学位論文要旨



No 126071
著者(漢字) 冨樫,将高
著者(英字)
著者(カナ) トガシ,マサタカ
標題(和) 疾患マーカー・アクロレインの新規蛍光検出法の開発
標題(洋)
報告番号 126071
報告番号 甲26071
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1336号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 柴,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 准教授 金井,求
 東京大学 准教授 杉田,和幸
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

高齢社会を迎えている今日、国民が健康で穏やかな老後を迎えるためには、癌や成人病など難治性の疾患を早期に発見し、予防的に対処する事が求められている。このためには疾患のマーカーを高感度、かつ特異的に検出出来る方法が必要であり、国民医療の観点からこれらの検出法の開発は喫緊の課題である。現在用いられている検出法の多くは抗体反応を利用し検出を行うものである。しかしながら、抗体の作成に多大な手間・費用がかかる、測定費用が高価等の理由から疾患の早期発見のための検出法としては欠点も多い。そこで、筆者は安価・高感度・高選択的な疾患マーカー検出法の開発を行う研究に着手した。

対象として、近年注目を集める疾患マーカーの一つであるアクロレインを選択した。アクロレインは、動脈硬化・慢性的腎不全・脳卒中・癌等、多くの疾患との関連が報告されている脂質過酸化による生成物である。また、核酸やタンパク質等の生体成分と高い反応性を示し、それ故に強力な毒性を有している。このアクロレインの検出に関して、後述のm-aminophenolを用いた方法の報告はあるが、高感度かつ簡便な実用的測定法はない。本研究では高感度(検出限界1 μM以下を目標とする)と同時に、HPLCでの分離を必要としない簡便な測定法を開発することを目的に研究を行った。これは、アクロレイン検出による疾患の早期診断を目指すものであり、人々の健康に大きく貢献することが期待出来るものである。

【本論】

既存のアクロレインの測定法としてm-aminophenolによる蛍光法の報告がある。アクロレインとの反応によって生成した7-hydroxyquinolineの蛍光を測定することで定量を行う方法である。しかし、血液中のアクロレイン量を測定する場合、短波長励起のためにタンパク質からの自家蛍光の影響を強く受け、測定時HPLCでの分離が不可欠である。また、反応を塩酸中100 °Cで行う必要があるために生体の状態を反映しているとは言い難く、これらの理由のため汎用されるには至っていないのが現状である。

筆者は蛍光法による検出を手法として選択した。その理由は蛍光プローブによる検出は、本研究の目的である「高感度、安価」という点を達成するにあたり適切であると考えたからである。さて、血漿等の生体成分には非常に多くの夾雑物が存在する。HPLCでの分離無しにその中からアクロレインを検出するためには、アクロレインによってのみ蛍光を発する戦略を構築する必要がある。筆者は不飽和カルボニル化合物の特徴的な反応性を利用することで高選択的な検出を実現出来ると考えた。その反応性とは、二段階に反応させることで二つの化合物のリンカーとなることが出来る、という性質である。手法としては、まずアクロレインにチオール基を持つ蛍光団をマイケル付加させ、カルボニル化合物に変化させる(Figure 1)。この1 step目では蛍光団と反応する他の夾雑物も存在する。次にこのカルボニル基と反応するヒドラジン基を有するmicrobeadsを加える(2 step目)。結果、アクロレインがリンカーとなり蛍光団とmicrobeadsを結合させることが出来る。カルボニル基を持たない化合物は2 step目では反応しない。そして最後にmicrobeadsを洗浄することでmicrobeadsに結合していない夾雑物を洗い流すことが出来る(洗浄)。2 step目でmicrobeadsと反応した夾雑物は洗浄後も残るが、これらは蛍光を発しないため、HPLCで分離精製をしなくともアクロレイン高選択的な検出を実現出来ると予測した。このようなチオール基とヒドラジン基による二段階の認識は、夾雑物が多い中で不飽和カルボニル化合物を検出するのに非常に有効な手法であると考えた。

まず、チオール基を有するプローブとして7-hydroxy-4-mercaptomethylcoumarin (HMC)を合成した(Figure 2 (A))。アクロレインをリンカーとしてHMCとmicrobeadsとを結合させたところ、microbeadsの表面でプローブが強蛍光を発することが確かめられた(Figure 2 (B))。また、調製したアクロレイン溶液に対してアッセイしたところ、アクロレイン濃度依存的に蛍光強度が増大した。しかしながら、微量のアクロレインに対しては、十分なS/N比を得ることが出来なかった。主な原因として、microbeads自体の蛍光が挙げられる。HMCの極大吸収波長(380nm)でmicrobeadsを励起すると微弱ながら蛍光を発し、測定におけるノイズとなり感度を低下させることがわかった。

microbeadsのバックグラウンド蛍光を除去するためには、蛍光団の長波長化、およびmicrobeadsに対する蛍光団の非特異的な吸着の軽減が重要である。様々な蛍光団を検討した結果、tetramethylcarboxyrhodamine (TAMRA)が最適であることがわかった。そこでFigure 3に従ってTAMRAを蛍光団としたプローブであるTAMRA-C2-SHを合成した。

