学位論文要旨



No 124175
著者(漢字) 松永,光平
著者(英字)
著者(カナ) マツナガ,コウヘイ
標題(和) 中国黄土高原の侵蝕動態の解明
標題(洋) Clarifying Dynamics of Erosion in the Chinese Loess Plateau
報告番号 124175
報告番号 甲24175
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第392号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 山室,真澄
 東京大学 名誉教授 大森,博雄
内容要旨 要旨を表示する

世界的な食料安全保障の観点から,砂漠化は21世紀における最重要の地球環境問題の一つとみなされる.とりわけ,人口大国中国の穀倉地帯である黄土高原では「耕して天にいたる」光景が広がっており,とくに侵蝕による砂漠化現象が著しい.中国が「混乱大国」とならないためにも,世界的な飢饉を未然に防ぐ意味からも,黄土高原の侵蝕の動態を明らかにすることがますます求められている.これは,移住や耕作禁止以外の対策を考案し,黄土高原に住む人々の持続的な生活を保障する基礎ともなる.ところが,これまで広域の侵蝕過程についての定量的研究は乏しく,侵蝕の起源を更新世以降の気候変動に求める地質学者と歴史時代の人間活動の拡大に求める歴史地理学者の間の溝を埋めることができなかった.そこで,中国黄土高原において侵蝕過程と自然・人間要因との関係の地域的特徴と時間変化を調べるため,文献調査,野外調査,地形図判読,GISを用いた数値標高モデル(DEM)の解析を行った.その結果,(1)黄土が堆積する前の基盤地形が黄土層の厚さと堆積構造に地域的な差異を生み,そのことが原因となって,谷の発達様式と速度に地域差をもたらしていること,(2) 傾斜による重みづけにより一つの閾値で地形の種類にかかわらず適切な水系網を発生できること,(3) 谷の発達の度合は地形条件および,降水量に支配されること,(4)台地が,およそ1400年間で水系発達により丘陵に変化しうること,(5)約1000年前には人口圧の増大による山地・丘陵での植生破壊に寒冷・乾燥化が重なることにより侵蝕が加速したこと,が明らかにされた.

1章では,本研究の背景と目的を述べた.

2章では,黄土高原の形成史を概説し,現地での地形観察,文献調査をふまえ,黄土高原の侵蝕環境,侵蝕プロセスの概要を記述した.

3章では,黄土地形ごとの侵蝕過程の違いを明らかにし,これと基盤地形との関係を調べるため,台地,丘脈,円頂丘の3つの黄土地形が卓越する流域(それぞれ,Y流域,L流域,M流域)の長さ1 km以上の1次流路を対象に,旧ソ連製10万分の1地形図を用いた地形計測を行った.その結果,合流点高度の低下にともない,水源点と合流点との比高(1次流路の起伏量)が,Y流域では増大すること,L流域では微増すること,M流域ではほぼ一定であることが明らかになった.また,地形地質断面図を検討した結果,基盤の傾斜方向と黄土堆積面の傾斜方向が一致していること,Y流域は基盤が平坦で黄土が厚く,L流域は基盤が傾斜をもち黄土が薄く,M流域は基盤が緩やかに傾斜しており黄土が薄いことがわかった.これらは,Y流域では1次流路の増傾斜的変化が卓越しており,L流域では増傾斜後退,M流域では平行後退が卓越していること,ならびに基盤が平坦だと黄土は水平盤として厚く堆積し安定していること,基盤が傾斜していると黄土は流れ盤状に堆積し不安定であることを示す.以上から,黄土が堆積する前の地形が黄土層の成層構造の違いを生み,そのことが現在の台地,丘脈,円頂丘という地形ごとに異なる谷の発生様式の原因となっていると結論した.

