学位論文要旨



No 124969
著者(漢字) 杉野,弘和
著者(英字)
著者(カナ) スギノ,ヒロカズ
標題(和) 温度感受性ポリマーの相転移に基づく流体制御法を用いた多分岐および並列型オンチップソーターの開発
標題(洋)
報告番号 124969
報告番号 甲24969
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1322号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 准教授 浦野,泰照
 東京大学 准教授 三田,智文
内容要旨 要旨を表示する

私たちの体は、様々な種類の細胞から構成されており、各細胞は複数の種類からなる細胞集団として存在する。生化学的手法により細胞を解析するためには、多種の細胞が混在する細胞集団から特定種類の細胞を分離する操作が必要である。そのため、細胞を一つひとつ解析して分離するセルソーターは基礎研究から臨床検査まで幅広く利用されている。しかし、既存のセルソーターは、試料の空気中への飛散、装置内の残留物の試料への混入といった問題を抱えているため、病原体感染細胞や幹細胞の分離を目的として利用するには困難が付きまとう。そこで近年、密封された無菌環境を提供できるマイクロ流体チップを使った分離技術の開発が盛んに行われており、チップ内で細胞を検出分離する様々な技術が報告されている。マイクロ流体チップにおいて細胞をソーティングする利点は、密封かつ無菌な環境を利用できる点だけではなく、ソーター機能の下流に細胞の遺伝子発現の解析機能を組み込むことにより、個別に分離された細胞を迅速に解析することが可能となる点である。しかし、複数種の細胞を各細胞集団に同時に分離する技術はまだ確立されていない。また、無菌環境を提供できるマイクロ流体チップ内において、幹細胞などの希少な細胞を分離するためには、オンチップソーターの分離のスループットを向上させる必要がある。本研究では、温度感受性ポリマーのゾルゲル相転移を利用した流体制御技術を応用することにより、オンチップセルソーター開発において重要な課題となっている(1)多色検出・多方向分離、(2)分離の高スループット化に対する解決策を提示できると考え、多分岐型および並列型オンチップソーターの開発を行った。

1.多分岐型オンチップソーターの開発

多くのオンチップソーターは2分岐型流路による回収・廃棄の2方向分離を行っているため、一度に分取できる細胞集団は1種類に限られている。これは細胞分離技術の多くが多方向分離への機能拡張が困難であるからであり、多分岐型の流路において細胞を分離する新規技術の開発が望まれている。温度感受性ポリマーのゾルゲル相転移を利用した流体制御法は、マイクロ流体チップの任意の位置において加熱により流体を制御することができる。私は、この特徴を利用することにより、多分岐型流路において流体を制御することが可能であると考え、図1に示す流体制御法を考案した。まず、低温でゾル状態、高温でゲル状態を示すMebiol Gel(Poly(N-isopropylacry lamide)-co-poly(oxyethylene))を試料と混ぜ、サンプル溶液としてチップに流し込む。Mebiol Gelを含むバッファ溶液により、流路中央へ絞り込まれたサンプル溶液は、分離対象の検出がない場合、廃棄用の中央の分岐へ流れる(図1左)。分離対象を検出した際は、局所加熱により分岐点のうち四ヵ所においてMebiol Gelのゲル化を引き起こし、分離対象を特定の流路へと分離する(図1右)。Mebiol Gelの相転移は可逆的であるため、加熱が終わると再びゾル状態に戻る。

マイクロ流体チップは、ポリジメチルシロキサンとガラスを材料にソフトリソグラフィー法により作製した(図2)。分岐部分の流路サイズは、幅20μm、深さ5μmである。ガラスにはクロムと金のドットパターンを蒸着した。この金属パターンは、ソーティングに際して赤外レーザーを吸収し、流体を加熱するためのヒーターとしての役割を果たす.

