学位論文要旨



No 126068
著者(漢字) 清瀬,一貴
著者(英字)
著者(カナ) キヨセ,カズキ
標題(和) 疾患に関連した低酸素環境を標的とする蛍光プローブの開発研究
標題(洋)
報告番号 126068
報告番号 甲26068
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1333号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 講師 横島,聡
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

低酸素環境は癌、心疾患、脳血管疾患など、我が国の死因の上位を占める様々な疾患と関連している事が示唆されている。このことから、生体における低酸素組織を高感度かつ選択的に検出する事は、上記疾患の基礎研究、さらには早期診断や早期治療の道を開くものと期待できる。これまでに低酸素組織の検出は様々なモダリティで行われており、pimonidazoleを用いた免疫染色法や銅錯体であるCu-ATSMを用いたPETイメージングなど、優れた方法も開発されてきている。しかしながら、前者は、固定した組織でしか使用できない、後者は高価な装置が必要とされ、幅広い普及が望めない等の問題点がある。そのような状況に於いて、簡便性、安全性に優れた蛍光プローブを用いた検出法は殆ど開発されていない。本研究に於いて私は、低酸素環境を蛍光特性の変化として捉える事が出来るプローブを開発し、さらに臨床応用を志向した低酸素環境のin vivoイメージング系の確立に取り組んだ。

【本論】

1. ニトロ芳香族化合物をスイッチとする蛍光プローブの開発

ニトロイミダゾール、ニトロフラン等に代表されるニトロ芳香族化合物は、各種還元酵素や還元物質により、ハイドロキシアミン体を経てアミンへと代謝される事が知られている。また、初発の反応であるニトロ化合物からニトロアニオンラジカルへの還元過程は酸素分子の影響を強く受ける。この過程は換言すると酸素濃度を認識しているという事であり、これを利用して様々な低酸素環境検出試薬が開発されてきた。私は、これらニトロ芳香族化合物を蛍光団と組み合わせることで、ニトロ基の還元によりその構造が変化し、それによる蛍光制御が達成されたプローブが開発できるのではと考えた。この考えに基づき、私は光誘起電子移動(PeT)により蛍光が制御されたプローブを開発することとした。最初に選択したのは、pimonidazole 等にも用いられているニトロイミダゾールである。数種類のプローブを開発したが、いずれも優れた性質は持ち合わせていなかった。そこで、次にニトロフランを低酸素感受性基として選択することとした。ニトロフラン誘導体の中でも、ニトロフリルメチル基は、還元反応によって結合が開裂するという利点を有している。これを利用し、2-Me-4-OMe TG を蛍光団とする蛍光プローブ(TGNF)を開発した。このプローブのニトロフリルメチル基が還元を受け脱離することで、PeT が解消され、蛍光を発する事を期待した。結果、TGNF はラット肝ミクロゾームを用いたモデル還元系に於いて低酸素環境選択的な蛍光上昇を示し、さらにはHL60 浮遊細胞系においても低酸素環境選択的な蛍光上昇を示した。

しかしながら、TGNF は細胞内では酸素濃度に関わらず強い蛍光を発してしまい、低酸素イメージングに供する事の出来ないプローブであることが示された。そこで、新たな酸素センサー分子を探索することにした。

2. アゾ化合物をスイッチとする蛍光プローブの開発

次に私が着目したのはアゾ化合物である。アゾ化合物もニトロ芳香族化合物と同様、還元酵素や還元物質により還元的代謝を受け、その結合が開裂し、吸収を失うことが知られている。この還元過程の初発であるアゾ基からアゾアニオンラジカルへの代謝が可逆的であることから、私はこの過程が酸素濃度依存的であるのではと考えた。そこで、代表的なアゾ色素であるMethyl Red をラット肝ミクロゾームの還元系で処理したところ、低酸素環境でのみ顕著な吸光度の減少が見られた。この結果を受け、私はアゾベンゼン誘導体を酸素センサー兼消光団として用いることで、FRET による消光が達成された蛍光プローブが開発できるのではと考えた。そこでまず、可視光に吸収を有するプローブ(DBTG)を開発したが、これは細胞内で殆ど機能しなかった。DBTG は細胞質に局在している結果が得られていたが、還元酵素の多くは内膜系に存在する事が知られている。このことから、プローブが還元されるには細胞質以外の細胞小器官に局在することが必要ではないかと考えた。そこで、近赤外光領域に検出波長を有し、かつ内膜系に局在すると考えられるシアニンを用いたプローブを開発することとした。消光団として近赤外蛍光色素を含む幅広い蛍光色素の蛍光を消光可能なBHQ-3 を用い、それぞれ波長の異なるプローブ(QCys)を3 種類開発し、そのいずれもがモデル還元系に於いて優れた低酸素環境選択性を示すことを確認した。