4章では,DEMから水系を発生させた場合,台地上で水系が過多となる問題を解決した。すなわち「降雨は,平坦地では浸透しやすく,地表が傾斜するほど流出しやすい」という仮説を導入し,約90 mメッシュのSRTM-3(SRTM: Shuttle Radar Topography Mission)を用いて流域面積に地表面傾斜を重みづけし,谷抽出の閾値を決定した.その結果,地形図上で明瞭に認定される谷地形を,台地や丘陵という場の条件の違いにかかわらず自動抽出できた.以上により,以降の章で有用な解析手法を確立できた.

5章では,広域での水系発達の地域的差異と規定要因を調べるため,黄土高原東部全域を対象に前章で開発した手法を用いてSRTM-3から水系密度分布図を作成し,各種主題図との比較を行った.その結果,水系密度の分布は台地や丘陵など地形の種類と対応することがわかった.また,地形別の年降水量,植生被覆率と水系密度との関係は,丘陵地では年降水量300 mmから500 mmまでは降水量とともに水系密度が高くなり,500 mm以上では植生被覆率が70%以上あれば水系密度が低下に転ずる.基盤地質と水系密度との対応関係はみられない.以上から,地形が大局的な水系発達速度の地域差の原因となっていると考えた.また,年降水量500 mm以上なら丘陵地であっても植被によって水系発達が緩和されると結論した.

6章では,谷の発達による台地面消失のプロセスを理解するため,台地と丘陵の移行帯において,4つの流域を対象にSRTM-3から水系を発生させ,水系密度と傾斜の関係を調べた.その結果,水系密度が低いとき,平均傾斜は水系密度とともに増大することがわかった.平均傾斜は,やがて減少に転じ,一定の値をとるようになる.一方,水系密度の最大値はどの流域でも約4 km/km2であった.これらから,以下のプロセスにより解体が進むことが示唆される.まず,平坦面上の谷地形に沿った水系の下刻が先導して,谷頭侵蝕と分岐により平坦面が消失する.同時に,台地はヤセ尾根と河谷の組み合わせからなる丘陵へと変わる.丘陵においては谷の発達はランダムに行われ,傾斜が一定になる.また,歴史地理学者による谷の発達速度の推算に基づき,台地は,河間地の幅が数 km程度以下ならば,1400年間で丘陵へ変化しうると考えた.

7章では,6章までに述べた黄土高原における水系分布の特徴とその発達過程に関する検討結果に,1年間の現地滞在で得た知見(野外観察,文献収集解読,歴史・地理学者との討論)を統合し,完新世の黄土高原の侵蝕加速に与えた自然,人間要因のそれぞれの影響の評価を試みた.そして,特に歴史時代には1000年前に侵蝕が加速したことを確かめた.その理由について,従来言及されてきた森林伐採や過耕作・過放牧という人間活動が侵蝕加速に与える影響は一様ではなく地形ごとに異なること,気候の寒冷・乾燥化が人為的破壊に対する植生の回復力を弱めることを新たに指摘した.

審査要旨 要旨を表示する

地球砂漠化は21世紀における最重要な環境問題の一つである。中国の穀倉地帯をなす黄土高原では、侵蝕による砂漠化が著しい。黄土高原の侵蝕動態の解明は、世界の穀物生産を安定化し、黄土高原における持続的生活を保障する基礎となる重要課題である。しかし、黄土高原の広域の侵蝕過程を定量的に扱った研究はほとんどない。こうした背景を踏まえ、本論文は、現地野外調査、地形図判読、数値標高モデル(DEM)解析を実施し、中国黄土高原における侵蝕の地域的特徴と変化過程とを総合的に検討した。

