学位論文要旨



No 126843
著者(漢字) 陳,
著者(英字)
著者(カナ) チン,ケイ
標題(和) アゾベンゼン含有ポリマーを認識するペプチドの探索、評価及び応用
標題(洋)
報告番号 126843
報告番号 甲26843
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7484号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 教授 工藤,一秋
 東京大学 准教授 芹澤,武
 東京大学 講師 須磨岡,淳
 東京大学 教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

近年、外部刺激をもとに反応結合などの人工制御することを目指した研究が盛んに行われている。外部刺激として光、温度、pH、電場などが用いられる。これらの外部刺激の中で、反応系を汚染せずに、場所と制御のタイミングを自由に選択できるという意味で光刺激が特に有効である。光制御において光異性化分子は重要な役割を果たしている。なかでも、光照射によりトランス体あるいはシス体に異性化するアゾベンゼン分子がよく注目されて研究されている。

一方、ファージディスプレイ法に代表されるコンビナトリアルケミストリーによって、いくつかの有機、無機マテリアルを認識するペプチドが得られている。無機マテリアルにおいては金属、酸化物、半導体、それぞれに特異的に結合するペプチドが得られており、有機マテリアルにおいては炭素結合のみで構成されるカーボンナノチューブ、カーボンナノホーン、フラーレンにそれぞれ特異的に結合するペプチドが得られている。さらに最近では、クロリンドープしたポリピロールやポリメタクリル酸メチルなどに結合するペプチドが得られている。これらの得られたペプチドは金属結晶の生成触媒、ナノ粒子の集積、半導体基板のパターニング、水に溶けにくいターゲットマテリアルの分散剤及び修飾剤などといった様々な応用に適用可能である。このように、人工マテリアルに結合するペプチドは現在、さらなる発展段階に入りつつある。

合成ポリマーは、官能基が限定されているという構造的な特性から分子認識の標的として非常に魅力的なマテリアルである。我々は合成ポリマーが有する一次構造、立体規則性、らせん状高分子の巻き方法方向及びそれらの集合構造に着目し、それらを識別可能なペプチドの創製と応用を目指している。光刺激に応答するポリマーとして、アゾベンゼン含有ポリマーがよく研究されている。ポリマーの側鎖にアゾベンゼンを導入する場合、モノマーの構造が自在に設計でき、またポリマー鎖上のアゾ基の密度も制御できる。さらに、ポリマーはそのものを材料としての利用できる。そこで本研究では、新たに合成したAzo-HEMA共重合体をファージディスプレイ法のターゲットとして用い、ポリマーの側鎖に導入したアゾ基の光異性に基づき結合特性がスイッチング可能なペプチドの同定を目指した(Figure 1)。

【結果・考察】

1. Azo-HEMA共重合体の合成及び評価

アゾ基の密度を疎にするため、HEMA(2-hydroxyethylmethacrylate)と共重合した(Figure 2)。選んだHEMAはアゾモノマーと共重合しやすく、構造がシンプル、親水的である。合成したAzo-HEMA共重合体はGPC(gel permeation chromatography)により分子量(Mn)が21200で、分子量分布(Mw/Mn)が1.69であることが分かった。1H NMRにより、ポリアゾベンゼンとポリHEMAの比率は1:2であることが分かった。Azo-HEMA共重合体のクロロホルム溶液をスピンコート(2000 rpm)により厚さが40nmのフィルムを調製した。このフィルムにUV照射すると異性化できることをUV吸収測定により確認した。

UV照射前後のポリマーフィルムの水中空気の接触角をTable 1に示す。UV照射したフィルムの接触角は可視光下でのフィルムより大きかった。この結果はシス体アゾベンゼンがトランス体アゾベンゼンより親水的であるという報告と一致した。異性化による接触角の変化はフィルムの表面にアゾ基が出ていることが示唆された。

RP-HPLCの結果から、アゾモノマーは可視光下、アセトニトリルと水の混合溶液中では可視光下、トランス:シス=78:22で、UV照射後にはトランス:シス=27:73に変わった。可視光で、ファージ水溶液を用いて探索するため、Azo-HEMA共重合体フィルム表面にトランス体とシス体の割合はモノマーと同じだ(トランス:シス=78:22)と仮定した。

