学位論文要旨



No 125012
著者(漢字) 池田,正樹
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,マサキ
標題(和) 高分解能光電子分光法による電子ドープ系高温超伝導体の研究
標題(洋) High-resolution photoemission study of electron-doped high-temperature superconductors
報告番号 125012
報告番号 甲25012
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第430号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 准教授 佐々木,岳彦
 東京大学 准教授 溝川,貴司
 東京大学 准教授 高橋,成雄
内容要旨 要旨を表示する

高温超伝導体は、学術的関心及び応用への期待から数多くの研究が行われている。高温超伝導体は、CuO2 面とブロック層を交互に積層した構造をとっており、CuO2 面にキャリア(ホール、電子)をドープすることで超伝導が出現する。これまでホールドープ系高温超伝導体の数多くの実験から超伝導機構が解明されてきたが、電子ドープ系高温超伝導体は超伝導転移温度(Tc)が低く、実験が困難であるため研究が遅れがちであった。しかし、電子‐ホール対称性の解明、さらには電子ドープ系高温超伝導体のみがもつ興味深い特性の解明のためにも、電子ドープ系高温超伝導体の研究は不可欠である。そこで本研究では、電子ドープ系高温超伝導体の未解決問題に焦点をおいた。論文は、導入(第1 章)から始まり、電子ドープ系高温超伝導体の基礎物性及び背景(第2 章)、さらに光電子分光法の原理(第3 章)と続く。第4 章では、電子ドープ系高温超伝導体の特性を活かすことで、圧力による電子構造の変化を議論する。第5 章では、電子ドープ系高温超伝導体に独特のアニール効果の解明、さらにはアニール効果を利用して波数空間における超伝導の寄与についても議論する。第6 章では、近年注目を浴びている高エネルギーキンクの測定を行い、電子ドープ系高温超伝導体とホールドープ系高温超伝導体の違いを議論する。第7 章では、近年合成されたY(0.38)La(0.62)Ba(1.74)La(0.26)Cu3Oy (YLBLCO) を用いて、電子ドープ‐ホールドープ間の本質的な化学ポテンシャルのとびについて議論する。そして、第8 章で全体の結論を述べる。以下に、本論文の研究成果の概要について示す。

1. 電子ドープ系高温超伝導体の化学圧力効果

高温超伝導体のTc は圧力をかけることで大きく変化するため、このときの電子構造の変化は興味深い。しかし圧力をかけた状態で、電子状態を直接観測する手法である角度分解光電子分光法を行うことは装置の都合上困難である。そこで、一部のイオンをイオン半径が異なる別のイオンに置換することで格子定数の大きさを変える方法、つまり化学圧力に注目した。電子ドープ系高温超伝導体Ln(2-x)CexCuO4(Ln = Nd, Sm, Eu)では、Ln(3+)のイオン半径が小さくなると、面内の格子定数が小さくなり、つまり化学圧力が大きくなり、圧力下と同じ状態が実現する。そこでこれらの物質の角度分解光電子分光を行い、圧力による電子構造の変化を観測した。

図1に、Nd(1.85)Ce(0.15)CuO4 (NCCO) [Tc =22 K], Sm(1.85)Ce(0.15)CuO4 (SCCO) [Tc = 16 K],Eu(1.85)Ce(0.15)CuO4 (ECCO) [Tc = 0 K] のフェルミ面の様子を示す。化学圧力が大きくなるに従い、フェルミ面の曲率が小さくなる様子がわかる。この様子は、図2. (b) に示すようにタイトバインディング解析でも定量的に確かめることができた(t: 最近接原子間のホッピング、t': 第二近接原子間のホッピング、-t'/t: フェルミ面の曲率)。さらに、局所密度近似(LDA)計算でもこの変化を再現することができた(図2 の点線)。また、フェルミ面の曲率と超伝導転移温度の関係についても、過去に報告された理論計算の結果とも定性的に一致した[1]。図3 に、図1 の(π/2, π/2) 付近のエネルギー分布曲線(EDC) を示す。化学圧力が大きくなるに従い、反強磁性の効果によるギャップが開いてきた。反強磁性の効果は、タイトバインディング解析のパラメーターΔE に対応し、化学圧力と共に反強磁性の効果が強くなる様子が定量的にもわかる(図2. (a))。したがって、圧力をかけることで超伝導転移温度が変化する要因は、フェルミ面の曲率が変化し、(π/2, π/2) 付近で反強磁性の効果によるギャップが開くからだと考えられる。また、タイトバインディング解析において、(π, 0) 付近とノード付近でフィッティングの様子が異なった。これは、反強磁性の効果が波数依存性を持っているからだと考えられる。

2. 電子ドープ系高温超伝導体のアニール効果

電子ドープ系高温超伝導体のTc は、キャリアのドープ量だけでなくアニール条件を変えることでも大きく変化する。また、電子ドープ系高温超伝導体では、元素置換による電子ドープだけでは超伝導は出現せず、アニールを行う必要がある。しかし何故、超伝導出現にアニールが必要であるのかわかっていない。この問題を解決するために電子ドープ系高温超伝導体の角度分解光電子分光を行い、電子構造の変化を調べた。

