学位論文要旨



No 124234
著者(漢字) 井上,靖雄
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ヤスオ
標題(和) 位相差顕微鏡を用いた気中アスベスト繊維自動計数システムの開発
標題(洋) Development of a System to Automatically Count Airborne Asbestos Fibers by Using Phase Contrast Microscopy
報告番号 124234
報告番号 甲24234
学位授与日 2008.12.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第404号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳沢,幸雄
 東京大学 准教授 熊谷,一清
 埼玉大学 教授 坂本,和彦
 東京大学 准教授 清家,剛
 東京大学 准教授 吉永,淳
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

アスベストは、天然に産する鉱物繊維で、蛇紋石族のクリソタイル(白石綿)と角閃石族のクロシドライト(青石綿)やアモサイト(茶石綿)などが知られている。耐熱性、耐薬品性、絶縁性など工業上の諸特性に優れているため、建築資材、自動車の部品、電気製品、家庭用品など様々な形態で利用されてきた。近年、アスベストの危険性が国内で広く認識されるようになり、濃度計測の需要が増加している。一方アスベストの濃度計測は、これまで、メンブレンフィルタに吸引捕集されたアスベスト繊維を、位相差顕微鏡を用いて目視観察する方法(以下、PCM法)で行われているが、得られる結果にばらつきが大きいことがかねてから問題視されている(1))。

フィルタ上の繊維の分布がランダムであると考えると、計数された繊維数Nを用いて計数値の相対標準偏差RSDは

(1)

で与えられる。つまり計数のばらつきは、式1より、計数される繊維数を増やすことで抑制することができる。そのためには、視野あたりの繊維数を増加させる方法、あるいは、観察視野数を増加させる方法が考えられる。前者は、捕集空気量を増やすことで実現可能であるが、同時に空気中の他の粒子、繊維の混入を助長するため、計数環境を悪化させる恐れがある。一方後者は、多視野観察時の計測者の疲労とそれに伴う精度低下が懸念されるが、計数プロセスを自動化することによって計測者の負荷を軽減することができれば実現可能な選択肢となり得る。

これまでに、PCM法を自動化する試みはあるが2,3)、いずれも顕微鏡に接続したカメラで撮影し、得られた画像をコンピュータで自動計数するものであって、画像を得るまでの顕微鏡操作を自動化した事例は見当たらず、自動計数技術としても十分なものではなかった。

本研究は、PCM法における多視野観察を可能にするために、顕微鏡操作および計数操作を自動化した自動計数システムを開発することを目的とした。また、位相差顕微鏡を用いた繊維種同定法である分散染色法にも対応可能なシステムとすることも目的とした。本システムは、計測者に由来する計数のばらつきを抑制するだけでなく、画像として標本を保存できるため、トレーサビリティの向上に寄与するものである。

第2章 視野数と精度の関係

2.1目的

多視野観察によって、計数繊維数を増加させることで計数のばらつきを低減できることをモンテカルロシミュレーションで検証し、濃度によって必要な観察視野数を導くことを目的とした。

2.2手法

現行の環境省のマニュアル(4))に従って標本を作成し、φ47mmのフィルタの1/4片を、JIS5)の計数基準に従って観察することを想定する。5つの濃度(10, 5, 1, 0.5, 0.1 f/L)の大気を捕集することを仮定し、それぞれのフィルタ上に捕集される総繊維数NFを計算する。この繊維数NFをフィルタ上に確保可能な全3,400個の実視野相当面積の矩形領域(以下、仮想視野)に配分する。このときフィルタ上の繊維の分布として均一な分布と中央に集中するような分布を仮定し、仮想的な標本データを作成する。図1には、濃度1 f/Lの標本上の均一に分布する繊維の様子を示した。

また、計数に際しては、仮想視野中に存在する繊維は正しく計数されると仮定して、ランダムに仮想視野を2,000視野まで選択し、その視野に配分されている繊維数を積算する試行を200回実施し、計数繊維数の相対標準偏差RSD を推計した。

