学位論文要旨



No 124201
著者(漢字) 宋,士輝
著者(英字)
著者(カナ) ソウ,シケ
標題(和) インプリント・シクロデキストリン高分子によるペプチドの立体構造の認識
標題(洋)
報告番号 124201
報告番号 甲24201
学位授与日 2008.10.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6935号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,眞
 東京大学 教授 畑中,研一
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 芹澤,武
 東京大学 講師 須磨岡,淳
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

分子が分子を認識する。それは古くから生体内での特異的反応の基本となっている機構である。例えば、酵素はかずある基質分子の中から特異的基質だけを選び出して結合し、選択的な触媒作用をする。しかし、天然抗体はターゲットとなる生体分子に対して非常に高い基質特異性を持つが、生体からの抽出が難しくて入手が困難、量が少ない、また保存しにくいなどの欠点がある。それで、天然抗体に匹敵する特異的認識能を持つだけでなく、短時間で多量生産ができる、より過酷な環境にも耐えうる、更に天然抗体には見られない機能を持つと期待できる人工レセプター(=人工抗体)の開発が注目されている。

これまでに主に有機溶媒で小分子に機能する人工レセプターの合成が数多く報告されてきたが天然抗体が示す高度な生理活性機能を模倣するためには、水系で働きかけることが必要である。また、タンパク質のような生体高分子の選択的認識に成功できれば生命科学、医療などで非常に有意であるため、近年ますます研究の進展が期待されるところになってくる。本研究では、シクロデキストリン(CyD)を機能性モノマーとする「分子鋳型法」(Molecular Imprinting)を用いて、水系で生理活性物質であるオリゴペプチドを特異的に認識する人工レセプターの構築を目指している。

CyDの分子鋳型法はFigure 1に示す。まず、ターゲットとなる分子(鋳型分子)の認識部位に対して複数個のCyDを相補的に配向し、その配向のまま機能性モノマーを固定化する。そして、鋳型分子を取り除けば、鋳型分子に対して特異的な結合サイトを持つインプリントCyD高分子が構築される。

2.実験

シリカゲル表面にビニル基を導入した後、この修飾シリカゲルをpH8.0のトリスバッファー溶液中に分散させる。その後、1級水酸基側にビニル基を導入した修飾β一CyD、メチレンビスアクリルアミド(架橋剤)、および鋳型分子のバッファー溶液を加えて35℃で5分間撹拌した。その後、ラジカル開始剤と促進剤(過硫酸カリウム/TEMED)を加えて35℃で20時間重合させることで、シリカゲル粒子表面上ヘインプリント高分子を固定化した。インプリントに用いた鋳型としては以下に示すオリゴペプチドを使用した。

[lle5]-angiotensin-II([lle5]-AII):Asp-Arg-Val-Tyr-Ile-His-Pro-Phe

[Gly5]-angiotensin-II([Gly5]-AII):Asp-Arg-Va1-Tyr-Gly-His-Pro-Phe

[Va15]-angiotensin-II([Val5]-AII):Asp-Arg-Val-Tyr-Val-His-Pro-Phe

[Ile5]-angiotensin-1([Ile5]-AI):Asp-Arg-Val-Tyr-lle-His-Pro-Phe-His-Leu

[Val51-angiotensin-1([Val5]AI):Asp-Arg-Val-Tyr-Val-His-Pro-Phe-His-Leu

得られた高分子固定化シリカゲル粒子から未反応のモノマーや鋳型分子を除去した後、これらをHPLCカラムに充填した。基質の保持時間を測定することによりインプリント高分子の機能を評価した。

3.結果と考察

(1)オクトペプチドの[lle5]-AIIと[Gly5]-AIIのインプリント効果

CyDを機能性モノマーとして、それぞれ生理活性物質であるオクトペプチドの[Ile5]-AIIと[Gly5]-AIIを鋳型に用いてインプリントカラムを作製した。また、コントロールとして鋳型不在下でノンインプリントカラム(Non-lmp)も作製した。各カラムでは、各基質の溶出パターン(HPLCチャート)をFigure 2に示す。

明らかに、Non-Impカラムでは、各基質の保持時間はほぼ同じであるため、それらを識別できなかった(Figure 2A)。しかし、[Ile5]-AII-Impカラムでは、鋳型の[Ile5]-AIIが正確に認識された。

Non-Impカラムでの場合に比べ、[Ile5]-AIIがそれを鋳型に用いた[Ile5]AII-Impカラムでの保持時間は4.6分ほど延びた(Figure 2B)。それはCyDがばらばらの状態でシリカゲル表面に並んだNon-Impカラムに比べ、CyDが配向的にテンプレートとなる[Ile5]-AIIの形に合わせてシリカゲル表面に並んだ[lle5]-AII-Impカラムのほうが[lle5]-AIIを効率的に認識したためである。

