学位論文要旨



No 124112
著者(漢字) 橋本,崇史
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,タカシ
標題(和) 嫌気性消化プロセスにおけるヒ素の気化特性およびメタン生成細菌の挙動に関する研究
標題(洋)
報告番号 124112
報告番号 甲24112
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6881号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福士,謙介
 東京大学 教授 滝沢,智
 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 准教授 中島,典之
 東京大学 教授 渡邉,知保
内容要旨 要旨を表示する

論文の要旨

ヒ素(Arsenic)汚染は広い地域で問題となっているが、中でも東南アジア、南アジアにおいては飲料水として用いている地下水のヒ素汚染が深刻であり、数千万人が汚染された地下水を摂取していると言われている。飲料目的として地下水等からのヒ素除去には水酸化鉄との共沈作用を用いた手法が広く用いられている。水酸化鉄との共沈では、ヒ素を高濃度に含む汚泥が発生し、さらに汚染された汚泥が適性に処理されないことによる二次汚染の問題が懸念されている。このような汚泥、また汚染土壌などの固形物からのヒ素除去技術は、土壌固化、土壌洗浄(化学的洗浄)などの方法が知られているが、発展途上国などではコストや技術水準等の課題で導入が難しい側面がある。そこで微生物を用いた処理が着目されてきている。その一つとして微生物の持つヒ素を気化する作用を利用し、汚染汚泥などからヒ素を気化させ回収する、という手法が考えられている。ヒ素を気化する微生物として、下水汚泥の嫌気性処理(嫌気性消化)プロセス内の微生物(酸生成菌やメタン生成菌)はヒ素やアンチモン、ビスマスなどの半金属をメチル化し、気化することが知られている。また汚染土壌や牛糞中の微生物もヒ素を気化することが知られており、それら嫌気性混合微生物を利用したヒ素の気化の浄化への応用可能性も示されている。しかし、実際にそのような嫌気性微生物によるヒ素の気化を浄化へと応用するに際し、気化特性やヒ素気化を担う微生物に関する知見が重要となる。特に先述のヒ素汚染が問題とされている地域での応用を視野に入れると、実汚染土壌や牛糞、嫌気性消化汚泥などの混合微生物の応用が現実的である。そのような観点からもヒ素を気化する微生物叢とそのヒ素気化特性という知見は重要である。

このような背景を踏まえ、本研究では嫌気性処理プロセスのヒ素気化作用のヒ素浄化技術への応用を最終ゴールとして据え、異なる環境条件における嫌気性処理プロセスにおけるヒ素気化特性を調べること、その中のヒ素の気化を担う微生物種を特定すること、ヒ素を気化するメタン生成細菌のヒ素の気化特性を調べること、嫌気性処理プロセス内におけるヒ素を気化するメタン生成細菌の挙動を調べること、またヒ素を気化するメタン生成細菌によるヒ素の気化に関わる酵素群を調べること、を目的として研究を進めた。

異なる環境条件として、ヒ素濃度を変化させた嫌気性消化プロセスにおけるヒ素の気化特性を調べるにあたり、中温域で運転されている嫌気性消化槽からの汚泥を用い、2.5、7.5、22.5、37.5、75 mg l(-1)のヒ素濃度条件の下で嫌気性消化槽の運転を行った。いずれのヒ素濃度条件下においても気体ヒ素の生成が確認され、また気体ヒ素の形態はどの場合もトリメチルアルシン(TMA)のみであった。これまでの知見では、嫌気性消化汚泥からアルシン、モノメチルアルシン(MMA)、ジメチルアルシン(DMA)、TMAの4種の気体ヒ素の生成が確認された報告、また牛糞由来微生物、汚染土壌由来微生物を用いてメタン生成槽からアルシンとMMAの生成が確認された報告がある。本研究ではTMAのみであり、これまでの報告と関与している微生物群が異なる可能性が示唆された。気体ヒ素生成速度に関しては、ヒ素濃度が高くなるにつれて大きくなることが分かった。ヒ素の毒性のメタン生成活性に与える影響は、加えたヒ素濃度が高くなるにつれ(2.5 mg l(-1) → 75 mg l(-1))、メタン生成速度の低下が大きくなる(ヒ素を加えない場合のメタン生成速度に対して、53.6 %、46.9 %、19.4 %、9.15 %、6.1 %)という結果となった。ヒ素濃度 が2.5-37.5 mgl(-1)1の場合ではその後回復が見られたが、75 mg l(-1)では回復は見られなかった。このことから37.5 mg l-1までのヒ素濃度に対しては馴化する能力があることが分かった。ヒ素濃度が75 mg l-1の場合ではメタン生成がほぼ停止していたが、TMAの生成は起きていた。このことよりメタン生成細菌以外の微生物もヒ素の気化に関与していることが示唆された。

