学位論文要旨



No 124292
著者(漢字) 柴田,朋子
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,トモコ
標題(和) ニッポンウミシダ(棘皮動物門ウミユリ綱)の長期飼育および腕の発生・再生における分節構造の形成
標題(洋) Long term culture and the morphogenesis of segmented structure in development and regeneration of arm of the feather star Oxycomanthus japonicus (Echinodermata, Crinoidea)
報告番号 124292
報告番号 甲24292
学位授与日 2009.03.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5283号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤坂,甲治
 東京大学 准教授 大路,樹生
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 相賀,裕美子
 東京大学 講師 吉田,学
内容要旨 要旨を表示する

棘皮動物は脊索動物および半索動物とともに新口動物を構成する主要な門である。中でもウミユリ類は現生棘皮動物の中で唯一の有柄類であり、茎を持ち、口を上に向けて固着生活を送るなどの原始的な棘皮動物の特徴を保持する動物である。したがって、新口動物の進化を知る上で重要である。しかし産卵期が限られることや飼育が困難であることなどから、発生学的研究は立ち後れていた。

本研究では、ニッポンウミシダ(左図)の長期飼育法を開発し、受精卵から性成熟まで継続的に飼育することに成功した。さらに、この飼育系を利用し、ニッポンウミシダの分節構造形成過程の解析を行った。

動物においては、一般に脊索動物、節足動物、環形動物の三門が分節構造を持つ動物とされており、棘皮動物の分節構造については検討されることがほとんどなかった。しかし、棘皮動物であるウミユリ類(ウミシダ・有柄ウミユリ)は、その腕と茎に明らかな分節構造を持つ。すなわち、ほぼ同じ形をした多数の小さな骨板が、腕の場合は短い筋肉および靭帯で、茎の場合は靭帯で関節されている(下図)。本研究では、棘皮動物と他の動物門の分節形成過程を比較することにより、分節形成機構の進化を明らかにすることができると考え、ニッポンウミシダの腕の発生過程・再生過程における分節形成過程の組織学的・分子的解析を行った。

Part I Development and growth of Oxycomanthus japonicus through to the sexual maturity

ニッポンウミシダの発生と成長:性成熟に至るまで

三崎臨海実験所周辺に生息するニッポンウミシダの放精・放卵は、10 月後半の小潮(上弦または下弦の月)周辺の夕方起こる。水槽内で放出された卵と精子を回収し、受精後、孵化・浮遊幼生期を経て着底するまでの数日間、コンテナ内で飼育し、着底後はコンテナごと漁網で包み、湾内のいかだに吊るし、海中飼育を行った。その後、定期的に引き上げ、コンテナや網に付着したフジツボ・ホヤ・イガイなどの生物を取り除くほか、ウミシダの成長に合わせてコンテナ内の個体密度を調整した。

飼育の結果、受精後約6 ヶ月で腕数の増加が始まり、おおむね2 年で性成熟に至ることが明らかになった。ただし、2007 年に受精した個体について、受精後6 ヶ月の段階から従来の1/20 の低密度(コンテナあたり3 個体)で飼育したところ、2008 年10 月(受精後1 年)で性成熟に到った。従来の飼育法では、食物の摂取量が足りず、成長が遅れていたものと考えられる。このことは、十分に食物を摂れる自然界においては、ニッポンウミシダは生後1 年で性成熟に到ることを示唆する。

また、放精・放卵の観察を行った2000 年-2006 年において、放精・放卵は10 月後半の小潮であったが、1937 年-1955 年においては10 月前半の小潮であったことが報告されている(Dan & Kubota 1960)。すなわち、この50 年間に、放精・放卵が約半月遅くなっていることが明らかになった。経験的に、秋口から低下し始める海水温が22℃を下回ることが放精・放卵が起こる目安とされており(久保田1988)、2000-2006 年においてもこの傾向が見られた。そこで、三崎の海水温の経年変化を調べるため、1964 年(三崎最古の海水温記録)-1973 年と、2000-2006 年について、月平均海水温を比較したところ、3 月、5 月、9 月、10 月の海水温が有意に上昇していることが明らかになった。このことから、9 月、10 月の海水温が上昇し、秋口の水温低下が遅くなったために、ウミシダの放精・放卵が遅くなったと考えられる。

Part II Histological and molecular analysis of morphogenesis of segmented structure in Oxycomanthus japonicus

ニッポンウミシダの分節構造形成の組織学的および分子的解析

ニッポンウミシダの分節構造の形成過程を調べるため、発生および再生におけるウミシダの腕の組織学的および分子的解析を行った。

組織学的観察から、ウミシダの腕は最先端部に未分化細胞塊があり、そのやや基部側で骨片形成、分節化された靭帯・筋肉の形成が起きていることが明らかになった。

次に、腕における分節化の分子メカニズムが、新口動物で保存されているかを確認するため、脊椎動物の体節形成に関与することが知られているNotch およびHes 遺伝子のウミシダにおける相同遺伝子OjNotch, OjHes を単離し、in situ hybridization による発現解析を行った。その結果、発生中の腕については、受精後39 日のペンタクリノイドにおいては腕の先端では発現が見られなかったのに対し、受精後の2 ヶ月の幼体では腕の先端で両遺伝子の発現が見られた(左図)。

