学位論文要旨



No 126516
著者(漢字) 矢野,隆光
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,タカミツ
標題(和) MELAS A3243G変異型ミトコンドリアDNAとミトコンドリア転写終結因子mTERFの機能メカニズム
標題(洋)
報告番号 126516
報告番号 甲26516
学位授与日 2010.12.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第642号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 田口,英樹
 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

ミトコンドリアは真核細胞のエネルギー産生を担っている細胞小器官であり、酸化的リン酸化により、化学的エネルギー(ATP)を細胞に供給している。成熟赤血球を除く、ヒト細胞のミトコンドリア内には核DNAとは異なる、マルチコピー性の環状遺伝子であるミトコンドリアDNA(mtDNA)が多数存在している。mtDNAの複製、転写は核遺伝子によって制御されており、mtDNA自体は、酸化的リン酸化に必須な4つの呼吸鎖複合体のサブユニットタンパク質合成に必要な2種類のリボソームRNA(rRNA)、22種類のトランスファーRNA(tRNA)そして13種類のミトコンドリアタンパク質の遺伝情報をコードしている。

近年、このmtDNA上の遺伝子変異が様々な疾患を引き起こすことが次々と報告されている。これらを含めたミトコンドリア機能低下によって引き起こされる疾患は広義にミトコンドリア病と言われ、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患などにもミトコンドリア機能異常が関与していることが今日指摘されている。

このミトコンドリア病で頻度が高い疾患はMELAS (Mitochondrial myopathy, Encephalopathy, Lactic Acidosis and Stroke-like episodes)であり、主に幼児期に発症し、多臓器不全を伴う予後不良の疾患である。MELASの分子遺伝学的病因の約80%はmtDNAのロイシンtRNA (UUR)遺伝子上のミトコンドリア・ゲノム塩基番号3243番におけるアデニン(A)からグアニン(G)への一塩基置換変異(A3243G)である。現在のところMELASの根本的治療法は存在しない。

細胞あたりのA3243G変異型mtDNA量の増減は、細胞核バックグラウンドに依存することが人工融合細胞であるサイブリッド細胞を使った実験で報告されている。今回、我々はA3243G変異型mtDNAを高率に保持するサイブリッド細胞とヒト二倍体繊維芽細胞を融合させたハイブリッド細胞を作成し、細胞融合により導入された細胞核を含む細胞因子がA3243G変異型mtDNAの細胞内相対量にどのような影響を与えるか解析した。

我々は、まず予備実験としてA3243G変異型mtDNAを持つサイブリッド細胞とHPRT(ヒポキサンチントランスフェラーゼ)活性欠損であるLesch-Nyhan症候群患者由来繊維芽細胞とを融合させた。そしてHATで選択後に得られたハイブリッド細胞内のA3243G変異型mtDNA量の著しい減少を観察した。

次に、予備実験におけるX染色体連鎖のLesch-Nyhan変異の実験への影響の可能性を排除するため、正常二倍体繊維芽細胞とハイグロマイシン耐性のA3243G変異型mtDNAを持つサイブリッド細胞との細胞融合を行った。ハイグロマイシンとHATで細胞選択後、細胞クローンを採取し経代を続けた。全てのハイブリッド細胞クローンは115日間ウリジンを含有する完全培地で経代し、細胞あたりのA3243G変異型mtDNA量を放射性ラベルPCRにて定量した。その結果、ハイブリッド細胞内のA3243G変異型mtDNAの割合は減少してゆき、全ての細胞クローンで、細胞培養15経代後には放射性ラベル解析で検出限界以下の量までA3243G変異型mtDNAは殆ど消失していることが判明した(図1)。

我々はこれらの実験から次のような知見を得た。1)哺乳類の受精において卵細胞による精子ミトコンドリアの破壊に伴う父性mtDNAの選択的消失が知られているが、このようなmtDNAの選択的破壊は受精後数十時間以内に起こる急速なものであるのに対して、本研究で観察された変異型mtDNAの減少は、少なくとも週単位の長期的なものであった。2)2種類の由来の異なるミトコンドリア同士の融合、そしてミトコンドリア内の物質交換は遅くとも2週間後には起こることがハイブリッド細胞で既に証明され、報告されている。サイブリッド細胞に導入された繊維芽細胞の核を含む細胞因子が、サイブリッド細胞由来のミトコンドリアを破壊し、A3243G変異型mtDNAの減少に寄与するならば、2週間以上の選択的な変異型mtDNAの消失は起こらない筈であるが、変異型mtDNAの減少は2週間以上の長期に渡って続いた。

