学位論文要旨



No 124595
著者(漢字) 品岡,寛
著者(英字)
著者(カナ) シナオカ,ヒロシ
標題(和) 乱れと短距離相互作用が共存する遍歴模型の低エネルギー励起
標題(洋) Low-energy excitations in itinerant models with coexisting disorder and short-range interaction
報告番号 124595
報告番号 甲24595
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7029号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 特任教授 藤原,毅夫
 上智大学 教授 大槻,東巳
内容要旨 要旨を表示する

金属絶縁体転移は物性物理学におけるもっとも基本的な問題の1つである。特に、その周辺で生じる多彩な現象との関連から、電子相関に駆動される金属絶縁体転移が近年注目を浴びている。強い電子相関を避けるため、電子が各原子軌道に1つずつ局在することで起きるモット絶縁体はその典型例である。一方、乱れも金属絶縁体転移を駆動することが知られている(アンダーソン転移)。アンダーソン転移は、乱れによって散乱された電子の波動関数が量子的に干渉し、空間的に局在した定在波を作ることで生じる。これら2つの絶縁体は、絶縁性という共通の性質を持つものの、定性的に異なる1粒子励起スペクトル(以下、状態密度)の低エネルギー構造を持つことが知られている。状態密度は、電気伝導度などに影響を与える基本的な物理量の1つである。つまり、電子相関に由来する絶縁体では有限の大きさのギャップを持つが、アンダーソン絶縁体ではギャップはなく、フェルミエネルギーにおいても状態密度は有限の大きさの値を持つ。

ところが、現実の物質では電子相関と乱れが常に共存している。特に、乱れの影響が強く電子相関由来のギャップ内に局在した不純物準位が誘起される場合、低エネルギーにおける一粒子励起構造が、単純なアンダーソン絶縁体として理解できるか否かは非自明な問題である。さらに、一粒子励起状態の低エネルギー構造は、光電子分光や電気伝導度の温度依存性として観測可能であり、実験においても重要な情報である。しかし、電子相関、乱れを同時に理論的に取り扱うことは難しく、現在まで統一的な理解は得られていない。

本博士論文では、電子相関と乱れの共存を記述するモデルの数値的解析、および、現象論の構築を組み合わせることで、電子相関と乱れの共存する絶縁体における低エネルギー一粒子励起密度を明らかにした。

本博士論文で解析したアンダーソン・ハバード模型は、短距離相互作用と乱れを含む最小模型の1つである。筆者は、まず3次元において、ハートリー・フォック近似の範囲内で基底状態の相図を求め、絶縁相全域(反強磁性絶縁相、常磁性絶縁相)においてソフトギャップが存在することを明らかにした。ソフトギャップとは、フェルミエネルギー上でのみ状態密度が0となるギャップ構造である。従来、EfrosとShklovskiiによって、長距離クーロン力が存在する場合には、アンダーソン絶縁相においてもフェルミエネルギー上で状態密度が有限にとどまることは許されず、ソフトギャップ (ソフトクーロンギャップ)が存在することが知られていた。しかし、アンダーソン・ハバード模型には、短距離相互作用しかなく、従来の理論では説明できない。そのため、3次元における数値計算の結果は、従来知られていないソフトギャップ形成のメカニズムの存在を示唆している。また、1次元、2次元においても、ハートリー・フォック近似の範囲内で、非従来型のソフトギャップ(ソフトハバードギャップ)が存在することを明らかにした。さらに、一次元において厳密対角化に基づく計算を行い、ソフトハバードギャップがハートリー・フォック近似を超えても形成されることを明らかにした。

ソフトハバードギャップの起源を明らかにするため、筆者は乱れのために基底状態が多くの励起状態と縮退していることを仮定し(多谷型エネルギー構造)、ソフトハバードギャップの形成を説明する現象理論を構築した。実際、現象論から予測される状態密度のエネルギーに対するスケーリング則が、数値的な計算結果と定性的かつ定量的に一致することを示した(表1を参照)。