水系溶媒中でカルボニル基に対して高い反応性を有するTentaGel-NHNH2 micobeadsを用いてアクロレインの検出を行った。反応条件を詳細に最適化した結果、最終的に血漿中において非常に高感度にアクロレインを測定出来る系の開発に成功した(Figure 4 (A))。検出限界を算出したところ0.49 μMとなり、目標としていた感度を達成することが出来た。submicromolarの検出限界を達成出来たのは、設計通りmicrobeadsのバックグラウンド蛍光を抑えられたことに因る。また特異性についても検討し、アクロレインに対して高い選択性を有していることを明らかにした(Figure 5 (B))。これらの結果より、m-aminophenolを用いた既存の方法に比べ、血漿中でより高感度な測定を実現したと言える。さらに、開発した手法における反応は温和な条件で進行するため生体の状態を反映した測定が期待出来る。

開発した手法を用いたアッセイ系として、cyclophosphamide (CPA)を投与したマウスの血漿中アクロレイン測定を行った。CPAはアルキル化剤に分類される抗悪性腫瘍剤(抗癌剤)、免疫抑制剤であり、臨床で多く使用されている。しかしながらCPA投与による重大な副作用として、出血性膀胱炎が問題になっており、頻繁に臨床検査(血液検査、尿検査等)を行うなど、状態を十分に観察することが必要になる。その原因物質とされているのがアクロレインである。実際にCPAを静脈注射したマウスの血漿を採取し、開発した方法でアクロレイン測定を行ったところ、生理食塩水を投与したマウスと比較して有意にアクロレイン濃度が増大していることが確かめられた(Figure 6)。

【結論】

筆者は、TAMRA-C2-SHとmicrobeadsを利用しアクロレインに対して高選択的な新規検出戦略を確立した。この手法によって、血漿中のアクロレイン濃度を簡便かつ高感度に分析することが可能となった。実際に、血液中のアクロレイン濃度を増大させることが知られている抗癌剤であるCPAをマウスに投与し、開発した手法で血漿中アクロレイン濃度の増大を観察することに成功した。CPAによって頻繁に引き起こされる出血性膀胱炎はアクロレインが原因物質であることが報告されている。患者のアクロレイン濃度をモニターすることで予防的措置を行うことが可能になり、QOLの向上に貢献出来ると考えている。

Figure 1. Our novel strategy for detection of acrolein.

Figure 2. (A) Synthesis of 7-hydroxy-4-mercaptomethylcoumarin (HMC).

(B) Confocal fluorescence microscopic images of microbeads with or without acrolein.

Figure 3. Synthesis of TAMRA-C2-SH.

Figure 4. Fluorescence assay of acrolein with our method (A) andthe conventional method (B).Data are shown as mean ± SD (n = 3).

Figure 5. (A) Structures of various carbonyl compounds. (B) Selectivity of our method.

Figure 6. CPA mouse assays(* indicates P < 0.05.)

審査要旨 要旨を表示する

癌や成人病など難治性の疾患を早期に発見し、予防的に対処する事が求められており、このためには疾患のマーカーを高感度、かつ特異的に検出できる方法が重要である。しかしながら、現在用いられている検出法の多くは抗体反応を利用するものであり、抗体の作成に多大な手間・費用がかかる、測定費用が高価等の理由から疾患の早期発見のための検出法としては欠点が多い。冨樫君は安価・高感度・高選択的な疾患マーカー検出法の開発を行うことを目的に、近年注目を集める疾患関連分子であるアクロレインを取り上げた。アクロレインは、動脈硬化・慢性的腎不全・脳卒中・癌など、多くの疾患との関連が報告されている脂質過酸化による生成物である。アクロレインの検出に関して、高感度かつ簡便な実用的測定法はない。本研究では高感度と同時に、HPLCでの分離を必要としない簡便な測定法を開発することを目的に研究を行った。

