学位論文要旨



No 127051
著者(漢字) 工富,知子
著者(英字)
著者(カナ) クトミ,トモコ
標題(和) 進行非小細胞肺癌患者における血清DNAメチル化解析とその臨床的諸因子との関連に関する研究
標題(洋)
報告番号 127051
報告番号 甲27051
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3661号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 准教授 野入,英世
 東京大学 講師 小川,純人
 東京大学 講師 丸山,稔之
 東京大学 講師 村川,知弘
内容要旨 要旨を表示する

わが国の原発性肺癌による年間死亡者数は、2009年人口動態統計月報によると、約6万8000人、癌死亡の中で男性では第1位、女性では大腸癌に続く第2位を占め、原発性肺癌は難治癌の代表となっている。原発性肺癌の組織型は、非小細胞肺癌が約90%を占めている。非小細胞肺癌は、治癒のためには早期に発見し手術療法を行うことが必要であるが、実際には、手術可能な症例は40%程度であり、初診時に既に手術不能な臨床病期IIIB・IV期へと進行している場合が多い。進行非小細胞肺癌における標準的化学療法であるプラチナ製剤を含む2剤併用化学療法の奏功率(CR+PR)は約30%、全体での生存中央期間は10-12カ月に留まり、進行非小細胞肺癌の予後は極めて不良である。一方、化学療法の副作用は少なくなく、QOLの低下にもつながる可能性を考慮すると、あらかじめ化学療法が奏功する症例を選別したうえで、化学療法を行うことが望ましい。

そこで、本研究では、非小細胞肺癌においてプロモーター領域のCpGアイランドに異常なメチル化を有する遺伝子の抽出を行い、それらの遺伝子に対して、血清DNAを用いてメチル化の解析を行い、臨床的諸因子、特に化学療法に対する奏功性との関連を検討することを目的とした。限られた量の患者血清検体から、解析対象遺伝子のDNAメチル化を解析するのに十分な量の血清DNAを抽出するため、血清DNAの抽出方法に関して検討を行った。また、進行非小細胞肺癌患者の末梢血白血球数と血清DNA量の比較検討も行った。

まず初めに、血清DNAの抽出方法に関して検討を行った。肺組織からのDNA抽出方法を用いた血清DNA収量をコントロールとし、タンパク変性時に添加するNaCl濃度・EDTA濃度・ProteinaseK濃度の検討、塩化カルシウム・塩酸グアニジンを用いたタンパク変性の検討、市販のDNA抽出キットによる血清DNA抽出の検討、限外濾過膜によるタンパク除去を行った場合の血清DNA収量の検討を行った。その結果、タンパク変性時にNaClを添加せず、ProteinaseKを増量し、タンパク変性を十分に行うことで、肺組織からのDNA抽出方法を用いた血清DNA抽出方法と比較し、血清DNA収量を3.7倍に増加できた。また、抽出した血清DNAのGAPDH遺伝子をReal-time PCRで定量し、健常人白血球DNAを用いて作製した標準曲線をもとに血清DNA含量を定量すると、健常人血清DNA含量 median 41.2ng/ml (23.8-68.0ng/ml n=6)、非小細胞肺癌患者血清DNA含量 median 301ng/ml(58.1-899ng/ml n=18)であった。今回検討し採用した血清DNA抽出方法を用いることで、Gautschi等によるDNA抽出キットを用いた血清DNA抽出の報告(健常人血清DNA含量median 12.6ng/ml, 非小細胞肺癌患者血清DNA含量median 39.6ng/ml)、Danese等によるDNA抽出キットを用いた血清DNA抽出の報告(健常人血清DNA含量median 14.0ng/ml, 大腸癌患者血清DNA含量median 91.5ng/ml)と比べ、血清DNA収量を増加させることが出来た。

また、健常人血清と比較し非小細胞肺癌患者血清で有意に血清DNA含量が多かったこと(Mann-Whitney rank sum test, p<0.0001)、患者末梢血白血球数と血清DNA含量との間に統計学的に有意な正の相関は認めず(r=0.23, p=0.36)、健常人と同程度の末梢白血球数を有する進行非小細胞肺癌患者でも有意に血清DNA含量が多いことより(Mann-Whitney rank sum test, p=0.0002)、患者血清DNA含量の増加は末梢血白血球由来以外の担癌状態に基づくものであり、癌由来DNAが血清中に存在する可能性が考えられた。