3. シアニン色素をスイッチとする波長変化型プローブの開発

アゾ化合物をスイッチとするプローブの開発過程において、シアニン色素だけを比較しても、還元酵素による還元反応に対する反応性が大きく異なる事を見出した。そこで、「非常に還元され易いシアニン」は低酸素感受性基として機能し得るのではと考え、様々なシアニンを還元酵素でスクリーニングし、特に還元され易いシアニンとしてCy7-PH を見出した。

また、それぞれのシアニンの還元電位と反応性との相関を調べたが、特に法則性は見出せず、むしろ色素の電荷が反応性に大きく関与している可能性が示された。次に、全く還元されないCy5-PH およびCy5.5-PH を適切なリンカーによりCy7-PH と結合させたプローブを開発した。Cy7-PH が還元されその吸収を失う事で、FRET 効率が大きく変化し、蛍光レシオ値が大きく変化することを期待した。設計通り、開発したプローブはいずれもラット肝ミクロゾームのモデル還元系において、低酸素環境下でのみ大きな蛍光レシオ値の変化を示した。

4. QCys を用いた生細胞イメージング

QCys をMCF-7 細胞およびA549 細胞に負荷し、イメージングを行ったところ、何れのプローブに於いても低酸素環境下で培養した条件でのみ強い蛍光が見られた。プローブはDBTG とは異なり、細胞質以外の内膜系の細胞小器官に局在している様子が見られた。さらに、QCy5 を負荷した細胞を様々な酸素濃度下で培養したところ、1%以下の細胞でのみ蛍光が見られた。また、1%と0.1%の酸素濃度では、その蛍光強度は0.1%の方が有意に大きかった事から、QCy5 は1%以下の酸素濃度グラジエントを検出できる事が明らかとなった。

5. QCy5 を用いたin vivo 虚血イメージング

開発したQCy5 を用い、動物個体における虚血状態のイメージングを試みた。臓器障害を惹起する機序としての虚血の意義が近年益々重要視されてきており、動物個体における虚血状態をイメージングする系の確立は非常に意義深いと考えられる。最初に、肝臓の虚血状態のイメージングを試みた。マウスにプローブを静脈投与後、肝臓の門脈を結紮し虚血状態にした。この肝臓を蛍光顕微鏡で観察すると、結紮した直後から門脈付近の組織の蛍光強度が上昇し始め、時間経過と共に組織全体の蛍光強度が上昇した。結紮を行わない場合蛍光強度の上昇は殆ど見られなかった事から、血管から組織へと拡散したプローブが確かに肝臓の虚血状態を認識出来ている事が示された。続いて、動物個体におけるマウスの肝臓と腎臓のイメージングを行った。プローブを静脈内投与後、先の実験と同様に血管を結紮した場合にのみ、各臓器の蛍光強度が経時的に上昇した。さらに、結紮の程度により虚血状態を変化させると、その差異が蛍光強度の違いとなって現れた事から、本プローブにより虚血の程度までも判別できる可能性が示された。

【結論】

本研究は、医学・生物学的に非常に重要とされる低酸素環境を標的とする蛍光プローブの開発と、その応用としての虚血状態のイメージング系の確立を目標に進められた。今回開発したプローブは、細胞イメージングにとどまらず、in vivoに於いても臓器の虚血状態のリアルタイムイメージングを可能にしたことから、その目的は十分に達せられたと考えている。プローブの構造修飾等によって生体内での局在や滞留性を変化させる事は十分可能であり、今回確立したイメージング系が今後、虚血性心疾患や脳梗塞といった臨床でも非常に重要な疾患の診断やそのメカニズム解明に寄与する事が期待される。

Figure 1. (A) Structure of TGNF (B) Time-dependent change of the fluorescence intensity of 1 μM TGNF in the presence of rat liver microsome (C) Fluorescence spectra of suspension of HL60 cells (3.3x104 cells) incubated with 10 μM TGNF under hypoxic or normoxic conditions for 14 hours.

Figure 2. (A) Design concept of probes based on azobenzene moieties. (B) Structure of QCy5 (C) Time-dependent change of the fluorescence intensity of 1 μM QCy5 in the presence of rat liver microsome.

Figure 3. (A)Fluorescence confocal microscopy of MCF-7 cells loaded with 1 μM QCy5 (B) Fluorescence intensity of each cells.

Figure 4. Fluorescence image of dissected mouse whose liver and kidney were ligated.

