学位論文要旨



No 126078
著者(漢字) 米原,光拡
著者(英字)
著者(カナ) ヨネハラ,ミツヒロ
標題(和) 特異なπ電子構造の合成研究と医薬化学への応用展開
標題(洋)
報告番号 126078
報告番号 甲26078
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1343号
研究科 薬学系研究科
専攻 分子薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋本,祐一
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 井上,将行
 東京大学 講師 松永,茂樹
内容要旨 要旨を表示する

【第 1 章 研究背景】

芳香環をはじめとする π電子共役系は医薬化学・材料化学における重要な構成単位であり、それを含む化合物に対する研究は薬学のみならず、医学、理学、工学、農学における重要な研究領域である。筆者は本学博士課程を通じて、非ベンゼン系芳香族化合物のアズレン骨格、二つの二重結合が直交するアレン骨格の特徴ある π共役系に着目し、それらの新規合成法の開拓を行い、医薬化学研究へと応用した。

【第 2 章 アズレン縮合型新規近赤外色素の合成研究】

所属研究室ではこれまでにポルフィリンおよびフタロシアニン (テトラアザポルフィリン) 誘導体を抗がん治療の重要なツールと位置づけ、研究を行ってきた。既存の光線力学療法剤として汎用されるポルフィリン骨格の課題として、増感剤の励起光として赤色光 (600-700 nm) のレーザーを用いていることがあげられる。これら領域において生体細胞内のポルフィリン誘導体は光吸収をおこす。そのため、細胞表層のがん細胞にしか効果がなかったり、正常細胞への毒性といった副作用が引き起こされる。この課題を克服するには「生体の窓」と呼ばれる、細胞組織透過性の高い、より長波長領域 (主に 700-1100 nm) に強い吸収帯を持つ新規色素の開発が望まれている。そこで今回、フタロシアニン骨格に天然の青色色素であるアズレン環の導入を行い、細胞障害性の少ない近赤外光を利用した新たな創薬リード群構築法の確立を目指した。筆者は文献既知化合物である 5,6-dibromoazulene 1 から二段階で 1,3-di-tert-butyl 5,6-dicyanoazulene 2 を合成、引き続き環化検討を行い、環化体 3 を合成した (Scheme 1)。3 は異性体混合物として得られ、逆相HPLC を用いた分離検討により単一異性体 (Cs 対称体) を単離した。この化合物の紫外可視近赤外吸収スペクトルは、紫外可視領域から 1000 nm を超える近赤外領域までの広範囲に吸収帯を持つことがわかった (Fig. 1)。電気化学測定と理論計算による解析の結果、3 は HOMO のエネルギー準位をそれほど変化させることなく、 LUMO のエネルギー準位を低下させることで近赤外領域の吸収帯を獲得しており、酸化分解に強い新規近赤外色素であることが判明した。今回開発した 3 は上述の課題を克服しえる物性を持つことから光線力学療法剤としての有用性が期待される。

【第 3 章 ヒドロキシフェニルアレン構造を有する新規 ER リガンド創製研究】

タモキシフェンをはじめとするヒドロキシスチルベン骨格は、閉経後女性への乳がん治療あるいは骨粗鬆症治療への有効性が期待されるエストロゲン受容体 (ER) 結合性リガンド創製研究において重要な役割を果たしてきた。所属研究室ではヒドロキシスチルベン骨格を拡張したヒドロキシフェニルアレン骨格に新たに着目して研究を行っている。これまでに 4b,c に弱いながらも ERβ選択的アンタゴニスト活性があることを見いだしており、本骨格が ER サブタイプ選択的リガンド創製のリード化合物となる可能性を示唆した (Fig. 2)。一方で、これまでの合成法では構造展開の拡張性が乏しく、さらなる応用研究の妨げとなっていた。この問題を解決するために筆者は置換フェニルアレン骨格の新規合成法開発を目指した (Scheme 2)。