次に、血清DNAのメチル化解析の対象とする遺伝子の選択を行った。NCBIのGene Expression Omnibusで公開されている、肺癌細胞株と正常気道上皮細胞株、あるいは肺癌組織と正常肺組織との発現比較が可能なマイクロアレイを用いた6つの発現プロフィールのデータセット(GDS1688, GDS1650, GDS1312, GSE7339, GSE6044, GSE4824)を解析に使用した。1つ以上のデータセットで肺癌細胞株・肺癌組織で1/8以下に発現が低下し、かつその他のデータセットで肺癌細胞株・肺癌組織で8倍以上の発現上昇を認めない遺伝子を抽出し、更に、癌の増殖・進展に深く関与すると考えられる7つのGene ontology(cell communication(GO:0007154), cell adhesion(GO:0007155), cell cycle(GO:0007049), cell cycle process(GO:0022402), cell motility(GO:0006928), cell proliferation(GO:0008283), cellular developmental process(GO:0048869))のいずれかと関連する285遺伝子を抽出した。285遺伝子に対し、CpG Island Searcherを用いて、遺伝子のプロモーター領域にCpGアイランドが存在する224遺伝子を抽出した。これら224遺伝子のうち173遺伝子に対しメチル化DNA、非メチル化DNAの両者をPCRで増幅可能な、CpGアイランド内でCpG配列を含まないプライマーの設計が可能であり、Bisulfite法・COBRA法(combined bisulfite restriction analysis)によるメチル化解析で、実際に肺癌組織検体DNAでプロモーター領域のDNAメチル化が生じていた10遺伝子(PKP1, SPOCK1, FLRT2, IRS2, DNAH9, PTEN, UCHL1, GOS2, OSMR, ARPC1B)を抽出した。10遺伝子のうち、メチル化の有無を検出するTaqMan MGBプローブが作製可能であった8遺伝子(PKP1, SPOCK1, FLRT2, IRS2, DNAH9, PTEN, UCHL1, GOS2)と、肺癌組織においてプロモーター領域のDNAメチル化が認められる場合があり予後と関連があると報告されている10遺伝子(p16, APC, ESR, RASSF1A, RARB2, CALCA, DAPK, DBC1, TSLC1, MYOD1)を加えた計18遺伝子を解析対象遺伝子とした。

これら、18遺伝子を対象として、非小細胞肺癌患者18名のプラチナ製剤を含む初回2剤併用化学療法前血清と健常人6名の血清を用いて、QAMA法(quantitative analysis of methylated alleles)を用いた定性的解析を行い、得られた各遺伝子のDNAメチル化の状態に対し、階層的クラスター解析とFisher検定を行った。階層的クラスター解析では臨床的諸因子(性別・年齢・組織型・喫煙歴・臨床病期・標的病変の縮小率・化学療法効果判定・全生存期間・無増悪生存期間)と関連があると考えられる遺伝子群は認められなかったが、Fisher検定で各々の臨床的因子とDNAメチル化の有無の関連を検討したところ、p16遺伝子のプロモーター領域のDNAメチル化の存在と、化学療法の効果がPRであることの間に有意な関連を認めた(Fisher検定p=0.0004, n=18)。また、プラチナ製剤を含む2剤併用化学療法によりPRとなった症例で生存期間中央値の延長(PR 9例 MST=737日, SD/PD 9 例 MST=303日, log rank test p=0.011)、無増悪生存期間中央値の延長(PR 9例 median PFS =227日, SD/PD 9 例 median PFS =97日, log rank test p=0.00019)を認めるのと同様に、p16遺伝子メチル化陽性例で生存期間中央値の延長(p16 メチル化陽性8例MST=801日, p16メチル化陰性10例 MST=311日, log rank test p=0.022)、無病増悪生存期間中央値の延長(p16 メチル化陽性8例median PFS =236日, p16メチル化陰性10例 median PFS =98日, log rank test p=0.0022)が認められた。

以上より、進行非小細胞肺癌患者において、化学療法前の血清DNAを用いたp16遺伝子のプロモーター領域のメチル化解析を行うことで、シスプラチンを含む化学療法の効果を予測できる可能性が示された。

本研究は、進行非小細胞肺癌患者症例として、癌の既往のない、初回治療としてプラチナ製剤を含む2剤併用化学療法を2コース行った症例に限定したため、症例数は18例に留まった。また、プライマーの作製部位が原因と考えられる、p16遺伝子のDNAメチル化が、健常人血清で6例中1例検出された。

今後、健常人ではDNAメチル化が生じないと考えられる、exon1前半からプロモーター領域でのp16遺伝子のプライマー・プローブ作成による精度の上昇、症例数の蓄積が必要であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は非小細胞肺癌患者血清DNAを用いてメチル化の解析を行い、臨床的諸因子、特に化学療法に対する奏功性との関連を検討することを目的としており、下記の結果を得ている。