2.3結果および考察

フィルタ上に均一に繊維が分布している場合の、視野数(500視野まで)に対するRSD の変化を図2に示した。環境省のマニュアルに従って50視野まで観察した場合、比較的高濃度(10および5 f/L)ではRSDは20%以下となるが、一般環境で見られるような低濃度0.5 f/L では、50視野の観察ではRSD は40%を超え、非常にばらつきの大きい計数結果となることがわかる。逆に、RSD を20%に抑えるためには、0.5 f/L では300視野程度の観察が必要であることがわかった。また、捕集された繊維の分布が均一ではなく、中央に集中する分布に従うと考えた場合、低視野数でさらにばらつきが大きくなる傾向も確認できた。300視野を超えるような目視観察は現実的ではなく、自動化が必要になると考えられる。

第3章 自動標本観察システム

3.1目的

これまで手動で行われていた顕微鏡観察操作を自動化するシステムを開発することを目的とした。

3.2システム概略

図3に開発したシステムの概観を示した。位相差顕微鏡に3CCDカメラを装着し、その信号はオートフォーカスコントローラとコンピュータのキャプチャーボードに送られる。顕微鏡操作の最大の課題であるフォーカスの調整は、独自に改良したアルゴリズムによってフォーカス位置を判定し、オートフォーカスコントローラによってステージのZ方向の移動を0.2 μm単位で適切に制御した。

深度方向に分布する繊維を正しく画像に取得するために、画像の深度合成技術を利用した。合焦点位置の上下0.2 μm間隔の画像を30枚取得し、画素ごとに極値を与える情報を選択的に取得し、画像を合成するものである。

また、観察作業の効率化のため、スライドを2枚装着できるようなステージを作製し、XY方向の移動操作を自動化するために市販の自動XYステージを改造して装着した。さらに、スライドの自動交換を可能にするオートローダも開発した。

さらに、PCM法だけでなく分散染色法への対応を可能にするため、アナライザーを任意の角度に自動的に回転させる自動回転アナライザーも独自開発した。なお、これらの装置全体は制御ソフトウェアより統一的に制御可能となっている。

3.3オートフォーカスの検証

観察視野を特定できる特殊な試料(以下、クロスチェック試料)を5枚用いてオートフォーカスと観察速度の検証を行った。クロスチェック試料はそれぞれ50視野観察し、同一視野のオートフォーカスと目視によるフォーカス調整とを比較した。その結果、全250視野中222視野でフォーカス位置は一致した。また、一致しなかった28視野のうち22視野にはフォーカスのターゲットが存在しなかったため、実質的には成功とみなすことができた。改良したオートフォーカス機能は、目視と同程度の水準であることが確認できた。

第4章 自動計数アルゴリズム

4.1目的

画像処理によって繊維を自動計数するアルゴリズムを開発することを目的とした。

4.2手法

開発したアルゴリズムは「前処理」「対象物認識」「対象物計数」の3つのステップから構成される。前処理では繊維の認識を容易にするための処理を行う。PCM法と分散染色法で詳細が異なり、PCM法では、輝度の偏りや輝度分布を補正する。分散染色法では、アナライザーを回転することで同じ視野に対して複数の画像が得られることを利用して、発色が変化する部分だけを抽出した画像を合成する。

対象物認識では、画像中の背景と繊維の境界画素、すなわち「エッジ」を抽出する。得られたエッジを適切に連結・補正することで繊維を認識する。対象物計数では、認識された繊維の長さ情報を計測し、繊維数を計測する。また、精度を向上させるため、エッジ検出のパラメータセットを変更して、対象物認識と対象物計数の処理を2回実施することにした。図4にはPCM法の計数アルゴリズムフローを示した。これらの画像処理は汎用画像処理ライブラリ MIL 8(Matrox 社)を利用し、Visual Basic 6(Microsoft 社)によってアプリケーションとして実装した。

