学位論文要旨



No 124487
著者(漢字) 吉野,惇郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,ジュンロウ
標題(和) ホウ素-窒素間相互作用を有する蛍光性π共役分子の研究
標題(洋) Study on Fluorescent π-Conjugated Molecules Bearing a B-N Interaction
報告番号 124487
報告番号 甲24487
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5385号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 准教授 村田,滋
 東京大学 准教授 岩田,耕一
内容要旨 要旨を表示する

蛍光物質は蛍光塗料としての利用のみならず、発光デバイスとしての利用や、蛍光プローブ分子としての分子認識への応用においても重要である。特に、有機蛍光体はその蛍光特性の調節の容易さから興味がもたれている。広がったπ共役系を有する有機化合物は有機蛍光体への応用が期待されているが、それらの化合物としては芳香環同士が炭素-炭素結合で連結しているものや縮環しているものが多かった。一方、芳香環同士を含窒素二重結合で連結した構造のアゾベンゼンやジフェニルアゾメチンは、合成が簡便で性質の調整が容易であり、広範な誘導体の合成が可能であるという優れた点を有しているπ共役分子である。しかし、これらは光異性化や熱振動等のために基本的に蛍光を示さない化合物群であり、有機蛍光体としての利用は困難であった。筆者は含窒素二重結合で芳香環を連結したπ共役系骨格の窒素原子と相互作用可能な位置にホウ素置換基を配置することで、ホウ素-窒素間相互作用による芳香環と二重結合の共平面上への固定と、含窒素二重結合の電子状態の調節の両方が達成できることを予見し、これらの化合物に蛍光発光特性を付与できるものと考えた。本論文ではこのような新規なπ共役分子の合成、構造、蛍光特性、蛍光特性発現の理論的解明、および蛍光特性の制御について述べる。

1. 蛍光性ホウ素置換アゾベンゼンの合成、構造および蛍光特性

筆者は修士課程での研究により、2-ボリルアゾベンゼンのホウ素置換基を適切に選択すればアゾ基の窒素原子がホウ素に分子内配位することを見出している。この知見に基づき、強いルイス酸性を示すジアリールボリル基を用いて、強固なホウ素-窒素間分子内相互作用をアゾベンゼンに発現させることを試みた。2-ヨードアゾベンゼン1a-h のリチオ体と、その後のジアリールボラン誘導体との反応により、対応する2-(ジアリールボリル)アゾベンゼン2a-h を得た(Scheme 1 and Table 1)。各種スペクトルおよびX 線結晶構造解析から、2a-h のホウ素原子は溶液状態および結晶状態でアゾ基の窒素原子が配位した4 配位状態であることがわかった。2a のヘキサン溶液に光照射(λ = 360 nm)したところ、アゾベンゼン誘導体に特徴的なZ 体への光異性化は進行せず、代わりに強い緑色の蛍光発光が観測された。同様に、2a-g の蛍光スペクトルを測定したところ、503 nm から566 nmに発光極大が観測された(Table 1)。2b の室温、ヘキサン中での蛍光量子収率ΦF は0.76 であり、無置換のアゾベンゼンの3 万倍以上も高く、既知のアゾベンゼン誘導体の中で最高の蛍光量子収率を示すことがわかった。一方、2a のペンタフルオロフェニル基を4-フルオロフェニル基にかえた2h では光異性化も蛍光発光も確認できなかった。そこで、2a-g の高い蛍光発光効率の原因について知見を得るため、DFT 計算およびTD-DFT 計算を行ったところ、2a-g ではホウ素-窒素間相互作用のためにアゾ基の軌道準位が大きく変化し、最低励起一重項状態から基底状態への遷移は禁制遷移であるn-π*遷移から許容遷移であるπ-π*遷移になっていることが明らかとなった。このことと、分子内配位による五員環形成により分子構造が剛直になったために光異性化等の非放射緩和過程が抑制されたことが、2a-gの蛍光発光の要因であると考えられる。