1. 血清DNA抽出方法の検討の結果、タンパク変性時にNaClを添加せず、Proteinase Kを増量しタンパク変性を十分に行うことにより、現在までに報告されている市販のDNA抽出キットを使用した場合と比較し、約3から7倍の血清DNAが抽出可能となった。

2. 健常人・進行非小細胞肺癌患者血清DNAのGAPDH遺伝子をReal-time PCRで計測し、健常人白血球DNAを用いて作製した標準曲線から血清DNA量を定量した。健常人と比較し患者血清で有意に血清DNA含量が多いことが示された(Mann-Whitney rank sum test, p<0.0001)。また、患者末梢血白血球数と血清DNA含量との間に統計学的に有意な正の相関は認めず(r=0.23, p=0.36)、健常人と同程度の末梢白血球数を有する進行非小細胞肺癌患者でも有意に血清DNA含量が多いことより(Mann-Whitney rank sum test, p=0.0002)、患者血清DNA含量の増加は末梢血白血球由来以外の担癌状態に基づくものであり、癌由来DNAが血清中に存在する可能性が示された。

3. Gene Expression Omnibusで公開されているマイクロアレイデータと癌の増殖・進展に関与する遺伝子機能(Gene ontology)を解析することにより、肺癌組織または肺癌細胞株で正常肺組織、正常気道上皮細胞株と比較し遺伝子発現が低下している285遺伝子が抽出された。Bisulfite法・COBRA法(combined bisulfite restriction analysis)によるメチル化解析を行い、実際に肺癌組織検体でプロモーター領域のDNAメチル化が生じていた10遺伝子(PKP1, SPOCK1, FLRT2, IRS2, DNAH9, PTEN, UCHL1, GOS2, OSMR, ARPC1B)が抽出された。PTEN以外の9遺伝子は肺癌でのプロモーター領域DNAメチル化の報告はなく、肺癌組織でプロモーター領域DNAメチル化が生じうる新規遺伝子が示された。

4. メチル化の有無を判別するTaqMan MGBプローブを作製できた8遺伝子(PKP1, SPOCK1, FLRT2, IRS2, DNAH9, PTEN, UCHL1, GOS2)と、肺癌組織においてプロモーター領域のDNAメチル化が認められる場合があり予後と関連があると報告されている10遺伝子(p16, APC, ESR, RASSF1A, RARB2, CALCA, DAPK, DBC1, TSLC1, MYOD1)を加えた計18遺伝子を解析対象遺伝子とし、非小細胞肺癌患者18例のプラチナ製剤を含む初回2剤併用化学療法前血清DNAメチル化解析をQAMA法(quantitative analysis of methylated alleles)を用いて行い、臨床的背景因子との関連を階層的クラスター解析とFisher検定で検討した。その結果、階層的クラスター解析では臨床的諸因子と関連があると考えられる遺伝子群は認められなかったが、Fisher検定で、p16遺伝子のプロモーター領域のDNAメチル化の存在と、化学療法の効果がPRであることの間に有意な関連が認められた(Fisher検定p=0.0004, n=18)。また、p16遺伝子メチル化陽性例で生存期間中央値の延長(p16 メチル化陽性8例MST=801日, p16メチル化陰性10例 MST=311日, log rank test p=0.022)、無病増悪生存期間中央値の延長(p16 メチル化陽性8例median PFS =236日, p16メチル化陰性10例 median PFS =98日, log rank test p=0.0022)が認められ、進行非小細胞肺癌患者において、化学療法前の血清DNAを用いたp16遺伝子のプロモーター領域のメチル化解析を行うことで、シスプラチンを含む化学療法の効果を予測できる可能性が示された。

以上、本論文で、既存の方法と比較し血清DNA収量を上げる抽出方法が明らかとなった。肺癌組織でプロモーター領域DNAメチル化が生じうる新規遺伝子が示された。また、進行非小細胞肺癌患者の血清DNAを用いたp16遺伝子のプロモーター領域のメチル化解析を行うことで、シスプラチンを含む化学療法の奏功性を予測できる可能性が示された。患者血清DNAを用いたp16遺伝子のメチル化解析による化学療法の事前予測は、健常人血清DNAでもp16遺伝子のメチル化を認めた症例があること、メチル化解析において、2検体のうち1検体でメチル化陽性の場合もメチル化陽性と判定した症例があることより、今後、症例数の蓄積、メチル化解析精度の上昇が必要であると考えられた。本研究は、血清DNAを用いた研究、非小細胞肺癌患者血清を用いた化学療法奏功性の事前予測に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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