学位論文要旨



No 124938
著者(漢字) 小松,徹
著者(英字)
著者(カナ) コマツ,トオル
標題(和) 有機小分子プローブを用いたタンパク質の動的挙動可視化技術の開発
標題(洋)
報告番号 124938
報告番号 甲24938
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1291号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 准教授 金井,求
 東京大学 准教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 紺谷,圏二
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

生細胞における特定のタンパク質の動的挙動を観察することは,細胞内における「生きた」タンパク質の機能を理解することにつながる.近年では,GFP(green fluorescent protein)などの蛍光タンパク質を遺伝子的に標的タンパク質に組み込むことにより,蛍光法による可視化をおこなう手法が広く用いられているが,これと並び,蛍光性の有機小分子プローブを用いて選択的なタンパク質のラベル化をおこなう手法が開発されてきている.有機小分子を用いた実験系の最大の利点は,有機化学の知識に基づいてその機能の設計,改良,最適化が可能である点にある.蛍光タンパク質を用いた実験系の限界として,その機能がタンパク質において実現できる範囲に留まる点が挙げられるが,有機小分子を用いたラベル化を達成し,その高い機能性を十分に活かすことにより,蛍光タンパク質を用いた実験系では実現することができない新たなタンパク質の動的挙動可視化技術への発展が期待される.

06-alkylguanine-DNA-alkyltransferase(AGT)と呼ばれる酵素が,その基質であるO6-benzylguanineによって共有結合を形成する反応を利用し,遺伝子的にAGTを組み込んだ標的タンパク質を有機小分子によって選択的にラベル化するSNAP-tagと呼ばれる技術が知られている.これを用いることにより,細胞内の標的タンパク質の挙動を可視化することが可能であるが,既存の技術においては,ラベル化されたタンパク質を検出するために過剰量に添加した未反応のプローブを洗い流す必要があることが,細胞内のタンパク質の動的な挙動を解析する場合の問題点として指摘されていた.このため,これをタンパク質の可視化における真に実用的な技術として発展させるべく,ラベル化反応に伴いプローブの蛍光強度が増大する分子設計をおこない,これによって未反応のプローブの存在下においてもラベル化された直後からのタンパク質の高選択的な可視化を可能にすることを試みた(Figure 1).

1.AGTのラベル化により蛍光強度が増大するプローブの開発

始めに,上記を達成する化合物を合成する目的で,蛍光共鳴エネルギー移動(fluorescence resonance energy transfer;FRET)の原理を利用した分子設計を行った.FRETは,energy donorとしての蛍光団,energy acceptorとしての消光団が互いに近傍に存在する場合に,donorの励起エネルギーが無輻射的にacceptorに移動する現象である.有機小分子プローブでは,正しく設計された蛍光団,消光団が1つの分子内に存在する場合,99%以上のエネルギー移動効率が期待できる.

O6-benzylguanineによるAGTのラベル化においては,AGT活性部位のcysteineの求核攻撃によつてguanine moietyの脱離が起こり,benzyl moietyにおいて修飾された蛍光団によってラベル化が起こることが知られている.このため,ラベル化反応において放出されるguanine moietyの側に消光団,benzyl moietyに蛍光団を結合させた化合物を設計した.この場合,既存の蛍光性基質の反応性を維持した状態で新たに消光団を結合させるため,guanine moiety上の構造修飾を行う必要があるが,複数の基質を合成してO6-benzylguanineによるAGTラベル化の構造活性相関の知見を得ることにより,ラベル化の反応速度への影響を最小限に抑えることができる構造修飾部位を見出した.これに従い,AGTを選択的にラベル化し,ラベル化反応前は蛍光性を有さず,ラベル化反応の進行に伴って蛍光強度が大幅に上昇するプローブ(DRBG-488)の合成に成功した(Figure2,3).

合成した新規プローブは,高効率のFRETが観察され,水溶液中においてほとんど蛍光性を示さないが,AGT融合タンパク質が存在する場合には,速やかにラベル化反応が進行して最大で300倍以上の蛍光増大が起こり,過剰量のプローブ存在下においても標的タンパク質の存在を検出することが十分に可能であった(Figure 3).ラベル化反応は擬一次速度反応に近似され,添加したプローブの濃度によって一定時間経過後にラベル化されたタンパク質の割合を正確に見積もることが可能である.本プローブを用いて生細胞におけるAGT融合タンパク質のラベル化の様子を観察したところ,プローブの細胞膜透過性に依存して,細胞内,細胞外に発現する標的タンパク質を,いずれも過剰量の未反応のプローブの存在下において可視化することが可能であることが確かめられた.