メタン生成活性に対する気体ヒ素生成活性を調べると0.042、0.064、0.070、0.138 μmol As mmol CH4(-1)という値が得られた。Islam(2005)の場合におけるこのメタン生成速度に対する気体ヒ素生成速度の比は0.089(牛糞由来微生物)、0.022(汚染土壌由来微生物) μmol As mmol CH4(-1)となり、本研究で用いた嫌気性消化槽によるヒ素気化活性は、Islamによるメタン生成槽と比較しても遜色のないことが示された。

ヒ素の気化を担っている微生物を特定するため、運転している嫌気性消化槽において、ヒ素を気化することが知られている水素資化性メタン生成細菌および酢酸資化性メタン生成細菌の存在を調べたところ、水素資化性メタン生成細菌Methanobacterium spp.の存在が確認された。Methanobacterium spp.には高いヒ素気化能を持つと言われる(Bentley and Chasteen, 2002)Methanobacterium formicicumが属しており、運転した嫌気性消化槽におけるヒ素の気化に対しMethanobacterium spp.の寄与が示唆された。

嫌気性消化槽からのヒ素気化においてMethanobacterium spp.の関与が示唆されたことより、そのヒ素気化特性を調べることとした。Methanobacterium spp.として、M. formicicumおよびM. bryantiiを用いた。いずれもヒ素を気化することが報告されている(Michalke et al., 2002; McBride and Wolfe, 1971)。この2種の水素資化性メタン生成細菌を異なるヒ素濃度条件(2.5、7.5、22.5、37.5、75 mg l(-1))下において純粋培養を行い、ヒ素の気化特性を調べた。M. formicicum、M. bryantiiともに37.5 mg l(-1)のヒ素濃度までの培養系において気体ヒ素が確認され、その気体ヒ素形態はアルシン、モノメチルアルシン(MMA)、ジメチルアルシン(DMA)、TMAの4種であった。37.5 mg l(-1)までのヒ素濃度におけるヒ素のメタン生成速度への影響として15 %ほどの低下が見られた。しかし75 mg l(-1)のヒ素濃度においてはほぼメタン生成が停止するという結果となった。このことよりこれら水素資化性メタン生成細菌は37.5 mg l(-1)までのヒ素濃度には耐性があることが分かった。培養系内の各形態別ヒ素濃度(As(III)、MMAA、DMAA、TMAO)と各気体ヒ素生成速度(アルシン、MMA、DMA、TMA)を比較したところ、DMAの生成のみDMAAの濃度変化に対して遅滞して起きていることが分かった。また、DMAAからTMAOへの変換に関しても遅滞して起きていることが確認された。

気体ヒ素の生成速度(最大)に関しては、M. formicicumの方がM. bryantiiに比べ1.6-6倍高いヒ素気化能を持つことが示された。メタン生成速度に対する気体ヒ素生成速度を算出した結果を嫌気性消化プロセスにおける値と比較すると、各ヒ素濃度において純粋培養系の方が2.5-12倍大きいことが分かった。

純粋培養によりヒ素の気化特性が調べられたメタン生成細菌が嫌気性消化プロセスにおいてどのようにヒ素の気化に寄与しているかを調べるために、M. formicicum、M. bryantiiが属するMethanobacterium spp.の嫌気性消化プロセスにおける挙動を定量PCR法により追った。その結果、Methanobacterium spp.の16S rDNAのコピー数は103-105 ml(-1)のオーダーであり、純粋培養によりヒ素の気化特性を調べたM. bryantiiの同コピー数と比較すると104分の1ほどであった。つまり、検出されたMethanobacterium spp.がM. bryantiiであると仮定したとして、先に得られたM. bryantiiの最大ヒ素気化活性の104分の1程度の寄与になると言え、嫌気性消化プロセスにおけるヒ素の気化に対するMethanobacterium spp.としての寄与は非常に小さいものであることが分かった。このことより、嫌気性消化プロセスにおけるヒ素の気化にはMethanobacterium spp.以外の微生物の寄与が示唆された。

ヒ素を気化することが知られている水素資化性メタン生成細菌から、ヒ素の気化を担う酵素群に関して調べるために、ヒ素のメチル化におけるメチル基を供与する物質の特定を行った。M. formicicum、M. bryantiiの細胞抽出物に対し、ヒ素のメチル化におけるメチル基を供与する物質としてアデノシルメチオニン、メチルコバラミンの2種の比較を行った。メチルコバラミンを用いた場合は、アデノシルメチオニンの場合の7-8倍のメチル化されたヒ素が検出された。このことより、アデノシルメチオニンではなくメチルコバラミンがヒ素のメチル化におけるメチル基の供与に関わっている可能性が分かった。