現実の物質における電子間相互作用は、実際には長距離的である。そのため、低エネルギーにおいて長距離成分が支配的になるに従って、短距離相互作用に基づくスケーリング則から状態密度が逸脱することが期待される。短距離相互作用に対する現象論を拡張することで、長距離成分が支配的な低エネルギー領域においても、従来のEfros-Shklovskii理論が修正され、非従来型のスケーリング則がより低エネルギー領域で現れることを明らかにした。

状態密度は、電気伝導度の温度依存性を決めている。従って、非従来型のソフトギャップの存在下では、電気伝導度の温度依存性がやはり非従来型の関数に従うことが期待される。著者は、短距離相互作用が支配的な高温領域、相互作用の長距離成分が支配的な低温領域それぞれにおいて、多谷型エネルギー構造の存在下での電気伝導度の温度依存性を導いた。さらに、SrRu1-xTixO3の実験データと比較し、無矛盾であることを示した。

本博士論文は、乱れと電子相関の共存という普遍的な状況下における、非自明な低エネルギー励起構造の存在を明らかにするものである。状態密度は電気伝導の温度依存性に直接関係するだけではなく光電子分光など他の実験によっても観測可能な量である。従って、本博士論文は、理論面でさらなる研究を刺激するだけではなく、実験を理解する上で重要な役割を果たすことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

電子間の相互作用と系の乱れの効果がともに強い場合に、電子状態がどのような特徴を示すかというのは難問である。電子間相互作用の効果が付け加わると、それなしには単純な金属であった領域にモットハバード型の絶縁体が生じることがあり、また磁気秩序や電荷秩序などの対称性の破れた相も生じる。さらに金属相として残された領域でも電子相関の効果が顕著となり、通常のフェルミ液体とは異なるふるまいが現れる。一方、電子間相互作用なしで周期ポテンシャルの乱れの効果が加わると、アンダーソン局在による絶縁体が生じる。モットハバード絶縁体ではフェルミエネルギー付近の状態密度に有限なギャップが生じるが、アンダーソン絶縁体では局在長は有限であるものの状態密度は有限に残り、両者は顕著に異なる性質を示す。電子相関と乱れの効果がともに加わり、その効果が大きいときにどのような新しい様相が生まれるのか? いくつかの萌芽的な研究はあるものの、また、現実の物質には相互作用と乱れの効果が必ず共存するにもかかわらず、物性物理学におけるこの根本問題の全貌は解明されていない。この問題で基礎となる大きな前進が30年ほど前にEfrosとShklovskiiによってなされた。すなわち、クーロン相互作用の長距離部分の効果が加わると、励起状態に含まれる電子正孔励起間に生じる長距離引力のため、アンダーソン絶縁体であっても必然的に状態密度DがD ∝ (E - EF)αのようにフェルミエネルギーEFに向かって冪的に減衰するようになる(ソフトギャップと呼ぶ)という理論的な証明である。この冪α=d-1は系の空間次元dだけで決まっており、普遍的なものである。しかし実験的にはこの冪の予測と一致しない結果も見つかっており、理論的なコンセンサスも得られていない。

このような研究の背景のもとで、本論文は電子間相互作用と乱れが両方存在するときの電子状態の特徴を数値計算および現象論的理論によって考察し、EfrosとShklovskiiにはじまる従来の理論に変更が必要であることを示し、新たな理論を提唱したものである。

本論文は、電子間相互作用と乱れの効果を研究するための理論模型として、アンダーソンハバード模型を採用し、これに対するハートリーフォック近似および厳密対角化を行なった数値計算による研究と、結果を理解するための現象論的考察、および関連する実験結果の考察からなり、英文で6章および5つの補遺からなる。

第1章では上に述べたような研究の背景、今までの実験的および理論的な研究がレビューされ、本研究の動機が述べられている。

第2章では本研究で採用したアンダーソンハバード模型、および数値研究手法として用いたサイト依存型ハートリーフォック近似とハミルトニアンの厳密対角化手法が説明されている。