図4 に Pr(1.18)La(0.7)Ce(0.12)CuO4 (PLCCO) の as-grown の試料(ag-PLCCO)、弱くアニールした試料(wa-PLCCO)、十分にアニールした試料(an-PLCCO) のフェルミ面及び、NCCO のas-grown の試料(ag-NCCO)、十分にアニールした試料(an-NCCO)のフェルミ面を示す。as-grownの試料で開いていたフェルミ面上のエネルギーギャップは、アニールを行うことで、閉じていく様子がわかる。図5 にギャップの大きさの指標となるleading edge shift の中点の波数依存性を示す。ag-PLCCO では、フェルミ面全体でギャップが開いている。そしてアニールを少し行うことでまず(π, 0) 付近のギャップが閉じ、十分にアニールを行うとフェルミ面全体でギャップが閉じる。また、ag-NCCO では、ギャップの振る舞いがwa-PLCCO と類似しており、十分にアニールすることでギャップがフェルミ面全体で閉じる。したがって、アニールによる効果は、as-grown の試料で開いていたギャップを埋めることである。また、ギャップが閉じていく様子と超伝導の関係に注目すると、ノード付近の反強磁性ギャップが閉じたときに超伝導が出現する。これは、ノード付近の電子状態が超伝導に大きく寄与していると考えられる。なお、近年のホールドープ系高温超伝導体の超伝導ギャップの異方性の研究からは[2]、ノード付近が超伝導に寄与していることが報告された。したがって、キャリアの種類によらずノード付近の電子状態が超伝導に大きな寄与していると考えられる。

3. 高温超伝導体のバンド分散における高エネルギーキンク

近年、高エネルギー領域でキンク構造(高エネルギーキンク)が観測され、様々なモデルを用いてこの起源の議論が行われている。しかし、議論のほとんどはホールドープ系高温超伝導体のノード付近についてのみ行われているため、電子ドープ系高温超伝導体の研究、さらにはより広い波数空間における研究が求められている。そこで、電子ドープ系高温超伝導体NCCO を用いて様々な波数の高エネルギーキンクの振る舞いを観測し、ホールドープ系高温超伝導体の結果と比較した。

図6 に NCCO のバンド分散及びEDC の 2 階微分をとったものを示す。ノード付近のバンド分散から[図. 6(a)]、高エネルギーキンクの位置がおよそ0.7 eV であることがわかる。ホールドープ系高温超伝導体ではおよそ0.3-0.4 eV であったため、より深いエネルギー位置にシフトしたと考えられる。図7 に様々な波数における高エネルギーキンクの位置を示す。(π, 0) 付近からノード付近に行くに従い、高エネルギーキンクの位置が深くなっている。また、ホールドープ系高温超伝導体の結果と比較すると[3]、0.3-0.4 eV だけ全体的に高結合エネルギー側にシフトしていることがわかる。このシフトの大きさは内殻X線光電子分光から見積もられた化学ポテンシャルシフトの値に等しいため、高エネルギーキンクは化学ポテンシャルの大きさだけシフトしていると考えられる。図6 のEDC の 2 階微分に注目すると、高エネルギーキンクのエネルギー位置は、(π, 0) 付近ではバンドの底に近く、ノード付近ではコヒーレント領域とインコヒーレント領域の境界に近い。

4. Y 系高温超伝導体における化学ポテンシャルのとび

高温超伝導体の母物質にホール(電子)をドープしたとき、化学ポテンシャルが価電子帯の頂上(伝導帯の底)に移動するかギャップ内に停滞するかについて数多くの議論が行われてきた。この様子は、ホールをドープしたときと電子をドープしたときの化学ポテンシャルの違い、つまりとびから求めることができる。しかし、これまでの化学ポテンシャルのとびの研究は、異なる結晶構造をとるLa2CuO4 と Nd2CuO4 で行われ、非本質的な効果が含まれている可能性がある。この問題を解決するために、同じ結晶構造を保ちながらホールと電子をドープできるYLBLCO [4] の化学ポテンシャルのとびに注目した。

図8 にYLBLCO 及び他の高温超伝導体の化学ポテンシャルシフトの様子を示す。化学ポテンシャルのとびは、La2CuO4 と Nd2CuO4 ではおよそ0.3 eV であったが、YLBLCO ではおよそ0.8 eVである。このように違いが生じた理由としては、マーデルングポテンシャルの違いが考えられる。また光学測定によると、YLBLCO の電荷移動ギャップの大きさは、1.4-1.7 eV であるので、ホール(電子)ドープにより、価電子帯の頂上(伝導帯の底)へ化学ポテンシャルは移動していない。しかし、間接ギャップであることを考慮に入れると、図9 にまとめたバンドの模式図のように理解できる。

[1] E. Pavarini et al., Phys. Rev. Lett. 87, 047003 (2001).[2] W. S. Lee et al., Nature 450, 81 (2007).[3] J. Chang et al., Phys. Rev. B 75, 224508 (2007).[4] K. Segawa et al., Phys. Rev. B 74, 100508 (2007).

