学位論文要旨



No 126839
著者(漢字) 菊川,雄司
著者(英字)
著者(カナ) キクカワ,ユウジ
標題(和) 二欠損型シリコタングステートと金属イオンとの反応による新規ポリオキソメタレートの合成と触媒特性に関する研究
標題(洋)
報告番号 126839
報告番号 甲26839
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7480号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 水野,哲孝
 東京大学 教授 藤田,誠
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 准教授 小倉,賢
 東京大学 准教授 山口,和也
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

ポリオキソメタレート(POM)はMO6ユニット(M=W6+、Mo6+など)を基本骨格とするアニオン性酸化物クラスターであり、有機金属錯体ではみられない高い耐熱性、耐酸化性を有する。また、POMは高い分子性を有し、その構成金属イオンの一部を他の金属イオンで置換することで、置換金属種の数および幾何構造を原子レベルで制御することもできる。このように合成されたPOMは優れた触媒として機能する、あるいは酸化物触媒の反応活性点の良好なモデルとなりうる。これまでに、二欠損型POM [SiW10O36]8- (SiW10)にTi4+、V5+、Fe3+、Cu2+などを置換したPOMが合成され、種々の有機合成反応(特に、酸化反応)に対して高い活性を示すことが報告されている。しかしながら、金属置換POMの合成法は、その金属種により特異的であり、系統的な合成法は未だに確立されていないのが現状である。

本研究では、新規POMの系統的な合成法の確立を目指して、(1)水溶液中でSiW10と金属イオンとの反応、(2)有機溶媒中でSiW10と金属イオンとの脱水縮合反応の精密制御、を行った。このような手法での金属置換POM合成の報告はない。その結果、(1)の手法で、これまでに合成が困難であったAl3+、Zr4+、Hf4+を置換したPOMの合成に成功した。(2)の手法で、様々な多核構造を有する金属イオンを置換したPOM(例えば、Zn2+、Co2+/3+など)の合成に成功した。さらに、これらの方法は先述した金属種のみにとどまらず、様々な金属種にも適応可能で、一般性が高いことも明らかにした。

2. 水溶液中での新規ポリオキソメタレートの合成と触媒特性

pH3.8に調整した水溶液中でK8[SiW10O36] (K-SiW10)と二当量のAl(NO3)3を反応させることでアルミニウムPOM TBA3H[{Al(OH2)}2(μ-OH)2SiW10O36]・4H2O (Al2, TBA=テトラブチルアンモニウム)を合成した(収率43%、Figure 1)。CD3CNとDMSO-d6の混合溶媒(2:1、v/v)中でAl2の29Si NMRを測定すると、-83.9ppmに単一のシグナルが観測された。183W NMRでは3本のシグナルが-72.1、-124.8、-132.8ppmに強度比2:1:2で観測された。したがってAl2が溶液中で単一種として存在し、C2v対称の骨格構造を保持していることが明らかとなった。

アセトニトリル中でAl2をピリジンと反応させ静置すると、無色結晶(Al2py, Figure 2)が得られた(収率52%)。IRスペクトルから、Lewis酸点に配位したピリジン分子、Bronsted酸点に配位したピリジン分子(ピリジニウムカチオン)に帰属される吸収帯が確認でき、そのモル比が2:1であることが明らかとなった。単結晶X線構造解析より、Al2pyはアニオン一分子に対して三つのピリジン分子を有し、そのうち二つはAl3+のaxial位に配位していること、その分子間距離が3.64Aであることからπ-π相互作用により安定化していること、が明らかとなった。もう一つのピリジン分子はピリジニウムカチオンとして存在していることが明らかとなった。したがって、Al2分子は二つのLewis酸点(Al3+のaxial位)と一つのBronsted酸点(H+)を有することが明らかとなった。

