学位論文要旨



No 125544
著者(漢字) 内山,雄祐
著者(英字)
著者(カナ) ウチヤマ,ユウスケ
標題(和) MEG最初の物理データによるμ+→e+γ崩壊探索の解析
標題(洋) Analysis of the First MEG Physics Data to Search for the Decay μ+→e+γ
報告番号 125544
報告番号 甲25544
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5452号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 竹内,康雄
 東京大学 教授 中畑,雅行
 東京大学 准教授 松尾,泰
 東京大学 教授 斉藤,直人
 東京大学 准教授 川本,辰男
内容要旨 要旨を表示する

素粒子の標準理論において,レプトンのフレーバは保存されている. これは標準理論内ではニュートリノが質量を持たないことの帰結であり,根本にゲージ不変性があるわけではない. 実際,ニュートリノにおけるフレーバ間の遷移,ニュートリノ振動が観測され,ニュートリノにおいてレプトンフレーバが保存されていないこと,及びニュートリノが質量を持つことが示された. しかし,有限のニュートリノ質量を標準理論に取り入れただけでは荷電レプトンにおけるフレーバ非保存過程は観測にかかる程に引き起こされることはない. ニュートリノ振動を通しての荷電レプトンの混合はニュートリノの微小な質量により強く抑制されてしまうためである.

一般に,高エネルギーで成り立つと期待される標準理論を超えた新しい物理では新たなレプトンフレーバの破れの機構が導入される. 超対称性や大統一理論など標準理論を超えた物理として有力な理論内において,荷電レプトンのフレーバ非保存過程が現在の実験技術において観測にかかる程度にまで引き起こされることが予想されている. μ+→ e+γ 崩壊は荷電レプトンにおけるフレーバ非保存過程の代表的な過程である. 現在この崩壊の分岐比には1. 2×10-11 という上限値が実験的に与えられている. この現在の上限値を更新する感度をもった新しい実験を行うことで超対称性大統一理論に代表される高エネルギーでの物理を検証することができる. 標準理論に起因するバックグラウンドがないため,レプトンフレーバ非保存過程の探索は非常に高い感度での新しい物理の探索を可能とする.

我々はμ+→ e+γ崩壊を探る新しい実験,MEG 実験を計画し準備を進めてきた. 2008 年秋から物理データの取得を開始している. 本論文の主題は2008 年秋から冬にかけて取得された,MEG 実験の最初の3ヶ月分のデータを用いて行ったμ+→ e+γ崩壊探索についてである.

μ+→ e+γ崩壊の信号特徴は,放出される陽電子,ガンマ線それぞれがミュー粒子の質量の半分のエネルギー(52.8 MeV) を持つこと,2 つの粒子が同時に,正反対の方向に放出されることがあげられる. 考えられるバックグラウンドは,ミュー粒子の輻射制崩壊,及び無関係な陽電子とガンマ線が偶発的に重なってμ+→ e+γ 崩壊の様に見えるアクシデンタルバックグラウンドがある. このうちアクシデンタルバックグラウンドが頻度としては多く,最終的に実験を制限するバックグラウンド源となる. 陽電子のエネルギー,ガンマ線のエネルギー,2 粒子の時間差,2 粒子の方向間の角度,以上の変数を組み合わせてμ+→ e+γ崩壊信号とバックグラウンドを識別する.

MEG 実験は現在の上限値を2 桁下げる実験感度でμ+→ e+γ崩壊を探索することを目指した実験で,高い感度を実現するために以下の点で非常にユニークな特徴をもっている.

・スイス・ポールシェラー研究所(PSI) にて世界最大強度の直流ミュー粒子ビームを用いる.

・特殊勾配磁場を形成する陽電子スペクトロメータで高計数率の陽電子を効率よく測定する.

・900L 液体キセノンを用いた世界最大の液体キセノンガンマ線検出器でガンマ線を精度よく測定する.

これらの実験装置は2007 年までにすべて完成し,その年コミッショニングランが行われた. 2008 年は再び実験装置を組み上げた後に,較正用データの取得をし,その後物理データ取得を9 月半ばに開始した. 12月末までの3ヶ月間のデータ収集を通して,ターゲット上で~ 10(14) 個のミュー粒子崩壊を測定した.

較正用データを用いて,陽電子及びガンマ線の詳細な再構成方法,較正方法を研究し,一連の解析手法を確立した. ガンマ線検出器の性能は 0 崩壊からの高エネルギーガンマ線を用いて評価した. 陽電子スペクトロメータの性能はミュー粒子の通常崩壊であるミッシェル崩壊からの陽電子を用いて評価した. 得られた検出器性能を表1 にまとめる. 2008 年のランでは,陽電子の飛跡を検出するドリフトチェンバーにおいて,放電現象が多発し安定に運転することができなかった. 得られた性能も期待値を達成していない. 実際にμ+→ e+γ崩壊探索に使用できるミュー粒子の崩壊数は上記の数に検出効率を掛けたものとなるが,性能の制限されたドリフトチェンバーのトラッキング効率等が影響し,(5.2±0.5)×10(11) 個となる. これは物理データ取得中に平行して取得したミッシェル崩壊の観測数を実際に数えることで見積もった. 期待値より少ないが,データサンプルとしては今までで最も大きなものとなっている.