4.3アルゴリズムの検証

チャンバーで人工発塵させたアモサイト(n=15)に本アルゴリズムを適用した。繊維状物質の判定基準は JIS(長さ5 μm 以上、幅が3 μm 未満、アスペクト比 3 以上)にならった。自動計数では、通常の目視観察の4倍の200視野の観察を行った。自動計数と目視計数それぞれから得られた濃度を図5に示した。多視野の計測によって、自動計数と目視の濃度の関係は、傾きが0.93、R2が0.91となり、ばらつきが少なく、互いによく一致する結果となった。図6には、アモサイトの計数における対象物認識1回目と2回目の計数繊維数を示した。いずれのケースでも約1割程度の繊維が、2回目の対象物認識で計数されており、エッジ検出を2回に分けることで、計数精度が改善されることが確認できた。

また、「石綿クロスチェック試料」5標本、それぞれ50視野について、視野ごとに自動計数結果と目視計数結果を比較した。その結果、およそ75%の視野で計数結果が一致し、視野レベルでも目視とよく一致することが確認できた。

第5章 結言

位相差顕微鏡を用いたアスベスト計数を自動化するシステムとして、自動観察システムと、自動計数アルゴリズムの開発と検証を行った。本システムによって、計測者に由来する計数のばらつきを抑制するだけでなく、多視野観察による計数繊維の増加に伴う誤差の抑制が可能になると考えられる。同時に、標本のトレーサビリティの確保にも貢献する期待される。

1)NIOSH (1984) ASBESTOS and OTHER FIBERS by PCM 7400, NIOSH Manual of Analytical Methods 4th Edition2)Inoue Y et al. (1998) Development of an automatic system for counting asbestos fibers using image processing. Part Sci Technol 16, 263-2793)Baron PA, Shulman SA (1987) Evaluation of the Magiscan image analyzer for asbestos fiber counting. Am Ind Hyg Assoc J 48, 39-464)環境省 (2007) アスベストモニタリングマニュアル第3版5)JIS (2006) K38501-1 空気中の繊維状粒子測定法第1部

図1 フィルタ上の均一な繊維分布例(濃度1 f/L の場合)

図2 視野数に対するRSDの変化

図3 自動標本観察システムの概観(オートローダは除く)

図4 PCM法の計数アルゴリズムフロー

図5 自動計数と目視計数の比較

図6 各ステップの計数繊維数(アモサイト)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章から構成されている。

第1章では、まずアスベストのもつ物性面での特徴を整理し、我が国における利用と規制の歴史に触れ、そして現在におけるアスベスト問題の特徴を述べている。その中から、繊維数計数の公定法となっている位相差顕微鏡を用いた目視観察による計数法(PCM法)の問題点を指摘し、計数法の自動化によってその解決の可能性があることを示し、自動計数システムの開発を本研究の目的として導出している。

第2章では、観察視野数と計数精度の関係について議論している。計数操作では一般に、計数値の相対標準偏差(RSD)は計数値の-1/2乗で与えられることが知られており、気中アスベストの場合においても、計数される繊維数が多いほどそのばらつきは小さくなる。しかしこれまでのPCM法では、作業環境のような高濃度環境で得られるサンプルを人が目視で計数することを前提に、50視野を上限にランダムに視野選択することとされており、一般環境のような低濃度に適用するには不十分であると考えられた。そこで本章では、低濃度な一般環境であっても、十分な精度で計数を可能とするために必要となる観察視野数を、モンテカルロシミュレーションを用いることで理論的に推定している。具体的には、フィルタ上の分布としては、偏りなくランダムな分布(均一分布)と、より現実的に中央に偏在させた分布(中央分布)を二通り与え仮想的なサンプルを想定し、目視観察と同じ面積の正方矩形領域を観察視野(仮想視野)と考え、この仮想視野を最大2,000視野までランダムに計数する試行を繰り返すことで、濃度を0.1、0.5、1、5、10肌と変化させたときの計数結果のばらつきを推計している。その結果、理想的な均一分布を想定した場合より、現実的な中央分布を想定した方がばらつきは大きくなることが確認された。また、測定法として許容されるばらつきを、NIOSHや環境庁通達に見られるように20%と考え、フィルタ上の分布として均一分布を想定した場合、5肌程度までの高濃度な環境であれば50視野の観察でそのばらつきを20%程度に抑えることが可能であるが、0.5f/L程度の一般環境では理想的な計数条件下であってもばらつきを20%程度に抑えるには、300視野程度の多視野観察は必要であることを示している。これまで考量されていなかった低濃度環境で、多視野観察が必要であることを定量的に論じ、それを実現するためにも自動化が必要であることが述べられている。