一方、非鋳型物質の[Gly5]-AIIと[val5]-AIIをアッセイしたところ、そのアミノ酸配列が鋳型の[lle5]-AIIによく似ていて、ただN-末端から数え第5番目のアミノ酸だけ異なるが、それほど強く保持されなく鋳型の[11e5]-AIIより先に溶出された。[lle5]-AII・インプリント高分子は高い基質特異性を有することが示唆された。

また、[Gly5]-AIIにおいても、顕著なインプリント効果が見られた(Figure 2C)。Non-lmpカラムでは、[Gly5]-AIIの保持時間は4.1分であるに対し、[Gly5]-AII-lmpカラムではその保持時間は8.2分になり、4.1分ほど遅くなった。さらに、他の非鋳型物質を分析したところ、各基質の中でも[Gly5]-AIIが一番遅く溶出されたことが分かった。すなわち、[Gly5]-AII・インプリント高分子も高い基質特異性を示した。

(2)デカペプチドの[Ile5]-AIと[Va15]-AIのインプリント効果

長さ10マーのデカペプチド、[Ile5]-AIと[Va15]-AIを鋳型に用いて合成したインプリント高分子の機能を評価した。その結果、いずれも高いインプリント効果と基質特異性が観測された。例えば、Non-Impカラムの場合に比べ、[Ile5]-AIの保持時間は[lle5]-AI-Impカラムで、16分ほど飛躍的に延びて、各ゲスト分子([Va15]-AI、[lle5]-AIIと[Val5]-AII)の中でも最も遅く溶出された。計算してみると、インプリンティングによって、[lle5]-AIの保持能がllO%向上された。一方で、他のゲスト分子の保持能向上率はわずか30-50%であった。

また、[Ile5]-AI-Impカラムにおいて最も強く保持された[lle5]-AIに次いで、二番目に溶出された[Va15]-AIは[Val5]-AI-lmpカラムでは最も強く保持されて最後に溶出されるようになった。インプリント高分子の中に[Va15]-AIを精密に認識できる結合サイトが形成されていることが示唆された。

更に、観測された高いインプリント効果が、オリゴペプチドの立体構造を反映しているかを検討するために、鋳型分子であるオリゴペプチドの立体構造が重合時とは異なると予想されるpH3においてゲスト認識能を評価した。すると、[lle5]-AI-Impおよび[Va15]-AI-Impのいずれのカラムにおいても、pH8で観測されたインプリント効果はpH3では完全に消滅した。これらの結果は、インプリントCyD高分子は、単にオリゴペプチドのアミノ酸残基を認識しているのではなく、オリゴペプチドの高次構造をも正確に認識していることを示す。

本論文では、円二色(CD)などを用いてペプチドの立体構造を調べてみた。また、NMRにて水中でインプリンティングによる分子認識機構の解明を目指している。それに、インプリント効果に影響を及ぼす諸因子も検討した。

4.結論と展望

CyD・インプリント高分子を用いて、水中で生理活性オリゴペプチドを正確に認識することに成功した。特定分子の形状を記憶しているインプリントポリマーをHPLCカラムに充填し、簡便に基質選択性を評価できるため、分離・精製材料として使われることが可能である。また、将来CyDのインプリント法を用いてタンパク質への認識に応用することが期待されている。

Figure1.Molecular Imprinting of CyD

Figure2.Typical HPLC patterns using(A)non-(B)[Ile5]-AII-and (C) [Gly5]-AII-imprinted β-CyDpolymers as stationary phase for [Ile5]-AII,[Gly5]-AII and [Val5]-AII.The retention times ofguest molecules (in min)are presented inparentheses.All the polymers were prepared at pH8,and the binding activities were assayed at pH8.

審査要旨 要旨を表示する

天然抗体のように目的分子を非共有結合により特異的に認識する人工レセプター(=人工抗体)はバイオテクノロジーや医療をはじめとする様々な分野への応用が期待されることから、その開発が望まれている。しかしながら、これまで報告されている人工レセプターは、有機溶媒中で小分子に対して機能するものがほとんどであった。本論文では、水系において、ナノスケールの生体高分子、特にペプチド(タンパク質)の精密な認識に着目し、シクロデキストリン(CyD)を配向・架橋固定化したインプリント高分子を用いた、水中で特定の立体構造をとる天然ペプチドの特異的認識について述べている。本学位論文は、第1章の序論、第9章の結論を含む全9章より構成されている。

第1章では、序論として人工レセプター開発の必要性と意義、これまでに報告されている水系における人工レセプターによるペプチドの認識とその問題点、小宮山研究室において開発されたCyDの分子鋳型法によるペプチドの認識について概説し、本研究の背景及び目的を述べている。