2. Azo-HEMA共重合体を認識するペプチドの探索及びクローン評価

可視光の下でAzo-HEMA共重合体フィルムをターゲットとして、ファージディスプレイ法を用いてスクリーニングを行った。7-merのランダムなペプチド配列を提示するファージライブラリーを用いた。Biopanningを四ラウンドまで行ったところ、ファージの回収率が上がった。四ラウンドのファージクローンの配列を27個読んだ結果をTable 2に示す。ペプチド配列の相同性から考えると、WHTXPNA(Xは疎水的なアミノ酸)がAzo-HEMA共重合体フィルムに特異的な結合するモチーフであることが示唆された。ペプチドc16はモチーフとよく一致した。

ELISAs(Enzyme-linked immunosorbent assays)により、Azo-HEMA共重合体フィルムに対するファージクローンの結合を評価した。クローンの濃度を10~200 pMの間で変化させ、各濃度におけるトランス体、シス体フィルムに対する結合量を定量した。結合量は濃度に対して飽和型の曲線を示した。曲線をLangmuir型の結合等温式を仮定してフィッティングし、見かけの結合定数(Kapp)を決定した(Table 2)。得られた見かけの結合定数は10の10乗と非常に大きな値を示した。この値はペプチドのみの値と考えると大きすぎる値である。これはファージ末端に提示する5コピーのペプチドの特異的な結合及び巨大なファージボディがAzo-HEMA共重合体との非特異的な吸着、二つ影響によるものと考えた。

トランスとシスフィルムに対する見かけの結合定数の比を選択性の指標として計算した。ファージライブラリーを含む、全てのファージクローンは可視光下のフィルムと高い親和性を示した。しかし、全てのファージクローンの選択性はライブラリーの3.2より小さかった。つまり、ファージボディはトランス体アゾベンゼンと吸着しやすく、ペプチドはシス体アゾベンゼンに相対的に強く結合することを示唆した。

3. 合成ペプチドとAzo-HEMA共重合体フィルムの結合評価

ペプチドの結合を正しく評価するために、ペプチドを化学的に合成して、QCM(quartz crystal microbalance)及びSPR(surface plasmon resonance)により評価した。QCM測定の精度を上げるため、ペプチドのC末端にbiotinつきリシンを導入して、biotinとstreptavidinの相互作用により結合量を拡大した。ペプチドc11(モチーフと一致しない), c04(モチーフと二つアミノ酸が同じ), c05(モチーフと四つアミノ酸が同じ), c16(モチーフ)各1μM、1 hでUV照射前後のフィルムに結合させた後にstreptavidinを結合させた結果をFigure 3に示す。Insert図はUV照射したフィルムが可視光フィルムとの割合でペプチドの選択性と見なした。モチーフを持つc16はもっともシス体フィルムと多い結合量、高い選択性を示した。ペプチドc16に注目し、振動数変化を結合量に計算した結果をFigure 4に示す。フィルムをシス体からトランス体へ異性化させると、結合量は減少した(Figure 4)。逆にフィルムをトランス体からシス体へ異性化すると、結合量は増加した。ペプチドc16とAzo-HEMA共重合体フィルムの結合は光照射により可逆的に制御できることが示唆された。

SPRによりUV照射前後のフィルムに対するc16ペプチドの結合速度定数(k1)、解離速度定数(k-1)、結合定数(Ka)を決定した(Table 3)。ペプチドc16はトランス体アゾベンゼンよりシス体アゾベンゼンとの結合速度が速く、シス体アゾベンゼンとの結合定数はトランス体アゾベンゼンとの10倍以上の値を示した。

ペプチドc16のシス体アゾベンゼン結合モチーフを詳細に検討するため、構成アミノ酸をアラニン(Figure 5)に変え、同様にQCMにより評価した。ペプチドW1Aはほとんどトランス体Azo-HEMA共重合体フィルムと結合しないことから、c16より高い選択性を示した。アラニンに変えると、全ての変異ペプチドはシスアゾベンゼンとの結合量が落ちた。さらに、構造が似ているアミノ酸に変えても選択性及びシス体フィルムとの結合量が落ちた(data not shown)。このように全てのアミノ酸は重要であることを示した。