次に、蛍光を測定して赤外レーザーを照射する蛍光顕微鏡システムを構築した(図3)。分離対象からの蛍光をプリズムにより分光して16個の受光面を持つ光電子増倍管(16Ch.PMT)により測定した。これにより波長域500~800nmの蛍光を16分割した蛍光スペクトルを2ms毎に取得した。チップ内の4カ所の加熱は、音響光学偏向器(AOD)により赤外レーザーを4カ所に連続照射する方法を採用した。蛍光測定から赤外レーザーの照射位置の切り替えまでの一連の動作を制御するソフトウェアを開発し、分離対象の検出分離を自動化した。

構築した分離システムにより蛍光波長の異なる4種類の蛍光ビーズを分離することにより、多分岐流路における流体制御を実現した。図4に蛍光ビーズ(最大蛍光波長:515nm)を分離したときの蛍光スペクトルの経時変化とチップの蛍光像を示す。赤外レーザー照射を行わない場合、蛍光ビーズが廃棄用の流路へと流れることを確認した(図4-b)。蛍光ビーズを検出した場合、分岐の4カ所に赤外レーザーが照射され、ビーズが特定の回収用流路へと流れる様子が確認できた(図4-c)。蛍光波長の異なる他の3種類のビーズについても、それぞれ目的の分岐へと分離することができた。分離性能を評価したところ、赤外レーザーの照射時間が60msの条件下では、標的の回収率と分離後の純度はともに90%以上を達成した。

次に、蛍光タンパク質を発現させた大腸菌のソーティングを試みた。EGFP(Enhanced Green Fluorescent Protein)、Phi-Yellow、DsRedを発現させた各大腸菌をチップに流し、異なる分岐へと分離することに成功した。蛍光ビーズのソーティングと同様に、赤外レーザーの照射時間が60msの条件下では、標的の回収率と分離後の純度はともに90%以上であった。続いて、ソーティングが大腸菌に及ぼす影響を調べるために、ソーティング後の大腸菌の生存率を測定した。GFPを発現させた大腸菌を多分岐ソーターによりソーティングし、ソーティング後の大腸菌をチップより取り出し、死細胞の染色する試薬であるPropidium Iodide(PI)により染色した。EGFPとPIの蛍光強度より、生細胞と死細胞の細胞数を算出し、約80%の細胞がソーティング後に生存していることが確認できた。本研究では、今まで実現が困難であったチップ内における多色検出と多方向分離を行うシステムを開発した。4種類の蛍光ビーズと3種類の蛍光タンパク質を発現させた大腸菌を判別し、異なる分岐へと流し分けることに成功した。

2.並列型オンチップソーターの開発

複数のソーターを1枚のチップに集積して並列処理することにより分離のスループットが向上すると期待されているが、実用的な並列処理方法はほとんど報告がない。これは、ソーティングには、蛍光強度の測定、分離対象の検出、分離の動作の3つを、各流路において行う必要があり、集積化に伴い制御装置の数が増加し、装置全体が複雑化することが原因であると考えられる。本研究では、多分岐型ソーターの開発において確立した複数個所にゲルバルブを作る技術を応用し、1つのレーザー照射系により複数の流路を制御する方法を開発した。

多分岐ソーターの装置を改良して並列ソーターの装置を構築した。並列配置した各流路からの蛍光を、16Ch.PMTにより測定する。分離対象をある流路で検出した場合、その流路に対して、AODにより赤外レーザーを照射する。この方法により、1台の赤外レーザーと1台のAODで集積された各流路の流体制御が可能となると考えた(図5)。

安定したソーティングを行うためには、各流路においてサンプル溶液をバッファ溶液により絞り込む必要がある。流路を三次元に展開させて立体交差させることにより、サンプル溶液とバッファ溶液の導入口を1つずつにまとめたチップを作製した(図6)。

構築した分離システムにより、蛍光ビーズのソーティングを試みた。その結果、各流路において蛍光ビーズを検出分離することが出来た(図7)。また、GFPを発現させた大腸菌の分離にも成功した,分離性能を評価したところ、10msの赤外レーザー照射により、80%以上の回収率を達成した。

1つのレーザー照射系により8つの流路の流体を制御することに成功し、各流路において蛍光ビーズおよび大腸菌のソーティングに成功した。

3.まとめ

本研究において、今まで実現困難であった多色検出・多方向分離および並列型流路における細胞分離を行うマイクロ流体チップの開発に成功した。温度感受性ポリマーのゾルゲル相転移を利用した流体制御法を応用し、4色の蛍光を測定し4方向へと分離する多分岐ソーターおよび8つの二分岐型ソーターを集積した8並列ソーターを開発し、蛍光ビーズおよび大腸菌のソーティングに成功した。