第2章は実験方法に関する章であり、ビニル基修飾β-CyD(機能性モノマー)、テンプレート分子とするペプチド、及びそれらを使用したインプリントCyD高分子の合成法が述べられている。

第3章では、生理活性物質であるオクタペプチド(アンジオテンシンII)をテンプレートに用いて、シリカゲル表面上でインプリントCyD高分子を合成し、それをHPLCカラムに充填し保持時間を測定することでインプリントCyD高分子の機能を評価している。その結果、鋳型ペプチドの保持能はインプリンティングによって飛躍的に向上することを明らかにした。これに対して、鋳型ペプチドとアミノ酸残基が一つだけ異なる非鋳型ペプチドに対する保持能は、鋳型ペプチドの保持能より小さいことを明らかにした。以上のように、インプリントCyD高分子は8 merの鋳型ペプチドに対して特異的な基質選択性を持つこと示した。

第4章では、アンジオテンシンIIの前駆体であるアンジオテンシンI(10 mer, デカペプチド)の精密な認識について述べている。鋳型ペプチドはそれをインプリントしたカラムにおいて保持時間が飛躍的にのび、顕著なインプリント効果が観測されることを明らかにした。また、アミノ酸配列が鋳型ペプチドと一つだけ異なる非鋳型ペプチドの保持時間の伸びはほとんど観測されなかったことから、インプリントCyD高分子は一つのアミノ酸残基だけ異なる基質も精確に識別できること示した。

第5章では、第4章で作製したインプリントCyD高分子(pH 8.0で作製)を用いて、インプリント時と異なるpH 3.0で測定した際のインプリント効果についての検討を行っている。その結果、pH 8.0で測定したときに観測された高いインプリント効果がpH 3.0では消失することを明らかにした。これは、インプリントCyD高分子は測定pHによって、鋳型分子に対する認識能が変化することを示している。また、pH 3.0では高いインプリント効果の消失だけではなく、pH 8.0で観測されたインプリント高分子の高い分子認識能(基質特異性)の消失も観測される(測定pHの変化によってインプリント高分子の基質特異性も影響を大きく受ける)ことを見いだした。さらにこれらの結果から、インプリント効果や分子認識能が消失したのは、測定条件をインプリント時のpH 8.0と異なるpH 3.0としたことによるペプチドの高次構造の変化が原因であると考察している。

第6章では、インプリントCyD高分子を用いて、より大きな生理活性ペプチド(γ-endorphin)の認識を試みている。その結果、従来の場合と同様にpH 8.0でのインプリントを行った場合には、予想に反して明白なインプリント効果が得られないことが示されている。また、この原因を、高次構造をとっているγ-endorphinが何らかの障害でCyDと包接複合体が形成できずインプリントポリマー中にγ-endorphinの認識サイトが構築されていないためであると推定している。一方、第5章で得られた「pH変化によるペプチドの立体構造の変化は、インプリントCyD高分子のインプリント効果に大きな影響を与える」という知見に基づき、pHを3.0に変えてγ-endorphinのインプリントを行っている。その結果、明らかなインプリント効果が得られ、この原因をpH 3.0ではγ-endorphinがpH 8.0と異なる高次構造をとるためCyDとの相互作用が有利になっているからであると考察している。

第7章では、インプリント効果に影響を及ぼす諸因子について検討がなされている。具体的には、機能性モノマーの種類、テンプレート分子、及びにインプリントCyD高分子を固定化するビニル基修飾シリカゲルの三つの方面からインプリント効果への影響が述べられている。

第8章では、鋳型として使用したオクタペプチドならびにデカペプチドの水溶液中における構造を円偏光二色性(CD)スペクトルにより検討するとともに、NMRを用いてペプチドとCyDとの相互作用について解析を行っている。更に、これらの情報に基づいて、前章までに報告したインプリントCyD高分子の高い分子認識について、以下のような機構を提案している。(1)水中において、CyDは鋳型ペプチドの側鎖と疎水性相互作用により安定な包接複合体を形成。(2)インプリント過程において、架橋剤を加えることでCyD同士を架橋し、包接複合体を固定化。(3)配向制御されたCyDから構成されるインプリント高分子はペプチドの立体構造を正確に認識するだけでなく、ペプチド側鎖に関する微細な違いの精密な識別を実現。

第9章では、第2章から第8章までの研究を総括し、本論文の成果を含めて今後の展望について論じている。

以上のように、本論文により、インプリントCyD高分子を用いることで、水中における天然ペプチドの立体構造の認識に成功した。さらに、分光学的な手法を用いることにより、その認識機構について詳細に検討をしている。本論文は、分子認識化学の発展に寄与するところが大きく、さらに、今後のタンパク質の認識、分離及び精製の展開に大きく貢献するものであり、生命科学や医療など様々な分野への応用が期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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