第3章は数値計算の結果を詳述したもので、本研究の主要成果の1つが述べられている。まずハートリーフォック近似による数値計算を行ない、クーロン相互作用が短距離であるアンダーソンハバード模型の相互作用と乱れの大きさをパラメタとするパラメタ空間での相図を求めた。この相図には常磁性金属相、反強磁性金属相、反強磁性絶縁体相、およびアンダーソン絶縁体相が相境界で互いに接しながら存在している。この相図を求めるにあたって、金属と絶縁体の間の転移は波動関数の局在長の無限サイズへの外挿により決定し、常磁性と反強磁性の間の磁気転移はスピン相関関数から求めた構造因子のサイズ外挿から決定している。重要な結果はアンダーソン絶縁体相で、フェルミエネルギー上の状態密度がゼロになるソフトギャップが生じていることを、従来の計算を大きく上回る精度で疑いなく示した点である。EfrosとShklovskiiの理論によれば、今回の理論模型で採用されているような短距離型の相互作用ではソフトギャップは生じないはずであるから、これは意外な結果である。さらに本章で述べられている3次元系での数値計算結果は、フェルミレベルに向かって、どのような冪よりも早く状態密度が減衰するという、このソフトギャップの顕著な特徴を明らかにした。この計算は空間次元1,2,3次元すべてに対して行なわれ、1次元の場合だけは驚くべきことに、冪的に減衰するスケーリングでよくフィットできるソフトギャップになっていることも示した。本章ではさらにハートリーフォック近似の持つ平均場近似の限界を超える考察をするために、ハミルトニアンの厳密対角化による状態密度の計算も行なった。厳密対角化の場合には計算できるサイズが限定され、熱力学極限への外挿によるギャップのスケーリング形の決定は困難である。しかし少数系での結果はサイズの増大とともに状態密度が減少し、ソフトギャップの形成を強く示唆し、ハートリーフォック近似の結果を支持する結果となっている。

以上の数値計算結果に触発される形で、第4章ではソフトギャップの形成機構についての現象論的考察を行なっている。本論文のもうひとつの主要な成果が述べられている部分である。この現象論的な考察では、EfrosとShklovskiiの理論では考慮されていなかった多体励起、特に多谷構造に由来する励起によって、短距離相互作用であってもフェルミレベル付近の状態密度が排除されて、ソフトギャップが生じるメカニズムを見出した。その結果1次元では冪的なソフトギャップ、2次元以上ではどのような冪よりも早く減衰する特徴的なソフトギャップのスケーリング形を具体的に導き出すことに成功した。さらにこの理論を数値計算結果と比較した結果、計算結果をよく説明することを明らかにした。また、この現象論を敷衍することにより、クーロン長距離相互作用が存在する場合は、今回の結果よりもさらに早い減衰で特徴付けられるソフトギャップが生じることを示し、EfrosとShklovskiiの理論に変更が必要であることを示した。

第5章では今回見出されたソフトギャップによって、電気伝導度の温度依存性の表式も導き、既存の実験データが矛盾なく説明できることを示した。今後の実験検証の可能性も指摘している。

第6章は全体のまとめと議論、今後の展望の考察にあてられている。

今回の博士論文の研究は、30年来認められてきたEfrosとShklovskiiの理論に変更を迫るものであり、学問的にきわめて基礎的な知見で凝縮系物理学の発展に寄与するものである。一方状態密度や電気伝導度といった基本的物理量の解析に新たな指針を与える点で物理工学および応用研究に与える示唆も大きい。

以上の成果について議論した結果、本論文審査委員会は全員一致で本研究が博士(工学)の学位論文として合格であると判定した。

なお本論文は指導教員今田正俊との共同研究の部分があるが,論文提出者が主体となった計算、解析において、論文提出者の寄与が、学位授与に当たって、十分であることが認められた。

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