筆者はプロパルギル位に脱離基を有する活性化された三重結合に対する SN2' 型のアレン合成を計画した。この場合、SN2 型の副反応をいかに抑えるかがポイントとなる。従来、アレン合成に用いられていた銅アート錯体では、基質によりその副反応を押さえることが難しいことが知られている。銅アート錯体と亜鉛アート錯体は 1,4 付加反応などの反応類似性から様々な系において比較対象の検討がなされていたが、これまで SN2' 付加反応性に関する知見は乏しかった。塩化亜鉛とアルキルリチウムから調製される各種亜鉛アート錯体とプロパルギルメシレートとを反応させたところ、高 SN2' 選択的にアルキル基やフェニル基が付加した目的のアレン化合物を与えることがわかった (Table 1)。続けて、内山らにより開発されたジアニオン型亜鉛アート錯体 tBu4ZnLi2 から調製される芳香族亜鉛アート錯体とプロパルギルブロマイドとの反応検討を行ったところ、同様に高 SN2' 選択的に目的とする芳香族アレン化合物を与えることがわかった (Table 2)。本錯体は、エステル、アミド、シアノ基といった極性官能基、各種ハロゲン、酸性プロトン、塩基性条件下で脱離しやすい TMS基など、様々な官能基が存在していても効率よく反応が進行した。以上のことから、芳香族アレン化合物をはじめとした一般性の高いアレン化合物合成法として亜鉛アート錯体を経由する新しい方法論を提案することができた。

【第 4 章 芳香族アレン化合物への位置選択的シリル亜鉛化反応の開発】

有機ケイ素化合物は合成化学、材料化学において重要な化合物であり、炭素-炭素多重結合に対する位置選択的シリル亜鉛化反応の開発は一つの課題である。前章で一般的なアレン合成法が確立できたことから、ここでは芳香族アレン化合物を利用する位置選択的シリル亜鉛化反応の開発を目指した。一般にアレン化合物へのシリル金属化反応は単一反応からビニルシラン、アリルシランの 2 種類の異性体が生成し、選択性制御が困難とされる。これまでアレン化合物に対する位置選択的シリル亜鉛化反応の報告例はなく、克服すべき課題であると考えた。1-フェニルアレン11a を基質とし、種々錯体検討を行った結果、特に二配位型亜鉛錯体 (PhMe2Si)ZnMe とモノアニオン型亜鉛アート錯体 (PhMe2Si)3ZnLi を用いた場合、シリル亜鉛化反応が高収率かつ高選択的に進行し、それぞれに対応する exo-/endo-vinylsilane 12a,13a を選択的に与えることがわかった (Table3, Entry 2 & 6)。

この結果は、亜鉛錯体を使い分けることで一つの基質から二つの異なるビニルシランが作りわけられることを意味する。そこで基質一般性検討を行ったところ、ほとんどの基質において官能基選択的に反応が進行し、用いる亜鉛錯体依存的にそれぞれに対応する exo-/endo-選択性を与えることがわかった (Table 4 & 5)。この錯体依存性について明らかにするべく、実験および理論計算を用いた選択性に関する反応機構解析を行ったところ、二配位型亜鉛錯体は速度論的に、モノアニオン型亜鉛アート錯体は熱力学的に、それぞれ exo-/endo-選択性を発現していることを見いだした。以上のことより、これまで難しいと考えられてきた置換アレン化合物から一段階で位置選択的に exo-/endo-vinylsilane 化合物を与える系を確立した。

