学位論文要旨



No 126105
著者(漢字) 二木,昌宏
著者(英字)
著者(カナ) フタキ,マサヒロ
標題(和) 有向深谷圏の懸垂定理の一般化について
標題(洋) On the generalized suspension theorem for directed Fukaya categories
報告番号 126105
報告番号 甲26105
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第347号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,幹雄
 東京大学 教授 坪井,俊
 東京大学 教授 河野,俊丈
 東京大学 准教授 今野,宏
 東京大学 准教授 細野,忍
内容要旨 要旨を表示する

本論文においては、有向深谷圏に対するSeidel の懸垂定理を、次数が一般の多項式の場合に一般化することが目的である.これは筆者と植田一石氏による最近の仕事を部分的に一般化するほか、Auroux-Katzarkov-Orlov の積の有向深谷圏に対する予想の特殊な場合となっている.

有向深谷圏はホモロジー的ミラー対称性予想をFano 多様体に拡張する文脈で、Kontsevich により導入された.Fano 多様体のミラーはLandau-Ginzburg 模型だと考えられており、トーリックFano 多様体に限定すれば、ミラーのLandau-Ginzburg 模型を複素トーラス上のLaurent 多項式として構成する方法が知られている(深谷-Oh-太田-小野.一般の場合には巾級数).有向深谷圏は、このLandau-Ginzburg模型の非特異ファイバーにおいて、消滅サイクルで生成される有向A∞圏である.

Seidel は有向深谷圏をLefschetz ファイブレーションのMilnor 格子の圏化と捉え、数学的な基礎付けを行うと共にその「Picard-Lefschetz 理論」を確立した.彼の目的は準射影多様体(この場合は射影多様体の超平面切断の補集合)に付随するLefschetz ファイブレーションの構造を用い、K3 曲面に対するホモロジー的ミラー対称性を証明することにあり、有向深谷圏はその過程で現れる中間的な対象として扱われた.この時点で、有向深谷圏に対する興味は当初のFano 多様体のホモロジー的ミラー対称性の文脈を離れ、純粋に数学的なものになったと考えて良い.

有向深谷圏FukW は任意のexact Lefschetz ファイブレーション(全空間に擬K¨ahler 構造Ωが与えられており、この2 形式が完全形式である)W : X → C に対して定義され、その導来圏がシンプレクティック不変量である.Seidel の定式化では、全空間X の非特異ファイバーに沿った分岐被覆の、自然なinvolution に関して考えたZ/2Z 同変深谷圏が有向深谷圏である.消滅サイクルの基底V で生成される有向A∞圏Fuk→Vという素朴な定義とは双方の導来圏(A∞ 圏の意味の;これは、元の圏Aの加法拡大の対象に「捻れ複体」の構造を入れた圏TwAのホモロジー圏として定義される、三角圏である)を取ることで関係づけられ、両者が同値になることもSeidel による一般論の主張の内である.

有向深谷圏は、主に次元の低い場合に計算されてきた:CP2 のミラーの場合(Kontsevich)、CP1×CP1 のミラー(Seidel)、重み付き2次元射影空間のミラー(Auroux-Katzarkov-Orlov)、トーリックdel Pezzo 曲面とその軌道体のミラー(植田-山崎)、CPn のミラー(二木-植田;未出版)などである.最後の例を除き、これらはいずれもLandau-Ginzburg模型の消滅サイクルの具体的な計算に依存しており、高次元の場合の計算は興味ある問題である.

Lefschetz ファイブレーションの次元を上げる最も基本的な操作は、その懸垂を取ることW A W +u2 である.この操作でLefschetz ファイブレーションの臨界点の集合は不変であることに注意する.Seidel が有向深谷圏を定式化する際に用いた「branched double cover のtrick」は本質的にこの状況の計算を行っており、彼はそれを用いて昨年、有向深谷圏は懸垂で不変であることを示した.

そこでこの次に簡単な状況、すなわちLefschetz ファイブレーションに3 次以上の多項式を足す操作を考える:W A W + ud.あとで述べるように、この状況には元々Fermat 型多項式の場合からも興味があった.このとき、単にud を足したのではW + ud はLefschetz ファイブレーションにならないので、適当にこの項を摂動して考えることにする.一般論から、有向深谷圏の導来圏は摂動には依らないので、どの摂動を考えるかは本質的ではない.

本論文では、ud の特定の摂動fδ (δ は摂動のパラメータ)を考えた時の有向深谷圏Fuk(W + fδ) について考察している.特に、消滅サイクルの取り方などの適切な設定の上で、有向深谷圏Fuk(W +fδ) は双方の深谷圏のテンソルになる事を示した:

定理(二木)/十分小さいδ > 0 に対し、有向A∞ 圏の同値

Fuk(W + fδ)-=FukW (×) Ad-1. (1)

が構成できる.

ただしここで、Ad-1 はAn 型quiver に付随する、d-1 個の対象を持つ圏であり、多項式fδ の深谷圏がこれと同型になることを(示した上で)補助的に使っている.(なお、一般に任意のd 次多項式で二重分岐しかもたないものf に対しDbFukf ~/_ DbAd-1 であるが、我々の状況では、特に導来圏を取る前に同型Fukfδ ~=Ad-1 が成立する.)また、右辺のテンソルは、Ad-1 の高次A∞ 構造が自明であることを利用し個別的に定義したものである.(A∞ 圏同士のテンソルの、dg モデルを経由しない定義は今のところ存在せず、「妥当な」定義はA∞ 構造まで書き下すとかなり煩雑になると考えられるが、この場合それを避けることができる.)さらに、上記の議論をmatching cycle の概念を用いた計算と比較し、導来圏レベルで同じ主張が得られることも見る.

