学位論文要旨



No 124673
著者(漢字) 堺,繁嗣
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,シゲツグ
標題(和) パームオイル由来グリセロールの炭酸固定発酵に関する研究
標題(洋)
報告番号 124673
報告番号 甲24673
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3383号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

グリセロールはバイオディーゼル産業において副生物として生産される安価で大量に存在するバイオマスのひとつであり、高付加価値を有する化合物への変換が嘱望されている。化合物の還元性の指標であるdegree of reduction per carbon:κについてグルコース(C6H(12)O6:κ=4)やキシロース(C5H(10)O5:κ=4)に対しグリセロールは非常に高い値(C3H8O3:κ=4.67)を示す。この高い還元性ゆえにグリセロールは優れた発酵原料となりうるのである。

コハク酸は生分解性プラスチックの原料をはじめ様々な用途を持つ化学物質である。コハク酸の生物的生産例としてグルコースを原料とした研究が多く報告されているが、グリセロールを炭素源としたものとしてはプロピオン酸細菌あるいはAnaerobiospirillum succiniciproducensといった限られた例のみが知られている。ここで物質を発酵変換する上で最も重要となるのは発酵経路全体で酸化還元バランスを合わせることである。グルコースからコハク酸を生産する場合、グルコース1/2分子からPEPまでに生ずる2[H]の還元当量ではPEPをコハク酸に還元するために必要な4[H]の還元当量をまかなえない。従ってグルコース1/2分子からコハク酸1分子を生産することは困難である。一方、グリセロールからPEPまでには4[H]の還元当量が生じ、コハク酸への還元に4[H]消費する。すなわち炭酸固定を伴う発酵によりコハク酸を生産する一連の反応は酸化還元バランスを保ったまま成立する。グリセロールを発酵しうる微生物は少なくないが、病原性、嫌気環境の要求性、栄養要求性、遺伝子改変技術の有無等を考慮すると大腸菌は物質生産のモデルとして適したものである。

本研究は大腸菌をモデル生物としてメタボリックエンジニアリングを行い、C3化合物であるグリセロールからC4化合物であるコハク酸を生産する炭酸固定発酵について提唱するものである。

1. 嫌気栄養培地でのグリセロール発酵特性

大腸菌の野生株としてK-12 MG1655株を用い、栄養培地(LBと同等の有機窒素源を含む)、100%炭酸ガスバブリング条件(0.1vol/min)でのグリセロール発酵特性について解析をおこなった。本条件ではエタノール、ギ酸、酢酸が主生成物であり、グリセロールに対する酸化還元バランスを欠いたものであった。大腸菌の発酵経路についてグリセロールからの酸化還元バランスを満たす発酵産物はエタノールとコハク酸に限られているため、エタノール生産能を欠失させることでコハク酸の生産性を改善できると予想した。しかしエタノール生産能を欠失したΔadhE株では酢酸とギ酸が主生成物となり、野生株と比べグリセロール消費速度は半減した。以上の結果をもとに、酢酸、エタノール、ギ酸への分岐経路を総合的に欠失させることを検討した。ピルビン酸をアセチルCoAとギ酸に分解する反応を触媒するpyruvate-formate lyaseをコードする遺伝子を欠失したΔpflB株について同様に解析した。結果、乳酸が主生成物であったが、ΔpflB株は野生株及びΔadhE株と比べて高濃度のコハク酸を蓄積した。

次にΔpflB株を元に乳酸生産能を欠失した二重欠失株ΔpflBΔldhA株を作成した。本株ではコハク酸が主生成物であり、培養開始218時間後の蓄積濃度は79mM、対糖収率は約0.59mol/mol glycerolであった。また酢酸15mM及びエタノール29mMを副生した。