審査要旨 要旨を表示する

低酸素環境は癌、心疾患、脳血管疾患など、我が国の死因の上位を占める様々な疾患と関連しており、生体において低酸素組織を高感度かつ選択的に検出する事は、上記疾患の基礎研究、さらには早期診断や早期治療の道を開くものと期待される。これまでに低酸素組織の検出は様々なモダリティで行われており、pimonidazoleを用いた免疫染色法や銅錯体であるCu-ATSMを用いたPETイメージングなどの方法が開発されてきた。しかしながら、前者は、固定した組織のみであり、後者は高価な装置を必要とする等、大きな問題点がある。そのような状況において、簡便性、安全性に優れた蛍光プローブを用いた検出法が求められている。本研究で清瀬は低酸素環境を蛍光特性の変化として捉える事が出来るプローブを開発し、さらに臨床応用を志向した低酸素環境のin vivoイメージング系の確立に取り組んだ。

1. アゾ化合物をスイッチとする蛍光プローブの開発

まず着目したのはアゾ化合物である。アゾ化合物は還元酵素や還元物質により還元的代謝を受け、その結合が開裂し、吸収を失うことが知られている。この還元過程の初発であるアゾ基からアゾアニオンラジカルへの代謝が可逆的であることから、清瀬はこの過程が酸素濃度依存的であると考えた。そこで、代表的なアゾ色素であるMethyl Redをラット肝ミクロゾームの還元系で処理したところ、低酸素環境でのみ顕著な吸光度の減少が見られた。この結果を受け、アゾベンゼン誘導体を酸素センサー兼消光団として用いることで、FRETによる消光が達成された蛍光プローブが開発できると考えた。そこで、近赤外光領域に検出波長を有し、かつ内膜系に局在すると考えられるシアニンを用いたプローブを開発することとした。消光団として近赤外蛍光色素を含む幅広い蛍光色素の蛍光を消光可能なBHQ-3を用い、それぞれ波長の異なるプローブ(QCys)を3種類開発し、そのいずれもがモデル還元系に於いて優れた低酸素環境選択性を示すことを確認した。

2. シアニン色素をスイッチとする波長変化型プローブの開発

アゾ化合物をスイッチとするプローブの開発過程において、シアニン色素だけを比較しても、還元酵素による還元反応に対する反応性が大きく異なる事を見出した。そこで、「非常に還元され易いシアニン」は低酸素感受性基として機能し得ると考え、様々なシアニンを還元酵素でスクリーニングし、特に還元され易いシアニンとしてCy7-PHを見出した。

また、それぞれのシアニンの還元電位と反応性との相関を調べたが、特に法則性は見出せず、むしろ色素の電荷が反応性に大きく関与している可能性が示された。次に、全く還元されないCy5-PHおよびCy5.5-PHを適切なリンカーによりCy7-PHと結合させたプローブを開発した。Cy7-PHが還元されその吸収を失う事で、FRET効率が大きく変化し、蛍光レシオ値が大きく変化することを期待した。設計通り、開発したプローブはいずれもラット肝ミクロゾームのモデル還元系において、低酸素環境下でのみ大きな蛍光レシオ値の変化を示した。

3. QCysを用いた生細胞イメージング

QCysをMCF-7細胞およびA549細胞に負荷し、イメージングを行ったところ、いずれのプローブに於いても低酸素環境下で培養した条件でのみ強い蛍光が見られた。プローブはDBTGとは異なり、細胞質以外の内膜系の細胞小器官に局在している様子が見られた。さらに、QCy5を負荷した細胞を様々な酸素濃度下で培養したところ、1%以下の細胞でのみ蛍光が見られた。また、1%と0.1%の酸素濃度では、その蛍光強度は0.1%の方が有意に大きかった事から、QCy5は1%以下の酸素濃度グラジエントを検出できる事が明らかとなった。

4. QCy5を用いたin vivo虚血イメージング

開発したQCy5を用い、動物個体における虚血状態のイメージングを試みた。最初に、肝臓の虚血状態のイメージングを試みた。マウスにプローブを静脈投与後、肝臓の門脈を結紮し虚血状態にした。この肝臓を蛍光顕微鏡で観察すると、結紮した直後から門脈付近の組織の蛍光強度が上昇し始め、時間経過と共に組織全体の蛍光強度が上昇した。結紮を行わない場合蛍光強度の上昇は殆ど見られなかった事から、血管から組織へと拡散したプローブが確かに肝臓の虚血状態を認識できる事が示された。続いて、動物個体におけるマウスの肝臓と腎臓のイメージングを行った。プローブを静脈内投与後、先の実験と同様に血管を結紮した場合にのみ、各臓器の蛍光強度が経時的に上昇した。さらに、結紮の程度により虚血状態を変化させると、その差異が蛍光強度の違いとなって現れた事から、本プローブにより虚血の程度までも判別できる可能性が示された。

以上、本研究は、医学・生物学的に非常に重要とされる低酸素環境を標的とする蛍光プローブの開発と、その応用としての虚血状態のイメージング系の確立を目標に進められた。今回開発したプローブは、細胞イメージングにとどまらず、in vivoに於いても臓器の虚血状態のリアルタイムイメージングを可能にしたことから、今後、虚血性心疾患や脳梗塞などの臨床レベルで重要な疾患の診断やそのメカニズム解明に寄与する事が期待される。

これらの成果は薬学において非常に重要な成果であり、博士(薬学)に値するものと評価された。

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