学位論文要旨



No 125060
著者(漢字) 小田,あゆみ
著者(英字)
著者(カナ) オダ,アユミ
標題(和) 中国半乾燥地に生育する臭柏(Sabina vulgaris Ant.)の種子生産と実生定着制限要因の解明
標題(洋) Limiting factors for reproduction and seedling establishment of Sabina vulgaris Ant. in the semi-arid environment in China
報告番号 125060
報告番号 甲25060
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第478号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 山室,真澄
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 准教授 キクビツェ,ザール
 東京大学 准教授 大手,信人
内容要旨 要旨を表示する

人為開発による砂漠化の進行が著しい中国北西部の半乾燥地では,早生樹による植林が進む一方で,地下水位の低下など土地荒廃が問題となっている.そこで,乾燥環境に適応した郷土樹種による植林が注目されており,現地樹種の中でも特に高い耐乾性を持つ,ヒノキ科の常緑針葉樹である臭柏(Sabina vulgaris Ant.)が有力な緑化樹種として用いられている.

しかし,臭柏は種子の発芽率が低いことから,挿し木苗が植林に用いられている.挿し木苗はクローンであるため,遺伝的多様性の喪失や病虫害抵抗性の問題が危惧されており,実生繁殖に基づく緑化技術の確立が求められている.しかし,現地では実生による天然更新が見られることはまれであり,実生の生産技術も確立されていない.

臭柏の実生繁殖が難しい理由として,(1)優良な種子生産量が非常に少ないこと,(2)最適な発芽条件が不明なこと,(3)実生の定着環境が限られていること,の3 点が上げられる.臭柏は,多くの種子を生産するが,不稔性の種子の割合が高く,発芽に必要な休眠打破法も不明であり,育苗の効率が悪い.不稔性種子を生産する要因として,半乾燥地の厳しい環境ストレスによる水や養分の不足が考えられ,地下水等水分供給に関わる立地要因,及び貯蔵養分等の養分動態を把握する必要がある.そこで本研究では臭柏の生態解明及び緑化技術開発のため,臭柏の種子生産および実生定着の制限要因を明らかにすることを目的とした.

第 2 章では,臭柏種子の最適な発芽条件を明らかにするため,前処理と播種温度,光条件を変えて発芽試験を行なった.これまで,臭柏種子の発芽率はいくつかの前処理を行なった後でも約2%と低く,種子の適切な発芽条件には不明な点が多かった.比重選抜を行なった種子について5 種類の播種前処理と10℃~35℃まで6 段階の温度条件,および光の有無を変化させて発芽試験を行なったところ,硫酸浸漬処理を行った種子のみ発芽した.発芽率は約60%で,播種前に調べた活性を有する胚を持つ種子の割合(60.7%)とほぼ一致したことから,生存種子のほぼ全てが発芽したものと考えられた.硫酸処理種子は温度が高いほど発芽率が増加する傾向が見られ,25℃~30℃の温度条件で発芽させた場合に30 日で60%と最も高い発芽率を示した.また,光の有無は発芽率に影響を与えなかった.硫酸処理区では他の処理に比べ有意に吸水速度が高かった.電子顕微鏡で観察すると硫酸処理を行なった種子では,種皮そのものの厚さが減少すると同時に,不透水性の種皮が酸に冒されて空間ができ,吸水が容易になると考えられた.以上から,臭柏種子の発芽率向上には硫酸など酸処理で硬実休眠を打破し,25-30℃で発芽させるのが有効であると考えられた.

第 3 章では,臭柏実生の定着制限要因を明らかにするために成木と実生の葉の形態的生理的特性を比較した.臭柏実生は看護植物の被陰下にのみ定着し,針葉のみをつける.しかし成木では樹冠内で針葉と鱗片葉の2 種類の形態の葉を持ち,全天の強光・乾燥環境下でも生育できるようになる.なぜ定着初期に看護植物の被陰が必要なのか,また,なぜ成長とともに葉の形態が変化しストレス環境に順応できるのかは不明であり,これらを明らかにすることは臭柏の定着条件や育苗条件の解明に重要である.そこで,成木と実生をそれぞれ5 個体選び,針葉・鱗片葉それぞれについて,葉の形態の指標であるLMA, 生理特性の指標である光-光合成曲線,光阻害感受性を調べた.また,長期的な水利用効率の指標である炭素安定同位体比を質量分析計により測定した.