グリシンをリンカーとしてc16配列の2,3位、3,4位、4,5位の間に導入して、同じQCM法により評価した(Figure 6の3G, 4G and 5G)。しかし、シス体フィルムとの結合量も選択性も落ちた。配列の連続性も重要だと示唆した。

C16ペプチドをシャッフル(Figure 6のNWAPHLT)すると選択性はなくなった。意味深いのは逆の配列(Figure 6のANPLTHW)も高いシス体選択性及び多い結合量を示した。シス体フィルムとの認識はモチーフの一次構造に由来することが示唆された。

4. C16-GFPとAzo-HEMA共重合体フィルムの結合評価

ペプチドc16をリンカー(GGGSGGGS)介して蛍光蛋白質GFPのN末端に導入し(c16-GFP)、大腸菌により発現し、精製した。Wild typeのGFP(wGFP)はUV照射前後のAzo-HEMA共重合体フィルムに50nMの濃度で非特異的に吸着しないことがQCMにより観察した(Figure 7)。C16-GFP融合蛋白質は50nMの濃度で可視光下でのフィルムとほとんど結合しなかったがUV照射したフィルムの場合に振動数が約90 Hz減少した(Figure 7)。ペプチドは大きい蛋白質に融合してもシス体ポリマーフィルムを認識することが分かった。

【結論】

Azo-HEMA共重合体に特異的に結合するペプチドをファージディスプレイ法により探索した。シス体Azo-HEMA共重合体フィルムを認識するモチーフはWHTLPNA(ペプチドc16)であることが分かった。C16ペプチドはAzo-HEMA共重合体フィルムとの結合が光の照射により制御できた。モチーフの全てのアミノ酸は重要で、他のアミノ酸で置き換えるはできないことが分かった。配列の連続性も重要であり、認識は一次構造で決まることが示唆された。さらに、ペプチドc16融合蛍光蛋白質(c16-GFP)もシス体Azo-HEMA共重合体フィルムを認識することが分かった。

本研究により光をスイッチとして生体分子と合成ポリマーフィルムの結合を制御することに成功し、光制御できる新しいバイオシステムの構築に関する新たる基礎的知見を提供することができた。

Figure 1. Schematic representation of peptides that show affinities for the cis-form of azobenzene groups on the polymer-film surface.

Figure 2. Synthesis of azobenzene monomer and azobenzene polymer

Table 1: Air in water contact angles of azobenzene polymer under visible (Vis) and ultraviolet (UV) light

Table 2: Characterization of phage clones.

Figure 3. Frequency changes of streptavidin at 50nM for polymer films precoated with the C-terminally amidated c16, c05, c04 and c11 peptides at 1μM for 1 h under visible (white) and UV light (black). The inset shows the ratios of the frequency changes under UV light to that under visible light.

Figure 4. Saturated binding amounts of streptavidin at 50nM for polymer films pre-bound with the c16 derivative peptide at 1μM for 1 h under visible (Vis) and ultraviolet (UV) light, initially under ultraviolet and subsequently visible light (UV/Vis), and the reversed combination (Vis/UV).

Table 3. SPR kinetic parameters for the c16 peptide

Figure 5. Frequency changes of streptavidin at 50nM for polymer films precoated with the mutant peptides of W1A, H2A, T3A, L4A, P5A, and N6A at 1μM for 1 h under visible (white) and UV light (black). The inset shows the ratios of the frequency changes under UV light to that under visible light. The peptides are C-terminally amidated.

Figure 6. Effects of insertion of a G between H2-T3, T3-L4 and L4-P5 of the c16 peptide on the binding to the polymer films. The binding activity was assayed as described in Figure 5. The inset shows the ratios of the frequency changes under UV light to that under visible light. The peptides are C-terminally amidated.