化合物Al2を触媒とした(+)-シトロネラール(1)の分子内環化反応を検討した(Table 1)。この反応では四種類の環化生成物が得られる。このうち(-)-イソプレゴール(2a)はさらに水素化することにより工業的に重要な(-)-メントールへと変換できることから2aをジアステレオ選択的に合成することが重要となる。工業的にはZnBr2を用いることで92%のジアステレオ選択性を実現しているが、ZnBr2は量論量用いられ、化学選択性も80%と低い。そのため、高い化学選択性、ジアステレオ選択性を示す触媒反応系の開発が切望されている。化合物Al2を触媒として反応を行うと、環化生成物が化学選択性99%、2aへのジアステレオ選択性87%であった(Table 1)。この値は既報の反応系と比較しても最高レベルであった。二欠損POM TBA4H4[SiW10O36] (TBA-SiW10)では反応は進行せず、Al(NO3)3や一置換体 TBA4H[SiW11O39Al(OH2)]・3H2O (Al1)ではAl2ほどの高い活性、ジアステレオ選択性を示さなかった。さらに、ピリジン、2,6-ルチジンを添加して、Al2による環化反応を行ったところ、ピリジンでは添加量の増加に伴い反応初期速度が低下するが、2,6-ルチジンを添加した場合、反応初期速度、ジアステレオ選択性は変化しなかった(Figure 3)。ピリジンはLewis酸点、Bronsted酸点の両方に配位できるが、2,6-ルチジンは立体障害によりBronsted酸点のみに配位できる。以上より、Al2がLewis酸触媒として作用していることが明らかとなった。また、DFT計算より、2aへの遷移状態構造が、他のジアステレオ異性体と比べて、立体的、エネルギー的に最も生成しやすいため、2aへの高いジアステレオ選択性が実現したことが明らかとなった。

また、pH3.0に調整した水溶液中でK-SiW10とMOCl2 (M=Zr、Hf)を反応させることでジルコニウム、ハフニウムPOMをそれぞれ合成した。ジルコニウム、ハフニウムPOMは合成時の量論を制御することで二核構造を有するPOM (Zr2、Hf2)、四核構造を有するPOM(Zr4、Hf4)をそれぞれ作り分けることに成功した。

3. 有機溶媒中での新規POMの合成と触媒特性

これまで、K-SiW10とMn2+、Co2+、Ni2+、Zn2+などの3d金属イオンとの反応は数多く試みられているが、POMのγ-Kegginの骨格構造を保持して、多核構造は構築できない。これは、従来POM合成は酸性水溶液中で行われており、(1) これらの金属イオンは酸性水溶液中で単核種として溶存している、(2) K-SiW10は水溶液中で不安定で異性化しやすい、(3) 対カチオンのK+が多核構造構築を阻害している、ためである。これらの金属イオンを置換するために、新たな合成法の開発が必要であった。

二欠損型POM TBA4H4[SiW10O36] (TBA-SiW10)は欠損部位に四つのH+を有し、これらが金属イオンと交換可能であると考えられる。また、アルカリ金属を持たず、有機溶媒中で扱えるため、余分な水を使わなくてすむので、縮合、分解などを抑えることができる。実際に、TBA-SiW10とZn(acac)2 (acac =アセチルアセトナート)をアセトン中で反応させると、CSI-MSスペクトルで、反応直後にTBA-SiW10に帰属されるシグナル(m/z 3623)が消失し、m/z 7364.7に[TBA9H4Si2Zn4W20O74]+に帰属可能なシグナルが観測された。反応により新たに生じた化合物 (Zn4)はジエチルエーテルを加えることで収率>90%で回収可能であった。単結晶X線構造解析より、四核構造[{Zn(OH2)(μ3-OH)}2{Zn(OH2)2}2]6+が二つのSiW10で挟まれた構造であった(Figure 4)。元素分析よりZn4の組成はTBA8[{Zn(OH2)(μ3-OH)}2{Zn(OH2)2}2{HSiW10O36}2]・9H2Oであった。アセトンと水の混合溶媒(10:1 v/v)中でZn4の29Si NMRを測定すると、-83.9ppmに単一のシグナルが観測され、183W NMRでは5本のシグナルが-97.2、-112.2、-124.7、-144.8、-169.7ppmに強度比1:1:1:1:1で観測された。したがってZn4が溶液中で単一種として存在し、POMの骨格構造を保持していることが明らかとなった。

過酸化水素を酸化剤とした2-シクロヘキセン-1-オール(3a)の酸化反応(Table 2)では、TBA-SiW10を触媒とするとエポキシアルコール(3c)の選択性が高かった。Zn(acac)2では反応は進行しなかった。化合物Zn4ではエポキシ化が完全に抑えられ、2-シクロヘキセン-1-オン(3b)のみが選択的に生成した。

化合物Zn4は種々の二級アルコール酸化反応に高い活性を示した(Table 3)。プロパルギルアルコール(4a)は過酸化水素、分子状酸素を酸化剤とした触媒反応が困難であったが、高い過酸化水素有効利用率でα,β-アルキニルケトン(4b)が得られた。シクロプロピルフェニルアルコール(5a)では開環生成物が得られなかったことから、フリーラジカル中間体を経由せずにアルコール酸化反応が進行したことが明らかとなった。環状、鎖状脂肪族アルコール(6a-8a)でも対応するケトン(6b-8b)が得られた。反応終了後にジエチルエーテルを加えることで触媒が回収でき、再使用が可能であった。また、TBA-SiW10とZn(acac)2を混合し、in situで調製した触媒でも同様の活性を示すことが明らかとなった。

この合成法は、Sc3+、Y3+、La3+、V4+、Mn2+、Co2+/3+、Ag+でも合成が可能であり、一般性が高いことが明らかとなった。

Figure 1.ORTEP representation of the anion part of AI2.