図1多分岐流路における流体制御法

左:分離対象の検出前、右:検出分離。

図2チップの写真左:全体写真、右:分岐地点の顕微鏡写真。

図3分離システムの全体図

図4蛍光ビーズのソーティング(a)蛍光スペクトルの経時変化、(b)レーザー照射がない場合のビーズの軌跡。(c)ビーズの検出分離の様子。

図5並列流路における分離原理

図6三次元流路の概略図(左)と作製した8並列チップの顕微鏡写真(右)

図7蛍光ビーズの分離の様子

審査要旨 要旨を表示する

生物の体は、様々な種類の細胞からなる細胞集団として存在する。生化学的手法により細胞を解析するためには、多種の細胞が混在する細胞集団から特定種類の細胞を分離する操作が必要である。そのため、細胞を一つひとつ解析して分離するセルソーターは基礎研究から臨床検査まで幅広く利用されている。しかし、既存のセルソーターは、試料の空気中への飛散、装置内の残留物の試料への混入といった問題を抱えている。そのため、病原体感染細胞や幹細胞を分離することは困難である。そこで近年、密封された無菌環境を提供できるマイクロ流体チップを使った分離技術の開発が盛んに行われており、チップ内で細胞を検出分離する様々な技術が報告されている。マイクロ流体チップにおいて細胞をソーティングする利点として、密封かつ無菌な環境を利用できるだけではなく、ソーター機能の下流に細胞の遺伝子発現の解析機能を組み込むことにより、個別に分離した細胞を迅速に解析することが可能となる点が挙げられる。しかし、複数種の細胞を各細胞集団に同時に分離する技術は未だに確立されていない。また、無菌環境を提供できるマイクロ流体チップ内において、幹細胞などの希少な細胞を分離するためには、オンチップソーターの分離のスループットを向上させる必要がある。本論文では、温度感受性ポリマーのゾルゲル相転移を利用した流体制御技術を応用することにより、オンチップセルソーターの開発において重要な課題である、多色検出・多方向分離、分離の高スループット化の解決を目指し、多分岐型および並列型オンチップソーターの開発が記載されている。