2.AGT融合EGFRの生細胞における動的挙動の可視化解析

epidermal growth factor(EGF)receptorは,EGF,TGF-βなどの成長促進因子をリガンドとするtyrosine kinase型受容体であり,細胞の分化,増殖,遊走などの制御において重要な役割を担っていることが知られている.今回,細胞膜上におけるEGFRの動的な挙動を解析する目的で,EGFRのN末端にAGTが融合したタンパク質(N)-AGT-EGFRを生細胞に発現し,ラベル化によってその挙動を解析する実験系を構築した.有機小分子は,その細胞膜の透過性を自在にコントロールすることが可能であるが,「プローブとタンパク質が出会うことで初めて蛍光性を示す」というタンパク質ラベル化技術の特性を利用して,細胞膜を透過しないプローブを設計して用いることにより,細胞膜上に輸送された後の(N)-AGT-EGFRの挙動を,選択的に可視化,解析することが可能である.これによって,EGF刺激に応じて(N)-AGT-EGFRの細胞内への内在化が促進される様子が観察された(Figure 4).

加えて,本実験系を応用することにより,細胞内で新生され,細胞膜上へ新たに輸送されてくる膜タンパク質の発現速度や極性の違いについて経時的な可視化解析をおこなうことが可能である(Figure 5).(N)-AGT-EGFRにおいてこのことを確かめ,その細胞膜上への輸送における各種刺激の影響について解析をおこなった.EGFRの細胞膜上への輸送は,成長促進因子に対する応答性を決定する重要な生命現象であり,細胞増殖,細胞遊走などに関連して厳密な制御機構が存在することが示唆されている.現在でもその機構については十分に明らかにされていないが,今後,本実験系がこのような過程の解析において大きな役割を果たしていくことが期待される.

以上,本研究は,有機小分子によって生細胞における特定のタンパク質の動的挙動を観察する技術の開発を目的に進められてきた.今回,高い実用性をもつタンパク質ラベル化技術を開発し,有機小分子の機能性として,細胞膜透過性のコントロールを行うことにより,細胞膜上のタンパク質の動的挙動の解析および,既存の実験系では評価が困難であった,細胞膜上への薪生タンパク質の輸送過程の評価を可能にする実験系を構築した.今後,有機小分子の機能性を活かした更なる研究への発展が期待される.

Figure 1.Difference in conventional(a)and fluorescently"activatable"(b)AGT Iabe1ing probe

Figure 2. Synthesis of DRBG-488.

Figure 3. (Left) Design of fluorescently "activatable" AGT labeling probe.(Right) Fluorescence spectrum of DRBG-488 (1 μM) in phosphate buffer (pH 7.4) before and after addition of AGT (1.5 μM).

Figure 4. Fluorescence visualization of COS7 cells expressing (N)-AGT-EGFR fusion protein labeled by DRBG-488 for 90 min. Cells were stimulated with or without EGF (100 nM).

Figure 5. Fluorescence visualization of newly synthesized (N)-SNAP-EGFR delivered onto plasma membrane labeled by DRBG-488 (HEK 293 cells).

審査要旨 要旨を表示する

生細胞における特定のタンパク質の動的挙動を観察することは,細胞内における「生きた」タンパク質の機能を理解することにつながる.近年では,GFP(green fluorescent protein)などの蛍光タンパク質を遺伝子的に標的タンパク質に組み込むことにより,蛍光法による可視化をおこなう手法が広く用いられているが,これと並び,蛍光性の有機小分子プローブを用いて選択的なタンパク質のラベル化をおこなう手法が開発されてきている.有機小分子を用いた実験系の最大の利点は,有機化学の知識に基づいてその機能の設計,改良,最適化が可能である点にある.蛍光タンパク質を用いた実験系の限界として,その機能がタンパク質において実現できる範囲に留まる点が挙げられるが,有機小分子を用いたラベル化を達成し,その高い機能性を十分に活かすことにより,蛍光タンパク質を用いた実験系では実現することができない新たなタンパク質の動的挙動可視化技術への発展が期待される.

O6-alkylguanine-DNA-alkyltransferase(AGT)と呼ばれる酵素が,その基質であるO6-benzylguanineによって共有結合を形成する反応を利用し,遺伝子的にAGTを組み込んだ標的タンパク質を有機小分子によって選択的にラベル化するSNAP-tagと呼ばれる技術が知られている.これを用いることにより,細胞内の標的タンパク質の挙動を可視化することが可能であるが,既存の技術においては,ラベル化されたタンパク質を検出するために過剰量に添加した未反応のプローブを洗い流す必要があることが,細胞内のタンパク質の動的な挙動を解析する場合の問題点として指摘されていた.このため,これをタンパク質の可視化における真に実用的な技術として発展させるべく,ラベル化反応に伴いプローブの蛍光強度が増大する分子設計をおこない,これによって未反応のプローブの存在下においてもラベル化された直後からのタンパク質の高選択的な可視化を可能にすることを試みた(Figure 1).

はじめに,上記を達成する化合物を合成する目的で,蛍光共鳴エネルギー移動(fluorescence resonance energy transfer;FRET)の原理を利用した分子設計を行った.FRETは,energy donorとしての蛍光団,energy acceptorとしての消光団が互いに近傍に存在する場合に,donorの励起エネルギーが無輻射的にacceptorに移動する現象である.有機小分子プローブでは,正しく設計された蛍光団,消光団が1つの分子内に存在する場合,99%以上のエネルギー移動効率が期待できる.