以上、異なる環境条件における嫌気性消化プロセスおよび水素資化性メタン生成細菌のヒ素の気化特性が示された。また嫌気性消化プロセスのヒ素の気化に対する水素資化性メタン生成細菌の寄与は予想されたほど大きくなく、他の微生物の寄与が大きいことが分かった。またメタン生成細菌におけるヒ素のメチル化ではメチルコバラミンがメチル基を供与する物質であることが支持される結果となった。

(3972字)

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒ素汚染地域におけるヒ素汚染物の浄化を念頭に置いた微生物によるヒ素気化のメカニズム解明を目指した基礎的な研究である。

ヒ素汚染は工業的にも発生することがあるが、現在のヒ素中毒患者の多くは古の火山活動など、自然に発生する高濃度のヒ素により被害を受けている場合が多い。現在バングラデシュやインドベンガル湾周辺地域など、広い地域で問題となっているが、中でも東南アジア、南アジアにおいては飲料水として用いている地下水のヒ素汚染が深刻であり、数千万人が汚染された地下水を摂取していると言われている。飲料目的として地下水等からヒ素を除去するためにはもともと地下水に含まれる水酸化鉄との共沈作用を用いた方法が広く用いられている。水酸化鉄との共沈では、ヒ素を高濃度に含む汚泥が発生し、さらに汚染された汚泥が適正に処理されないことによる汚染の不安がある。このような汚泥、また汚染土壌などの固形物からのヒ素を除去ないしは安定化する技術は、土壌の廃棄、コンクリートなどによる土壌固化、土壌洗浄(鉱酸などによる化学的洗浄)などの方法が知られているが、発展途上国ではコストや技術水準等の課題で導入が難しい。新しいヒ素の安定化・除去技術の開発が望まれている。

メタン菌などの特定の微生物がヒ素を気化することは知られている。この作用を環境浄化のプロセスとして発展させることが可能かどうか、まだ研究が十分に進んでいない。本研究はその作用を調べ、定量的なヒ素気化効率・速度の測定を行うと同時にその効率等に影響する環境因子を解明する。また、混合微生物叢の中でこのヒ素の気化作用を担っている微生物を推定し、それらの消長を調べることにより、どのような環境状況でヒ素気化が効率的に行われるかを調べることができる。

まず、中温嫌気性消化汚泥を種汚泥とする混合微生物叢で気体ヒ素生成速度の測定を異なるヒ素条件下で行った。その結果、ヒ素濃度が高くなるにつれて大きくなることが分かった。ヒ素の毒性のメタン生成活性に与える影響は、加えたヒ素濃度が高くなるにつれ(2.5 mg l-1 → 75 mg l-1)、メタン生成速度の低下が大きくなる(ヒ素を加えない場合のメタン生成速度に対して、53.6 %、46.9 %、19.4 %、9.15 %、6.1 %(2.5、7.5、22.5、37.5、75 mg l-1の順))という結果となった。ヒ素濃度 が2.5-37.5 mgl-1の場合ではその後回復が見られたが、75 mg l-1では回復は見られなかった。このことから37.5 mg l-1までのヒ素濃度に対しては馴化する能力があることが分かった。ヒ素濃度が75 mg l-1の場合ではメタン生成がほぼ停止していたが、TMAの生成は起きていた。このことよりメタン生成細菌以外の微生物もヒ素の気化に関与していることが示唆された。

また、ヒ素の気化を担っている微生物を特定するため、運転している嫌気性消化槽において、ヒ素を気化することが知られている水素資化性メタン生成細菌および酢酸資化性メタン生成細菌の存在を調べたところ、水素資化性メタン生成細菌Methanobacterium spp.の存在が確認された。Methanobacterium spp.には高いヒ素気化能を持つと言われるMethanobacterium formicicumが属しており、運転した嫌気性消化槽におけるヒ素の気化に対しMethanobacterium spp.の寄与が示唆された。

次に、ヒ素を気化するとして知られているMethanobacterium spp.として、M. formicicumおよびM. bryantiiを2種の水素資化性メタン生成細菌を異なるヒ素濃度条件下において純粋培養を行い、ヒ素の気化特性を調べた。M. formicicum、M. bryantiiともに37.5 mg l-1のヒ素濃度までの培養系において気体ヒ素が確認され、その気体ヒ素形態はアルシン、モノメチルアルシン(MMA)、ジメチルアルシン(DMA)、TMAの4種であった。37.5 mg l-1までのヒ素濃度におけるヒ素のメタン生成速度への影響として15 %ほどの低下が見られた。しかし75 mg l-1のヒ素濃度においてはほぼメタン生成が停止するという結果となった。このことよりこれら水素資化性メタン生成細菌は37.5 mg l-1までのヒ素濃度には耐性があることがわかった。

本研究は微生物のヒ素を気化する能力を工学的に利用するために重要な基礎的な知見を提供し、ヒ素汚染廃棄物や土壌の新しい浄化方法開発の基礎を築いた。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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