幾つか注意を述べる.まず、本論文では上記の定理はd >_ 2 に対して示しているが、特にd = 2 のとき、これはSeidel の懸垂定理の有向深谷圏に対する主張そのものになる(A1 が自明なA∞ 圏であるため).この意味で、主定理は有向深谷圏に対するSeidel の懸垂定理の一般化である(なお、Seidel は有向でないfull の深谷圏に対する主張も示しているが、我々の定理はそこまではカヴァーしていない).次に、我々の証明はZ上で機能し、特に標数2 の体Z/2Z上で正しい.Seidel の定理はごく技術的な理由から標数2 以外で定式化されており(「branched double cover trick」のため)、Z/2Zでも正しいであろうという注意が行われているが、それを実際に確かめたことになる.

次に、Auroux-Katzarkov-Orlov は前述重み付き射影平面のミラーの論文において「積の有向深谷圏は、導来圏を取った後では有向深谷圏のテンソルと同値になる」:

DbFuk(W1 +W2) ~_ Db(FukW1 (×) FukW2)

という予想を述べており、我々の定理はこの予想でW2 が多項式の場合に肯定的な答えを与えている.なお、先に述べた通りA∞ 圏のテンソルの定義をひとつ確定することも予想の一部分であるとみなして良いが、彼らが現在までのところこの予想を解決していない理由は高次のA∞ 構造に寄与する擬正則円盤の数え上げの適切な定式化が難しいことにあり、これはテンソルの定義の煩雑さと表裏の問題であると考えられている.

また、植田は特異点のミラー対称性の観点から、Fermat 型多項式の有向深谷圏に興味を持っていた.植田と筆者は昨年、Seidel の方法を応用することにより標数2 以外で三角圏の擬同型

DbFuk(f1 + ・・・ + fn) ~= Db(Fukf1 (×) ・・・ (×) Fukfn)

を示したが(参考論文)、本論文の主定理(1)はこの主張をf1 が多項式に限らない一般のexact Lefschetz ファイブレーションの場合に、拡張したものとみなすこともできる.

証明の方法について簡単に述べる.要点は、Lefschetz ファイブレーションの積

W + fδ : W × Σ → C

に対し、消滅サイクルをW とfδ の消滅サイクルを用いて記述し、W-1(0)の擬正則円盤のモジュライから直接(W + fδ)-1(0) の擬正則円盤のモジュライを構成することである.その際、射影(W +fδ)-1(0) → Σによる消滅サイクルの像は本質的にはSeidel のmatching path と言われるものであるが、ホモロジー代数に移行することにより他の状況に一般化可能な議論を行うのではなく、特殊事情を用い擬正則円盤の状況を詳しく見ることで証明を行う.なお、証明の過程で擬正則円盤のモジュライのregularity がどのようにして確保されるかが具体的に分かることも、この方法から得られる知見のひとつであろうと思われる.

審査要旨 要旨を表示する

論文提出者は、有向深谷圏に対するSeidel の懸垂定理の拡張に関する研究を行った。

有向深谷圏は、ホモロジー的ミラー対称性を記述する概念として導入された。シンプレクティックLefschetz ファイブレーションが与えられたとき、ひとつの一般ファイバーの中で、特定の道を選んで各特異ファイバーに対応する消滅サイクルたちは、Lagrange 球面の有限族をなす。これらから作られる深谷圏のある部分圏として有向深谷圏が定義され、その導来圏は、与えられたLefschetz ファイブレーションの不変量となることがSeidel によって確立された。Seidel の一般論を駆使すると、懸垂をとる操作に関して有向深谷圏の導来圏がどう振舞うかを記述することができる。ただし、一般論に訴える際に、標数2の情報は失われる。

二木氏は研究の出発点として、懸垂操作による振る舞いが、導来圏をとる前の代表元を適切に選ぶことによって、直接的な記述を許すことを見出した。この記述の拡張として、懸垂の拡張操作による類似の記述を見出したのが当論文の主結果である。特に、標数2の情報も含めて当論文の方法によって得ることができる。

主定理は「単項式ud の特定の摂動fδ に対してFuk(W +fδ)= FukW (×)Ad-1 が成立する」というものであり、左辺が懸垂の拡張操作である。

先行研究としては、Seidel の一般論のほかに、Auroux-Katzarkov-Orlov による予想がある。これは「積の有向深谷圏は、導来圏を取ったあとでは有向深谷圏のテンソルと同値になる」という予想であるが、その予想には有向深谷圏のテンソルの適切な定義の提出可能性をも含まれていた。二木氏の結果は、この予想を特別な場合に示したものとみなせる。とくに、この特別な場合に二木氏は有向深谷圏のテンソルの適切な定義を提示した。

二木氏の論文では、ホモロジー代数的な定式化とともに、概正則曲線の近似解の摂動によって真の解を見出す解析が議論の中心となっている。後者の解析は概正則曲線の定義域と境界条件の形状が不均一に変形する族を扱う必要があり、一般論には載らない。有向深谷圏の高次積も含めて具体的表示がなされた例として貴重であると考えられる。

よって、論文提出者二木昌宏は、博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51745