μ+→ e+γ 崩壊探索解析は人為的なバイアスが加わるのを避けるために,ブラインド解析を採用して行った. アクシデンタルバックグラウンドは陽電子とガンマ線に相関がないため,その分布及び頻度を直接信号領域を見ることなく,時間分布が信号領域から離れたサイドバンド領域のデータを用いて評価することができる. 実データからのバックグラウンドの見積りにより,本探索の実験感度は〓と評価した. 現在の上限値に匹敵する感度でμ+→ e+γ崩壊探索を行うことができた.

データサンプル内におけるμ+→ e+γ事象の事象数は,あらかじめ定義しておいた解析範囲内に観測されたイベント分布を信号とバックグラウンドの確率密度分布関数を重ね合わせた分布関数で最尤フィットすることにより統計的に求めた(最尤法解析). フィットの結果,信号事象数の最良推定値はN(sig) = 4:3 である.信号事象数の信頼区間をFeldman-Cousins の方法により頻度主義的アプローチで求めた. 信頼水準90%の信頼区間は系統誤差を含めて0 < N(sig)< 14:7 と得られた. ヌル信号の際,確率が90 %になるまで積分した範囲の中に今回の結果が含まれるということで,結果はゼロと矛盾無い. したがって,μ+→ e+γ崩壊の分岐比に対して,〓の上限値を与えた.

同時に,μ+→ e+γ事象らしいイベントを選択し,あらかじめ定義しておいた信号領域内に残るイベント数を数えることで信号事象数を見積もるカット解析をクロスチェックの観点で独立に行った.期待バックグラウンド数と信号検出効率の観点から感度を最適化する信号領域を定義した.定義した信号領域の信号検出効率は上記の最尤法解析の解析領域内の検出効率に対して0.56となる.サイドバンドデータから見積もられる期待バックグラウンド数は2.1であり,実際信号領域に2イベント観測された.この結果,ポアソン統計により信号事象数に対する信頼水準90 %の信頼区間は0 _ Nsig _ 3:8 と与えられ,μ+→ e+γ 崩壊の分岐比に対して,B(μ+→ e+γ) < 1:3_10(-11) の上限値を与える.この結果は式(1)の感度と近い値を示し,ヌル信号を支持する.

最終的な結果としては,人為的バイアスを導入しないよう,解析結果を見る前にあらかじめ採用を決めておいた最尤法解析の結果を採用する. 本研究で μ+→ e+γ崩壊に対する実験上限値を更新する結果は得られなかったが,同等の感度を持った独立の測定により上限値を与えた. 実験感度に対して大きな上限値の結果は統計的なふらつきと考えられる.

実験感度は現在,測定の統計量で制限されている. 統計を貯めていくことで感度を上げていくことができ,MEG 実験が現在の上限値を更新し新たな感度での新物理探索を行うことは確実となった. 2009 年には不具合を修正したドリフトチェンバーを用いて新たな物理データ取得を行っている. 2009 年データでの期待実験感度をS(2009)= 3.2× 10(-12) と見積もった. ここでもまだ感度は統計で制限される. 現在得られている情報から推測,あるいは期待される検出器の性能向上を仮定して,さらにその後2 年程統計を蓄積していくことでO(10(-13)) に到達することを結論付けた.

表1: 検出器性能のまとめ.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は9章からなる。第1章はイントロダクションであり、研究の背景や動機、及び本研究の概要と本論文の構成についての説明が簡潔になされている。第2章では、μ→eγ崩壊に関する理論的枠組みとこれまでの実験結果に関して包括的なレビューが行われている。第3章では、今回用いた実験装置に関して概要と特長に関しての紹介が行われている。第4章では、今回取得したデータの簡潔なまとめがなされている。第5章では今回用いた事象再構成の方法が詳細に述べられており、第6章ではそれを用いた検出器の較正方法について述べられている。第7章と第8章では、今回行った具体的な解析手法について詳細に説明がなされ、最終的に得られた結果と考察、将来の展望がまとめられている。第9章では、本論文で得られた成果が簡潔に記述されている。

本研究分野では、これまでにμ→eγ崩壊の分岐比の上限値として1.2x10(-11)(信頼度90%)という値がMEGA実験により与えられている。MEG実験では、MEGA実験とは独立に1.2x10(-13)の領域までμ→eγ崩壊の観測精度を高めることを目標にしており、本論文はMEG実験の最初の実験データを用いた解析結果をまとめたものである。この最初の解析結果を得る過程で、検出器の較正作業や解析手法の確立と結果の導出において、論文提出者による大きな貢献が認められる。

本データセットを用いた研究においては、残念ながら検出器のハードウェアの問題が生じたため、十分な統計精度を得ることができなかった。そのため、本論文で得られた分岐比の上限値は2.8x10(-11)(信頼度90%)となった。既存の実験値の更新は達成できなかったが、独立な測定器を用いて新たな解析手法を確立し、従来の結果と同等の上限値の結果を得られたことは、学位論文の内容として学術的意義のあるものと判断した。

なお、本論文第3章から第8章は、MEG実験グループによる共同研究であるが、特に第5章から第8章に関しては論文提出者が主体となって研究を進めたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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