O6-benzylguanineによるAGTのラベル化においては,AGT活性部位のcysteineの求核攻撃によってguanine moietyの脱離が起こり,benzyl moietyにおいて修飾された蛍光団によってラベル化が起こることが知られている.このため,ラベル化反応において放出されるguanine moietyの側に消光団,benzyl moietyに蛍光団を結合させた化合物を設計した.この場合,既存の蛍光性基質の反応性を維持した状態で新たに消光団を結合させるため,guanine moiety上の構造修飾を行う必要があるが,複数の基質を合成してO6-benzylguanineによるAGTラベル化の構造活性相関の知見を得ることにより,ラベル化の反応速度への影響を最小限に抑えることができる構造修飾部位を見出した.これに従い,AGTを選択的にラベル化し,ラベル化反応前は蛍光性を有さず,ラベル化反応の進行に伴って蛍光強度が大幅に上昇するプローブ(DRBG-488)の合成に成功した(Figure2,3).

合成した新規プローブは,高効率のFRETが観察され,水溶液中においてほとんど蛍光性を示さないが,AGT融合タンパク質が存在する場合には,速やかにラベル化反応が進行して最大で300倍以上の蛍光増大が起こり,過剰量のプローブ存在下においても標的タンパク質の存在を検出することが十分に可能であった(Figure 3).ラベル化反応は擬一次速度反応に近似され,添加したプローブの濃度によって一定時間経過後にラベル化されたタンパク質の割合を正確に見積もることが可能である.本プローブを用いて生細胞におけるAGT融合タンパク質のラベル化の様子を観察したところ,プローブの細胞膜透過性に依存して,細胞内,細胞外に発現する標的タンパク質を,いずれも過剰量の未反応のプローブの存在下において可視化することが可能であることが確かめられた.

epidermal growth factor(EGF)receptorは,EGF,TGF-βなどの成長促進因子をリガンドとするtyrosinekinase型受容体であり,細胞の分化,増殖,遊走などの制御において重要な役割を担っていることが知られている.今回,細胞膜上におけるEGFRとの動的な挙動を解析する目的で,EGFRのN末端にAGTが融合したタンパク質(N)-AGT-EGFRを生細胞に発現し,ラベル化によってその挙動を解析する実験系を構築した.有機小分子は,その細胞膜の透過性を自在にコントロールすることが可能であるが,「プローブとタンパク質が出会うことで初めて蛍光性を示す」というタンパク質ラベル化技術の特性を利用して,細胞膜を透過しないプローブを設計して用いることにより,細胞膜上に輸送された後の(N)-AGT-EGFRの挙動を,選択的に可視化,解析することが可能である。これによって,EGF刺激に応じて(N)-AGT-EGFRの細胞内への内在化が促進される様子が観察された(Figure4).

加えて,本実験系を応用することにより,細胞内で新生され,細胞膜上へ新たに輸送されてくる膜タンパク質の発現速度や極性の違いについて経時的な可視化解析をおこなうことが可能である(Figure5).(N)-AGT-EGFRにおいてこのことを確かめ,その細胞膜上への輸送における各種刺激の影響について解析をおこなった.EGFRの細胞膜上への輸送は,成長促進因子に対する応答性を決定する重要な生命現象であり,細胞増殖,細胞遊走などに関連して厳密な制御機構が存在することが示唆されている.現在でもその機構については十分に明らかにされていないが,今後,本実験系がこのような過程の解析において大きな役割を果たしていくことが期待される.

以上,本研究は生細胞における特定のタンパク質の動的挙動を観察する技術を開発することを目的としたものであり,申請者は,(1)小分子タグ化タンパク質として汎用されているAGTを選択的にラベル化し,ラベル化反応の進行に伴って蛍光強度が300倍近く増大するプローブの開発をまず行い,(2)さらにプローブの細胞膜透過性をコントロールすることで,細胞膜上への新生タンパク質の輸送過程の評価を可能とする実験系の構築に成功した.プローブの開発から生物系への適用まで幅広く研究した論文であり,また開発に成功した蛍光プローブは実用的でありかつ周辺領域への波及効果も高いものであることから,博士(薬学)の授与に値するものであると判断された.

Figure 1.Difference in conventional(a)and fluorescently"activatable"(b)AGT Iabe1ing probe

Figure 2. Synthesis of DRBG-488.

Figure 3. (Left) Design of fluorescently "activatable" AGT labeling probe.(Right) Fluorescence spectrum of DRBG-488 (1 μM) in phosphate buffer (pH 7.4) before and after addition of AGT (1.5 μM).

Figure 4. Fluorescence visualization of COS7 cells expressing (N)-AGT-EGFR fusion protein labeled by DRBG-488 for 90 min. Cells were stimulated with or without EGF (100 nM).

Figure 5. Fluorescence visualization of newly synthesized (N)-SNAP-EGFR delivered onto plasma membrane labeled by DRBG-488 (HEK 293 cells).

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