臭柏の実生がもつ針葉は,資源投資(葉重)あたりの光合成生産が高い代わりに,耐乾性が低く,強光ストレスに弱いことが明らかになった(表-1).一方,成木の鱗片葉は,高い光合成速度と光阻害耐性を示した.それぞれの葉の日生産量を推定すると,実生は被陰下でも成木と同量の光合成生産を行なうが,蒸散量が多く水利用効率が低かった(表-1).実生が持つ針葉は水利用効率が悪く光阻害耐性が低いため,全天環境での生育は難しく,このことが実生の定着場所を看護植物の被陰下に限定する要因であると考えられた.

第4 章では,臭柏成木の生育適地を明らかにするため,生育立地と葉の生理特性の関係を調べた.乾燥環境に生育する植物にとって,地下水は比較的安定した吸水源であり,植栽後の定着や生育に重要である.臭柏の成木も主に地下水を使って生育しており,地下水面からの距離が樹幹内の無機養分濃度,種子充実率に影響していると考えられる.そこで地下水面から1,3,5mの高さに生育する個体を3 個体ずつ選び,光合成・蒸散速度の日変化を測定した.その結果,地下水面からの距離によって葉の内部形態や光合成生産特性が著しく異なることが明らかになった.地下水面からの距離が1m の個体は日中の水ストレスを受けにくい環境にあり,窒素など光合成系への投資が大きく,高い日光合成生産を行っていた.しかし,乾燥を防ぐ表皮細胞層は地下水面から遠い個体に比べて薄く,一日を通じて高い蒸散を行っており,日水利用効率は低かった.一方,地下水面からの距離が3m と5m の個体では,厚い表皮細胞層を持つことで葉の耐乾性を高め,水分条件のよい早朝に高い光合成生産を行うことで,日水利用効率を高めていることが明らかになった.

第 5 章では,臭柏の種子生産に影響を与える要因を明らかするため,種子充実率と地下水面からの距離(水資源・炭素資源の指標),樹幹内の無機養分濃度の関係を調べた. 種子生産を行なっている個体を様々な立地から計12 個体選び, 種子充実率(充実種子数/全種子数×100),地下水面からの距離,樹幹内無機養分濃度を測定した.毬果生産数と地下水面からの距離には相関はなかったが,種子充実率は地下水面から遠い個体ほど有意に低下した(図-1).K,Mg,Ca,P の樹幹内濃度と種子充実率には有意な正の相関がみられ,樹幹内無機養分濃度が多い個体ほど種子の充実率が高いことが示された(図-2).つまり,無機養分を十分に蓄積している個体では種子充実率が高くなることが示唆された.以上から,無機養分は根から水分と共に吸収されるため,地下水面から遠い個体では無機栄養の吸収が十分でない可能性が考えられ,地下水面からの距離は臭柏の毬果生産数には影響を与えないが,種子充実率を制限する要因の一つであることが示された.

以上の結果から,これまで不明であった毛烏素沙地における臭柏の種子繁殖及び実生定着阻害要因の一部が明らかになった.

まず,臭柏種子の発芽過程での阻害要因として,不透水性の硬い種皮による硬実休眠が明らかにされた.種子の発芽には強酸や傷つけ処理などによる硬実休眠の打破が有効であった.臭柏と近縁のJuniperus 属では動物散布型の種が多く知られている.臭柏の種子捕食者は明らかになっていないが,羊やウサギが臭柏の葉を採食することが知られており,体内で胃酸にさらされることで発芽が促進される可能性が考えられた.また,人工的に発芽率を高めるためには比重選抜で充実種子を選抜し,酸処理によって吸水しやすくした後,25 度以上の温度で播種する方法が有効である.

実生の定着過程では,臭柏実生の針葉は耐陰性が高く暗環境下での定着に適しているが,強光や乾燥耐性が低いことが明らかになった.そのため,定着初期に看護植物による乾燥,高温ストレスからの回避が欠かせないことが示された.その後,看護植物の被陰下から全天環境へ進出する際には,ストレス耐性の高い鱗片葉に形態が変化し,環境ストレスに順応していると考えられた.発芽後の実生は野外での定着環境に近い,少なくとも30%程度の遮光条件下で育苗することが必要であると考えられる.

定着後の成木は様々な立地に生育可能であるが,固定砂丘上など地下水面から遠い立地では,地下水面に近い個体に比べ日光合成生産量が小さいことが明らかになった.地下水面から遠い個体では,日中に乾燥ストレスがかかるため,葉の乾燥を防ぐ表皮細胞層が厚くなるなど耐乾性を高める投資が必要であると考えられた.