Figure 2.ORTEP representation of the anion part of AI2py.

Table 1.Intramolecular cyclization of (+)-citronellal.[a]

Figure 3. Rates for the cyclization of 1 as a function of the amount of bases added:(a)pyridine and (b)2,6-lutidine.

Figure 4. ORTEP representation of the anion part of Zn4.

Table 2. Oxidation of 2-cyclohexen-1-ol.[a]

Table 3. Oxidation of various secondary alcohols.[a]

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「二欠損型シリコタングステートと金属イオンとの反応による新規ポリオキソメタレートの合成と触媒特性に関する研究」と題し、全4章で構成されている。

第1章は緒言であり、これまでに報告されている二欠損型γ-Keggin ポリオキソメタレートの触媒特性、二欠損型γ-Keggin ポリオキソメタレートを分子鋳型とした金属置換ポリオキソメタレートの合成とその触媒特性についてまとめている。これまでに報告されている多核金属構造を有するγ-Kegginポリオキソメタレートは置換金属種の特異的な幾何構造を利用した高機能触媒として作用するが、その合成法は金属ごとに異なり、金属原料、pH、温度、化学量論など合成条件を厳密に制御する必要があり、系統的な合成法が確立されていないことを明示している。二欠損型γ-Kegginポリオキソメタレートと3d金属カチオンを反応させると、γ-Keggin骨格構造が異性化してしまう、あるいは、単核で置換されてしまうため、多核3d金属構造を有するポリオキソメタレートを合成するために、新しい合成手法を着想する必要があることを明示している。

第2章では、水溶液中での新規ポリオキソメタレートの合成と触媒特性について検討している。pHを厳密に制御することでアルミニウムポリオキソメタレートを合成し、電位差滴定、ピリジンとの反応により酸性質を明らかにしている。また、(+)-シトロネラールの分子内環化反応において、アルミニウムポリオキソメタレートがLewis酸触媒として、(-)-イソプレゴールを90%という高いジアステレオ選択性で得られることを明らかにしている。この値は既報と比較しても最高レベルであることを明らかにしている。また、ジルコニウム、ハフニウムポリオキソメタレートにおいて、合成時の化学量論を制御することで二核、四核ジルコニウム、ハフニウム構造を有するポリオキソメタレートを作り分けられることを明らかにしている。

第3章では、有機溶媒中での新規ポリオキソメタレートの合成と触媒特性について検討している。水溶液中での合成が困難であった多核3d金属構造を有するポリオキソメタレートに対し、有機溶媒中で二欠損型ポリオキソメタレートと金属イオンとの脱水縮合反応を精密に制御することで合成するというこれまでにない手法を着想した。アセトン中で二欠損型ポリオキソメタレートと亜鉛アセチルアセトナートを反応させることで速やかに四核亜鉛構造を有するポリオキソメタレートを合成し、単結晶X線構造解析により構造を明らかにしている。亜鉛ポリオキソメタレートは二価の多核3d金属構造を有する初めての報告例である。亜鉛ポリオキソメタレートは過酸化水素を酸化剤とした二級アルコールの酸化反応に高い触媒活性を示すことを明らかにしている。アリル型アルコールの酸化反応では、エポキシアルコールが生成するタングステン触媒とは異なり、エノンのみが選択的に生成することを明らかにしている。さらに、この合成法はSc3+、Y3+、La3+、Fe2+、Co2+/3+、Ni2+、Ag+などの金属種にも適応可能であり、一般性の高い合成法であることを明らかにしている。

第4章は全体の総括である。以上のように、本論文では、水溶液中、有機溶媒中で新規ポリオキソメタレート合成法を確立し、その触媒特性を明らかにしている。本論文により、これまで困難であった多核金属構造を有するγ-Kegginポリオキソメタレート合成が容易になるため、金属カチオン同士の相互作用や、ポリオキソメタレートと多核金属構造の相互作用による特異的な、強磁性、反強磁性や、多電子移動、混合原子価錯体生成を検討することができる。また、生体内酵素にはその活性中心に多核の金属構造を有するものがあり、多核金属構造を有するγ-Kegginポリオキソメタレートが人工酵素として高い触媒活性を示す可能性が示唆されている。これらの物性を金属の種類、数、幾何構造を変えて系統的に検討でき、新規な機能性材料の設計指針となる点で学術的にも波及効果は大きいと考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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