学位論文要旨



No 125356
著者(漢字) 菅井(二ツ森),睦美
著者(英字)
著者(カナ) スガイ(フタツモリ),ムツミ
標題(和) バキュロウイルス : カイコ発現系による医薬タンパク質生産を目指した基盤研究
標題(洋)
報告番号 125356
報告番号 甲25356
学位授与日 2009.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第518号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 津本,浩平
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 准教授 本田,真也
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

バイオテクノロジーの飛躍的な発展により、生命現象や疾病原因の解明が進み、それを基にした新しい医薬品設計が可能になってきた。また、遺伝子組換え技術の発展に伴いタンパク質医薬品生産開発が推進されてきており、特に高い臨床効果及び安全性から抗体医薬の重要性は益々増加している。抗体医薬を中心としたタンパク質医薬品は、主にチャイニーズハムスター卵巣(CHO)細胞などの細胞培養によって生産されているが、課題も多く残っている。例えば、設備投資やランニングコストが非常に高く、タンパク質医薬品を安定に供給できる製造設備が不足しているといった問題点がある。このような問題点を解決するために、トランスジェニック動植物でのタンパク質生産の実用化が精力的に進められているものの、この生産系については環境的・倫理的な問題の解決が求められている。このため細胞培養やトランスジェニック生物に代わる実用的なタンパク質生産系の確立が望まれている。

新しい医薬タンパク質生産系の候補として1983年テキサスA&M大学のSummersらによって開発された、バキュロウイルス発現系があげられる。バキュロウイルス発現系は高いタンパク質生産能を持ち、ジスルフィド結合・複合体形成・プロセシング・翻訳後修飾が起こるため、組換えタンパク質は本来の活性を有していることが多いという量と質を兼ね備えたタンパク質生産系である。バキュロウイルスは鱗翅目昆虫にしか感染せず動物に感染しないので、安全なタンパク質発現用ウイルスとして幅広く使用されている。バキュロウイルス発現系は昆虫細胞をホストとして用いることが多いことに加え、ホストとしてカイコ虫体を使うことによりさらに多くのメリットが見込まれる。カイコは卵から孵化してから約一万倍にまで急成長するため、高いタンパク質生産能力を持っている。カイコでのタンパク質生産は細胞培養とは異なり、培養タンクなどの大規模設備や大量生産に最適な培養条件の検討が不必要である。カイコはそれ自身が培養タンクであるのでカイコの頭数を増減するだけでタンパク質生産量を調節することができ、また数千年にわたる品種改良と養蚕の技術が集積されていることから大量飼育も容易である。更に、カイコは高度に家畜化されているため餌を自分で探しに行かず、成虫においては空を飛べなくなっているため、逃げ出して野生化する可能性は全くなく、トランスジェニック動植物のように環境への影響を心配する必要がない。加えて、これまでカイコでは動物やヒトに感染する病気が知られていないことから、安全なタンパク質生産ホストであると言える。このようにバキュロウイルスとカイコを組み合わせたタンパク質発現系はコスト・設備・環境・安全性といった点において既存のタンパク質生産系の中で総合的にすぐれている系であると考えられる。

本研究ではこのようなバキュロウイルスーカイコ発現系によるタンパク質医薬品生産を目指した基盤技術を整備することを目的とした。

【結果と考察】

1.FLAG融合タンパク質精製法の改良

FLAGタグは8つの親水性アミノ酸から構成される組換えタンパク質の検出・精製において広く使われているタグである。FLAGタグ融合タンパク質の精製にはFLAG抗体カラムが使用される。その抗体カラムからの目的タンパク質の溶出にはFLAGペプチド競合法を用いることが一般的である。FLAGペプチド競合溶出法は溶出条件が穏やかであるため、目的タンパク質を変性させることなく精製できるものの、精製タンパク質にFLAGペプチドが混入することにより、タンパク質相互作用解析や抗体作製のための抗原調整において悪影響を及ぼす場合がある。また、FLAGペプチド競合法にかわる溶出方法として酸性条件下での溶出法があるが、この方法では目的タンパク質が変性してしまうことが多い。そこで、本研究では微酸性条下でアルギニンがタンパク質間相互作用を非特異的に調節できる性質(1)をFLAG精製に応用し、ペプチド混入や酸性条件によるタンパク質変性が起こらない精製法の確立を目指した。