以上から、細胞融合後のA3243G変異型mtDNAの減少は、哺乳類における受精で観察されるようなmtDNAの選択的破壊とは別のメカニズムによるものと考えられ、ミトコンドリアの破壊に伴う現象というより寧ろ、ハイブリッド細胞内における野生型mtDNAとA3243G変異型mtDNAでの複製機構または維持機構の何らかの差異が繊維芽細胞由来の核を含む細胞因子の導入により齎されたという考えの方が、長期的なA3243G変異型mtDNAの減少を説明するのに妥当であろうという仮説を提示するに至った。

野生型mtDNAとA3243G変異型mtDNAの複製機構などの差異を考えるにあたって、ミトコンドリアに局在するmtDNA結合タンパク質の一つであるmitochondrial transcription termination factor (mTERF)のミトコンドリア転写終結に必須な13塩基の結合配列内にA3243G変異が存在することから、mTERFが細胞内でのmtDNAハプロタイプの選択におけるデターミナントとなり得る可能性が考えられた。In vitroの実験ではA3243G変異はmTERFタンパク質の結合配列に対する著しい親和性の障害を引き起こすことが既に知られている。

このことを踏まえ、我々はmTERF遺伝子を哺乳類細胞発現ベクターに組み込みA3243G変異mtDNAを持つサイブリッド細胞に導入し、mTERFタンパク質を強制発現させ、A3243G変異mtDNAの細胞あたりの相対量にどのような影響を与えるかを調べた。コントロールとしてmTERF遺伝子が組み込まれていない発現ベクターを細胞に導入した。薬剤選択したのち、出現した細胞クローンをコントロールベクター、mTERF遺伝子を組み込んだベクター(pTER2)とでそれぞれ取得し、クローンごとの変異率を調べた。コントロールの細胞クローンでは変異の減少、増加の何れの方向へのシフトも見られなかったが、pTER2を組み込んだサイブリッド細胞では高い変異率を持つ細胞クローンが多数、統計学的有意に得られ、mTERF遺伝子の過剰な発現が細胞内におけるA3243G変異型mtDNAの増加に大きな役割を果たしていることを示した。この結果はmTERFがサイブリッド細胞内において、野生型mtDNAとA3243G変異型mtDNAの細胞内選択におけるデターミナントと成り得る可能性を示している。

次に、mTERF遺伝子の発現の減少が、mtDNAの細胞内の量にどのような影響を与えるかを調べるため、small interfering RNA (siRNA)によるmTERF遺伝子発現のノックダウンを行なった。mTERF遺伝子のメッセンジャーRNA(mRNA)に対するsiRNAをヒト繊維芽細胞に導入した後、real-time 定量RCR法でmtDNA量の変化を5日間モニターした。結果、siRNAを導入することにより、mtDNAの細胞あたりのコピー数は次第に増加し、導入5日後では導入前の3.5倍以上に増加することが判った。このことからmTERFはヒトmtDNAの複製機構における抑制因子として働いていることが示唆された。

近年、mTERFの従来考えられてきた機能が、in vitroとin vivoの実験結果の相違から、疑問視されつつある中、新たに見出されたmTERFが引き起こすとされる現象にmtDNAの複製停止があるが、この現象と今回我々のmTERF発現のノックダウンの実験結果から想定したmTERFの機能についての見解は一致している。

以上のことから、野生型mtDNAとA3243G変異型mtDNAの複製機構の相違を説明する分子モデルが考えられた(図2)。この分子モデルではA3243G変異によってmTERFタンパク質とmtDNAとの結合の親和性に障害が惹起される為、mTERFによる野生型mtDNAの複製停止に対してA3243G変異型mtDNAでは複製停止が不十分であり、野生型mtDNAに較べ多くのrun-off鎖の生成が高頻度に起こることになる。本研究のmTERF遺伝子発現を亢進させた実験系でのA3243G変異型mtDNAが細胞内で増加してくる現象は、この分子機構モデルで説明出来るのではないかと考えられた。