2. 微好気無機塩培地でのグリセロール発酵特性

Stoichiometry解析の点で、また工業的視点においても高価な有機窒素源の使用は好ましいものではない。そこで無機塩最小培地を基本とし、有機窒素源の代替について検討した。有機窒素源非添加条件では嫌気条件での生育が阻害されるため、気相をガス置換せずairのままにした閉鎖培養系を採用した。pyruvate-formate lyaseの破壊株はグルコースを炭素源とした発酵条件で酢酸要求性を示すことが知られているため酢酸ナトリウムの添加(10、30、100mM)を検討した。またTCA回路の酸化ブランチを介して合成されるアミノ酸の不足を考慮しグルタミン酸ナトリウムの添加(10mM)を検討した。

結果として酢酸ナトリウム100mM添加時に栄養培地を用いた場合と同等以上のコハク酸生産が確認され、グルタミン酸ナトリウムは特に酢酸ナトリウム30mM添加時に促進効果を示した[Tab.1]。酢酸はアセチルCoAの欠乏を補うために代謝されていると考えた。本条件では添加した酢酸の一部のみが消費されており、消費濃度に比べ高い初期濃度を要求するのは、嫌気酢酸変換に関わるacetate kinaseの酢酸に対する親和性が低いことによると考えられた。なお無機塩酢酸培地は微好気閉鎖培養系では有効であったが、炭酸ガスをバブリングした嫌気条件ではコハク酸生成が確認されなかった。

3. 三重欠失株の発酵特性

ΔpflBΔldhA株をもとにさらにglpR、adhE、pta-ackA遺伝子を欠失させたΔpflBΔldhAΔglpR株、ΔpflBΔldhAΔadhE株、ΔpflBΔldhAΔpta-ackA株を構築した。GlpRはグリセロール代謝系の共通リプレッサであり、当該遺伝子の欠失はグリセロール代謝速度の向上を目的としておこなった。またadhE、pta-ackAの欠失はそれぞれ副産物であるエタノール、及び酢酸の低減を目的としておこなった。

ΔpflBΔldhAΔglpRの発酵特性は親株であるΔpflBΔldhA株とほぼ同一であった。本株をもとに微好気条件での発酵プロセスの詳細な解析をおこなった。菌体の増殖は16時間程度で完了し、コハク酸の蓄積が開始する。また20時間程度で酸素は消費され系は完全嫌気状態となった。144時間後のコハク酸濃度は64.4mMであり対糖収率はプロセス全体で0.59mol/mol glycerol、増殖が完了する16時間以降で0.74mol/mol glycerolであった。

ΔpflBΔldhAΔpta-ackA株は栄養培地で親株の約1/5濃度のコハク酸を蓄積した。ΔpflBΔldhAΔadhE株は無機塩酢酸培地でコハク酸の蓄積が見られなかった。

4. Acetyl-CoA synthetaseによる高親和性酢酸代謝系の導入

酢酸の消費濃度は20mM程度であるが、初期酢酸濃度が30mMでは発酵促進効果がほとんど見られない[Tab.1]。これは嫌気条件で働くpta-ackA経路の酢酸に対する親和性の低さであると考え、ΔpflBΔldhA株、ΔpflBΔldhAΔpta-ackA株それぞれに親和性の高いacetyl-CoA synthetase をコードするacs遺伝子を導入し発酵特性を解析した。結果として10mM、30mMの酢酸添加時にacs遺伝子を導入しない場合と比較し高濃度のコハク酸が蓄積したが、100mMの酢酸添加時には及ばないものであった。

5. 炭酸固定酵素の大量発現

通常ATPを生成しないグリセロールからのコハク酸生産においてATP生成プロセスの確立は必須である。そこでPEP carboxykinaseまたはmalic enzymeによるATP生産型コハク酸生成の可能性を検討し、合わせてPEP carboxylaseの大量発現によるコハク酸生成能の増強について検討した。強力なコハク酸生産菌であるAnaerobiospirillum succiniciproducensの(1)PEP carboxykinase、Actinobacillus succinogenesの(2)PEP carboxykinase及び(3)NADP型malic enzymeの大量発現用プラスミドを構築した。また大腸菌由来の(4)NAD型malic enzyme、(5)PEP carboxylaseの大量発現用プラスミドを準備した。ΔpflBΔldhAΔglpR株をホストとして(3)(4)(5)の発現を検討したところ、改善効果は確認されず、(5)の発現は逆に発酵の阻害を引き起こした。

