学位論文要旨



No 127184
著者(漢字) 上坂,正晃
著者(英字)
著者(カナ) ウエサカ,マサアキ
標題(和) カーレマン評価を用いた、粘弾性論・材料科学・個体群動態学における偏微分方程式系の係数決定逆問題について
標題(洋) Coefficient inverse problems for partial differential equations in the viscoelasticity, the material science and population dynamics by Carleman estimates
報告番号 127184
報告番号 甲27184
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第365号
研究科 数理科学研究科
専攻 数理科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,昌宏
 東京大学 教授 片岡,清臣
 東京大学 教授 俣野,博
 東京大学 教授 儀我,美一
 東京大学 教授 中村,周
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、Carleman 評価と呼ばれる偏微分方程式の解に関するア・プリオリ評価を用いた係数決定の逆問題について考察する。

係数決定の逆問題とは、偏微分方程式系で記述されるモデルの中で、(直接測定できないなどの理由で) 未知の係数を、解の部分的な観測情報をもとに回復する問題である。こうした逆問題の数学解析で基本的になるのは、逆問題の一意性と安定性である。一意性とは、その観測によって係数を一意に定めることができるかということであり、安定性とは、観測に伴う誤差やノイズが、係数決定にどれだけの影響を与えるかということである。

本論文では、弾性論・材料科学・個体群動態学などにおいて提案されているモデルに対し、その係数決定の逆問題を定式化し、一意性と安定性を示すことを主眼とする。

特に本論文で取り扱うのは、以下の問題である。

・粘弾性モデル(Kelvin-Voigt モデル)の係数決定問題

・Phase Field モデルの1 成分のみの観測からの係数決定問題

・構造化された人口モデルに対する係数決定問題

・粘弾性モデルの係数決定問題

ここでは、粘弾性体を記述するモデルの中でも、基本的なモデルであるKelvin-Voigt モデルに関する逆問題を考察する。

等方的なKelvin-Voigt モデルに関して説明する。Ω ⊂R3を有界領域とし、T > 0とする。このとき、Kelvin-Voigt モデルは、

という形で記述される。ここで、u=(u1; u2; u3)は弾性体の変位を表すベクトルであり、pは密度、fは外力項である。Lλ,μは、等方的線形弾性体におけるLame 作用素

であるとし、λ,μは弾性係数、η; γは粘性係数とし、これらは正の値を取る。

この方程式に関して、次のような係数決定問題を考える。

■係数決定問題u が(1)を満たすとし、外力項fは既知とする。Γ⊂∂ΩをΩの部分境界とするとき、観測データ

から、密度p、弾性係数λ,μ 及び粘性係数η,γを決定せよ。

この係数決定問題問題に対して、適切な観測を2 回行うという条件のもと、逆問題の一意性と安定性を証明した。

Theorem 1.1. 密度、弾性係数と粘性係数の2つのセット(pj;λj;μj;ηj ;γj) (j=1; 2)は、Γ上でp1 =p2; λ1=λ2; μ1=μ2; η1=η2;γ1 =γ2を満たすとする。また、u(k)j (j; k=1; 2)は次を満たすとする。

また、p(k); q(k)は、ある正値性の条件を満たすとする。また、

と置く。

このとき、dist(ω; ∂Ω /Γ) > 0を満たす任意の部分領域ωに対し、M⊂ΩとT∪ Γに依存する定数C > 0とk∈ (0; 1) が存在して、であるならば、

が成り立つ。ただし、ここに

であるとする。

上の評価で、Mは解に関するア・プリオリな情報であり、Bは観測データの誤差を表すし、評価自体は条件付きのHolder 型評価である。

2 Phase Field モデルの1 成分のみの観測からの係数決定問題

線形化されたPhase Field モデルを考える。

ここに、uは温度、vは状態変数、KとMはそれぞれ熱伝導係数と易動度を表すスカラー関数である。このモデルに対して次の係数決定問題を考える。

■係数決定問題ω⊂ Ωを部分領域、θ∈(0,T)とする。また、MとK 意外の係数と非斉次項は既知とする。観測データ

から、熱伝導係数Kと易動度Mを決定せよ。

この逆問題に関して、観測領域ωにおけるデータはuのみである。実際上こうした観測はより望ましいものであると考えられる。なぜなら、現実問題として、温度uは状態変数v よりもはるかに測定しやすい量だからである。

この逆問題に関して、以下のことを証明した。

Theorem 2.1. (uj ; vj) (j=1; 2)は、上の(6){(8)において、M=Mj ;K=Kjとしたものを満たすとする。次の仮定をおく。

また、Ω 上でu1 (θ,・)=u2(θ,・)かつv1(θ,・)= v2(θ,・)であるとする。このとき、Rに依存する定数C > 0が存在して、

が成り立つ。

3 構造化された人口モデルに対する係数決定問題

構造化された人口モデル(structured population model)とは、生物群などにおける個体の年齢やサイズ分布を考慮に入れた人口モデルであり、具体的には次のように記述される。個体の特性を表す変数として、年齢aとサイズsを導入し、u(t; x; a; s)を、時刻tにおいて、場所xにおける、年齢a、サイズsの個体密度を表すものとする。このとき、uは以下の偏微分方程式を満たす。

