学位論文要旨



No 124949
著者(漢字) 五十嵐,俊介
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,シュンスケ
標題(和) 多ドメインタンパク質におけるドメイン間近接残基対同定およびドメイン配向決定を目指したNMR解析法の確立
標題(洋)
報告番号 124949
報告番号 甲24949
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1302号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

リン酸化や標的分子との結合に伴うタンパク質の立体構造の変化は、酵素活性や標的分子との結合親和性を制御する要因となる。一方、複数のドメインからなるタンパク質の場合、それらの相対配置が変化することで大きな構造変化につながる。したがって、機能発現時にどのような立体構造変化を起こすかを明らかにすることは、そのメカニズムを解明する上で重要である。これまでに様々なタンパク質の立体構造が明らかにされてきたが、個々のタンパク質について、リガンド結合状態など必ずしもすべての状態の立体構造が解明されてはいない。そこで、明らかとされている立体構造をもとに、構造変化後のドメイン間の相対配置を迅速かり簡便に決定するNMR手法を開発することとした。

修士課程までに私は、タンパク質複合体における近接残基対を同定するNMR手法として、当研究室にて開発したcross-saturation(CS)法を応用したアミノ酸選択的CS法(ASCS法)を開発した。この手法は飽和ドナータンパク質に対して特定のアミノ酸以外を2Hとする、アミノ酸選択的1Hラベルを行い、それに結合する非標識の飽和アクセプタータンパク質の近接残基への交差飽和を観測する。この手法により、ドナーとアクセプター間で近接するアミノ酸残基対が明らかとし、分子間の相対配置を決定することが可能となった。そこで、ASCS法を分子内で応用することで、タンパク質のドメイン間における近接残基対が決定可能であると考えた。観測分子を均一2H,(15)N、アミノ酸選択1H標識体として調製し、構造未知の状態においてASCS法を行うことで、ドメイン間で近接した残基対間において交差飽和を観測する。構造既知である立体構造をもとに、実験結果を満たすように各ドメインを剛体として再配置することで、立体構造モデルを構築できると考えた。

本手法を大腸菌由来のhistidine permease HisQMP2におけるhistidine結合サブユニットHisJに適用した。HisJは、238アミノ酸残基であり、二つのドメインがhingeにより繋がれている。これまでに両ドメインの間にhistidineが結合したholoHisJの結晶構造が明らかとされている(Fig.1)。一方で、基質が解離したapoHisJでは、ドメイン間の配置が変化することが予想されているものの、apoHisJの立体構造は未解明である。そこでまずは、構造既知のho1oHisJを用いて本手法を確立した。さらに、apoHisJにおいて本手法を適用することで、ドメイン間における残基間の距離情報を明らかとし、両ドメイン間の配向情報を得た。

【結果】

1.アミノ酸選択1H標識が可能なアミノ酸の決定

ASCS法の拡張を目的として、修士課程において私が調べたアミノ酸に加え、Glu, Asnを除くアミノ酸についてアミノ酸選択1H標識の選択性と標識率を調べた。その結果、Ala, Arg, Cys, Gly,His, Ile, Leu, Lys, Met, Phe, Pro, TrpおよびTyrについて選択的かつ高い標識率が達成されることが明らかとなった。また、Thrとvalについては、自身のアミノ酸および特定のアミノ酸の一部の原子に1H標識が導入されることがわかった。一方で、Asp, GlnおよびSerは様々なアミノ酸に代謝されるために、本手法に適していないことが明らかとなった。

2. holoHisJおよびapoHisJの性状解析

holoHisJとapoHisJについて主鎖連鎖帰属を行い、holoHisJとapoHisJ間において各アミノ酸残基ごとに化学シフト値の違いを算出した。その結果、histidine結合部位およびhinge領域にのみ大きな化学シフト変化が観測された。このことは、各ドメインに大きな構造変化は生じていない一方で、hinge領域に構造変化が生じていることを示唆している。また、holoHisJおよびapoHisJについてT1, T2, 1H-(15)N異核NOE解析を行った。その結果、各分子における残基間の運動性のばらつきは少なく、holoHisJとapoHisJ間における全体的な運動性の変化も見られなかった。このことは、holoHisJと同様に段poHisJにおける両ドメインが特定の配向をとっていることを示している。