また、再生腕においては、歩帯溝および体腔壁で両遺伝子の発現が見られたほか、後期再生腕の反口側組織において、OjHes の縞上の発現が見られた(上図)。縞の間隔は分節の幅と対応しており、この結果からOjNotch, OjHes が分節構造の形成に関与していることが示唆された。

これらのことから、棘皮動物の分節構造形成においては、脊椎動物と共通の分子メカニズムが用いられていることが示唆された。しかし、脊椎動物を含む脊索動物と、棘皮動物との共通祖先は分節構造を持たなかったと考えられることから、それぞれのグループに分岐した後、独立に共通のメカニズムを獲得したと考えられる。

Dan K, Kubota H (1960) Data on the spawning of Comanthus japonica between 1937 and 1955. Embryologia 5: 21-37久保田 宏 (1988) 棘皮動物 (I) ウミシダ類. 「海産無脊椎動物の発生実験」 石川 優・沼宮内 隆晴 編. 培風館、東京 pp 97-103
審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、全体の要旨である。第2章はニッポンウミシダの長期飼育法の開発について述べられている。第3章はニッポンウミシダの分節形成にかかわる遺伝子の解析について述べられている。

ウミユリ類は、棘皮動物の中で最も原始的なグループであり、棘皮動物、新口動物の進化を知る上で、重要な位置にある。しかし、飼育の困難性や、産卵期が不明な種が多いことなどから、個体発生に関する研究は遅れていた。柴田朋子は、ウミユリ類を実験動物として確立し、その個体発生を明らかにすることを目指し、三崎臨海実験所の先行研究によって産卵期が特定されていたニッポンウミシダの長期飼育法の開発を試みた。水槽内に隔離した個体から放出された卵と精子を回収し、受精・発生させ、コンテナ内壁に着底した幼生を、コンテナごと海中に吊るし、海中に棲息するプランクトンを餌とした。その結果、受精卵から性成熟に至る飼育に世界で初めて成功し、発生過程の観察を可能にした。飼育法の確立は困難を極め、長時間を要したが、ウミユリ類の卵から性成熟までの飼育の成功は、棘皮動物および新口動物の進化の理解に大きく貢献すると期待される。

ニッポンウミシダは成長過程で腕の数を増やすことが知られていたが、その様式については不明であった。柴田朋子は自ら確立した長期飼育法を活用し、成長過程における腕の数が増える仕組を観察し記述した。ニッポンウミシダの幼体は、中央の萼部から最初に生じる5本の腕を基部近くで自切して捨て、2本の新しい腕を分岐再生させて、これを繰り返して腕数を増やすことを明らかにした。本研究では、再生が腕の個体発生の過程で重要な役割を果たしていることを示した。

1960年にDan & Kubotaのより報告された1937年-1955年の三崎におけるニッポンウミシダの放精・放卵の時期に比べ、柴田朋子が調査した2000年-2006年の間は、放精・放卵の時期が約半月遅くなっていることを示した。三崎臨海実験所による海水温の記録を過去に遡って比較することにより、海水温が近年では有意に上昇していることと、秋口から低下し始める海水温が22℃を下回ることが放精・放卵が起こる目安とされている先行研究(久保田1988)の情報から、9月、10月の海水温が上昇し、水温低下が遅くなったために、ウミシダの放精・放卵に遅れが生じたと考えられる。三崎臨海実験所における長期の記録を利用し、環境変化と生殖時期の変化を指摘した点は意義深い。以上は、第2章に記述されている。

第3章では、確立した飼育系を利用し、ニッポンウミシダの分節構造形成過程の解析を行っている。一般に脊索動物、節足動物、環形動物の三門が分節構造を持つ動物とされており、棘皮動物の分節構造についてはほとんど検討されなかった。ウミユリ類は、その腕と茎に明らかな分節構造を持つ。すなわち、ほぼ同じ形をした多数の小さな骨板が、腕の場合は筋肉および靭帯で、茎の場合は靭帯で関節されている。

組織学的観察により、ウミシダの腕の分節構造は、他の動物門のように、未分化な組織が一節ずつくびり切れてから分化が起こるのではなく、先端部でまず骨片形成、次に靭帯形成、そして筋肉形成と組織分化が順次起こることで分節構造が形成されることを明らかにした。また、新口動物における分節化の分子メカニズムの保存性を検証するために、脊椎動物の体節形成に関与するNotchおよびHes遺伝子のウミシダにおける相同遺伝子を単離し、in situ hybridizationによる発現解析を行った。その結果、分節構造形成初期には両遺伝子とも腕での発現が見られなかったが、再生腕においては、分節構造形成後期にOjHesの縞状の発現が見られ、縞の間隔は分節の幅と対応していた。以上は、棘皮動物の分節構造形成においても、脊椎動物と一部は共通の分子メカニズムが用いられていること示唆している。しかし、脊椎動物を含む脊索動物と、棘皮動物との共通祖先は分節構造を持たなかったと考えられることから、それぞれのグループに分岐した後、独立に共通のメカニズムを獲得したと考えられることを示した。

この研究を通じて、柴田朋子は、ウミシダ幼体・成体を用いた分子生物学実験の基本的な手法を確立した。特に幼体の in situ hybridizationによる遺伝子発現解析は、世界で初めて成功したものである。飼育系・実験系を確立し、これまで研究が困難であったウミユリ類を実験動物として用いる可能性を開いた研究として、高く評価できる。

なお、本論文第2章は、大路樹生、佐藤敦子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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