【第 5 章 総括】

本研究において、ベンゼン系芳香族化合物を軸とする既存の π電子共役系を二次元、三次元的に変化させた構造に着目した研究を展開した。その結果、1) 光線力学療法増感剤として有用なアズレン縮合型新規近赤外色素の創製、2) 亜鉛アート錯体を用いた SN2' 選択的付加反応による、ERβサブタイプ選択的リガンドのリード化合物として有用なヒドロキシフェニルアレン骨格の合成法開発、3) 芳香族アレン化合物へのシリル亜鉛化反応による、合成化学・材料化学的に有用なビニルシラン化合物の選択的合成法開発、を行うことができた。本研究を通じて、医薬化学・材料化学的に有用な新規機能性分子の創製に、π電子共役系の変化に着目する観点が有効であることを示すことができたと考えている。

a) Chem. Eur. J. 2008, 4, 1068; b) Chem. Commun. 2008, 5375; c) J. Org. Chem. 2008, 73, 177; d) Chem.Eur. J. 2008, 14, 10348; e) Chem. Eur. J. 2009, 15, 10280; f) Chem. Asian J. 2009, in press.

Scheme 1. Synthesis of 3

Fig 1. Absorption spectrum of 3

Figure 2. ER inhibitory activities of 4

Scheme 2. Concept of this allene synthesis

Table 1. Allene synthesis with alkyl-zincates and propargylmesylate

Table 2. Aryl allene synthesis with aryl-zincates and propargylbromide

Table 3. Screening of silylzinc reagents with 1-phenylallene

Table 4. Silylzincation of various phenylallene derivatives with (PhMe2Si)ZnMe

Table 5. Silylzincation of various phenylallene derivatives with (PhMe2Si)3ZnLi

審査要旨 要旨を表示する

芳香環をはじめとするπ電子共役系は医薬化学・材料化学における重要な構成単位である、米原光拡提出の論文ではπ電子・共役系の二次元、三次元的な変化に着目した研究を展開し、医薬化学、材料化学的に有用な機能性物質創製を目指した方法論開拓を行っている、その例として、非ベンゼン系芳香族化合物のアズレン骨格、二つの二重結合が直交するアレン骨格の特徴あるπ共役系に着目した研究を展開し、1)光線力学療法用光増感剤として有用なアズレン縮合型新規近赤外色素の創製、2)亜鉛アート錯体を用いたSN2'選択的付加反応による、ERβサブタイプ選択的リガンド創製に有用なヒドロキシフェニルアレン骨格の合成法開発、3)芳香族アレン化合物へのシリル亜鉛化反応による、合成化学・材料化学的に有用なビニルシラン化合物の選択的合成法開発、を報告している。

2章では、これまで合成されていなかったジシアノナフタレンの構造異性体である5,6-ジシアノアズレン(1)の合成ルートを確立し、それを前駆体としてアズレン環をテトラアザポルフィリン環に縮合させた新規近赤外色素の合成研究を行った(Fig.1)。フタロシアニンの一つのベンゼン環をアズレン環に置換したアズレン縮合トリベンズテトラアザポルフィリン(2)では、アズレン環の置換基効果により対応するフタロシアニンと比較し、100nm程度の近赤外化が起きることを見いだした。四つ全ての苓ンゼン環をアズレン環に置換したアズレノシアニン(3)では、1000nmを超える近赤外領域にその最長波長吸収帯を持つ二とを明らかにした。また、サイクリックボルタンメトリーによる電気化学測定および量予化学計算プログラムGaussianを用いた理論計算による考察を行い、3は酸化分解に強い新規近赤外色素であることを明らかにした。光線力学療法の新規光増感剤創製における課題として、色素の近赤外化に伴う酸化分解への不安定化(HOMOのエネルギー準位の上昇}が挙げられる。これまでのベンゼン系芳香族化合物を核とする化学ではこの課題の克服は難しかった。ベンゼン系芳香族化合物にはない分極した構造を持つ、非ベンゼン系芳香族化合物のアズレン環に着目し、π共役系の_二次元的な変化を有効利用することでHOMOのエネルギー準位の上昇を抑えつつ、LUMOのエネルギー準位を低下させる次世代型色素の創製に成功した。