我々は、この分子モデルに従い、塩基配列特異的にDNAに結合する有機化合物であるpyrrole-imidazole polyamide(PIポリアミド)を分子デザイン・合成し、これによりサイブリッド細胞内における野生型mtDNAの複製を促進することを試みた。A3243G変異型mtDNAを高率に保持するサイブリッド細胞を、実際このPIポリアミドで処理したところ、野生型mtDNAの増加を観察した(図3)。このことから、我々の考えている前述の分子機構モデルは、まだ完全には証明されていない部分もあるが、概ね正しいのではないかと考えている。そしてPIポリアミドによるサイブリッド細胞での野生型mtDNAを選択的に増加させる戦略は、ミトコンドリア病MELASの新たな治療法に繋がる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は三章からなっており、第一章では、A3243G変異型mtDNAを効率に持つMELASサイブリッド細胞と正常組織由来繊維芽細胞を融合させることで、変異型mtDNAが消失することを示し、次のことを明らかにし考察した。すなわち、ミトコンドリアの融合が完了する2週間後以降もA3243G変異型mtDNAの減少は進行した。またmtDNAの消失は漸次的であり、受精時に見られるようなミトコンドリアの破壊に伴うmtDNAの急激な消失ではない。以上のことから変異型mtDNAの消失はミトコンドリアの破壊に伴う変異型mtDNAの破壊というより、野生型と変異型mtDNAとの複製機構または維持機構の何らかの差異と考えられた。本研究で扱っているA3243G変異はミトコンドリア転写終結因子mTERFのmtDNAの結合配列内に存在し、この変異はmTERF結合配列への親和性の障害を引き起こすことがin vitroの実験で既に示され、またmtDNA複製の課程でmTERFが複製反応に影響する因子であるとする報告もあることから、野生型mtDNAと変異型mtDNAの細胞内選択のデターミナントである可能性が強く示唆された。

第二章では、このmTERFが実際mtDNAのデターミナントとしてA3243G変異型mtDNAの挙動にどのような影響を与えるかどうかを調べるため、mTERF遺伝子を哺乳類細胞発現ベクターに組み込み、サイブリッド細胞に導入し、mTERFを発現亢進させ、変異率の変動に関与している因子であるかを解析した。また正常細胞の内在性mTERFをsiRNAにてノックダウンし、mtDNAの複製機構における制御機能を解析した。実験結果から、mTERFの発現亢進はA3243G変異型mtDNAの増加に関わっていること、またmTERFの機能低下により、細胞内のmtDNAのコピー数が増加することから、mTERFは複製に対して抑制的機能を有すること、これらのことが実験で示され、以上の実験結果を充足する、細胞内でA3243G変異型mtDNAが増加してくる分子機構メカニズムを提唱した。

第三章では、第二章で提唱したA3243G変異型mtDNAとmTERFとの相互作用を説明した分子機構モデルに従って、野生型mtDNAへのmTERFの結合をPIポリアミド(ML1ポリアミド)で選択的に阻害することにより、野生型mtDNAの複製の促進を試みた。その一連の実験で、mTERFの野生型mtDNAの結合配列への結合を阻害するよう分子デザインされたML1ポリアミドは、EMSAによりin vitroでターゲットDNAに塩基特異的に結合すること、またin vivoでも、ミトコンドリア内に移行し、mtDNAのターゲット配列に結合して、mTERFタンパク質の結合を阻害していることがmIPアッセイの実験結果で示された。また実際、ML1ポリアミドをサイブリッド細胞の生育している培地に加えて培養することで、サイブリッド細胞内の野生型mtDNA量を選択的に細胞内で増加させ、期待された効果を認めた。また効果を持つ濃度範囲内のML1ポリアミドで処理した培養細胞には、通常のDMEM培地で一週間培養しても、何ら変化は認められないことから、ML1ポリアミドによるmTERFの結合阻害が引き起こされても、mTERFの転写終結機能/ミトコンドリアrRNA合成は他のメカニズムによって代償されているか、ミトコンドリアrRNAの合成の為の転写終結が主要な機能とされているmTERFの本来の役割が別の処にあるのだろうとも言える。このことは、ミトコンドリアrRNAが合成されないことに起因する副作用が現れない理由と考えられた。これはA3243G変異を持つサイブリッド細胞やMELAS患者由来組織でもミトコンドリアrRNAが合成されている報告に合致している。以上のことから、ML1ポリアミドは、現在有効な治療法が存在しないMELASの新たな治療薬に繋がる可能性がある。

なお、本論文は第一章から第三章の論文全般にかけて上田卓也博士の指導の下、東京大学柏キャンパス新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻、分子医科学分野の研究施設を使用し行なわれた研究である。また第一章の一部の実験は田中雅嗣博士が当時所属していた岐阜国際バイオ研究所の研究施設を、第二章の一部の実験は福田昇博士の日本大学医学部細胞再生移植医学分野の研究施設を、そして第三章は永瀬浩喜博士の日本大学医学部癌遺伝学分野の研究施設を使用し行なわれた研究であるが、論文提出者が主体となって発案したアイディアに基づき実験計画を立案、実験分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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