第3章では、位相差顕微鏡を用いた観察操作のうち、視野を移動させ、フォーカスを調整するという機械的な操作の自動化の実現について述べている。システムは位相差顕微鏡に視野移動のためのXY自動ステージを顕微鏡のステージに合わせて改造し装着し、3CCDカメラとオートフォーカスコントローラを装着した。同時にCCDの画像信号はコンピュータに送られる。捕集物が比較的少ない気中アスベスト標本のフォーカスの調整は、PCM法の顕微鏡観察で最も技量を要する操作であり、繊維計数の大きな誤差要因と考えられている。本章では、一般的なオートフォーカスアルゴリズムをベースに、気中アスベストのサンプルに適したフォーカスアルゴリズムを考案し、実験室で作製されたサンプルや実際のアスベスト除去現場で得られたサンプルで、熟練者と遜色のない精度でフォーカスを調整できることを実証的に確認している。

また、アスベスト観察用の40倍の位相差対物レンズは焦点深度がおよそ0.5μmと非常に浅いため、正しい焦点位置であってもフィルタ上に斜めに存在するような繊維では、繊維の一部にしかフォーカスが合わず、正しい繊維像を画像として取得することが困難である。この問題に対応するために、本章では深度合成技術を利用することで、フォーカス位置の上下の0.2μmごとに30枚の画像を取得してこれを合成し、一枚の画像に繊維全体を再現可能としている。既存の技術を適切に融合してアスベストの顕微鏡観察に適用することで、形状が不定で一般に困難と考えられる位相差顕微鏡による気中アスベストの観察の自動化を実現している。

第4章では、CCDカメラで撮影し合成された画像から繊維を認識計数する画像処理アルゴリズムの構築について述べている。画像処理によって計測を行うには、通常、対象物の認識と計測の二つの課題が存在するが、本アルゴリズムでは市販の汎用画像処理ライブラリを活用することでこれらの課題に応えている。従来の技術では、対象物の認識のために、位相差画像の輝度1青報から画像中の全ての繊維に対して繊維認識のクライテリアとなる輝度をただ一つ決定していたため十分な精度が得られなかったが、本アルゴリズムでは「エッジ」の概念を用いて局所的な輝度情報から局所的に繊維の外縁部の認識を行うことで、柔軟な繊維認識を実現している。さらにエッジが断片的に認識された場合には、適切な条件でエッジを接続することで、連続した繊維の外縁部として正しく認識させている。また、明瞭なエッジと不明瞭なエッジの2段階に分けてエッジの認識を行うことで、繊維認識の精度を向上させている。一方対象物の計測は、必要な情報が長さと幅といった単純な情報であるため、画像処理ライブラリの機能によって容易に実現されている。構築されたアルゴリズムを用いて、100~5,000f/Lという広い濃度範囲のサンプルを用いて熟練者による目視計数結果と比較することで、アルゴリズムの妥当性や適応性が十分に確認されている。

第5章では、上記をまとめPCM法の自動化が実現されたと同時に、熟練者に依存し、精度管理が困難で、技術の継承といった問題を有しているPCM法の標準化への一歩を開くものであることが述べられており、単に既存の技術の自動化にとどまらず、今後の社会的貢献も期待される論文であるといえる。

なお、本論文の第2章は、山本尚理、丸喜勝、小西淑人、柳沢幸雄の各氏、第4章は、山本尚理、柳沢幸雄両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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