3.holoHisJを用いたドメイン間ASCS法の検証

立体構造が既知であるholoHisJを用いて、交差飽和にともなう強度減少率の大きさが交差飽和源までの距離に相関するかを検証することを目的として、Pro選択的ドメイン間ASCS実験を行った。その結果をFig.2に示す。40%以上の強度減少率を示した残基の中には、ドメイン間にてPro16に近接するGly168も含まれていた。残基ごとに算出したシグナル強度減少率と、最も近接するProのプロトンまでの距離との間の相関を調べた(Fig.3)。その結果、距離が近接するほど強度減少率が大きくなることが明らかとなった。一方で、5A以上離れた残基には顕著な強度減少は観測されなかった。このことから、一定値以上の強度減少率を示した残基に着目することで、1Hラベルを行ったアミノ酸に近接する残基のみを抽出することが可能であることが示された。

同様にThrまたはGly選択的ドメイン間ASCS実験を行った結果、ドメイン間において、Thr13からAsp144および、Gly192からIle73への交差飽和が生じたことを確認した。

一方で、実際に本手法を適用する場合には、ドメイン間の相対配置が不明なため、ドメイン間ASCS実験結果のみから近接残基対は明らかとならない。そこで、これまでに行った3種類のドメイン間ASCS実験において、Gly168がいずれかのProに、Asp144がいずれかのThrに、Ile73がいずれかのGlyに近接しているという情報と、各ドメインの立体構造情報を用いることで、ドメイン間の近接残基対の同定および、ドメイン間相対配置の決定が可能であるかの検証を行った。その結果、結晶構造と同一の近接残基対の組み合わせに決定でき、それらを満たすように各ドメインを近接させることで、結晶構造に相当するドメイン配向が得られた。

以上のことから、各ドメインの立体構造が明らかである場合、本手法を適用することで、ドメイン間の近接残基対および、ドメイン間相対配置を適切に決定できることが示された。

4.apoHisJとholoHisJのドメイン間近接残基対の変化

holoHisJと同様に、apoHisJに対してThr, Pro, PheおよびGly選択的ASCS実験を行った。これらの結果をholoHisJにおける各実験結果と比較した。その結果、hinge領域に存在するAla90がいずれかのGlyに近接するように、hinge領域に構造変化が生じたことが明らかとなった。また、holoHisJにおいて近接していたThr13-Asp144およびPro16-Gly168がapoHisJにおいて離れたことが明らかとなった。一方で、apoHisJにおいてGly168はPhe231またはPhe233と近接することが明らかとなった(Fig.4)。このように、apoHisJにおいてhinge領域が構造変化し、ドメインの再配置による近接残基対の組み換えが生じたことが示された。これらの残基対の距離情報を満たすように両ドメインが相互作用した場合、各ドメインにおけるhistidine結合部位は離れる相対配置となり、溶媒に露出する。このことは、このようなドメイン相対配置が、apoHisJにおいてhistidine取り込みに効率的であることを示している。

このように、各ドメインの立体構造は明らかではあるが、全体構造が未解明であるタンパク質について本手法を適用することで、ドメイン間における残基対間の距離情報を得ることができ、それらをもとに、ドメイン間相対配置に関する情報が得られることを示した。

【考察】

NMR法を用いたドメイン間の相対配置の決定は、NOEを用いた構造決定が一般的である。しかしながら、この手法においては側鎖プロトンやNOEの帰属の困難さから、分子量3万程度を超えるタンパク質においての適用が難しい。この問題を解決するために、10万程度の分子量においても帰属が可能である主鎖アミドプロトンを解析対象とした手法が開発されてきたが、いずれにも制約があった。例えば、PREを用いた手法においては、本来の構造との違いが問題となる場合があり、RDCを用いた手法においてはサンプル調製に困難さが生じる場合がある。一方で、今回提唱したドメイン間ASCS法においては、サンプルのラベル法を工夫するのみで適用可能であり、NMRにおいて解析される一般的なタンパク質において、本来の構造を保持したまま解析可能であるため、汎用的なドメイン間相対配置決定法として提唱する。

Igarashi, S., Osawa, M., Takeuchi, K., Ozawa, S., and Shimada, I.(2008) J. Am. Chem. Soc., 130, 12168-12176.