まず、第1章では、本研究の背景、本研究の目的、および本研究の概要が述べられている。

第2章では、温度感受性ポリマーの相転移に基づく流体制御を用いた多分岐型オンチップソーターの開発が述べられている。多くのオンチップソーターは2分岐型流路による回収・廃棄の2方向分離を行っているため、一度に分取できる細胞集団は1種類に限られている。これは細胞分離技術の多くが多方向分離への機能拡張が困難であるからであり、多分岐型の流路において細胞を分離する新規技術の開発が望まれている。温度感受性ポリマーのゾルゲル相転移を利用した流体制御法は、マイクロ流体チップの任意の位置において加熱により流体を制御することができる。この特徴を利用することにより、多分岐型流路における流体制御法を考案した。まず、低温でゾル状態、高温でゲル状態を示すMebiol Gel(Poly(N-isopropylacrylamide)-co-poly(oxyethylene))と試料を混ぜ、サンプル溶液としてチップに流し込む。Mebiol Gelを含むバッファ溶液により、流路中央へ絞り込まれたサンプル溶液は、分離対象の検出がない場合、廃棄用の中央の分岐へ流れる。分離対象を検出した際は、局所加熱により分岐点のうち四ヵ所においてMebiol Gelのゲル化を引き起こし、分離対象を特定の流路へと分離する。Mebiol Gelの相転移は可逆的であるため、加熱が終わると再びゾル状態に戻る。マイクロ流体チップは、ポリジメチルシロキサンとガラスを材料にソフトリソグラフィー法により作製した。分岐部分の流路サイズは、幅20μm、深さ5μmである。ガラスにはクロムと金のドットパターンを蒸着した。この金属パターンは、ソーティングに際して赤外レーザーを吸収し、流体を加熱するためのヒーターとしての役割を果たす。次に、蛍光を測定して赤外レーザーを照射する蛍光顕微鏡システムを構築した。分離対象からの蛍光をプリズムにより分光して16個の受光面を持つ光電子増倍管(16Ch.PMT)により測定した。これにより波長域500~800nmの蛍光を16分割した蛍光スペクトルを2ms毎に取得した。チップ内の4カ所の加熱は、音響光学偏向器(AOD)により赤外レーザーを4カ所に連続照射する方法を採用した。蛍光測定から赤外レーザーの照射位置の切り替えまでの一連の動作を制御するソフトウェアを開発し、分離対象の検出分離を自動化した。構築した分離システムにより蛍光波長の異なる4種類の蛍光ビーズを分離することにより、多分岐流路における流体制御を実現した。分離性能を評価したところ、赤外レーザーの照射時間が60msの条件下では、標的の回収率と分離後の純度はともに90%以上を達成した。次に、蛍光タンパク質を発現させた大腸菌のソーティングを試みた。EGFP(Enhanced Green Fluorescent Protein)、Phi-Yellow、DsRedを発現させた各大腸菌をチップに流し、異なる分岐へと分離することに成功した。蛍光ビーズのソーティングと同様に、赤外レーザーの照射時間が60msの条件下では、標的の回収率と分離後の純度はともに90%以上であった。続いて、ソーティングが大腸菌に及ぼす影響を調べるために、ソーティング後の大腸菌の生存率を測定した。GFPを発現させた大腸菌を多分岐ソーターによりソーティングし、ソーティング後の大腸菌をチップより取り出し、死細胞の染色する試薬であるPropidium Iodide(PI)により染色した。EGFPとPIの蛍光強度より、生細胞と死細胞の細胞数を算出し、約80%の細胞がソーティング後に生存していることが確認できた。このように、本研究では、今まで実現が困難であったチップ内における多色検出と多方向分離を行うシステムを開発した。4種類の蛍光ビーズと3種類の蛍光タンパク質を発現させた大腸菌を判別し、異なる分岐へと流し分けることに成功した。

第3章では、温度感受性ポリマーの相転移に基づく流体制御を用いた並列型オンチップソーターの開発が述べられている。複数のソーターを1枚のチップに集積して並列処理することにより分離のスループットが向上すると期待されているが、実用的な並列処理方法はほとんど報告がない。これは、ソーティングには、蛍光強度の測定、分離対象の検出、分離の動作の3つを、各流路において行う必要があり、集積化に伴い制御装置の数が増加し、装置全体が複雑化することが原因であると考えられる。本研究では、多分岐型ソーターの開発において確立した複数個所にゲルバルブを作る技術を応用し、1つのレーザー照射系により複数の流路を制御する方法を開発した。多分岐ソーターの装置を改良して並列ソーターの装置を構築した。並列配置した各流路からの蛍光を、16Ch.PMTにより測定する。分離対象をある流路で検出した場合、その流路に対して、AODにより赤外レーザーを照射する。この方法により、1台の赤外レーザーと1台のAODで集積された各流路の流体制御が可能となると考えた。安定したソーティングを行うためには、各流路においてサンプル溶液をバッファ溶液により絞り込む必要がある。流路を三次元に展開させて立体交差させることにより、サンプル溶液とバッファ溶液の導入口を1つずつにまとめたチップを作製した。構築した分離システムにより、蛍光ビーズのソーティングを試みた。その結果、各流路において蛍光ビーズを検出分離することが出来た(図7)。また、GFPを発現させた大腸菌の分離にも成功した。分離性能を評価したところ、10msの赤外レーザー照射により、80%以上の回収率を達成した。このように、1つのレーザー照射系により8つの流路の流体を制御することに成功し、各流路において蛍光ビーズおよび大腸菌のソーティングに成功した。

第4章では、本研究のまとめと展望が述べられている。

以上のように、学位申請者は温度感受生ポリマーのゾルゲル相転移現象を利用して、細胞を多色検出して多方向へと分離する多分岐型オンチップソーターと、一枚のチップに集積された各流路で細胞を分離する並列型オンチップソーターを開発した。この技術は、病原体感染細胞や幹細胞の分離へ応用可能であり、医学、薬学研究に大きく貢献すると期待される。よって、本研究を行った杉野弘和は博士(薬学)の学位をうけるにふさわしいと判断した。

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