Figure 7 Frequency changes of wGFP and c16-GFP at 50nM for polymer films after 30 min under visible (white) and UV light (black).

審査要旨 要旨を表示する

マテリアルに特異的に結合するペプチドの探索の研究は、これまでに20年以上にわたり、広範に検討されてきた。その間、無機結晶や半導体・酸化物あるいはナノカーボン、合成ポリマーといった様々なマテリアルに結合するペプチドが取得され、ペプチド‐マテリアル間相互作用の解析や、ペプチドの機能性ナノマテリアルとしての応用が検討されてきた。ペプチドはターゲットの分散剤及び修飾剤、ナノ粒子の集積、半導体基板のパターニングなどといった様々な応用に適用可能である。しかし、単なる認識では実際の応用展開が限られてしまうので、外部刺激により可逆的にコントロールできることが要請される。本研究では光異性化小分子アゾベンゼンをターゲットとし、ファージディスプレイ法を用いてシス体アゾベンゼンを認識するペプチドの探索に成功した。そのペプチドとシス体アゾベンゼン含有ポリマーとの結合を詳細に検討した。また、このペプチドを蛋白質に融合し、シス体アゾベンゼン含有ポリマーフィルム表面に選択的に固定化できることを実証した。

本論文は全7章で構成されており、詳細は以下の通りである。

第一章は序論であり、これまで行われているファージディスプレイ法、マテリアル結合ペプチドの研究ならびに、アゾベンゼンについての従来研究及び本研究を進めるうえで必要な知見や背景を概観し、本研究の位置づけや方向性を述べている。

第二章では、アゾベンゼンモノマーを合成し、ヒドロキシエチルメタクリレート(HEMA)と共重合した。さらにポリマーの表面状態、トランス体対シス体の割合、熱安定性などを評価し、合成したアゾベンゼン含有ポリマーがファージディスプレイ法に適用するターゲットとなりうることを示している。

第三章では、可視光下でランダムなペプチドを提示するファージライブラリーからアゾベンゼン含有ポリマーフィルム(第二章で合成)を認識するペプチドをスクリーニングすることに成功している。クローンファージの末端に提示するペプチドの配列を決定し、ELISAによりクローンファージの結合を評価した。その結果、全てのクローンファージはトランス体アゾベンゼンと強く結合するが、ペプチド自体はシス体アゾベンゼンをより強く結合することが明らかとなった。認識するモチーフはWHTLPNA(ペプチドc16)であることを明らかにした。

第四章では、シス体アゾベンゼン含有ポリマーフィルムを認識するペプチドモチーフの詳細な検討を行っている。表面プラズモン共鳴測定により、ペプチドc16がトランス体フィルムよりもより強くシス体アゾベンゼンフィルムと結合することを定量的に明らかにしている。水晶振動子マイクロバランス測定により、光を照射するとフィルム表面のアゾ基が異性化し、ペプチドの結合量を可逆的に制御できることが分かった。シス体アゾベンゼンポリマーフィルムを認識するモチーフの中で、七個全てのアミノ酸は認識に重要であり、他のアミノ酸で置き換えることはできない。配列の連続性も重要であり、認識は一次構造で決まることが示唆された。

第五章では、アゾベンゼンの代わりに水に可溶性の4-フェニルアゾ安息香酸を用い、ペプチドとの相互作用を消光実験ならびに二次元NMRにより検討している。

第六章では、ペプチドc16を蛍光蛋白質(c16-GFP)に融合し、本系の実用性を評価している。c16-GFPはトランス体アゾベンゼンポリマーフィルムとほとんど結合しないが、シス体フィルムとは顕著な結合を示した。このことからペプチドc16がバイオセンサーチップなどに応用展開できることが示唆されている。

第七章では、本研究で得られた知見を総括し、将来の応用について述べている。

以上のように、本論文は、光をスイッチとして生体分子とマテリアルとの結合を可逆的に制御することを目的とし、アゾベンゼンの異性化を認識するペプチドを探索し、詳細に結合能を検討し、その応用を展開したものである。これらの知見は、光制御できる新たなバイオシステムの構築の発展に大きく寄与することが期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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