図1. フェルミ面マップ。実線及び点線は反強磁性及び常磁性のバンドの計算結果である。

図 2. 化学圧力に対するタイトバインディングフィット及びLDA 計算の結果。

図 3. (π/2, π/2) 付近のエネルギー分布曲線。

図4. PLCCO 及びNCCO のフェルミ面。

図 5. leading edge shift の波数依存性。

図6. ARPES 強度プロットと2 階微分。

図 7. 高エネルギーキンクの波数依存性。

図8. 化学ポテンシャルシフト。

図 9. バンドの模式図。

審査要旨 要旨を表示する

銅酸化物における高温超伝導機構の解明には,ホールドープ型物質と電子ドープ型物質の類似性と相違を比較し検討することが重要な鍵を与えるが,これまでの多くの研究はホールドープ型物質に集中し,電子ドープ型物質についての研究例は少なかった.本論文では,非常に多くの情報を与える角度分解光電子分光を用いて,電子ドープ型高温超伝導体を様々な観点から詳しく調べている.とくに,ホールドープ型,電子ドープ型に関わらず,超伝導転移温度に対する圧力効果は超伝導機構の解明に重要であるが,光電子分光実験は超高真空中で行わなければならないため,圧力下における電子構造に関する情報はほとんど得られていなかった.本論文では.希土類イオン半径を変えることによって化学的に加えた圧力を利用して,圧力下における電子構造の研究を光電子分光を用いて可能にした.

本論文は8章よりなる.第1章ではまず本研究の背景として,銅酸化物高温超伝導体の研究の歴史,結晶構造,物性,相図,基本的な電子構造について述べている.とくに,電子ドープ型物質に特有の現象として反強磁性との競合を挙げ,本論文の背景について説明をしている.第2章では,電子ドープ物質の物性と先行研究を網羅的に紹介している.とくに,本論文で対象とした,希土類イオンを置換した電子ドープ型高温超伝導物質と,同一の系でホールドープと電子ドープの両方を可能にした新物質について詳しく紹介している.続く第3章では,本論文で用いる測定手段である角度分解光電子分光法と内殻光電子分光の原理と,測定で得られたスペクトルの与える情報について述べている.

第4章から第7章までは,化学圧力効果下の角度分解光電子分光をはじめとして本論文で得られた実験結果を述べ,その解析,議論を行っている.まず第4章では,希土類イオン半径を変えることによって化学圧力を加えた電子ドープ型超伝導体Ln(1.85)Ce(0.15)CuO4(Ln:希土類)について角度分解光電子分光をおこない,化学圧力がフェルミ面の曲率を弱めることを見出している.この系では圧力が超伝導転移温度を低下させることがわかっているが,転移温度低下の原因として,曲率の低下がフェルミ面のネスティングを助け,超伝導と競合する反強磁性を強めるためであると結論している.

第5章では,電子ドープ型物質の超伝導出現に必ず必要である試料アニールの役割の解明を目指して,アニール時間の異なる試料について角度分解光電子分光の測定をおこなっている.アニールをする前の超伝導を示さない試料でフェルミ面全体に開いていたギャップが,アニールを進行させることによって各部分が次々に閉じていくことを見出し,これと超伝導発現の相関より,フェルミ面の特定な領域が超伝導出現に重要であると結論している.

第6章では,ホールドープ型物質にも見られるバンド分散の深い位置での折れ曲がり(高エネルギー・キンク)について,電子ドープ型物質について詳細な測定を行い,折れ曲がり位置の結合エネルギーがホールドープ系に比べて大きくなることを見出している.結合エネルギーが大きくなる原因を電子ドープ型物質とホールドープ型物質の化学ポテンシャルの差として説明し,論争が続いてきた高エネルギーキンクの発現機構について明確な情報を与えている.

第7章では,同一の系で電子ドーピングとホールドーピングの両方が可能な新物質(Y,La)(Ba,La)Cu3Oyについて内殻光電子分光を行うことによって,長年の論争であったホールドープ型物質と電子ドープ型物質の間の電子の化学ポテンシャルの跳びを実際に測定している.化学ポテンシャルの跳びが光学吸収スペクトルに比べて半分以下になることを見出し,その原因を,バンドギャップが間接ギャップであることと,キャリアードーピングによりギャップ中に状態が出現することにより説明している

最後の第8章では,本論文で得られた知見をまとめ,それらが電子ドープ系物質の研究,さらには高温超伝導研究全体に対してどのような寄与をするかを述べ,今後の展望を述べている.

以上のように本論文は,電子ドープ型銅酸化物高温超伝導体の電子構造を新しい発想に基づいて多面的に研究し,重要な知見を得たことで高く評価された.従って,論文審査委員会は全員一致で博士(科学)の学位を授与できると認めた.

なお,本論文の一部は,吉田鉄平,小野寛太,久保田正人,笹川崇夫,高木英典の各氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験,解析,考察を行なったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

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