ここで、αは拡散係数、gは個体の成長速度を表す係数、γ= (γ1;γ2;γ3)は個体の走性を表すベクトル値関数で、μは死亡率を表す。

このとき、次の逆問題を考える。

■係数決定問題Γ⊂∂Ωを部分境界とする。また、gは既知であるとする。観測データ

から、α、γ、μを決定せよ。

この問題に関して、十分な回数の適切な観測のもと、以下の安定性評価を得た。

Theorem 3.1. uj (t, x,a, s; q)は、

の解であるとする。

pj∈C2 (Ω) (j=1,2, ...,5)に対して、

Assumption 3.2. 1. g∈L∞(s1,s2)、かつ、M > 0 が存在して∥g∥L∞(s1,s2)≦Mである。

2. α1,α2,μ1,μ2∈L2 (Ω)γ1,γ2∈(L2 (Ω))3

3. |a1| ,|a2|≠0 on Ω.

4. a1=a2;γ1 =γ2; μ1 =μ2 on Γ.

5. 行列

が存在する。

6. ∥uj(・, ・,・,・, ; pk)∥C2(QT)≦M.

ω⊂Ωを∂ω∩∂Ω⊂Γ かつdist(ω,∂Ω/Γ)> 0を満たす任意の領域とするとき、MとTに依存する定数C=C (T,ω) > 0とk∈(0,1) が存在して、

が成り立つ。

審査要旨 要旨を表示する

上坂正晃氏は、本論文において粘弾性理論、材料科学ならびに個体群動態学における支配方程式の係数を解の限定されたデータから決定する逆問題に関して、一意性ならびに安定性を確立した。ここで。一意性とは、データによって係数を一意に定めることができるかということであり、安定性とは、データに含まれる誤差が、係数決定にどれだけの影響を与えるかということを意味している。一意性・安定性は逆問題自体の数学解析のためにまず第一に明らかにされるべきことであり、本論文では扱われてはいないが、係数を近似的に求める数値計算手法の発や手法自体の正当化のためにも必要不可欠な基本的な問題である。

本論文において、それぞれ、弾性論、材料科学ならびに個体群動態学における、次のような方程式に関して係数決定逆問題を考察した:

粘弾性モデル(Kelvin-Voigt モデル)の係数決定逆問題

Phase Field モデルの1 成分のみの観測からの係数決定逆問題

構造化された個体群動態学におけるモデルに対する係数決定逆問題

逆問題に対する一意性・安定性の証明のための手法はCarleman 評価と呼ばれる偏微分方程式の解に関するL2 -評価式を用いたBukhgeim - Klibanovによる方法論に基づいているが、彼らの論文は単独の偏微分方程式に対するものであり、しかも支配方程式に関するCarleman 評価が必要である。しかしながら、逆問題を考察するにあたり、上記の3つの方程式の第一、第二のものは複数の関数に関する偏微分方程式系であり、Carleman 評価自体も知られておらず、それをまずを証明しなくてはならなかったことや、独立変数に関する不定積分の項を考えなくてはならないなど、Bukhgeim - Klibanovによる方法論を適用するためには多くの困難があった。同氏は積分項を含むCarleman 評価を巧みに駆使することによりこのような困難を克服した。

以下、章ごとに論文審査の結果を述べる。

第1章においては、Kelvin-Voigt モデルとよばれる粘弾性モデルの弾性係数などの決定逆問題を考察しており、主要結果は以下のようなものである:媒質が占める空間領域の部分境界において変位とその空間変数に関する偏導関数の時間変化が、空間変数に依存する弾性係数ならびに密度を、観測境界の幾何形状によって定まる部分領域において一意的に決定し、しかもある種の有界性ならびに初期値に関する仮定の下でHolder タイプの連続性が成り立つ。この結果は数学的に意義深いだけではなく、次世代の医学診断技術の開発のためにも注目すべきものである。すなわち、モデル方程式を人体組織に適用した場合に、腫瘍は組織の弾性係数に変化を齎すことが知られており、体表面近くのデータで係数を精度よく推定することにより初期段階の腫瘍の検知に役立つことが大いに期待されており、同氏の結果はその理論的な正当化を与えるものであるからである。

第2章においては、Phase Field モデルの方程式の熱伝導係数ならびに易動度を温度のみの観測データから決定する逆問題において一意性とLipschitz タイプの連続性を証明している。Phase Field モデルはもともと、結晶成長などを伴う材料科学において提唱され数学解析も進められているが、そのためには係数をどのようにモデル化するのかという課題が重要であり、同氏はこの課題に逆問題の観点から解決を与えた。

第3章においては、構造化された個体群動態学におけるモデル方程式を考察している。ここで考察したモデル方程式は個体数が時刻と場所、年齢だけではなく、個体サイズにも依存することを考慮に入れたモデルである。場所を表す変数に依存する拡散係数、成長速度ならびに個体の走性を記述する係数を空間領域の境界上で時間、年齢、サイズに関して観測したデータから決定する逆問題に関して一意性及びLipschitz タイプの連続性を証明した。

これらの結果は、論文提出者が既存の方法論によりながらも、技術的な困難さを様々な技法で克服して得たもので、数学解析の見地のみならず関連応用分野における課題解決のための理論的な正当化を与えるものである。よって、論文提出者 上坂正晃は博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51801