また異種PEP carboxykinaseによる効果的な炭酸固定を目的とし、内生のPEP carboxylase活性を欠失したΔpflBΔldhAΔppc株を構築した。本株をホストとし(1)(2)(3)(4)の発現を検討したが、改善効果は確認されていない。

6. 13C安定同位体を用いたStoichiometry解析

発酵産物であるコハク酸及びエタノールの由来を明らかとするため、無機塩酢酸培地を用い13Cグリセロール、13C炭酸水素カリウム、13C酢酸ナトリウムをそれぞれ添加した発酵試験をおこなった。発酵後の培養液をGC/MSで分析し、同位体分布から各基質の寄与率を推定した。

その結果、コハク酸の約97%がグリセロール由来であると明らかになった。またコハク酸の約85%が添加した炭酸塩由来の二酸化炭素を固定していた。残りの15%にはグリセロールまたは酢酸から生じる二酸化炭素を固定したものが含まれると考えられ、炭酸塩非添加条件でも炭酸塩添加時の20%程度のコハク酸が生成しうる点を考慮すると妥当なものであった。またグリオキシル酸経路を介したコハク酸の生成については否定された。

エタノールの約92%が酢酸、約5%がグリセロール由来であった。消費された酢酸に対し、エタノールが90~100%程度生成することを考慮すると、酢酸の80~90%程度はエタノールに変換されたこととなり、当初予測していたアセチルCoAの補充以外の目的で消費されていた。本来グリセロールからのコハク酸生成は酸化還元バランスを満たしたプロセスである。しかしながらPEPまでに生ずる還元当量はその先のプロセスで初めて消費される。還元当量の余りやすい嫌気条件において初発のNAD+を供給する反応として不可欠な役割を担っている可能性が示唆された。

まとめ

大腸菌をモデルとしてメタボリックエンジニアリングをおこない、グリセロールからのコハク酸生産を可能とした。合わせて酢酸を添加することにより栄養培地を用いないコハク酸生産プロセスを確立した。本条件において菌体増殖終了後の対糖収率は約0.74mol/mol glycerolであり、理論値の74%と高いものであった。また13C安定同位体を用いた解析により、グリセロールが炭酸固定によりコハク酸へと変換されていることを証明した。PEP carboxykinaseあるいはmalic enzymeによるATP生産型炭酸固定系の確立によりさらなる改善が期待される。

Table 1. Dependency on Acetate and Glutamate

審査要旨 要旨を表示する

近年、化石燃料代替エネルギーが注目を集めており、バイオディーゼル燃料はそのひとつである。バイオディーゼルはパームオイルを代表とする油脂原料とアルコールから生成され、副産物としてグリセロールを生成する。バイオディーゼル産業の成長によりグリセロールは安価な未利用資源となり、その有効利用プロセスの構築が嘱望されている。生物的物質生産は主に発酵条件でおこなわれるが、その際Redox Balanceが満たされる必要があり、グリセロールからRedox Balanceを満たしつつ生成可能な化合物にコハク酸がある。

コハク酸は生分解性プラスチックの原料等さまざまな用途を有する産業的利用価値の高い化合物である。コハク酸の生物的生産は主にグルコースから炭酸固定をともなっておこなわれるが、グルコースは還元等量の不足によりその最大理論収率はC3当たり86%程度にとどまる。一方グリセロールはその高い還元的性質ゆえにC3当たり100%の理論収率を示す。したがって本研究は、E.coliをモデルとした代謝工学により、未利用資源の有効利用法としてグリセロールを原料とした炭酸固定によるコハク酸の生産プロセスを構築し、プロセス全体で高度に炭酸固定型となる新しい発酵の形として炭酸固定発酵を提唱するものである。