種子生産過程では水ストレスとそれに伴う無機養分の吸収不足により,充実種子の生産が制限されていると考えられた.地下水面から遠い個体では,光合成生産や無機養分吸収量が少ない上に葉の耐乾性を高めるために多くの資源が必要である.また,種子生産数は地下水面からの距離と関係なく,種子充実率のみが地下水面からの距離に従って低下したことから,地下水面から遠い個体では,種子充実の過程で養分不足により「しいな」の割合が増加したものと考えられた.

今後,人為開発による裸地面積の増加や地下水位の低下が進行すれば,臭柏実生の発芽・定着環境だけでなく充実種子生産量の減少が予測され,臭柏の更新が阻害される可能性が高いと考えられた.

表 -1. 針 葉と鱗片葉の生理的・形態的特徴の違い

Table 1 Leaf physiological and morphological properties of two leaf forms under different light conditions

図-1. 地下水面からの距離と毬果数(a),種子充実率(b)の関係

Fig.-1 Relationships between groundwater depth and number of seeds (a) and filled seed ratio (b).

図-2. 種子充実率と樹幹内無機栄養濃度の関係

Fig.-2 Relationships between filled seed ratio and nutrient contents

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,人為開発による砂漠化の進行が著しい中国北西部の半乾燥地に自生するヒノキ科の低木臭柏(Sabina vulgaris Ant)の実生更新に関して多面的に研究したもので,6章からなっている.本論文のうち第2章から第5章は,田中賢蔵,吉川賢,王林和ほかとの共同研究であるが,いずれの章も論文提出者が主体となってデータの収集と解析,執筆を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

第1章では,早生樹による植林が進む一方で,地下水位の低下など土地荒廃が問題となっている中国の半乾燥地において,乾燥環境に適応した郷土樹種による植林が注目されており,現地樹種の中でも特に高い耐乾性を持つ,ヒノキ科の常緑針葉樹である臭柏(Sabina vulgaris Ant.)が有力な緑化樹種として用いられていることを最初に述べ,臭柏による緑化の現状における問題点として,種子の発芽率が低いことから,挿し木苗が植林に用いられていることを論じている。挿し木苗はクローンであるため,遺伝的多様性の喪失や病虫害抵抗性の問題が危惧されており,実生繁殖に基づく緑化技術の確立が求められている.しかし,現地では実生による天然更新が見られることはまれであり,実生の生産技術も確立されていない.臭柏の実生繁殖が難しい理由として,(1)優良な種子生産量が非常に少ないこと,(2)最適な発芽条件が不明なこと,(3)実生の定着環境が限られていること,の3点があげられている.そこで本研究の目的としての臭柏の生態解明及び緑化技術開発のための臭柏の種子生産および実生定着の制限要因の解明と,その意義について述べている.

第2章では,臭柏種子の最適な発芽条件を明らかにするため,前処理と播種温度,光条件を変えて発芽試験を行なった.これまで,臭柏種子の発芽率はいくつかの前処理を行なった後でも約2%と低く,種子の適切な発芽条件には不明な点が多かった.比重選抜を行なった種子について5種類の播種前処理と10-35℃ まで6段階の温度条件,および光の有無を変化させて発芽試験を行なったところ,硫酸浸漬処理を行った種子のみ発芽した.発芽率は約60%で,播種前に調べた活性を有する胚を持つ種子の割合とほぼ一致したことから(60,7%),生存種子のほぼ全てが発芽したものと考えられた.硫酸処理種子は温度が高いほど発芽率が増加する傾向が見られ,25-30℃ の温度条件で発芽させた場合に30日で60%と最も高い発芽率を示した.また,光の有無は発芽率に影響を与えなかった硫酸処理区では他の処理に比べ有意に吸水速度が高かった.電子顕微鏡で観察すると硫酸処理を行なった種子では種皮そのものの厚さが減少すると同時に,不透水性の種皮が酸に冒されて空間ができ,吸水が容易になると考えられた.以上から,臭柏種子の発芽率向上には硫酸など酸処理で硬実休眠を打破し,25-30℃ で発芽させるのが有効であると考えられた.