2. 酸塩基反応によるホウ素置換アゾベンゼンの蛍光特性の制御

外部刺激に応答して蛍光特性が変化する分子は蛍光プローブとして有用である。また、メチルイエローなどの4-(ジメチルアミノ)アゾベンゼン誘導体は、溶液のpH 変化に対応して色が変化するため、指示薬として使用されている。構造的に共通点のある2c を用いて、蛍光性アゾベンゼン誘導体の外部刺激による蛍光特性の制御を行うべく、そのプロトン化を検討した。2c のヘキサン溶液にトリフルオロ酢酸を添加したところ、溶液の色が赤色から無色へと変化した。その後にトリエチルアミンを添加すると溶液色は元に戻った。溶液の色の変化に対応して、トリフルオロ酢酸を添加すると蛍光が消光し、その後にトリエチルアミンを添加すると蛍光が回復した(Scheme 2)。このように、蛍光性アゾベンゼンの光吸収と蛍光発光を酸塩基反応によって可逆的に制御できることがわかった。

3. 蛍光性ホウ素置換フェニルイミンの合成、構造、蛍光特性および置換基効果

イミンは通常ほとんど蛍光を示さないことが知られている。金属に多座配位したイミン-金属錯体では強い蛍光を発するものが知られているが、N-ベンジリデンアニリン等の単純な構造の非環状イミン誘導体では最低励起一重項状態から励起三重項状態を経由した非放射緩和過程が主な緩和過程となっており、強い蛍光を示すものはほとんどない。ここで、蛍光性ホウ素置換アゾベンゼン2a の窒素原子の一つを炭素に置き換えた構造のイミン3aについてDFT 計算およびTD-DFT 計算を行ったところ、ホウ素-窒素間相互作用の効果で上記の項間交差が起こりにくい状態になることがわかった。このことから、単純な構造のイミンでありながら、高効率で蛍光発光を示すであろうと予想した。アセタール4 から合成した2-(ジアリールボリル)ベンズアルデヒド5 と、種々のアミン誘導体との脱水縮合という簡便な方法により、窒素上に様々な置換基を有する2-(ジアリールボリル)フェニルイミン

3a-h を中程度から高収率で得た(Scheme 3)。溶液中の11B NMRおよびX線結晶構造解析より、3a-h はいずれもイミン窒素がホウ素に分子内配位した構造をとっていることがわかった。ヘキサン溶液中、室温で3a-h の蛍光スペクトルを測定したところ、3h は蛍光を示さなかったが、3a-g では398 nm から545 nm の範囲に発光極大が観測された(Table 2)。窒素上に炭素置換基を有する3a-d では、イミン部分のπ共役系が大きく置換基の電子供与性が強いほど、より長波長かつ高い蛍光量子収率での蛍光発光を示す傾向があった。特に、3c の蛍光量子収率は0.73 であり、N-ベンジリデンアニリンの7 千倍以上も高い値であった。また、3f および3g を紫外光で励起したところ、それぞれの最長吸収極大波長で励起したときに観測された発光帯に加えて、別の発光帯が短波長側に観測された。この短波長側の発光帯の波長と形状、ならびにTD-DFT 計算の結果より、この発光帯は窒素上の置換基上のπ共役系の局所励起状態からの発光であると推定された。以上のように、フェニルイミンにビス(ペンタフルオロフェニル)ボリル基を導入することで、蛍光特性を容易に調節可能な蛍光性イミンを創製できた。

4. 蛍光性ホウ素置換フェニルイミンのシアン化物イオンとの反応と蛍光特性の変化

シアン化合物は猛毒であり、その検出は重要である。Strecker 反応に代表されるように、シアン化物イオンはイミンのC-N 二重結合に付加するため、蛍光性イミンのC-N 二重結合への付加によって蛍光特性の変化を惹起できれば、シアン化物イオンのセンサーとなり得ると期待される。そこで、イミン3c のDMF 溶液に過剰量のシアン化ナトリウムを加えて蛍光スペクトルを測定したところ、蛍光が完全に消失した。3a および3c とシアン化ナトリウムの反応後の各種NMR を測定したところ、シアン化物イオンがC-N 二重結合に付加した付加体6a および6c の定量的な生成が示唆された(Scheme 4)。付加体6a は単離できなかったものの、6a の対カチオンを交換した6a'を単離することで、最終的に同定した。このように、蛍光性ホウ素置換フェニルイミンがシアン化物イオンセンサーとなりうることがわかった。

scheme 1.

scheme 2.

scheme 3.

scheme 4.