本論文は7章からなり、1章では、本研究の背景と目的が述べられている。2章では、黄土高原の侵蝕環境と侵蝕プロセスの概要が説明されている。

3章では、黄土地形は、基盤起伏、およびそれに規定された黄土の厚さと成層構造の3つにより異なる侵蝕過程をたどることが論じられている。すなわち、台地、丘脈、円頂丘の3つの黄土地形が卓越する流域(それぞれ、Y流域、L流域、M流域)の長さ1km以上の1次流路を対象として、旧ソ連製10万分の1地形図を用いた地形計測を行った結果、1次流路の地形変化としてY流域では増傾斜、L流域では増傾斜後退、M流域では平行後退が卓越することを明らかにした。また、地形地質断面図を解析した結果、黄土堆積面の傾斜は基盤傾斜と調和的であること、Y流域では基盤が平坦で黄土が厚く、L流域では基盤が傾斜し黄土が薄く、M流域では基盤が緩やかに波状に傾き黄土が薄いことが判明した。以上は、基盤が平坦だと黄土は水平盤として厚く堆積し安定していること、基盤が傾斜していると黄土は流れ盤状に堆積し不安定であることを示唆する。

黄土高原では広域の水系図が公表されていない現状を踏まえ、4章ではDEMを用いて水系を自動発生させる方法が検討されている。「地表面傾斜が大きいほど雨水が表面流出しやすい」という前提のもとで、流域面積に地表面傾斜を重みづけし、約90mメッシュのSRTM-3(SRTM:Shuttle Radar Topography Mission)を用いて谷の抽出条件を検討した。その結果、旧ソ連製10万分の1地形図上で明瞭に認定される谷地形を自動抽出できるようになった。

5章では、水系発達の地域的差異とその規定要因について論じられている。まず、4章で検討した手法を用いて黄土高原東部全域を対象に水系密度分布図が作成され、次に、各種主題図との比較が行われた。水系密度は地形とよく対応し、丘陵地で高く、台地で低く、低地で最も低い。また、地形別の年降水量、植生被覆率と水系密度との関係は、丘陵地では年降水量500mmまでは降水量とともに水系密度が高くなり、500mm以上では植生被覆率が70%以上あれば水系密度が低下に転ずる。台地や段丘、低地では降水量が多くても植生被覆が少なくても水系密度は低い。以上から、地形条件が水系発達の地域差を生む主原因であることが指摘された。また、年降水量が500mm以上の地域ならば、植被によって水系発達が緩和されると結論された。

6章では、谷の発達による台地面消失のプロセスを理解するため、水系密度と傾斜の関係が検討された。すなわち、台地と丘陵の移行帯に位置する4つの流域を対象に4章の方法で自動発生させた水系を解析した結果、水系密度が低いとき、平均傾斜は水系密度とともに増大することがわかった。一方、水系密度の最大値はどの流域でも約4km/km2であった。これらから、以下のプロセスにより解体が進むことが示唆される。まず、平坦面上の谷地形に沿った水系の下刻が先導して、谷頭侵蝕と分岐により平坦面が消失する。台地はヤセ尾根と河谷の組み合わせからなる丘陵へと変わる。丘陵においては谷の発達はランダムに行われ、傾斜が一定になり、水系も統合と分岐の平衡状態に至る。

7章は、6章までに述べた黄土高原における水系分布の特徴とその発達過程に関する検討結果に、1年間の現地滞在中に実施した野外観察、文献収集解読、歴史・地理学者との討論を加えて、完新世後期における黄土高原の侵蝕加速に与えた自然および人間活動の影響評価を試みている。とくに、既存文献をもとに約1000年前の歴史時代に侵蝕が加速した可能性を指摘し、その理由について、従来言及されてきた森林伐採や過耕作・過放牧による影響は一様ではなく、地形ごとに異なること、気候の乾燥寒冷化が人為的破壊に対する植生の回復力を弱めている可能性を新たに指摘した。

このように、申請者は黄土高原における侵蝕現象を多面的かつ定量的に検討し、世界に先駆けて同高原を刻む谷地形の分布の実態を解明し、谷の発達モデルを提示した。さらに、広域谷密度分布と降水量・植生分布との比較にもとづき、年降水量500mm以上の地域における植被の役割の重要性を指摘している。本研究は、半乾燥地域の持続的開発を考えるうえでの指針を与える基礎的成果として評価される。したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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