バキュロウイルスーカイコ発現系で発現させたFLAGタグ融合Caf1タンパク質をFLAG抗体カラムによるアフィニティー精製を行い、FLAGペプチド、酸性グリシン、微酸性アルギニンそれぞれを用いて溶出した。それぞれの条件で溶出したCaf1をゲルろ過により分離したところ、酸性グリシン溶出Caf1はペプチドあるいは微酸性アルギニンで溶出したものより、10分程度遅くゲルろ過カラムから溶出された(Fig1)。このことから微酸性アルギニン溶出条件下では溶出タンパク質の構造が変化していないものの、酸性グリシン溶出条件下では何かしらの構造変化が生じていることが推測された。また、示差走査型熱量測定(DSC)を行った結果、酸性グリシンによる溶出タンパク質はペプチドあるいは微酸性アルギニンによる溶出タンパク質より変性温度が約2度高いことがわかり、このことからも微酸性アルギニン溶出は目的タンパク質の変性を引き起こしていないことが示唆された。本手法によりJNK3、膜蛋白質も同様に精製が可能となり、その有効性も示された(発表論文1)

2.バキュロウイルスーカイコ発現系における分泌タンパク質発現システムの改良

創薬ターゲットあるいはタンパク質医薬として注目されているサイトカイン等の分泌タンパク質は、バキュロウイルス発現系において不溶性になる場合があるという問題点がある。特に、バキュロウイルス発現系におけるシグナルペプチドについては報告例が少なく、効率的な分泌タンパク質発現系の確立が望まれてきた。そこで、本研究ではシグナルペプチドの探索・改良により、バキュロウイルス発現系の分泌タンパク質の分泌量向上を目的とした。

まず、カイコ体内で分泌量が豊富であるいくつかの分泌シグナルを検索したところ、分泌シグナルN末端側に塩基性アミノ酸、中央部に極性アミノ酸があるという分泌シグナル一般的な共通点の他に、C末端側に極性アミノ酸が存在しているということがわかった(table1)。そこで、本研究ではバキュロウイルスーカイコ発現系における分泌シグナルN末端側塩基性アミノ酸、C末端側の極性アミノ酸の影響について検証を行うために、N末端側塩基性アミノ酸及び/あるいはC末端側極性アミノ酸を導入したシグナルペプチドを設計(table2)、その下流にhIL-4、hIL-13あるいはhIL-11受容体細胞外ドメインを融合し、それぞれの分泌量についてELISA法で測定を行った。この結果、hIL-13とhIL-11受容体細胞外ドメインの場合、分泌シグナルN末端側塩基性アミノ酸数が増加すると分泌量が減少していることがわかった(fig3-5)。また、C末端側極性アミノ酸を導入すると分泌量が増加し、更にN末端側塩基性アミノ酸導入により分泌量が減少したものが回復した(fig3-5)。以上から、バキュロウイルス発現系において分泌シグナルC末端側極性アミノ酸は重要な役割を果たしていることが示唆された(投稿論文準備中)。

3.Fc融合タンパク質の発現・精製法改良及び物性解析

抗体は抗原に結合する可変ドメイン(Fab)と、エフェクター機能をもたらす定常ドメイン(Fc)の機能的に独立した2つのドメインから構成される。Fcドメインは長い血漿半減期、Fc受容体結合、プロテインA結合、補体結合、胎盤通過などの機能を有している。これらの機能を付与するために、Fcドメインを融合した治療用タンパク質に注目が集まっている。しかし、Fc融合タンパク質の物性については十分な知見が報告されていない。

そこで、本研究ではFc融合タンパク質発現・精製法の改良及び物性解析を行い、Fc融合タンパク質の医薬品開発を目指した基盤構築を目的とした。

バキュロウイルスーカイコ発現系で発現させたFc融合hIL-4受容体をプロテインAカラムで精製し、その精製タンパク質についてゲルろ過分離解析を行ったところ凝集体が非常に多く存在していることがわかった。そこで、この凝集体を減少させるためにシャペロンタンパク質のPDIあるいはBipとの共発現を行った。PDIとの共発現では凝集体の減少は見られなかったが、Bipと共発現させた場合にはhIL-4受容体の凝集体の割合が55.3%から45.2%へと減少した。このことによりFc融合タンパク質とBipの共発現ではFc融合タンパク質の発現量は減少するものの、より高品質なタンパク質が得られることが示唆された。

