、芥川を翻訳し研究した。植民地期以来連綿として「日本文学者」は、芥川の文学の多面性を、自らの文脈において積極的に再解釈することによって、ナショナリズムを充足補完する仕事を行ってきたと言えるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

金美貞氏の「韓国の芥川龍之介―植民地時代から現代まで」は、芥川龍之介(1892-1927)が、日本の植民地支配下にあった朝鮮において、また第二次大戦後の韓国において、どのような形で受容され、いかなる影響を残したのかを、1920年代から2004年の「日本大衆文化開放」政策に至るまでの時間的経過において記述した、日韓比較文学研究である。芥川龍之介に関する比較文学研究としては、芥川の作品の成立過程における、様々な先行文学作品の影響研究が主流であったが、金美貞氏の研究は、芥川がいかに受容されたかを、韓国を中心に論じたものとして特色をなす。また、韓国における芥川受容の様態を、歴史的文脈のなかで網羅した点は、独自の功績である。

金美貞氏の論文は、植民地支配下の朝鮮を扱った第一部と、戦後を扱った第二部に分かれる。第一部においては、おもに金東仁(1900-1951)、李箱(1910-1937)という個々の作家の文学観とその作品に与えた芥川の影響が論じられるが、第二部においては、韓国において芥川の作品がいかに翻訳され、日本文学研究者によっていかに論じられてきたかが取りあげられる。したがって、第一部(第一章、第二章)と第二部(第三章、第四章)のあいだには、比較研究としてのアプローチ及び記述の態度に著しい差異があるとせざるを得ない。この点については、審査委員のあいだに議論があったが、これは1945年を境にして、韓国における芥川受容に極めて大きな断絶が生じたという事情を、そのまま反映するものであると認められ、了解された。

以下、まずは論文の構成にしたがって、内容を要約する。

第一章は、草創期の韓国近代小説に大きな足跡を残した金東仁を論じる。金東仁の「狂炎ソナタ」(1929)及び「狂画師」(1935)には、芥川の「地獄変」及び「戯作三昧」の影響が著しいが、芥川のテクストに見られる視点の揺れ等、金氏が芥川の文体の「多面性」と見るものが、単一の視点を維持しようとする金東仁のテクストには欠けている点が指摘される。また「狂炎ソナタ」と「狂画師」を比較した場合、後者において三人称代名詞の使用が減少し、現在形が多用されているのは、芥川の「地獄変」が影響を与えている可能性がある点も指摘される。

第二章は、李箱における芥川の影響を論じる。李箱には、芥川の死に強い衝撃を受けた形跡があるが、それは、芥川の自裁を芸術上の行き詰まりによるものとみて、芸術に殉じた小説家の姿を芥川に投影していたためであると、金氏は論じる。その上で、李箱の「十二月十二日」、「つばさ」、「終生記」が分析され、代表作「つばさ」の主人公が求める「人工の翼」は、芥川の「或阿呆の一生」十九章の「人工の翼」を意識したものだと指摘する。李箱の小説にみられる「新しい境地」の模索は、芥川を受容し、芥川の作品世界を内面化するなかで行われたとするのである。

第三章では、韓国における戦後の芥川受容の重要な契機となった映画『羅生門』と、芥川の「羅生門」が扱われる。映画を通じて関心が高まった芥川への関心が、芥川の作品の活発な翻訳に結びついた事情が記述されたのち、英語圏での芥川理解が韓国での受容にも大きな影響を与えたことが確認される。その上で、芥川の「羅生門」の文体的特徴と、多数におよぶ韓国語翻訳の事例が、英訳を参照しつつ分析され、金氏の指摘する芥川の文体の「ゆらぎ」が、韓国語訳では十分に生かされていない点が強調されるのである。

第四章では、韓国における戦後の芥川研究が概観される。英語圏での芥川研究が独自の展開を遂げているのに比して、韓国の芥川研究が、日本の近代文学研究の成果を強く意識していることがまず確認される。そうしたなかで、芥川に関しては、その死をめぐる解釈、キリスト教との関わりに関する研究、ポストコロニアル研究に、特徴的なものがみられることが指摘される。

以上のように要約される金氏の論文に対し、審査委員からは以下のような批判、評価が寄せられた。まず、第一部の叙述に関しては、金東仁を論じた第一章の記述が第二章に比べてやや手薄であり、ともすれば先行研究の確認に追われている。小説における視点等の問題については、物語論(Narratology)の理論的枠組みを参照すべきであったし、芥川研究に関してもより徹底した批判的摂取が必要であった。第二部では、研究の現状に対する筆者なりの評価が不足しており、現状の紹介にとどまっている面があると言わざるを得ない。一方で、李箱における芥川を論じた第二章にはいくつか創見が認められるし、第二部についても、韓国における芥川受容について総体的な記述を行った先駆性は主張できるとされた。

テクストの細部の読みに関する疑義、個々の記述への疑問等も、いくつか審査委員から寄せられた。また、芥川を鏡として見えてくる韓国文学の特質について、踏み込んだ議論が欲しいとの希望も出された。ただし、これらは金氏の挙げた功績を本質的に損なうものではなく、芥川龍之介に関する日韓比較文学研究をまとめ上げた意義は、十分に認められるとされた。

したがって、本審査委員会は、ここに金美貞氏に対し博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定することに、全員一致で合意した。

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