Table 1. Yields, absorption wavelengths, and fluorescence properties of 2a-h

Table 2. Absorption and fluorescence properties of 3a-h

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなり、第1章は序論、第2章はホウ素置換アゾベンゼンの合成、構造、および蛍光特性、第3章はホウ素置換アゾベンゼンの置換基効果、第4章は酸塩基反応によるアゾベンゼンの蛍光の制御、第5章はホウ素置換フェニルイミンの合成、構造、および蛍光特性、第6章はホウ素置換フェニルイミンのシアン化物イオンとの反応、そして第7章は結論および今後の展望について述べている。

第1章では、蛍光性有機分子について、いくつかの代表的な分子を示して構造の特徴と応用例について述べている。また、含窒素二重結合化合物としてアゾベンゼンおよびイミンを対象に、それらの基本的な性質およびほとんど蛍光を示さないという特性について述べるとともに、例外的に蛍光発光する含窒素二重結合化合物について例をあげて説明している。またホウ素-窒素間相互作用を有する有機π共役系分子についていくつかの分子を例示し、それらの分子の性質発現におけるホウ素-窒素間相互作用のはたらきを示した上で、ホウ素-窒素間相互作用を活用して含窒素二重結合化合物に蛍光特性を付与する新しい方法を開発するという研究目的を述べている。

第2章では、2位にジアリールボリル基が置換したアゾベンゼンの合成を行い、それらの構造と蛍光特性について述べている。アゾベンゼンの2位にビス(ペンタフルオロフェニル)ボリル基を導入することで、アゾベンゼンに蛍光特性を付与できることを見出している。また、2-(ジアリールボリル)アゾベンゼンの蛍光特性発現の理由について、分子内ホウ素-窒素間相互作用の存在と、ホウ素上のアリール基の両方が重要な役割をはたしていることを、実験結果と理論計算の両面から明らかにしている。

第3章では、蛍光性ホウ素置換アゾベンゼンの物性に及ぼすアゾベンゼン上の置換基効果について述べている。アゾベンゼン上に種々の置換基を導入した化合物を合成し、置換基の違いが紫外可視吸収スペクトルおよび蛍光特性に及ぼす影響を明らかにしている。特に、4'位にメトキシ基が置換した2-[ビス(ペンタフルオロフェニル)ボリル]アゾベンゼンが史上最高の蛍光量子収率で蛍光発光するアゾベンゼンであることを見出したことは意義深い。

第4章では、蛍光性ホウ素置換アゾベンゼンの蛍光のプロトン化および脱プロトンによる制御について述べている。ホウ素置換アゾベンゼンに酸を加えてプロトン化するとその色および蛍光が消失することと、さらに塩基を加えて脱プロトン化すると色と蛍光が回復し、可逆的に色および蛍光を制御できることを見出している。さらに、理論計算から、プロトン化がアゾ基上で進行することと、アゾ基がプロトン化されることで、最低励起一重項状態から基底状態への遷移が禁制遷移に変化するために蛍光消光することを明らかにしている。

第5章では、フェニルイミンの2位にビス(ペンタフルオロフェニル)ボリル基を導入した化合物の合成を行い、それらの構造と蛍光特性について述べている。まず蛍光性ホウ素置換アゾベンゼンの分子構造から着想した新規なホウ素置換フェニルイミンについて理論計算を行い、その蛍光特性発現の予想を立てるとともに、実際に化合物の合成を行って蛍光発光することを明らかにしている。さらに、イミンの特性のひとつである簡便な合成法を活用してイミン窒素上に様々な置換基を導入し、イミン窒素上の置換基が蛍光特性に及ぼす効果について明らかにしている。特に、イミン上の置換基のπ共役系の伸長および電子供与性基の置換に伴い、発光極大波長の長波長シフトと蛍光量子収率の増大がみられることを見出している。また、イミン窒素上にヘテロ芳香族置換基を導入した場合に、二重発光という特異な興味深い現象が観測されることを見出している。

第6章では、蛍光性ホウ素置換フェニルイミンとシアン化物イオンとの反応と、それに伴う蛍光特性の変化について述べている。蛍光性ホウ素置換フェニルイミンはシアン化物イオンの作用により、炭素π窒素二重結合部分にシアン化物イオンが付加した付加体を与えることを明らかにしている。その結果蛍光消光することを見出し、蛍光性ホウ素置換フェニルイミンが将来的に蛍光性シアン化物イオンセンサーとなりうることを明らかにしている。

なお、本論文は川島隆幸・狩野直和との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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