【結言】

バキュロウイルスとカイコを用いた発現・精製法の改良を行った本研究により、タンパク質医薬生産実用化への可能性を広げることができた。まだ、バキュロウイルスーカイコ発現系には解決すべき問題は残っているが、今後更に発現系の基盤技術を整備していくことにより医薬品や工業用酵素等、あらゆる有用タンパク質の大量生産が可能になることが期待される。

【参考文献】[1] Einhauer, A., and A. Jungbauer. The FLAG peptide, a versatile fusion tag for the purification of recombinant proteins. J. Biochem. Biophys. Methods. 2001; 49:455-465.[2] Smith GE, Fraser MJ, Summers MD. Molecular Engineering of the Autographa californica Nuclear Polyhedrosis Virus Genome: Deletion Mutations Within the Polyhedrin Gene. J Virol. 1983 May;46(2):584-593.

Fig1 Caf1/FLAGゲルろ過結果

Fig2 Caf1/FLAG DSC結果

Table 1 カイコ分泌シグナル一覧

Table2 設計分泌シグナル一覧

Fig3 hIL-4相対分泌量

Fig4 hIL-13相対分泌量

Fig5 hIL-11受容体細胞外ドメイン相対分泌量

Fig6 hIL-4受容体 ゲルろ過結果

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、バキュロウイルスーカイコ発現系のタンパク質発現量・発現タンパク質の品質及び精製工程の効率化における問題点を解決し、更に効率的なタンパク質医薬品生産を目指すための基盤技術を整備することを目指した研究である。

本論文の大略は次のとおりである。

第一章では、バキュロウイルスーカイコ発現系の特長と課題をまとめ、本研究での目的と意義について述べている。

第二章では、まず、微酸性条件下でアルギニンがタンパク質問相互作用を非特異的に調節できる性質を肌AGタグ精製に応用し、ペプチド混入やタンパク質変性を引き起こさない高効率精製法を目指し、カイコで発現させたシグナルタンパク質Caf/FLAG、kinaseタンパク質JNK3/FLAG及び、大腸菌で発現させた膜タンパク質MsbAを用い、微酸性アルギニンによる溶出試験結果と溶出タンパク質の性状・活性について詳細に述べている。微酸性アルギニンを用いることで、カイコで発現させたCaf/FLAG、JNK3/FLAGともにFLAGペプチド競合法にくらべ、効率よく抗FLAG抗体カラムから目的タンパク質を回収できることを示し、更に精製したCaf/FLAGの性状をゲルろ過クロマトグラフィー、示唆走査型熱量測定及びSPR測定より調べた結果から微酸性アルギニンで溶出したものはほぼnativeに近い構造・活性を保っていることが明らかなった。又、大腸菌で発現させた膜タンパク質MsbAも微酸性アルギニンを用いることで活性のあるタンパク質を非常に効率よく精製できることが示された。このことから、微酸性アルギニンがFLAGタグ融合タンパク質溶出において、非常に有用であることが示された。

第三章では、バキュロウイルス発現系において、シグナルペプチドを改変することによって、分泌タンパク質の発現量増加させることを図った。いくつかの改変シグナルペプチドを融合させた組換えタンパク質(IL-4、IL-13あるいはIL-11受容体細胞外領域)のそれぞれのmRNA量は一定だったが、総発現量及び分泌量の増減が観察された。このことから、本研究で改変したシグナルペプチドは翻訳レベルでの発現量に影響していることが示唆された。これまで、ほとんどアプローチされてこなかったバキュロウイルス発現系における分泌タンパク質の分泌量向上を目指したシグナルペプチドの改変を行ったことにより、医薬品として期待される様々なタンパク質の分泌発現量の改善に寄与できる可能性が示唆された。

第四章では、治療用タンパク質として注目されているFc融合タンパク質をモデルタンパク質としてシャペロンとの共発現により組換えタンパク質の品質を発現レベルで向上させられる可能性が示唆された。

以上の結果について、第五章で総括している。

本研究による成果は、バキュロウイルスーカイコ発現系における高効率なタンパク質生産及び精製のための基盤技術となり、医薬タンパク質や工業用酵素生産開発の発展に大きく貢献することが期待される。

しがたって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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