3章では、これまでほとんど合成されていなかったヒドロキシフェニルアレン骨格(4)がERβサブタイプ選択的リガンド創製に有用な骨格となる可能性があることを示した(Fig.2)。その上で、現段階における課題がその骨格の効率的合成法確立であることを提示し、それを解決する手法として亜鉛アート錯体を用いたSN2'選択的付加反応の開発に着手している。

塩化亜鉛と各種アルキルリチウムから調製されるモノアニオン型亜鉛アート錯体R3ZnLi(R=alky1,phenyl)とプロパルギルメシレートとの反応条件検討の結果、高SN2'選択的に反応が進行し、アルキル基あるいはフェニル基が付加した対応するアレン化合物を与えることを明らかにした。また、ジアニオン型亜鉛アート錯体tBu4ZnLi2とヨードベンゼン誘導体から調製される芳香族亜鉛アート錯体tBu3ZnRLi2(R=ay1)とプロパルギルブロマイドとの反応検討を行い、同様に高SN2'選択的に目的とする芳香族アレン化合物を与えることを明らかにした。加えで、反応点周りが立体的に嵩高いなどの要因で反応性がやや劣るプロパルギル誘導体に関しても、CuBrをはじめとした一価銅を触媒として添加することにより効率的に反応が進行し、高SN2'選択的に目的とするアレン化合物を与えることを見いだした。開発した方法論をもとにヒドロキシフェニルアレン骨格が合成できることも示した。亜鉛アート錯体を用いることで多様な置換基を有するアレン化合物の選択的合成法開発に成功した(Fig.3)。

4章では、合成化学、材料化学において重要な有機ケイ素化合物の新規合成法開発を行った。具体的には芳香族アレン化合物を利用する位置選択的シリル亜鉛化反応の開発を目指した。1-フェニルアレンを基質とした亜鉛錯体の検討を行い、二配位型亜鉛錯体(PhMe2Si)ZnMeとモノアニオン型亜鉛アート錯体(PhMe2Si)3ZnLiを用いた場合には、シリル亜鉛化反応が高収率かつ高選択的に進行し、それぞれに対応すうexo-/endo-vinylsilaneを選択的に与えることを見いだした。この結果は、亜鉛錯体を使い分けることで一つの基質から二つの異なるビニルシランを与えることを意味する。多様な官能基を有する芳香族アレン化合物を用い、基質一般性の検討を行ったところ、ほとんどの基質において化学選択的に反応が進行し、用いる亜鉛錯体に依存して、それぞれに対応するexo-/endo-選択性を与えることを見いだした。実験および理論計算を用いた選択性に関する反応機構解析を行ったところ、二配位型亜鉛錯体は速度論的に、モノアニオン型亜鉛アート錯体は熱力学的に、それぞれexo-/endo-選択性を発現していることを見いだした(Fig.4)。一般に置換アレン化合物へのシリル金属化反応は単一基質からexo-/endo-vinylsilane、exo-/ende-allylsilaneの4種類の付加位置異性体が生成し、選択性制御が困難とされている。これまでアレン化合物に対する位置選択的シリル亜鉛化反応の報告例はなかった。亜鉛周りの配位環境を適切に選択することにより付加位置の制御を達成した本検討はシリル亜鉛錯体を用いたはじめての成功例であり、今後の錯体設計において有用な知見を与えうると考えられる。

本論文はπ電子共役系の変化に着目する観点が医薬化学、材料化学的に有用な新規機能性分子の創製に有効であることを示した。アズレン骨格に着目した研究では、アズレン環を含む新しい拡張π電子共役系の構築や機能性分子創製を加速させることが期待される。また、アレン骨格に着目した研究では、アレン構造が特徴的な生理活性を発現する起源となりうることを示唆するとともにアレン化合物が機能性分子前駆体として有用であることを示しており、その新たな合成法確立が多様な機能性分子創製研究の一助となることが期待される。

これらの成果は、博士(薬学)の学位論文として十分に価値があるものと認められる。

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