アクロレインの測定法としてm-aminophenolによる蛍光法の報告がある。アクロレインとの反応によって生成した7-hydroxyquinolineの蛍光を測定することで定量を行う方法である。しかし、血液中のアクロレイン量を測定する場合、短波長励起のためにタンパク質からの自家蛍光の影響を強く受け、測定時HPLCでの分離が不可欠である。また、反応を塩酸中100°Cで行う必要があるために生体の状態を反映しているとは言い難く、これらの理由のため汎用されるには至っていない。

冨樫君はHPLCでの分離に代わる簡便な手法として、アクロレインの特徴的な反応性を活用することで高選択的に固相(microbeads)に結合させる戦略を選択した。microbeadsは洗浄が容易で、生体成分に含まれる夾雑物を除去することが可能である。そのため、タンパク質等に由来する自家蛍光を除くことが出来、高感度検出に繋がると考えた。具体的には、まずチオール基を有する蛍光団を生体試料(血漿、血清、尿等)に入れ、アクロレインを捕捉する。その後にカルボニル炭素に対する反応性を有するヒドラジン基を持つmicrobeadsに結合させ、それ以外の夾雑成分をmicrobeadsの洗浄により取り除く。生体内には、チオール基を有する蛍光団に結合する物質がアクロレイン以外にも多く存在する。同様に、カルボニル基を有する生体物質も存在する。しかしながら、その両方と反応した場合に限りmicrobeadsの表面に蛍光団が結合する。つまり、アクロレインがリンカーとなり蛍光団とmicrobeadsが結合し、HPLCによる分離操作を行わずとも簡便・高選択的な検出が実現出来ると考えた。

まず、チオール基を有するプローブとして7-Hydroxy-4-mercapthomethylcoumarin (HMC)を合成した。アクロレインをリンカーとしてHMCとmicrobeadsとを結合させたところ、microbeadsの表面でプローブが強蛍光を発することが確かめられた。また、調製したアクロレイン溶液に対してアッセイしたところ、アクロレイン濃度依存的に蛍光強度が増大した。しかしながら、微量のアクロレインに対しては、十分なS/N比を得ることが出来なかった。その主な原因として、microbeads自体の蛍光が挙げられる。HMCの極大吸収波長(380nm)でmicrobeadsを励起すると微弱ながら蛍光を発し、測定におけるノイズとなり感度を低下させることがわかった。

microbeadsのバックグラウンド蛍光を除去するためには、蛍光団の長波長化、およびmicrobeadsに対する蛍光団の非特異的な吸着の軽減が重要である。様々な蛍光団を検討した結果、tetramethylcarboxyrhodamine (TAMRA)が最適であることがわかった。そこでTAMRAを蛍光団としたプローブであるTAMRA-C2-SHを合成し、水系溶媒中でカルボニル基に対して高い反応性を有するTentagel-NHNH2 micobeadsを用いてアクロレインの検出を行った。反応条件を詳細に最適化した結果、最終的に血漿中において非常に高感度にアクロレインを測定出来る系の開発に成功した。submicromolarの検出限界を達成出来たのは、設計通りmicrobeadsのバックグラウンド蛍光を抑えたことによる。また特異性についても検討し、アクロレインに対して高い選択性を有していることを明らかにした。これらの結果より、m-aminophenolを用いた既存の方法に比べ、より高感度な測定を実現した。さらに、開発した手法における反応は温和な条件で進行するため生体の状態を反映した測定が期待出来る。

続いて、Cyclophosphamide (CPA)を投与したマウスの血漿中アクロレイン濃度測定を行った。CPAはアルキル化剤に分類される抗悪性腫瘍剤(抗がん剤)、免疫抑制剤であり、臨床で多く使用されている。しかしながらCPA投与による重大な副作用として、出血性膀胱炎が問題になっており、頻繁に臨床検査(血液検査、尿検査等)を行うなど、状態を十分に観察することが必要になる。その原因物質とされているのがアクロレインである。実際にCPAを静脈注射したマウスの血漿を採取し、開発した方法でアクロレイン測定を行ったところ、生理食塩水を投与したマウスと比較して有意にアクロレイン濃度が増大していることが確かめられた。

以上、冨樫君はTAMRA-C2-SHとmicrobeadsを利用しアクロレインに対して高選択的な新規検出戦略を確立した。この手法によって、血漿中のアクロレイン濃度を簡便かつ高感度に分析することが可能となった。実際に、血液中のアクロレイン濃度を増大させることが知られている抗癌剤であるCPAをマウスに投与し、開発した手法で血漿中アクロレイン濃度の増大を観察することに成功した。

この新規バイオマーカー検出法は有用であり、その検出原理は他のマーカーにも適用でき、薬学において価値の高い成果であると判断できる。よって冨樫君の業績は博士(薬学)に値すると評価した。

UTokyo Repositoryリンク