Fig.1 holoHisJの結晶構造

holoHisJは灰色で示したlobelと黒で示したlobellが、白で示したhingeによりつながり、二つのlobeの間にhistidineが結合する。

Fig.2 holoHisJにおけるPro選択的Ascs結果

横軸が残基番号、縦軸がholoHisJに対してPro選択的ASCS実験を行った際のシグナル強度減少率。Proを*にて、アミノ酸配列上Proには近接しないが、シグナル強度が40%以上減少した残基を灰色にて示した。

Fig.3強度減少率と交差飽和

源までの距離との相関横軸が最も近い交差飽和源までの距離、縦軸がholoHisJに対してPro選択的ASCS実験を行った際のシグナル強度減少率。40%以上強度減少した残基、26%-40%の残基、26%以下の残基に分類した。

Fig.4 apoHisJにおけるドメイン間残基対情報

点線はholoHisJにおいて近接していた残基対がapoHisJにおいて離れたことを意味する。実線は、holoHisJにおいて離れていた残基対がapoHisJにおいて近接したことを意味する。各lobeにおいて同じ色で示した残基が対応する。histidine結合に直接関与する残基群を緑で示した。両lobeが手前の面の画面内側にて近接する場合、histidine結合に関与する残基群同士は離れ、溶媒に露出することが想定される。

審査要旨 要旨を表示する

多ドメインタンパク質におけるドメイン間近接残基対およびドメイン問相対配置を明らかとするNMR手法の確立を目的とした本論文は、当研究室において開発した交差飽和法(CS法)およびアミノ酸選択的CS法(ASCS法)を応用し、ドメイン間ASCS法を確立したものである。本論文は6つの章からなり、第1章において序論を述べている。第2章において本手法に必要となるアミノ酸選択的1H標識法について述べ、第3章においてドメイン間ASCS法の確立について、第4章において立体構造が未知である系にドメイン間ASCS法を適用したことを述べている。第5章において総括を述べ、第6章において実験材料および方法について述べている。

第2章において、本手法に必要となるアミノ酸選択的1H標識が可能であるアミノ酸について調べている。各アミノ酸を選択的1H標識したタンパク質について、NMR法を用いて安定同位体標識の選択性や、1H取り込みの効率を定量的に解析している。これらの結果より、選択1H標識に適しているアミノ酸、適していないアミノ酸を分類している。

第3章において、まず、本研究に用いるHisJの調製を行い、性状解析やNMRシグナルの帰属を行っている。続いて、第2章にて適用可能であると明らかにしたアミノ酸を用いてドメイン間ASCS法を立体構造が明らかであり、二つのドメインを有するholoHisJに適用し、交差飽和源からの距離と交差飽和の大きさが相関するか否かを調べている。その結果、交差飽和源に近接する残基ほど、大きな交差飽和減少が観測されることを明らかとしている。一方で、5A以上離れたアミドプロトンには顕著な交差飽和が生じないことを明らかとしている。これらのことから、本手法を適用することにより、相手ドメインに近接するアミドプロトンを明らかにできるという結論を導き出している。さらに、明らかとしたドメイン間近接残基情報から、ドメイン間の相対配置を決定できるか否かを検証している。holoHisJにおける各ドメインを剛体として扱い、交差飽和源となるアミノ酸と交差飽和を受けたアミノ酸の相対配置および、各ドメインを結びつけるhinge領域が相補的となるドメインの相対配置を探索した結果、結晶構造に相当する相対配置を決定することができている。これらのことから、本手法を適用することにより、多ドメインタンパク質においてドメイン間近接残基対およびドメイン相対配置を決定できると結論付けている。

第4章において、第3章にて確立したドメイン間ASCS法を立体構造が未知であるapoHisJに適用し、apoHisJにおけるドメイン間の残基対距離情報およびドメイン間の相対配置に関する情報を得ている。これらから考えられるapoHisJのドメイン相対配置は、apoHisJがhistidineを結合する際に効率的な立体構造であり、本手法により明らかとした情報は生化学的な背景に矛盾せず、妥当であると結論している。

既存の多ドメインタンパク質におけるドメイン間相対配置の決定法と比較して、本手法は10万程度の分子量まで適用可能であり、試料調製が容易であることや、本来の立体構造を保ったまま解析できるという点において優れている。

以上、本研究の成果は、多ドメインタンパク質におけるドメイン間相対配置の決定方法において新たな糸口を提示するものであり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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