本論文は全6章で構成される。

第1章では有機窒素源を低減した培地を用い、嫌気条件でグリセロールの変換を試みた。結果としてE.coliの野生株であるMG1655株はグリセロールに対するRedox Balanceを概ね充足しエタノールを主要発酵産物として生成した。一方エタノール生産能の欠失株はグリセロールの代謝と生育がほぼ不可能であった。

第2章ではいわゆる栄養培地を用い、嫌気条件でグリセロールの変換を試みた。結果としてMG1655株はエタノール及び酢酸を主要発酵産物として生成し、Redox Balanceは充足されなかった。そこでエタノール、酢酸の生成経路であるPFL(pyruvate-formate lyase)をコードする遺伝子pflBの欠失株(ΔPflB株)を用いたところ、コハク酸収率はMG1655株に比較し13%から28%へと2倍以上に改善された。また乳酸が新たに主要代謝産物として検出されたため、さらに乳酸生成に関わるIdhAを欠失させた二重破壊株ΔpflBldhA株を構築したところ、本株のコハク酸収率は28%から58%へと2倍以上に改善され、コハク酸最終濃度79mM、生産速度0.36mM/hrを達成した。

第3章では無機塩培地の導入を試みた。無機塩培地の導入に当たり、想定される課題として(1)PFL欠失による酢酸要求性、(2)ATP欠乏による生育阻害が挙げられ、解決法として(1)酢酸塩の添加、(2)生育サポートのための微好気条件を検討した。結果として酢酸ナトリウムの100mM添加時に栄養培地を用いた際と同等以上のコハク酸生産が認められた。一方、酢酸は消費濃度よりも高い初期濃度を要求し、嫌気条件での酢酸代謝に関わるPta-Ack経路の酢酸に対する親和性の低さが原因であると考えられた。当該無機塩酢酸培地・微好気条件でジャー培養をおこない、コハク酸最終濃度113.7mM(13.4g/L)、生産速度0.43mM/hrを達成した。またバイオディーゼル生産の副産物である粗グリセロールを用いても同等のコハク酸生産が認められた。

第4章では無機塩酢酸培地・微好気条件でのコハク酸生成プロセスを解析した。グリセロール、酢酸塩、炭酸塩をそれぞれ(13)C安定同位体でラベルし、発酵液をGCIMSで測定したところ、グリセロールからの炭酸固定によるコハク酸の生産が証明され、また酢酸は主にエタノールに代謝されることでNADHの再酸化に寄与すると示唆された。

第5章では第4章の結果をもとに微好気条件での嫌気部分の代謝フローを算出した。グリセロールは収率72%でコハク酸へと変換され17%がピルビン酸として蓄積していた。その際のRedox Balanceの充足率は56.9%であるが、酢酸によるNADH再酸化を考慮すると99.9%とほぼ理論値に達した。すなわち酢酸はNADHを再酸化し、ピルビン酸の蓄積に影響を受けたRedox Balanceの正常化に寄与すると示された。

第6章では酢酸代謝経路の増強、及び炭酸固定経路の増強を試みた。酢酸に親和性の高いAcs経路の導入は特に低濃度の酢酸添加時に有効であった。一方、炭酸固定酵素群の大量発現はグルコースを原料とした報告と異なり、コハク酸生産に有効な結果を示さなかった。

以上、本研究では栄養培地、無機塩培地双方でのグリセロールからの炭酸固定によるコハク酸生産を達成した。また粗グリセロールからのコハク酸生産にも成功し、バイオディーゼル産業に応用可能であると期待される。また無機塩酢酸培地におけるコハク酸生成プロセスをカーボン及びRedox Balanceの両面から明らかとした。これらの知見は、学術上また応用上寄与するところが多い。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位にふさわしいと認めるものである。

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