第3章では,臭柏実生の定着制限要因を明らかにするために成木と実生の葉の形態的生理的特性を比較した臭柏実生は看護植物の被陰下にのみ定着し,針葉のみをつける。しかし成木では樹冠内で針葉と鱗片葉の2種類の形態の葉を持ち,全天の強光・乾燥環境下でも生育できるようになる.なぜ定着初期に看護植物の被陰が必要なのか,また,なぜ成長とともに葉の形態が変化しストレス環境に順応できるのかは不明であり,これらを明らかにすることは臭柏の定着条件や育苗条件の解明に重要である.そこで,成木と実生をそれぞれ5個体選び,針葉鱗片葉それぞれについて,葉の形態の指標であるLMA,生理特性の指標である光.光合成曲線,光阻害感受性を調べた.また,長期的な水利用効率の指標である炭素安定同位体比を質量分析計により測定した.

臭柏の実生がもつ針葉は,資源投資(葉重)あたりの光合成生産が高い代わりに,耐乾性が低く,強光ストレスに弱いことが明らかになった.一方で,成木の鱗片葉は,高い光合成速度と光阻害耐性を示した.それぞれの葉の日生産量を推定すると,実生は被陰下でも成木と同量の光合成生産を行なうが,蒸散量が多く水利用効率が低かった.実生が持つ針葉は水利用効率が悪く光阻害耐性が低いため,全天環境での生育は難しく,このことが実生の定着場所を看護植物の被陰下に限定する要因であると考えられた.

第4章では,臭柏成木の生育適地を明らかにするため,生育立地と葉の生理特性の関係を調べた.乾燥環境に生育する植物にとって,地下水は比較的安定した吸水源であり,植栽後の定着や生育に重要である,臭柏の成木も主に地下水を使って生育しており,地下水面からの距離が樹幹内の無機養分濃度,種子充実率に影響していると考えられる.そこで地下水面から1,3,5mの高さに生育する個体をそれぞれ3個体選び,光合成・蒸散速度の日変化を測定した.その結果,地下水面からの距離によって葉の内部形態や光合成生産特性が著しく異なることが明らかになった.地下水面からの距離が1mの個体は日中の水ストレスを受けにくい環境にあり,窒素など光合成系への投資が大きく,高い日光合成生産を行っていた.しかし,乾燥を防ぐ表皮細胞層は地下水面から遠い個体に比べて薄く,一日を通じて高い蒸散を行っており,日水利用効率は低かった.一方,地下水面からの距離が3mと5mの個体では厚い表皮細胞層を持つことで葉の耐乾性を高め,水分条件のよい早朝に高い光合成生産を行うことで,日水利用効率を高めていることが明らかになった.

第5章では,臭柏の種子生産に影響を与える要因を明らかするため,種子充実率と地下水面からの距離(水資源・炭素資源の指標),樹幹内の無機養分濃度の関係を調べた.様々な立地から種子生産を行なっている12個体選び,種子充実率(全種子中で充実種子の占める割合の百分率),地下水面からの距離,樹幹内無機養分濃度を測定した.毬果生産数と地下水面からの距離には相関はなかったが,充実率には負の相関が見られ,地下水面から遠い個体ほど不稔種子の割合が多いことがわかった.一般的に,無機養分は根から水分と共に吸収されるため,地下水面から遠い個体では無機栄養の吸収が十分でない可能性が考えられたK,Mg,Ca,Pの樹幹内濃度と種子充実率には有意な正の相関がみられ,樹幹内無機養分濃度が多い個体ほど種子の充実率が高いことが示された.つまり,無機養分を十分に蓄積している個体では種子充実率が高くなることが示唆された以上から,地下水面からの距離は臭柏の毬果生産数には影響を与えないが種子充実率を制限する要因の一つであると考えられた.

第6章では,以上の結果を総合して,これまで不明であった毛烏素沙地における臭柏の種子繁殖及び実生定着阻害要因を考察した.今後,人為開発による裸地面積の増加や地下水位の低下が進行すれば,臭柏実生の発芽・定着環境だけでなく充実種子生産量の減少が予測され,臭柏の更新が阻害される可能性が高いと考えられた,また,この成果を元にして,臭柏の実生苗の生産に関する技術的な指針を提示した.すなわち,種子充実率が高いと考えられるたん地に生育する個体から毬果を採取,種子を比重選抜したのち,90分の硫酸処理によって発芽促進を行い,播種する.実生苗は,30%の庇陰下で育苗し,十分に鱗片葉をつけた状態で植林に用いるか,看護植物の庇陰下に植栽することが適当である.

以上のように,本論文は,半乾燥地に分布する樹木の生育特性に関して新たな生理生態学的知見を加えるとともに,砂漠化の進む中国の半乾燥地における緑化樹種として最も重要な位置を占める臭柏について,実生苗による植林技術の実用化への扉を開いたということができる.

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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